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高等教育の古文・漢文不要論が唱えられる今、古典は本当に必要なのか。日本において古典が成立した経緯を辿りながら、そもそも「古典」とは何かを考える。一般社会通念としての「古典」とは、歴史の中で他者の視線に耐え抜いた書物を指すことが支配的であるが、本書では、本来の「古典」には明確な基準があったことを明らかにする。「古典の日本史」を踏まえつつ、日本人にとっての「古典」や「教養」のあり方を問う一冊。
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Posted by ブクログ
先の感想で書いている方もいますが、なぜ「古典」を学ぶのか?ということに関しては、冒頭と末尾に少し触れられているのみです。その他の部分に関してはそれを補完するための専門的な説明が主ですので、注意です。 なぜ古典を学ぶべきなのか?という問いに関しては明確な答えなどないと思います。アイデンティティの形成...続きを読むや過去の追体験など、学ぶべき理由は様々挙げられます。私自身は、知的財産の形成だと考えていますが、そういった理由は他の学問を学ぶより古典を学ぶべきかという答えにはなっていません。 しかし、こういった本を読むことで改めて自分の中で学ぶということの意義を考える契機にはなりますので、興味がある方は読んでみることをおすすめします。
帯に「なぜ古文を学ぶことが大事なのか?」とあるのでその話がメインなのかなと思ったがあまりそういう話ではなかったので注意。 古典が生まれ、廃れていった歴史についての話。 著者の言う古典とは「古今和歌集」「伊勢物語」「源氏物語」「和漢朗詠集」であり、注釈書を持ち、権威を身につけた書物が古典であったとい...続きを読むう。 「古典的公共圏」がうまれ、上記古典書物や和歌の知識のある人たちが貴族社会で認められていくようになり、江戸時代には庶民にも紙や教育が拡大したことから古典的公共圏も広がっていく。 ところが明治になり教育システムが整備されたことで、「古典」は一つの科目になり、古典的公共圏も崩壊した…ということだった。 前近代では古典知識があり和歌を読めるということが一人前として認められていたが、一つの教科に成り下がってしまった…と。 最後に、「古典を持つ国民は宿命として背負っていくしかない」「アイデンティティのために古典を知るべき」とあるがあまり共感はできない。 本書で語られた古典的公共圏の繁栄と現在の姿を見るに、現代で以前のような古典の繁栄を望むのは難しいと思うし、これからも古典不要論は数多出てくると思う。 古典が大好きだけど、なぜ必要かと問われると正直自分もわからない。でも絶対に後世に残していくべき日本の資産だと思う。どうしたらもっと古典好きが増えていくか、大人として考えたい。
<目次> 序章 古典を学ぶことに価値や意味はあるのか 第1章 古典意識の成立~古典なるものと藤原俊成の戦略 第2章 古典的公共圏の先駆~古典と注釈 第3章 古典的公共圏の確立~身だしなみとしての和歌・古典 第4章 古典的公共圏の展開~戦乱においてますます躍動する和歌・古典 第5章 古典...続きを読む的公共圏の繁栄~古典の王国だった近世日本 第6章 古典の末路~古典を見捨てた近代 終章 古典の活路~それでも古典を学ぶことには意義がある <内容> 高校の国語から「古典」が消えつつある(「漢文」は既に消えた)なか、古典とは何で、どのように日本に展開してきたのかを、「古典的公共圏」という言葉で説明していく。これは、「古典の素養と本歌取り・題詠和歌の創作能力(古今和歌集から)をもって一人前の人間と見なすこと」らしい。まあ、世界と違って、宗教的な古典を持たないのが、日本の特徴らしいので、基本は『古今和歌集』からの和歌、『源氏物語』などの作品を指すらしい。それが藤原俊成、定家親子あたりから「古典化」し始め、戦国期からの「古今伝授」を経て、江戸期に蔵書家が生まれて、一気に古典が花開いたわけだ。現代における「古典勉強」の目的は希薄だが、教養として必要かな?と思う。
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古典と日本人~「古典的公共圏」の栄光と没落~
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前田雅之
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