作品一覧 2019/09/20更新 「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 試し読み フォロー 海の向こうから見た倭国 試し読み フォロー 1~2件目 / 2件<<<1・・・・・・・・・>>> 高田貫太の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 海の向こうから見た倭国 高田貫太 3世紀から6世紀の倭と朝鮮半島の関係を朝鮮の視点から、日韓の考古学上の成果をふんだんに活用して分析している。特に、朝鮮半島側の古墳の状況や研究者の視点を紹介してくれているのが新鮮。 これによると、「倭という一つの強大国があって中央集権的に朝鮮半島と対峙していた」というステレオタイプの世界観では全く...続きを読む不十分であることがわかる。特に、時代が遡れば遡るほど、朝鮮半島(新羅、伽耶地域、百済、栄山江地域)と倭(九州北部、吉備、大和)が輻輳的に関係を築いていた。 時代が5世紀に下ると、朝鮮半島側は高句麗の南下に対して百済や新羅が周辺を統合しつつ、倭と友好関係を結ぶことを思考し、倭も先進技術の取り込みのため、関係を構築していく中で、吉備や九州を統合した形で倭王権が交易を独占する形になってきたというもの。また、今と比べて国の概念も曖昧だったのだろうが、筆者は後書きにおいて以下のとおり指摘する。 ・古墳時代(3世紀後半〜6世紀前半)の倭では、倭王権を核としながらそれぞれの地域社会も拠点となる、錯綜した可変的なネットワークが広がっていた。それは、朝鮮半島(少なくとも中南部)にまでのびていて、そこでも同じようなネットワークが広がっていた。その環海地域を取り巻くネットワークを活用しながら、倭王権と地域社会は時には協調して時には競合して、朝鮮半島のさまざまな社会と政治経済的な交渉を重ねた。 ↑の好例が6世紀前半の磐井の乱であろう。筆者は、倭王権が北部九州の港を直轄化するとともに、新羅の圧迫を受ける伽耶を助けようとしたことに対し、新羅は磐井に賂を送って倭を牽制させ、磐井も港の直轄化に反応して倭を見限ったと見ている。まさにこのような『錯綜して可変的な』ネットワークが、(今のような厳密な国境意識なしに)日本でも朝鮮でも広がっていたということであろう。 古墳の考古学的な解説の部分を読むのがやや苦痛だったが、全体として極めて説得的な本だった。 Posted by ブクログ 「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 高田貫太 朝鮮半島にも前方後円墳があった!異形の古墳を現地で調査し、その誕生と発展の歴史を推理する。そこに流れる日韓の交流への願いに胸を打たれる。 Posted by ブクログ 海の向こうから見た倭国 高田貫太 3世紀から6世紀にかけて、朝鮮半島と倭との間でどのような交渉があったのかについての研究をまとめた本。 高句麗、新羅、加耶、百済、栄山江流域といった社会が割拠する中で、それぞれの対外戦略として倭との通行があった。 倭は倭で様々な地域集団が存在し、吉備の反乱や磐井の乱といった、倭王権が外交権を接収するに...続きを読むあたって生起した戦いもあった。 古代の歴史はよくわかっていない分ロマンもあるし興味をそそる。新羅が倭の出兵を抑えるために…という件とか。 Posted by ブクログ 海の向こうから見た倭国 高田貫太 三世紀後半から六世紀前半の期間、朝鮮半島の国々、百済、加耶、新羅、金官などと倭の国々との交流を見る。倭も大和政権だけでなく、吉備、磐井、九州などの地方勢力との交流もあり、朝鮮半島の国々は北からの高句麗の攻勢に対抗する意味もあって、倭との交流を求めたようだ。 Posted by ブクログ 海の向こうから見た倭国 高田貫太 考古学から。 「海の向こう」はおもに南朝鮮。倭列島側から海の向こうを見る視点も忘れていなくてバランスが取れていると思う。 Posted by ブクログ 高田貫太のレビューをもっと見る