出身地域・親の学歴によって子どもの最終学歴は異なり、それが収入、職業、健康等様々な格差の基盤となる、そうした教育格差はどの社会にもどの時代にも存在することをデータを基に立証しています。
日本では、1970年代半ばに高校進学率が9割を突破し、2009年には四年制大学の進学率が5割を超えました。しかし、
...続きを読む(70~80年代のデータがないので立証は難しいですが)「大衆教育社会」と呼ばれるその頃からSES(社会経済的地位)による影響が強まる階層化社会は始まっていたことは、当時の実態から伺えます。そして、教育意識の地域格差は2000年代以降確実に拡大しているのです。
アメリカの研究によると、中流家庭は「意図的養育」、労働者階級・貧困家庭は「放任的養育」と称される子育てロジックを持つことが分かっています。具体的には「日常生活の構造化(習い事参加・テレビ視聴時間の制限等)」「大人との議論・交渉の奨励(論理的な言語・豊富な語彙)」「学校等との交渉(子どもに便宜を図るため)」等への介入です。
親が大卒であるかということが世帯収入や子どもの学力に大きく影響しますが、その格差は未就学時より存在し、子どもの成長と共に拡大傾向にあります。また、地域格差も大きく、私立中学進学率は三大都市圏の両親大卒層で高く、特に都内の区部中学では、両親大卒層で公立中学に通う生徒の割合は53%、両親非大卒層で88%だとのことです。また、学習量、メディア消費量、親の学校関与度合いなどの「ふつう」度合いは学校間で異なります。高校になると、高ランク校が高SES校、低ランク校は低SES校であることは自明の事実です。そして、どの国においても、高学歴は高収入であることがOECDの調査でも分かっています。
私たちはデータを冷静に分析して改善を図らねばなりません。例えば、過度な受験戦争、詰め込み教育、画一教育を問題視して転換された「ゆとり」教育ですが、1990年当時さえ、中学3年生であっても毎日2時間以上勉強していた生徒は20%に届かなかったそうで、「受験地獄」が局所的な体験に過ぎなかったことが分かっています。教育改革のやりっ放しが多くの子どもの可能性を潰しているのです。
著者は、分析可能なデータを収集し研究知見に基づいた実践の拡散と、教育格差を教員免許取得の必修科目にするなどの改善を提言しています。
夏に受けた研修で話題に上がったため読んでみましたが、この根深い問題が私の生きている時代に改善されることはあるのだろうかという暗澹たる思いと、事実を受け止めて意識していかないと何も変わっていかないと鼓舞する思いが交錯しました。