障害を持ってこの社会を生きるということが
いかにたくさんの困難を抱えるか…ということを考えさせられた。
3原色の1色を感じられないだけで、これほどまでに日常生活のなかで困ることが多いとは…。黒板に赤のチョークで書かれた文字が見えない。見えないというと、先生にふざけていると叱られる。地下鉄の線の色分
...続きを読むけが、同じ色に見えて区別が付かない。障害者の安全より、見た目重視デザイン重視の配色…。
障害を持たない人には想像できない事で困っているのだ。
確かに困ることも多いが、それ以上に、周囲の「フツウ」という人からの誤解による叱責や"理解したつもり"の見当ハズレな対応が、障害を持つ人をさらに苦しめている事実。
これは、色弱だけでなく、私の発達障害、その他の障害も同じこと。
色弱は、コンピュータの普及により、シミュレーションソフトなどができたことで、色弱の人が感じている世界を表現しやすくなった。それによって、感じている世界を表現しやすくなった。
発達障害も感じている世界を表現できる方法があれば、理解を得やすいのですが…なかなかそうもいかない。何を表現すればいいのかわからず模索の状態だ。
いずれにしても、「フツウ」と呼ばれる人には、もう少し「想像力」を働かせてほしいと感じることがたくさんある。
一般に「相手の気持ちがわかる」といわれている事象は、単に自分の感じ方が大多数と一致していることが「相手の気持ちをわかる」ことだと考えているにすぎない。
本当に「相手の気持ちを想像できる」能力であるなら、相手がどんな世界にいる人であっても理解できるはずである。ところが、実際には、障害を持つ人の苦しみを想像できなどころか、差別をする人までいる。
「相手の気持ちを理解できる」というのは、ただの神話なのだ。
大切なのは、自分が経験したことのない世界を想像し、相手の気持ちを考えること。
それが本当の意味での「相手の気持ちをわかること」なのではないかと思う。