あらすじ
優生学はかたちを変え、何度でも甦る。一度は封印されたはずの「優生学」が奇妙な新しさをまとい、いま再浮上している。優生学とは「優秀な人間の血統のみを次世代に継承し、劣った者たちの血筋は断絶させるか、もしくは有益な人間になるよう改良する」ことを目的とした科学的社会改良運動である。かつて人類は、優生学的な思想により「障害者や高齢者、移民やユダヤ人といったマイノリティへの差別や排除、抹殺」を繰り返してきた。日本では「ハンセン病患者の隔離政策」がその典型である。現代的な優生学の広がりに大きく寄与しているのが「科学の進歩」や「経済の低迷」、そして「新型コロナウイルスの感染拡大」だ。新型コロナウイルス感染症の本当の恐ろしさは、病気が不安を呼び、不安が差別を生み、差別が受診をためらわせることで病気の拡散につながっているところにある。今こそ優生学の歴史を検証し、現代的な脅威を論じる。
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Posted by ブクログ
優生学ときいてピンとくる人は少ないだろう。わたしもその1人であった。しかし、この本を読みこんなにも優生学がこの世界で、日本で生きづいていることを知った。過去のこと、自分には関係ないと思わないで多くの人に読んでもらいたい。コロナの世界になって、「人間は自分の身に危険が及ぶようになると心の寛容さを失い他人を排斥するようになる」 過ちが再び繰り返されないようにひとりひとりが自分が思う倫理観を持つことが必要だと思う。
Posted by ブクログ
「優生学」には必ずしも興味があるわけではなかったが、この著者の著作であるということで読み進めた。
私自身は、安楽死について、著者と考えを同じくすることは、少なくとも現時点ではないが、考えなければならない論点は提供されたと思っている。
池田さんは、ツイッターでは、どこかふざけた、あるいは皮肉を込めたツイートが多いと思うのだけど、その学識の深さにはあらためて驚かされる。地球温暖化論に対する疑義について、わたしも池田さんと意見を共有するが、池田さんのこの面での著作も深い学識に支えられているのだろうと思った。
余計なことながら、私が尊敬する加藤典洋の同僚であった。
Posted by ブクログ
この本を一言で言うと生権力のこわさを感じた。
生権力は一言で言うと人間の健康です。
この健康であるために、医師は人々の不安を作り、その感情を医療によって救われると説き、それを繰り返すことで、患者は信者に移り変わっていく。
医療は誤謬性を認めないので宗教と紙一重になりやすい。
それを医師は分かっていない。
医療が、現実的に存在することを示すために、そしてカルト的宗教に陥らないために、わかってることも、わかってないことも、同時に語らなければならないことである。
ある医師が語っていたが、わかっていることは多弁に語るが、わからないことは語りたがらない。
医師は人間であり、人間は不完全であること。これが思想的保守。
医師は「自分を当てにするな」と言わなければならない。
高校で精神疾患を教えて、「メンタルヘルスの事案を抱えたら、即時メンクリへ」なんて宣伝している場合かと思う。
これこそが生権力であり、健康による差別・分断であり、優生思想に繋がるのである。
Posted by ブクログ
津久井やまゆり園事件とナチスT4作戦。思い上がった為政者気取りが、生殺与奪を握る。人間は誰しも平等な命とは言わないが、反知性的な正義感で弱者を殺害するとは何事か。社会にとって有益か有害か、そんな価値観でトリアージした所で、その裁判官も制度設計も万能ではない。虚しい沈澱物同士による些少な淘汰スパイラル。澱みが浮き、水は濁る。
優生学の逆転現象として頑健な兵士が死に、兵役を果たせない弱者が残る戦争という行為に反対した学者。何だかヤンキー子沢山、大卒共働き子なし、という現代にも通ずる逆淘汰問題だ。いや、しかしこれは価値観の違いで、人真似し、テストの点数を競うような無気力な集団より、ヤンキーの方が生存力があるなら、単にヤンキーの方が種として有能だという証明にしかならない。この場合の沈澱物はどちらだ、という事だ。
衆愚政治を嫌ったプラトン。ソクラテスも優生学を支持したのだと。しかし、対話の場として機能したはずのアカデメイアでも独裁を担う哲人は現れず。独裁を礼賛する思想こそ、能力値の高い人間による判断を神聖視する考え方だが、無能や弱者不要論と親和性が高い。
有性生殖を選択した本義は多様性の獲得にあるのだから、強制的な選別など、愚行。後天的に弱者になり得る社会なのだから、その社会的負担のあり方こそ福祉で考えるべきなのだろう。自らを絶対視し、生産性を崇め、学歴や出世の権威、年収やIQの数値を神聖視する誤ちに気付く必要がある。ソクラテスの言う、無知の知とは。
Posted by ブクログ
優生思想はナチス特有のものではなく、日本を含む世界全体で見られたもの、そして今後も見られる可能性があるものだという学びがあった。
今必要な、いい勉強ができたと思います。
Posted by ブクログ
旧優勢保護法問題から、相模原事件も含めて、決して古くはなってない優生学、優生思想について分かりやすく述べられている。また現代は出生前診断など優生学が形を変えて出ているし、現在はコロナの問題も優生思想の点から考察できる状況も多い。ただ優生学と優生思想と優生政策は微妙に、その歴史も含めて違う部分もあるので、その細かい考察は難しいが、その部分はさらっと流されているのが残念である。「優生学と人間社会」からの引用も複数みられ、著書はこの書籍をかなり参考にしたのが分かる。逆にこの問題については「優生学と人間社会」以上に論考された本を知らない。
Posted by ブクログ
優生学的思考は昔からあって、今もまだその思想が残っている。
資本主義社会である限り、この思考はなくならないと思う。
役に立つ、役に立たないで人間を判断する事が差別や偏見を生み出している。
私も人間を生産性の有無で判断していたように思う。
さらに、それを無意識の中で考えていた事が本当に怖い。
人間の価値を経済合理性で判断する事は絶対に間違っているし、安楽死や中絶は多くの問題を知った上で
判断するべきだと思う。
Posted by ブクログ
☑︎背景にある深刻な財政難や経済の低迷
☑︎いつ誰に向かってくるかわからない刃
☑︎病気が不安を呼び、不安が差別を生む
悲劇を避けるために何よりも大切なのは、正しい知識を得ることだと思いました!
Posted by ブクログ
1995年まで優生保護法が続いており、優性思想としてはつい最近まで残っているため、たとえ政策が変わってしまっても人々の意識にはまだまだ優性思想が残っている印象。
満州での支配において、国民の健康増進が軍事課題であり、1940年にナチスをモデルとした「国民優性法」がとられる。総力戦体制の一環と捉えられ、現在の体育行政や学校教育への影響が見られる。アメリカでも優性運動が生まれたが、好景気による経済問題解消から、いずれ衰退。日本では1970年代前半までは遺伝性疾患をもつ子供を産まないべき、という考えが珍しくなく存在したが、1970年代後半から障害者運動が始まり少なくなる(これも経済問題解消による効果か?)
現在日本では経済問題が深刻化し優性思想が前面に出るようになり、今まで以上に注意が必要である。ナチスは特異な思想をもった悪の集団として突然現れたわけではない
(それにしても本当に学校体育嫌いだったな~、身体を動かすことは好きだったんだけど)