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東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない。本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であって、その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった。
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Posted by ブクログ
以前読んだ『マホメット』『イスラーム文化』の著者であり、東洋哲学者。また、イスラム研究家でもある井筒俊彦さんを読む。 他の方のレビューを拝見するととても評価が高くきっと素晴らしい本なんだろうと思い、つい手にとってしまったが、極めて難解である。 どれ程の知識を持ってすればこの様な本が書けるのか、改めて...続きを読む著者の天才ぶりに脱帽す。 本質は西洋哲学が有であるなら東洋哲学は無であり、それぞれは背景にある宗教的は排除出来ない。 p233より、 「ア」(a-)はサンスクリット語では否定を表わす接頭語である。「非×」、「不×」、「無×」、どんなものをもってきても、「あらず、あらず」とそれは言う。経験的事物、事象の一切をあますところなく否定する「ア」は、確かに無的、無化的性格をもつ。
分厚い氷の上を滑るようだ。 p41 我々が何故に本質を求めるのか。もの事に同一性を認めることによって、既知とする。これによって、再利用が可能となり、(ある程度の)予知が可能となる。 p241 「神は世界を創造した」というのは、言語によって世界を表現したという理解でよいのか。世界を記述する表現の無限性...続きを読む、あらゆるものを内包しうる事を神性に喩えるということだろうか。 前段に、「文字の組合わせ」を変えると世界が変る、とあった。 「太始に」とは時間的始まりを意味しない。〜どの一点を取って見ても、そこに必ず太始がある、これは道元の世界にも通ずるか。
サブタイトルは精神的東洋を索めて。 その精神的東洋について西洋という対象軸を明示しつつ論じている。今日的な通念=西洋的思考とは違う知の在り方が詳らかにされる。 東洋を知ることで、私たち日本人がいかに言葉至上主義的なロゴス的な西洋的思考で世の中を見ているかを思い知ることができる。東洋に身を置きなが...続きを読むら、東洋的な思考態度を削り取られていることに気づく。もちろん、そのエッセンスは私たちの内奥に伏在している。よくも悪くも借り物のモノサシを当てがわれている。 イスラームがやはり自分としては興味深い。地球規模で考えるとおよそ4人に1人はムスリムという事実。これが何を意味するか。 カッバーラーも面白い。 西と東を縦横無尽に往来して知の舞台を賑やかに描き出してくれた著者に敬服。 ★5つでは足りない。
圧巻。まさしくこの書物を読むことが、想像力の領域に蓄積されているものを呼びさましていく作業であって、イメージ言語そのものだと思った。神なき時代の信仰は他者としての「コトバ」によりて成立する。 想像力というのは、イメージとしては「川」のようであって、それを個々の深層に潜む「無」の自己展開による奔流と...続きを読むして捉えれば、想像力というのは、限りなく人間が呼吸することや、「いのち」の語によりて名づけられるものに接近していく。そして経験的世界、現実世界において、その「川」の営みを統合していくことが、漸次的に「神」を現出させ、また「神」を展開させていくこととなろう。そしてその際に、必要になることは、想像力の領域に漂い現出を願う「他者=神」を、「コトバ」によりて掬いだすことだ。そこに現れる『コトバ』こそ、「神的言語」であって、それは即ち、「存在」としての「言語」として定着する。おそらく「言語」とは、突き詰めていけば、神の自意識ということに話は収束するだろう。 ●以下引用 シンボルとは、神の内面が外面に現れるに際して取る根源的イマージュ形態を、人間が、人間の側から眺めたもの マンダラとは、「正覚」を得た人の深層意識に現れた一切存在者の形姿の図示 神のコトバー神である言葉 神秘の世界としての存在世界は、神のコトバの世界、紙の根源的創造力である神的言語の自己展開に他ならない どの一点をとってみても、そこに必ず『太始』がある。神の創造の業は、時々刻々に新しく、しかも同一の過程を通って、吾々の前面に、そして我々自身の内部に実現している。
東洋と一口に言っても幅広いのに、よくも日本、中国、イスラムと様々な知見を持って語ることができるものだと大変驚かされる。 読み始めて思ったことは、そもそも今の時代において、物事の本質についてどこまで語る必要があるのかということだ。 しかし、そのように考えるより様々な文化がどのように本質を考えてきたか知...続きを読むることができると思うと面白く感じる。 内容が東洋思想なのに西洋思想をバックに感じる。 まず、本質はコトバや意識で世界を分節化されているものだという。 構造論のように捉えているのではないだろうか。 そして本質が普遍的である場合と、モノに固有である場合とを挙げる。 普遍論争のようだ。 本居宣長のもののこころを知るの説明は、実存は本質に先立つという実存主義のようだ。 そのような西洋と東洋の対比を考えながらじっくりと読み進めることができる。 人間が別の場所べつの時代で考えていること、それはどこかで共通項があり限界もあるのだと思いを馳せた。
言語の有意味的使用に対して、禅はまっこうから反抗し挑戦するかのごとくに見える(p356)というような箇所に惹かれて読み始め、おかげさまで言葉への信頼回復。脳ミソっていったい何次元なんだ? 大変なインパクトでした。
東洋・イスラーム学の碩学である故井筒俊彦氏の力作。東洋哲学の認識論をベースにした<共時的構造化>論を展開しています。実は長年の間、読みかけになっているので、いつかは完読したいと思ってるのですが。
この本に出逢って、どのくらいの時が過ぎただろう。 ”写真を撮る”ということが自分の業で、それにはその対象の本質を掴むことが必要であるとの思いから、この本を読み始めた。 井筒先生のことを司馬遼太郎は、「天才20人」が一人のひとに凝縮されたようなものだと語っている。 この著作を読み進めるうえでは、...続きを読む少なくとも仏教、イスラム教、朱子学、言語学、現象学、西洋哲学といった思想・思考を知っておいたほうが良い。 30カ国語ができた井筒先生は、そうした思想を原典で読んでいる。 おそらく、メルロ=ポンティやハイデガーなどの著作はリアルタイムで読んでいる筈だ。 基礎的な著作がひどいときには20年遅れで翻訳・出版されるこの国の文化程度を軽軽と越えていた人だ。
僕にとっては,とても難解で理解できたとは言いがたいが,もし時間が許すなら,もう一度読んでみたい著作である. 交通機関の発達,インターネットの普及等々,グローバリゼーションが進展する中,それぞれの国,民族の基底にあるものに意識を向けることは意味のあることに思われる.
東洋思想と西洋思想を架橋する試み。至極平易に書かれているが、射程は広く深い。 注意しなければならないのは、本書において東洋に引き寄せて分析・説明されているハイデガー等の西洋思想を、本書だけで理解した気分に陥ってはならないということである。
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