作品一覧

  • プロティノス「美について」
    4.0
    新プラトン主義の祖、イデアを体系化した哲学者が語る善=一者と美の関係 三世紀、プラトンの正統的理解者を自任し、イデアの体系化をしたプロティノスは、美を、善をどのように捉えていたのか。眼が太陽に似ていなければ眼は太陽を見ることができない、美は外からやってきて魂を外に引き出す、など美の形而上学を展開、善=一者と魂との関係を究明して後代の哲学に影響を与えた「新プラトン主義の祖」の名品三篇を訳出。
  • プラトン
    3.7
    1巻814円 (税込)
    西洋哲学の祖の一人とみなされているプラトンの思想は、二千数百年を経た今日でもいまだに強烈な魅力と迫力をもっている。プラトンが生きた古代ギリシアの精神風土を描き、その上で“死・恋(エロス)・政治・イデア”に焦点を合わせて、プラトン思想の特質とそのダイナミックな展開の過程を明らかにする。巻末に対話篇の解説を付す。

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  • 読書について 他二篇
    4.1
    1巻704円 (税込)
    前記『付録と補遺』の中から『思索』『著作と文体』『読書について』の三篇を収録。「読者とは他人にものを考えてもらうことである。一日を多読に費す勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失ってゆく。」――鋭利な寸言、痛烈なアフォリズムの数々は、山なす出版物に取り囲まれた現代のわれわれにとって驚くほど新鮮である。

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  • 読書について 他二篇

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    博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている。博覧強記の愛書家は、この人はこう言った、あの人はこういう意見だ、それに対して他の人がこう反論した、などと報告する。議論の余地ある問題に権威ある説を引用して、躍起になって性急に決着をつけようとする人々は、自分の理解力や洞察の代わりに、他人のものを動員できるとなると、心底よろこぶ。▼読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである。紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見えるが、歩行者がその途上で何を見たかを知るには自分の目を用いなければな

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    2024年04月22日
  • 読書について 他二篇

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    『思索』『著作と文体』『読書について』の三編からなる本。タイトルの『読書について』と『思索』が各々約20 頁程度。『著作と文体』が約100頁。この『著作と文体』にショーペンハウエルの感情が爆発してると言いますか…出版社や匿名批判への恨みや、ドイツ語が衰退していく事についての危機感など、とても辛辣な言葉で語っており、時折笑ってしまうような部分もありました。それにしても、この本が150年以上前に書かれたとは驚きです。現在の日本の事ともいえるような事も多々ありました。やはり今の日本の教育で必要なのは外国語ではなく、母国語である日本語をしっかりと学び、日本語を守っていくことが大事だなとも感じました。

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    2024年03月31日
  • 読書について 他二篇

    Posted by ブクログ

    本の量を増やしても、自分で考えて得た知識じゃないとその価値は怪しい。自分で考えて考えて得た真理が本に載っていたとしても、その真理は本で読むより100倍の価値がある。
    読書は一種の思考を放棄して、神聖なる精神に対する反逆罪ともいえる。

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    2023年12月17日
  • 読書について 他二篇

    Posted by ブクログ

    著者が現代に生きてたら怒り狂ってるだろうな

    金稼ぐための文章は全てクソっていうのは世の中を斬りすぎな感じはするがほぼ同意
    最近のネットとりわけSNSにはそういった文章が溢れ過ぎ
    またGPTの普及に伴い今後さらに増えるんだろうな
    本著を読んで気付かされたがこれらの文章って接種しても全く栄養になってないしただのストレスにしかなってない
    インプットの量を減らして質を求めた方がいいかも

    読書は馬で運動場を走り回るみたいものって話はよくわかった
    確かに自分の血肉になっている思想などは自分の中で考えて結論を出した物ばかりだ
    結局自分で考えるが最強
    また読書は考える力を失わせるってことも言及していたが思

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    2023年06月02日
  • 読書について 他二篇

    Posted by ブクログ

    interestingかつfunnyな本だった。読書とは他人に考えてもらうことであり、そこから得た経験に真理と生命は宿らない。あくまで自らの思索の補助として用いるものであり、その対象も良書に限るべきである。
    言われてみれば当たり前なことなのだが、読書に限らず映画や音楽についても「量」を一つの指標としてしまっていたことに改めて気づかされた。そしてこの本は、ショーペンハウエルのドイツ文芸界に対する苛烈な批判の表現が面白い。「厚皮動物」とか「単純なる羊頭の諸君」とか、思わず読んでて笑ってしまうほどだった。

    0
    2023年04月02日

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