<目次>
序章 古典を学ぶことに価値や意味はあるのか
第1章 古典意識の成立~古典なるものと藤原俊成の戦略
第2章 古典的公共圏の先駆~古典と注釈
第3章 古典的公共圏の確立~身だしなみとしての和歌・古典
第4章 古典的公共圏の展開~戦乱においてますます躍動する和歌・古典
第5章 古典
...続きを読む的公共圏の繁栄~古典の王国だった近世日本
第6章 古典の末路~古典を見捨てた近代
終章 古典の活路~それでも古典を学ぶことには意義がある
<内容>
高校の国語から「古典」が消えつつある(「漢文」は既に消えた)なか、古典とは何で、どのように日本に展開してきたのかを、「古典的公共圏」という言葉で説明していく。これは、「古典の素養と本歌取り・題詠和歌の創作能力(古今和歌集から)をもって一人前の人間と見なすこと」らしい。まあ、世界と違って、宗教的な古典を持たないのが、日本の特徴らしいので、基本は『古今和歌集』からの和歌、『源氏物語』などの作品を指すらしい。それが藤原俊成、定家親子あたりから「古典化」し始め、戦国期からの「古今伝授」を経て、江戸期に蔵書家が生まれて、一気に古典が花開いたわけだ。現代における「古典勉強」の目的は希薄だが、教養として必要かな?と思う。