本書は1990年代初めに登場した一冊を基礎に、一部に手を入れ、1990年代以降の近年の話題を述べる追記的内容を加えているという内容だ。
多くの方が「共産党政権は宗教を否定」というようなことを思い浮かべるかもしれない。かのソ連では、<ロシア正教>は「余り大きく前面に出るのでもなく、静かに受継がれていた
...続きを読む」というようなことかもしれない状態であった。が、ソ連末期の1989年が「ロシアでキリスト教が容れられた」とされる年から「千年」で、折からの<ペレストロイカ>の変化の中でロシア正教が「甦る?」というような状況が生じた。
本書の著者は、その「甦る?」という動きも現地で視たという経過を有している方であり、熱い筆致で1989年頃の様子を紹介する内容から本書は起こる。
そして<ロシア正教>の歩みの概要が語られる。
ビザンツ帝国のキリスト教である<ギリシア正教>がロシアを含む国々へ伝えられ、以降は各々の場所で発展して行く。ロシアに在っては、幾つかの事由も重なって、ロシアこそが正教を守護するビザンツ帝国を受継ぐ者であるとした「モスクワは第3のローマ」というような思想まで登場するようになって行く。
そこから、リューリク朝が途絶えた後の混乱を乗り越えて登場したロマノフ朝の帝政下での経過が在る。更にロシア革命の中でのロシア正教、そしてソ連政権下での経過ということになって行く。
本書ではロマノフ朝の帝政下でのロシア正教の展開について、その概要を知ることが叶う。そしてロシア革命の時期やソ連政権の下での経過については、かなり紙幅も割かれていて、詳しく知ることが叶う。
「ロシア」とでも言えば…「北方領土問題!」とか「経済活動…」という話しばかりが聞こえるというような感もしないでもないのだが、学ぶ価値が高い精神文化の変遷、関連する社会の動きが色々と積み重ねられている。本書を紐解きながら、或いは読後にそういう「当然と言えば当然…」のことに、何となく思い至ってしまった。
ソ連政権下でのロシア正教の辿る経過は「不幸…」と呼ばざるを得ないが、結局は「当時の巨大な不幸」の一部であったように感じた。「そんなにやらなければならないか?!」という程度に“諍い”が重ねられ、“弾圧”が在って、「失われる必然性が低かった人材が夥しい程に損なわれてしまった?」というのが「巨大な不幸」に他ならないと思う。
飽くまで個人的な感想ではあるのだが、何処の国や地域でも、程度の強弱、規模の大小に少しばかりの差は在るのかもしれないが、この種の「不幸」という経過は抱えてしまっているのかもしれない。
それにしても、本書については1990年代初めに登場した一冊を、上手く2020年に甦らせてくれたということになる訳で、「好い仕事!!」と歓迎したい。多少なりとも「ロシアに興味?」という方には、ロシアの「思想の変遷」、「名状し悪い感覚を形成する要素」とでもいうような<ロシア正教>を概観し得る本書はお薦めだ。