仮説を構築する というのは 重要な意味を持っている。
歴史を解明するためには、仮説なくして成り立たない。
歴史とは 『仮説』のつくり方で 方向が決まる。
多言語教育を受けた 若い人たちが
感性あふれる 言葉 に対する想いを 解き明かしていく。
果敢であることに・・・共感を覚える。
言葉から沸き立
...続きを読むつ 質感 がどう形成されるのか?
中国、朝鮮、日本という 3つの国の中の底流に流れるものは?
はじめに・・・聖徳太子をこう表現する。
聖徳太子が 10人の話を聞くことができるというより
語学の天才であった という説明は 納得。
聖という 字 が 『耳』と『口』の『王』ということから、
聖となっている。
聖徳太子は日本書紀では・・・
厩戸皇子(うまやとのみこ)
厩戸豊聡耳皇子(うまやとのとよとみみのみこ)
豊聡耳法大王(とよとみみののりのおほきみ)
と呼ばれている・・・『耳』がよかったのだろう。
万葉集の謎の歌人 柿本人麻呂 の 詠んだ歌を
『朝鮮語』で、解明しようとする。
朝鮮語の辞典は
『李朝語辞典』(1979年)を使う。
(朝鮮語古語辞典というのがあるのだろうか?
書かれた当時は インターネットがなかったので、
重い辞典を運びながらの挑戦だったようだ。
万葉集から 人麻呂の歌
東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
東の野に炎(かぎろい)の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
漢字の羅列を大和言葉に読み替えたのは・・・
すごい読解力といわざるを得ない。
それを、朝鮮語で読み替えることができるのか?
712年 古事記 720年 日本書紀
という 日本の歴史が作られる
日本語漢字のひとつの集約の時期である。
前夜に 柿本人麻呂 は、歌を歌っていた。
この時に 使われていたのは 万葉仮名。
万葉仮名 は 日本語になっていた。
万葉仮名を 中国語で詠めても 意味はなさない。
(この本では中国語の表記が ピンインを使わないのは残念。
万葉仮名は 漢字であっても 中国語ではない。
万葉仮名を 朝鮮の古代漢字でよんで、古代ハングル語にする
その意味が通じる という着眼点はありうることかもしれない。
倭語と朝鮮語の共通性がどこまであるかがであるが、
朝鮮の漢字がどんな風になっていたのか
そのことがわかってくるとみえてくるものがある。
いつくかの作業のポイントがある・・・
現在の朝鮮語でよむ・・・『時間軸のずれ』
古語としての朝鮮語でよむ
万葉当時の朝鮮語でよむ
人麻呂がなぜその当時の朝鮮語を知っていたのか?
柿本人麻呂は、出自が不明であることから、
朝鮮の渡来人・・・と推定していくのであるが・・
やはり、ちょっと無理がある。
人麻呂の歌だけでの推定では、『物的証拠』が少なすぎるのだ。
解釈の方法論ではなく、柿本人麻呂ののこした
暗号を違ったメッセージに仕立て上げると
おもしろい読み物になったとおもうが・・・
ダヴィンチコードのようなイメージが時代を広げて展開する。