ミトコンドリアDNAの遺伝性質、つまり「世代から世代へとほとんど変わることなく受け継がれ」(p.237)、「そこに見られる変化は、分子時計がゆっくりと時を刻み続けるあいだ、徐々に、ひとつずつ確率されていく突然変異だけしかない」(同)という性質を利用し、現代ヨーロッパ人「六億五千万人の母系祖先は七人
...続きを読むの女性につながっていた」(p.28)ことを示そうという試み。その試みを思いつく経緯や証明のための試練を乗り越える様子(「明確なゴールに向かって絶え間なく前進したわけではない。連続する小さな跳躍、というほうが正しいだろう。どの跳躍も、理性的な戦略だけでなく、偶然と個人的人間関係と経済的必要性、そして肉体的な損傷によって促されたもの」(p.39))、そして七人の女性はどのような暮らしをしてどのような生涯を送ったのか、DNAが物語るメッセージを読み解き、人類の歴史を探る本。最後の方に、日本人のルーツについても少しだけ書かれている。
『雪ぐ人』という本の主人公となった実在した弁護士、今村核さんが、ドキュメンタリー番組で「とても面白い本」として紹介していたので読んでみた。揺るぎない証拠を重ねて論理的、科学的に実証していくスリリングな様子が、今村弁護士の仕事と重なる感じがした。途中にちょっと難しいところもあるけど、素人でも何となくはその面白さがわかる。七人のさらにその上を遡るとどうなるんだろう、という疑問を抱きながらずっと読んでいてモヤモヤしていたが、その点も最後の方で触れられており、人類のルーツを知る面白さも去ることながら、DNAって本当すごいものなんだなという、生き物の中にこれだけすごいものがあるんだなというのが正直な感想だった。以下、読んで印象的だったところのメモ。
この本が書かれた時には専門でやる人しか聞いたことのなかったであろう「PCR」という言葉が出てきたことがまず印象的だった。「『ポリメラーゼ連鎖反応』略して『PCR』」(p.37)というプロセスによってDNAを増幅させる、みたいな話だった。それからバスク人の話が出てくるが、「バスク人は最初からヨーロッパに暮らしていた民族の末裔であり、ほかのヨーロッパ人はすべて、先住民と、もっとあとになってから到着した民族との混血である」(p.61)とされる研究があったりして、言語学を勉強すると必ずバスク語がインド・ヨーロッパ語族に入りません、系統不明、という話はよく聞いていただけに興味深い。そして、この知見があれば、「もともとインド=ヨーロッパ語が使われていたのはどこかという疑問、そして重要なのは、そこからどのようにして広まっていったのかという疑問」(p.190)に答えることもできるだろうから、言語学にとってもエキサイティングな研究だなと思った。それから「最初の一人に行き着く」という発想のもとに、「世界じゅうのゴールデンハムスターは一匹のメスの子孫」(p.80)という話を子どものころに著者が読んだ、という話があるが、そういえばソメイヨシノ?も一つの株から出てきたもの、というのを思い出した。そして、現代ヨーロッパ人はネアンデルタール人の末裔なのか、クロマニョン人の末裔か、という論争が過去にあった、という話で、「客観的証拠が不足している論争の場合、どうしても敵対するグループに分かれてしまう。そしていったんどちらかにつくと、人は頑としてその立場を変えようとはしない。」(p.149)というのは、政治とか宗教とか色んなところに応用できる話なんじゃないかなと思った。それから、ラバの話。「母親である馬から三十二本の染色体を、父親であるロバから三十一本の染色体を受け継ぐことになる。合計六十三本の染色体だ。六十三本の染色体を半分に分けることはできない。だからラバは繁殖できないのである。」(p.165)だそうだ。わかりやすい理屈だけど、自動的に消滅するとか?融通は効かないのか、とか思った。あとは、科学の世界?では最初に発表された論文のデータが間違っていた、ということは著者「自身の手によって科学誌上で訂正されなければならない。」(p.212)という、これも訂正とか容易にはしてくれなさそうだな、と思ったりした。そしてイギリスで有名な観光地「チェダー」というのがあり、チェダーチーズと、「もっとも有名な過去の住人『チェダーマン』の像が建っている」(p.221)博物館や洞窟があるらしい。チーズも好きだし、行ってみたい。あとこれは、ものすごい基本的なことのように思えるのにどれくらいの一般の人が認識しているんだろう、という話は、「女性は、子どもの性別にはなんの影響も与えない。」(p.239)という事実、つまり「母親の卵子に入り込んだ精子が、X染色体を持っているか、Y染色体を持っているか、ということに全面的にかかっている。」(同)という事実も、あまりよく知らなかった。「産み分け」とか頑張る人もいるようだけど、この事実を前にした時には何を頑張るんだろうか??
そしてこの考え方の説明の最後、この著者らの説が支持される瞬間、というのは読者も少なくとも興奮するかもしれない。「闘いは終わったのだ。四年半ものあいだ、われわれは苦しめられた。突然変異の発生率がまちがっているという恐怖、ミトコンドリアDNAの組み替えがなにもかもを台なしにしているという恐怖、そしてDループがまったくもって頼りにならないという恐怖に、ずっと耐え忍んできた。それがいま、報われたのだ。」(p.247)という部分が、この本のクライマックスかもしれない。
後半は七人の女性の生涯について、読みやすいストーリー仕立てにして描かれていて、DNAの情報からここまで新鮮に物語が描き出されるのか、というところが楽しめる。「ネアンデルタール人はとてもシャイで、狩人たちと対面しようとはせず、森のなかに姿を消してしまう。狩人たちも攻撃を仕掛けることはなかった。ネアンデルタール人を捕まえて食べたがる者もいるにはいたが、あそこまで人間に似ているものを狩ることには、タブーとも言える強い反感があった。」(p.265)とか、なんかリアルだ。「彼女が生まれてはじめて吸い込んだにおいは、骨をあぶるときの、鼻につく悪臭だった。凍原にはマンモスや野牛の白骨死体が散らばっていた。その不愉快な燃料をしぶしぶながら使ったのは、悪臭をかぐほうが凍死するよりましだったからだ。」(p.273)という、骨が燃料になるんだ、というのも印象的。最後のジャスミンのところでは、オオカミが犬になる時や、農耕や牧畜が生まれた時など、人間の歴史の重要なポイントを描き出している部分が面白い。「動物が家畜化され、人間と動物が近くで過ごすようになったことで、宿主には無害なウイルスが人間へと広まっていった。はしか、結核、天然痘は牛から、インフルエンザ、百日咳は家畜化されたブタやカモから広まった。」(p.341)というのも、感染症が流行っている今、興味をひく話だった。
こういうのは「ポピュラー・サイエンス本」(p.393)というジャンルに属する本らしいが、おれはあんまり読んだことないので、信頼できる人が書いているものなら今後も読んでいきたいと思う。(23/01/22)