銀の鈴社作品一覧
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「ハープムーンの夜に」 ハープムーンの夜には/何かがおこりそう/ほら 耳をすましてごらん/星たちが うごきだして/空にメリーゴーランドを つくったよ/くるくるくるる 木馬がまわる/キラキラキララ 星座がまわる/流れ星のキャンディは あまいのかしら ハープムーンの夜には/何かがおこりそう/ほら 耳をすましてごらん/ベガのひく たて琴にあわせて/ダンスパーティーが はじまるよ/シャラシャラシャララ リズムにあわせ/キラキラキララ 星座がおどる/ミルキーウェイのカクテルで/かんぱいしましょう ハープムーンの夜があけるころ/遊びつかれた 星たちが/ハープムーンのかなでる 子守歌で/そっと 眠りにつくのです
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 中学生のころ、わたしは大人がふしぎでした。生きていると傷つくことがたくさんあるのに、どうして平気で四十歳、五十歳と生きていられるのだろう。わたしはそんな年まで生きていられるだろうか。と、不安でいっぱいでした。七十、八十と生きた人なんか、そのことだけでもう、たいへんなことなんだと、敬意すら持ちました。暮らしに困ったらどうしよう、とも思いました。そうだ、そのときは教会やお寺の前でぶっ倒れていればいいんだ。教会やお寺だもの、きっとなにか食べさせてくれるだろう。そしたら何日か生きられる―。そこでほっとして、眠ることができるのでした。いつのまにか、そんな年までと思った年まで、生きてきてしまいました。さらに、もっと生きそうです。はだかのこころの、さまざまを、この詩集におさめました。共感していただけたら、どんなにどんなに嬉しいでしょう。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 光ることばがあります。闇夜に突然、白い尾をひいて流れる流れ星。その流れ星のように心に届いて光ってる、そんなことばが。いまから十六年前、私は、大腸の難病といわれる潰瘍性大腸炎という病気になり、一か月半入院しました。当時まだ四歳だった子どもをおいての、不安いっぱいの入院でした。それは入院三日目。医師はベッドサイドでの診察が終わると、私にこう言ったのです。「作家はたいてい大病をしている。大病をしても、すばらしい作品を生みだしている。あなたもこれから人生を前向きに考えて過ごしていって。これをチャンスにして。ここから飛躍していって。」「がんばって」ではない。「あきらめないで」「負けないで」ともちがう。患者の心を支える、なんてやさしく、あたたかく、力強い励ましだったでしょう。六十兆あるといわれる細胞のすべてが、このとき生きる喜びに輝きだしたのです。ここから始まった私の新しい人生。私を支えている大切なことばです。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 本書は私にとって六冊目の詩集だが、いつのころからか「少年詩」の書き手のひとりに思われてきた。そのことにこだわるわけではないが、私はいつも書きたいときに書きたいことを書きたいように書いてきたのであって、「少年詩」とか、「現代詩」とか区別して考えて書いたりしたことはない。それより私にとって大事なことは、そこに「詩」があるかどうかであった。ただ、書く上で一つ願ってきたことがある。それは子どもからおとなまで楽しく読んでもらえて、しかも心に響くようなものでありたいということである。その点、ここに収めた諸編が果たしてどうだか、それはもう読者の判定を待つ以外にない。もし読者のみなさんの心に残るものが一編でもあれば、作者としてそれ以上の喜びはない。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私は丹生川の水源に近いところで生まれ育ち、河口の町で過ごしています。このごろ、鮭みたいに、川をさかのぼって、ふるさとの山や畑に通っています。山には、たくさんの木や草や虫たちが、めちゃくちゃ元気に生きています。海もいいですね。しょっぱい海水のなかに、カニやヤドカリなどが、ごちゃごちゃ住んでいます。そんななかで、私は、かれらのことを詩に書いています。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 耳をすませば、木も風も歌っています。目をこらせば、人も鳥も同じ空気をすっています。ブナの森にはおいしい水がわき、人は自然とともに、かしこく暮らしてきたことも知りました。こんなにすてきなことって、あるでしょうか。そう気づいたとき、いままで見えなかったものが、見えてきました。見えていたものがちがって見えました。そんな小さな発見がわたしの詩です。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 みなさんは、海を流れる川を見たことがありますか?私の故郷八丈小島の周囲では、日夜、黒潮が激流となって波立っているのです。その故郷も今は無人島。身体を静かに休め、歴史を刻んでいるだけです。小島では、夜はランプを囲み、雨水を貯めて飲料水としていました。病院、医者、お店、車なども無い島でした。あるものといえば、風除けの石積みに囲まれたトタン屋根の家と学校、八丈島への買い出し用の船一隻、島民は約八十人。そんな大自然の中で育った私は、宝物のようなたくさんの思い出を残し、中学二年の終わりに親元を離れ八丈島に旅立ちました。その後、昭和四十四年に、集団移住となり、無人の島となりました。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 長い間小さなこども達とかかわっての生活が続きました。せみも、とんぼもかたつむりも、みんなこども達から観方を教えられたものです。今思うとみんながつぶやいていたことなどに、もっと耳を傾けておけばよかった・・・と至らないせんせいであったことが恥ずかしくなります。こどものうたに関心をもって書き始めてみたものの、書いても書いてもむずかしく、自分の能力の限界を感じます。この本の中の一編でも心に留めていただける詩があればと願っています。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 “ことば”に対する厳しさや自分らしさの表現など、多くの事を教えて頂きました。そして、すでに五十路を辿る私が、今楽しく詩を書き続けられるのは、子供の頃毎日童謡を歌って、明るく育ててくれた父母、心の支えでもある夫、いつも応援してくれる友や仲間、教え子たちが居てくれるからです。それに、我が家の庭で出会う、とんぼやへびや小鳥たちなど、数えきれない生き物や花たちの協力もあるのです。地球に楽しいうたの花をいっぱい咲かせたい!これからも私の夢は続きます。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 私は、今日まで、日常の生活や自然の風物の中に、限りなくひそんでいる美しさや優しさを求めて、詩を書いてきました。この詩集をお読みくださるみなさん。いま、地球上に求められているものは、限りない優しさと思いやりの心ではないでしょうか。これらの作品を通して、私の思いが、幾分なりとみなさんに共感を得ることができたら、うれしいと思います。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 むかし、石を投げつけてけものや鳥をしとめていたころ、腕をいためた男は、それがしぜんに回復するのをまつあいだ、なにをしていたろう。石けりをしたり、おはじきをしたり、手のなかの小石を鈴のようにならしたりして、あそんでいたかもしれない。右の肩を半年ほど病んだことがある。この詩集におさめたほとんどの作品は、鉛筆をにぎるのも苦痛だったそのころ、ことばを小石のようにころがして、「うた」と名づけたノートに書きとめておいたものである。たまには病むのもいい。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 高校時代に寺山修司にその詩才を認められて弟子となり、松谷みよ子に「やんちゃ坊主」、九條今日子(寺山修司夫人)に「駄々っ子」と言われた森忠明のエッセイ集。西日本新聞で連載され好評を博した「子どもと本の情景」や追悼文等、NHK賞、新美南吉児童文学賞、野間児童文芸賞、赤い鳥文学賞等数々の受賞に輝く実力がいかんなく発揮された鋭く心地いい無頼派エッセイ。編者は詩人、劇作家、アニメ脚本家の園田英樹。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 今、地球の環境は大きく様変わりをし、物心ともに人類は危機に瀕しております。大自然の思いがけない反乱のもとでは、人の命も培ってきたものも、ひとたまりもなく崩れ去ります。まして、ことばなど木の葉のように軽いと思われがちですが、路地の片すみに吹き寄られ、朽ちて積もった枯葉は、豊かな土壌を作り新しい生命を誕生させます。みどりの葉先は、みずみずしさを宿して未来に向かって伸びていきます。希望の言葉は力の源となり、いつまでも心に残ることでしょう。夢を紡ぐ一枚一枚の大切な言の葉を探す私の旅は、まだまだ続きそうです。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 作曲家・指揮者:松下耕氏より。牛尾良子さんは、私が以前指導、指揮していた八王子のおかあさんコーラスの団員さんである。今の私があるのは、牛尾さんたちの合唱団のおかげであると思い、感謝している。詩集を読ませていただいた。心の深いところで感じたものの数々を、なんと瑞々しく、温かい言葉で語っておられるのだろう。「ほっこり」という言葉がふさわしい、どこまでも慈しみ深い作品が並べられていた。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 舞台は秋田県のナマハゲのくる村。 わんぱくざかりの主人公と村人やクラスメートととの交流が、秋田の伝統行事ナマハゲを中心に方言も駆使しつつ鋭敏にえがかれました。手におえないガキ大将が、祖父の命をとおして真の強さを知り、困難に立ち向かっていく物語。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 言葉を改善改革することによって、心が変わり、社会が変わり、人生が変わるという着想はすばらしい。自らの読書指導を基点に、豊かな創作が芽生えた一冊である。齋藤健次郎(宇都宮大学名誉教授)すいせんのことば
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 魔女のスミーの発明品は、魔法パワーのひげ7個。こんどはひげをつけたエッちゃんとジンの大冒険。はじまり、はじまりー。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 魔女のエッちゃんがおしいれでみつけた、ルビー色に光る古ぼけた時計は、過去へとすすめる不思議な時計でした。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 この本の作者は小学生だろうか。それとも中学生?男のようでもあり、女のようでもあり、変だなぁ、と思った人がいるかも知れません。じつは、作者のわたしは男です。それも五十歳なかばを過ぎています。ところが、わたしの中には、田舎に生まれ育ったかつての少年が、今も生きていて、それが「わたし」になったり「ぼく」になったりして、見たことや感じたことをみなさんに語りかけたのがこの本です。書名を「友へ」としたのもそのためでした。この本を読んで、詩も案外おもしろいな、と思っていただけたらうれしい限りです。もし、この本がきっかけになって、みなさんの身のまわりのものが、今までより少しでも新しく見えるようになったら、もっとうれしく思います。そのような楽しい詩を、これからも書いていきたいと思っています。どうかみなさんも応援してください。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「あなたの一番好きな瞬間は?」そう聞かれたら、何と答えますか?私なら、ポストに手紙を入れた瞬間と答えます。書いただけじゃだめ。ポストに投函して、あのポトリという木の実の落ちるような音を聞いて、初めて返事を貰えるのですものね。書きためた詩を、一冊の本にまとめるのも同じだなと思います。この中の一篇でもいいから、あなたの心の郵便受けに届きますように―。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 『とびたいペンギン』は、私にとって2冊目の詩集です。ここに集めた詩は、全て歌うためにかいたもので「うたは魔法のじゅうたん」の章を除いて、ミュージカルや組曲でまとめています。ミュージカルは佐世保市の伸声会合唱団が毎年行っている定期演奏会で発表されたものです。詩を通して多くの方々と出会い、出会いを通して多くのことを学ばせて頂ける幸せを感じています。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「天気雨」 すずめのさえずりから/降ってきたような/小さな雨がおちてきた/あれっと 上をみあげると/うすく明るい空の色/散りかかる桜の花の 枝さきに/緑の小さな葉も目立ち/木の葉がくれに/すずめらが めいめい勝手に/朝のさえずり かわしてる/片手いっぱいの雨を/ひとまきしただけで/もう あがっていた今の雨/思いつきに/ほんの少し まいていった/今朝の すずめの/天気雨
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 十年ほど前は仕事と子育てで、追いかけられるような毎日でした。そのような日々の中で、苛立ちと空しさを埋めようと詩を書き始めたように思います。日常の些細な感動や思いを言葉に置き換える詩作は、まず言葉探しです。思いにぴったりの言葉がみつかったときなどは、なんともいえない充実感に浸ります。言葉が好きで言葉を探して言葉に酔いしれる、この酔いごこちが忘れられなくてぼちぼちですが書き続けてきたように思います。年齢と共に感動する言葉も変わってくることでしょう。これからどんな言葉に魅せられるでしょうか。私の言葉探しの旅はまだまだ途中です。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 地球には、足が8本あったんだって。いつもはこっそり隠している8本の足。その8本足をひっぱりだすオマジナイって? エッちゃんとジン、今度は地球の足の探検です。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 地球上には、人間以外の多くの動物が、人間と一緒にすんでいます。そして私たちは、それらの動物や植物に助けられて生きているのです。このことを忘れると、人間はやがて地球上から消えてしまうでしょう。人間が他の動物と違う点はいくつかありますが、その一つは言葉を持っていることです。だから、言葉を持たない動物たちと話しあうことはできませんが、心をかよいあわせることはできます。愛情をもって接してみると、彼等なりに精いっぱい生きようとしていることがよく分かります。言葉が通じないイヌやネコとは、おたがいに目と目で気持ちを伝えあうのですが、ときには人間同士以上の深い愛情を感じることがあります。このことは、一度でもペットを飼ったことのある人には分かってもらえるでしょう。ここには、私の大好きな動物たちと自然を書いた詩を集めてみました。みなさんの感想を聞かせてください。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 あらためて云うまでもないことですが、成長過程にある子どもたちの感受性は、大人よりもはるかに豊かです。同時に言葉へのこだわりも強く、それは、事実に対する妥協のない姿勢にも通じています。子どもたちにとって、言葉は常に新しい。なぜなら、言葉を知ることによって、彼等の前に日々新しい世界が開けて行くからです。言葉にこだわるのも当然でしょう。だが彼等が大人になるにつれて、言葉は次第に使い古され、不正確となり、形骸化して行きます。新しい事実に対する驚きも発見もうすれて、常識だけがまかり通るのです。詩が、このような言葉の形骸化や思考の常識化に対する一つの挑戦であるとすれば、子どもたちこそ詩の最良の読者であり、批評家でもあるといえるでしょう。こう考えてくると、少年詩や幼年詩を書いて発表するのがこわくなるのですが、今も自分の中にある子どもの心につき動かされて、このような詩集を作りました。子どもたちと、子どもの心を失わない大人の方々に読んでいただければ幸いです。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 平成十五年に初めて上梓致しました詩集、『ことばのくさり』に載らなかった作品達が「私も載せて」「私も出して」と言い始め、次第に声が大きくなってきました。私にはどの作品も可愛い子供たちです。至らないところもございますが、思い切って二冊目の詩集を世に出すことにいたしました。これまで私の歩いて来た道で、励まし力づけてくれた作品達に、命を吹き込んでくださいました作曲の先生方、どんなに生きている喜びを戴いたことでしょう。心より御礼申し上げます。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「大地はすごい」大地は すごい/小さな畑に/柿 桃 びわ みかん/キウィ いちじくなど/季節ごとに くだものが どっさりみのる/色々な花が 次々に咲く/大地は すごい/毎日 太陽と向き合って/大きなエネルギーを キャッチ/たくさんの生き物を 育ててる/大地は すごい/ずっと ずっと昔から/毎年 毎年 休みなく/地球のみんなを ささえてる/地球は 大きな土の玉/みんなで みんなで 手を組んで/大事にしよう この大地
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 先回「はずかしがりやのコジュケイ」を出して十年がたちました。本の中のあかちゃんだった子たちも大きくなり、おばあちゃんもあの世に行ってしまいました。今回の題材も日常の中で出合う様々な出来事を子どもにも分かるようにと思って書き続けたものです。以前遠くの町の図書館で転載されている、自分の詩に出合ったことがありました。知らない誰かも手にしてくださったのだと思うとわくわくしてきます。一年中あちらこちらで出合えるたんぽぽ、たんぽぽのようにさりげなく、この本もまた人々に愛されることを願っています。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 無人の昭和基地で一年間、タロとジロの兄弟犬は、おたがいに助けあって、たくましく生きぬいた。 「タロ・ジロは生きていた!」 そのニュースは、全世界の人々の胸を強くゆさぶった。 本書は、観客動員数の記録を塗り替えた映画「南極物語」で、主演の高倉健のモデルとなった第一次南極越冬隊の犬係り、菊池徹氏の監修。口絵には、菊池氏所蔵の貴重な写真も満載! <復刊にあたって>では、タロ・ジロの兄弟が、一年間何を食べて南極を生きぬいたのか、その後の研究成果も菊池氏が明かしてくれています。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 産経児童出版文化賞受賞。 子どもにも大人にも楽しく読めます。芭蕉の人間像や、俳聖芭蕉の基礎知識はこの本で。 奥の細道の足どりをたどる地図や風景の写真も説得力があります。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 小説に私小説というのがあります。詩にも私詩集というのがあっていいと思いました。想像ではなく、自叙伝ともいうべき事実だけに基づいた詩があってもいいと思いました。少年の頃の体験は、言葉の美しさを借りなくても、じゅうぶん美しいからです。詩の題材というのは、特殊なところにあるのではなく、実は身の回りのすぐそこにもあるということを忘れたくありません。いくらカッコいいことばを使っても、あるいは美辞麗句を並べても、詩の中身がよくなければ、けっして人に感動を与えるものではないと、ぼくは確信しています。子供の少ないボキャブラリーの詩でも、とても大きな感動を受けます。言葉は生まれては死んでいく生き物です。骨董的な古い言葉を探し出して詩を書くのは嫌いです。少年達がいま使っている言葉で詩を書きたい。いつもそう思います。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 最近朝食のみそ汁作りに凝っています。だし昆布を煮出し、更に鰹節を削って入れて、干し椎茸も入れて、出し汁ができたら畑に走っていって、旬の野菜をとってきてきざんで入れます。何しろ家の前が菜園です。目あてもなく行っても何かみつかります。いま五月です。うどの太い新芽をみつけたり、みつばが思わぬ所に勢よく伸びていたり、植えておいた玉ねぎが収穫できる程に育っていたりします。白菜がはじけて花を咲かせ、それを摘んできて意外においしいことに気付いたこともあります。最後に味付けの味噌を入れますが、これは手作り味噌に限ります。火を止める前に味見をします。だしと具との組み合わせでかもし出す、その都度違った微妙な味わいを確かめてから一日がスタートします。みそ汁を作ることも、詩の本を作ることも何ら変わらないと思います。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 日本が近代を迎えた、明治という時代にわずか23年と10ヶ月だけ生きた天才音楽家「滝廉太郎」の物語。「荒城の月」「花」「箱根八里」「鳩ぽっぽ」「お正月」などの幼児唱歌を作曲した日本の近代音楽の先駆者の人生とは・・・?
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 先日夢を見ました。本屋さんの片隅で私は絵本を広げています。そこはとても明るく、絵本がとてもきれいに見えました。「わあ、まだこんなにきれいな色を見ることができるんだ。」と思ったところで目が覚めました。私は少しずつ目が悪くなる病気にかかっています。治す方法はまだ見つかっていません。今はもう物の形も色もはっきりとは見えません。この詩集にはそんな私がまだ少し見える目とそのほかの体全部と心を使って書いた詩が収められています。「見える世界」に生きて詩を書くことに慣れてきた自分にとって「見えない世界」に向かって歩きながら詩を書いていくことはとても大変なことに思えます。でも、私は私の今を生き、私の詩を書いていきたいと思っています。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 児童詩の世界 この詩集は子どもと教師の共同作品、ざら紙600枚、作品数1,000点にも及ぶ力作である。そのなかから約400点をえらんだもの。作品の成り立ちは口火を切るのは教師で、リーダーシップは子どもたち。あふれるような子どもの感性の渦に巻き込まれ、あたふたおろおろしている教師の滑稽さが実にリアルに表現されている。 元気がいっぱいつまっている詩集。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 山路を往くバスの窓に、今、樹の枝から離れたばかりの葉が当たります。私は、嬉しくなります。葉っぱと挨拶が交わせるからです。葉は、「さよなら!」や「またね!」や「ヤッホー!」や「たのしかったよ!」など、さまざまな挨拶をしてくれます。なかには、黙ったままの葉も、もちろんありますが。猿が眼の前の山を駆け上がっていったり、バス停に立っていると、貂が巣穴に帰ろうとしているところに出くわしたりします。みんな、頑張ってるなあと思います。空と山と樹と鳥と川と草と動物と・・・そして人と、みんなで生きてるんだなあと思います。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 小学生の頃から詩を書いてきました。確か五年生か六年生の国語の授業で書いたのがはじまりです。初めて書いた秋の日。その時の澄んだ空気や光、なんとか詩にしようと、頭をひねって見つめていた赤い木の葉を、今でもはっきりと思い出すことができます。その時から約三十五年。詩というものがなかったら、私の日々はなんと味わいのないものになっていただろう、と思う時があります。私にとっての詩は、いわば「心の中にある野原」です。時々、ひとり、そっと入って行って遊んできます。寝ころんだり、木に耳をあてたり、時にはキリンの気持ちになってみたりして。そして、また日常にもどり歩き出します。きょうは、そんな私の野原に寄っていただき、ありがとう。あなたにも、野原がありますか?―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ないはずのしっぽがくすぐったい時があります。揺らしてみたい時もあります。調子出ないなと思ったら、しっぽの先が冷たくなりすぎていたり、どこかに落としてきた気がして、ごそごそとさがしている時もあります。私にとって詩は、しっぽみたいなものです。だから詩っぽです。もちろんなくたって、生きていくにはこまらないのですが、できればあった方が楽しくて、元気になりそうな気がします。そんな詩っぽたちが集まって、ぶつぶつひとりごとを言っているような本になりました。詩っぽのひとりごと、聞いてくれてありがとう。あなたのしっぽは、お元気ですか?―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 児童詩の世界 一年生の詩 ひみつ・・・ ひみつはひとりぼっち おとうさんもおかあさんもいない さびしいね ないしょ・・・ ないしょってどうしてないしょにしとかないといけないの? おしっこ・・・ うまれるまえ なつきがおしっこすると おかあさんがおしっこしたのかなぁ? ながぐつ・・・ きりんのながぐつは ながいだろうな
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 夕暮れのことでした。勤め帰りの道で三色すみれに会いました。それは今まで見たどんな三色すみれでもありませんでした。すっと背を伸ばして、まっすぐ夕空をあおいでいました。体のすみずみにまで凛と神経をゆきわたらせているのがわかりました。夕空をあおいではっとしました。金星が明るく輝いていたのです。三色すみれは金星と交信していたのでした。昼と夜のあわいのほんの束の間、薄紫の夕暮れ時、三色すみれは自分の思いのたけを金星に打ち明けているようでもありました。私は昔出会ったなつかしい少女のことを思いだしました。しきりに音楽が流れていました。私もまた交信しようとしているのに違いありません。はるかなる未知のものへ、教室の子どもたちへ。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 才能豊かな詩人で何でもかけるサトウハチローは、親分肌で肉声にあたたかみがあり、風貌も絵になる人でした。父、佐藤紅緑(作家)同様、並はずれて豪胆だったサトウハチローの生涯を、おなじみの童謡や歌謡曲を交えながら、木曜会でサトウに師事した著者が綴った伝記です。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 本書は「本というものは巣立って行った作品にとって家のような役目を果たしてくれて、作者としては自分の子供がひとつところに戻って来て存在してくれているというようなものではないか」という著者の、十勝毎日新聞他で掲載されたエッセイをまとめた処女作品集。師の森忠明に「梅津邦博氏ほどの静かな熱血と地熱発電的詩魂の持ち主を、私は他に知らない」と評される彼の文章は小気味よくたおやかで、札内川の水底を泳ぎながら水面を見上げる感覚にあふれた逸品が集う。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 コンピューター魔女のおみやげは、サファイヤ色のヘッドフォン。 あおい海と波のような音楽は、なんと世紀の大発明!
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 子どもは何でも不思議に思い、知りたがります。大人には想像もつかないようないろいろなものを、おもちゃにして楽しんでしまいます。子どもたちと一緒に道を歩いていると、季節によって毎日が、発見にあふれています。雨や風や草花に触れ合うと、ふだんは気がつかない空想が生まれます。家の庭や畑に訪れる虫や、小鳥などの小動物たちにも親しみがわいてきます。とかげやわらじ虫など、そのものの気持ちになって、考えることの面白さも、子どもたちに教えられたような気がします。そんな出会いをテーマに、まとめてみました。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 児童詩が光る教室風景 詩を読むときたいせつなことは、まず、詩を感覚的に味わい楽しむこと。 詩の鑑賞は、音楽や絵画の鑑賞と違い意味をもった言葉が介在するので、鑑賞者の受け入れる度量がポイントになる。 ここで鑑賞者にもとめられるものが「想像力と推理力」。この能力は一生を通して人生の幅と深みを増す見えない心の宝箱です。知らず知らずに能力アップが身につく必携の一冊。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 童謡を書いていましたことで、人生の節目も心強く安らかに過ごしてこられたと感謝しております。ここに来て私の歩いた道のりを一冊にまとめたいと思うようになりました。書き始めの中から集めましたので、かなり時代遅れのものもございますが、日記と同じその時の感情や環境、空気の匂いまで思い出されて、私はタイムスリップしたような想いになるのです。―はしとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 詩を書き始めて、子どものころが、なつかしくよみがえる時があります。大人の私の中にも子どもの私がいるのです。自然やまわりのできごとを、子どもの気持ちになってみるとき思いもかけない発見をすることがあります。数年前から父の車椅子を押すようになってゆっくり町の中を歩いています。すると、おじいさん、おばあさん、うば車の赤ちゃん達とも親しく会話を交すようになりました。詩集ではその時々に私が受けた感動を、作品に表現しました。どの一編にも心をこめています。生活の中で、昨日とは違うなにかを見つけて詩を書きつづけていきたいと思っています。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 国民詩人といわれる北原白秋。ことばの魔術師、ことばの錬金術師ともよばれる白秋は、童謡、詩、短歌、歌謡、どの分野でも一流の才能豊かな総合詩人。本書は白秋の長男、北原隆太郎氏にお目通しいただき、今まで気がかりだった誤った情報を修正できたと喜ばれた伝記でもあります。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 一九九八年に、現代詩の第二詩集『ふうわりと』を出したときのことです。漢字を表記として見るのではなく、詩という内面に変えられないかと考え、「女」や「坐」から詩を作って載せたところ、まど・みちお先生から感想をいただきました。「『坐』のように文字の分析を利用する詩は吉野弘さんなどにもありますが、『女』のように一つの文字の全景を眺めて、その実感をもとに作詩されたのは珍しく貴重です。拍手いたします」と書いて下さり、私は大変嬉しくなりました。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 エッちゃんの家のハト時計。時を告げてくれるハトが、ある日とつぜん、カラスに変身? エッちゃんとジンの大冒険に、天使のたまちゃんも仲間入り。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 児童詩の世界 子どものことをいちばんよく知っているはずのお母さん、でも知ってるつもりで実は知っていない。そんなお母さんに話しかける本です。 鳥の気持ちは鳥になる、花の気持ちは花になる。子どもと遊び、歌い、学び、詩をつくりながら子どもになって過ごす著者が生徒とつくった世界です。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ジュニア・ポエム双書に仲間入りさせていただいてから、「手紙のおうち」(小学校低学年)を皮切りに、「絵をかく夕日」(中学年)、「星の家族」(高学年)、そして「愛一輪」(中学生・高校生)・・・と、おおよその対象年齢を考えて順に詩集を編むうちに、いつのまにか25年が経っていました。そこで再び低学年向けを中心にまとめようと決心。まだまだ気持ちは若いので、こどもたちと童謡の楽しさと夢を分かち合うために、更に全力で書きつづけたいと思います。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 だれかが種を播いたのでしょうか、それとも自生なのでしょうか、拡張予定の道路端に一群のコスモスが風に吹かれて咲いています。ただそれだけですが、私はとてもうれしくなってしまう時があります。詩集“風栞”には、そんな気持をつづらせていただきました。季節の折り折りに聞かせていただいた、一草の葉のうごき、木立のそよぎ、流れの水音に耳を澄ませてみますと、こんなにも素晴らしい会話があったことに、胸が熱くなる思いです。そしてまた、人と自然とのかかわりも、季節の嬰子のようでなくては、そう思えてなりません。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 少年詩にも、色々な分野がありますが、私は、子供たちの心よりも、自然を対象とした詩を書いてきました。そして時々、自然をより正確に描写しようとして、そのために言葉を沢山使えばつかうほど、作品は散文的になって行って、詩的な味わいが薄れていったということを経験しました。一方、自然を細かく描写しなさすぎると、すなわち寡黙でありすぎると、詩にも散文にもならないことも経験しました。このような相反する思いを抱いて、私は詩を書いてきました。―あとがきより抜粋―
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 むかーしむかしの、そのまたむかし。エッちゃんのご先祖さま、大魔女のお話です。大魔女がとばしたシャボン玉は、宇宙までとんで10個の星になりました。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 アルゴー丸の英雄イアソンと王女メディアの愛の物語。