アートデイズ作品一覧
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-40歳の主婦が、ある日、映画を作りたいと夢見た。大金を集め、夢は叶い、その後も次々に映画を作った。イランでも韓国でもロシアでも。しかし、現場にはいつも波乱が起き、それでも、いつも魔法のように映画は完成し、大きな話題となるのだった。 日ロ合作の長編『ハチとパルマの物語』はコロナ禍でも、日本とロシアで大評判となり、たくさんの映画賞に輝いた。『ソローキンの見た桜』から続いたロシアとの関係は盤石なものになった。その間にも、映画の製作は続き、新たに長編『愛する人へ』(仮)に取りかかる。 本書は、20年間にわたる著者の映画作りへの情熱、「涙あり笑いあり」のその道のりを綴った爽やかな手記である。
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3.4大捕鯨時代が終わろうとする1980年1月、C・Wニコルは日本の捕鯨船で南氷洋へ赴いた。 ベストセラー歴史小説『勇魚』(鯨の古名)はこの時、船上で完成した。 作家としての原点となった三ヶ月に及ぶ鯨捕りの男たちとの生活を綴った 小説風ノンフィクションの力作、ついに刊行!
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5.0
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-2011年1月facebookページをたった一人で開設し、わずか8カ月でファン数8000人以上、新規商談月5件以上を達成できたのはなぜなのか? facebook活用で急成長を遂げたベンチャー企業代表が自らの体験や他の中小企業/個人経営者の事例を紐解き、“パーソナルブランディング”成功への秘訣-を語る。 【目 次】 ●Facebookページ開設8カ月でファン8000人獲得 ●ソーシャルメディアで売上50億円を達成したワイン通販サイト ●価値のあるコンテンツが口コミ効果を生む ●ブログにはないFacebookの口コミ拡散力 ●「いいね!」ゼロ、コメントゼロからスタート ●成功のカギは価値あるコンテンツを「顔出し」「実名」「フリー」で提供したこと ●一定の規模まではお金を使ってでもファンを増やせ ●じわじわと商談や問い合わせが増えてきた ●Facebookの登場がパーソナルブランディングを変えた ●コンテンツは全ての人に届くわけではない ●"身近な専門家"をめざせ! ●「ランチしてます」などの投稿はNG ●コンテンツには、"おもしろさ"や"役に立つ"が不可欠 ●表示回数を増やすなら写真をアップなど 【著者プロフィール】 柳沢健太郎 株式会社ウィルマッチ代表取締役社長。 株式会社リクルート入社。人材採用領域のソリューション営業などに従事した後、同社出資企業に出向、営業責任者としてSEOパッケージサービス、twitter、Facebook等を活用したソーシャルマーケティングのサービス開発等を行う。2011年株式会社ウィルマッチを起業、代表取締役 社長に就任。「ソーシャルメ ディア最適化研究会(株)ウィルマッチ」Facebookページ開設。ソーシャルメディアを活用して効率的に 集客、ブランディング、売上 アップを図るための「ノウハウ」等を提供し、コンサルティング、講演活動等にも従事。
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-化粧品業界一筋に60年。日米メーカーの幹部として、華やかに、そしていつも前向きに生き切った見事なキャリア人生! (日米の)化粧品会社で大勢の美容部員を束ねる立場になり、社長として会社を立ち上げ、さらに輸入化粧品協会のトップとして走り続けた。化粧品業界で出世しようとか、社長になろうとか、目標があったわけではない。目の前の課題に、自分らしく向き合ってきたら、こういう道になったとしか言えない(本書「はじめに」より)
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4.0Facebookで月5件以上の商談を獲得した著者は、 国内の未公開成功事例を取材し、Facebookで確実に成果を生み出す方法を見つけた! 成功のカギは、リアルとFacebookの融合にあった!! ●申込の30%はFacebookからという弁護士さん、 ●Facebookグループ活用で売上30%増の飲食店のオーナー ●6日で20万人を店舗誘導した小売業の例。 そして、私も月5件以上の商談獲得につなげることができたのは、価値あるコンテンツ投稿を続けて「Facebookの場」で評判を獲得し、「リアルの場」で信頼を獲得し、 「Facebookの場」で更なる評判を獲得する という繰り返しを行ったからでした。 つまり、「リアル」とFacebookの融合こそが、ビジネス成果を生み出すというメカニズムを見つけたわけです・・・(著者の言葉より)
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4.0
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-今こそ解き明かされる滋賀、近江の国に語り継がれてきた霊仙三蔵伝説が秘める謎 最澄、空海に並ぶ高僧はなぜ中国で毒殺されたのか。淳和天皇が五台山の霊仙に遣わし100キロの砂金はどこへ。様々な謎を秘めた伝説の遣唐僧・霊仙三蔵の愛と波乱の歴史ロマン! 延暦二十三年(804年)七月、空海、最澄、霊仙が乗った第18次遣唐使船団が唐へ向け船出した。最澄、空海は目的を達したとして、在唐二年に満たずに帰国したが、霊仙は唐に残り、憲宗皇帝の寵愛を受けて『大乗生心地観経』を翻訳した。その功により、日本人で初めて三蔵法師の地位を得たのだったが、その年の元旦の祝宴で憲宗皇帝が寵愛していた宦官に暗殺され、庇護者を失った霊仙の運命も急変する。霊仙はやむなく、中国の聖地とされる五台山へ落ち延びるのだが・・・