『浄土真宗とは何か』
2023年5月22日
親鸞の生涯やその思想について、簡潔にまとまった一冊。浄土真宗の入門にふさわしい。
本書では、親鸞以前の平安時代における密教から平安浄土教、さらには源信による臨終行儀にも触れる。浄土真宗の前夜を説明することで、親鸞の思想における矛盾への理解がしやすくなって
...続きを読むいるだろう。
本書は、親鸞の人間らしい側面に焦点を当てており、大変興味深かった。歴史上の人物、ことに宗教家ともなると、完璧超人いう理想化したイメージを抱きがちである。しかし、本書では人間味あふれる親鸞像が提示され、その苦悩にあふれた一端に触れることができ、親しみをもって読むことができた。
親鸞の思想といえば「他力本願」が有名だが、親鸞自身も真に「他力本願」となるのは難しいと語っている。妻・恵信尼が娘に与えた手紙には、親鸞が病気でうなされている際に、『無量寿経』を唱えてしまったことが書かれる。自力の心(自分の力によって運命を変えようとすること)に気づいた親鸞は、よくよく気を付けねばならないとしている。
また、彼の説いた教説には誤解を与えかねないものも多い。親鸞の思想では、他力の信心を得たときに極楽往生が確約されるため、臨終時の来迎を待つ必要はないとしている。それにも関わらず、曇鸞や法然の臨終時の奇瑞を称えているのだ。これでは、臨終行儀を行った方がよいと考える信者がいても無理はない。
自身の子・善鸞の義絶についても、理想化されすぎた親鸞からの視点からのみ論じ、善鸞を「親不孝者」とする論説に疑問を呈している。善鸞にも言い分があったはずだが、文書が残っていないこともあり無視されてきた。後世に生きる我々は想像するしかない部分もあるが、善鸞側の意見を考えるとまた違った見方ができるだろう。
上記のように、親鸞にも人間としての苦悩や揺れあった。完璧な人間ではなかったのだ。また、一人東国に向かった善鸞においても、必要に応じてその思想が変化するのは仕方なかったのではないだろうか。現在となっては、真相はわからないが、理想化されたままの親鸞像で語ることの危険性を説いている。
自身の理想的な思想と現実の間で苦悩したり、90年という長い生涯の中で言説に揺れがあったり。よくよく考えれば人間として普通のことだ。本書では、そのような「人間」親鸞に迫った大変興味深い一冊だった。