【感想・ネタバレ】「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論のレビュー

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Posted by ブクログ

医学的見地と遺伝学的見地、生物学的見地からは見方が異なるという事。いろいろな角度で色覚•色を語ると、いろいろな考え方ができる。
私は聴覚障害を抱えているけど、医学的には治療を勧められ、嫌でも自分は異常である事を受け入れざる得なくなるが、生物学的からはどんなに条件が整っていても一定数の割合でハンディを持つ個体が産まれるという理論で励まされる。
一昔前の色覚差別がいかに異常であったかを考えさせられる本でした。

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2023年10月03日

Posted by ブクログ

あらゆる「障害」とされていることに共通することだが、障害と正常というのはゼロかイチかで区分できるものではなく連続的、多次元的は広がりを持っている。
障害があるのは個体の方ではなく、それを受け止められずに排除して狭めている社会の方なのだろうと常々思う。
私は色覚では社会的に不自由をしなかったが、弱視でモノを立体的に見えないようで子供の頃から苦労した。おそらくこの違いは他人とは永遠に理解しあえないものなのだろうと思う。色覚においても同じように思って生きている人たちはたくさんいるのだろう。

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2022年06月30日

Posted by ブクログ

私が小学生のころは、健康診断で石原式色覚検査表の検査があった。皆面白がってやっていたが、確かに読めない子がいて、どうして読めないのかと不思議だった。馬鹿にしたりはしなかったが、読めない当人はショックだったろう。「負のラベリング」という言葉が重い。

「色というのは、個々人の脳内で形作られる内的な感覚」「つまり、主観」

男と女では色の見え方が違うと男脳女脳の本で読んだ。性別に限らず、そもそも色がどうみえているのかは、自分以外はわからない。他人も同じ感覚なのかどうかはわからない。

「人は加齢とともに水晶体が着色して、青みを感じにくくなる」

年齢によっても色の見え方は違うのだ。

爬虫類、鳥類は4色型だったが哺乳類は2色型で明暗を使ってものの輪郭を見分ける明度視に秀でている。霊長類は森の中で果物を見つけやすいように3色型に進化したのだという。2色型の人はコントラストに敏感だという。

「みんな自分の持っている感覚を総動員して生きている」

それぞれが自分の個性で生きている。それを異常というのはおかしい。負のラベルを正のラベルに貼り替えて、負けずにポジティブに生きて欲しい。

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2022年04月16日

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小さな窓でも、そこから世界の本当に大事なことがよく見えるような窓がある。そんな感じだった。(色覚異常もとい多様性というのはそういうほど小さくもマイナーでもない問題なのかもしれんけど)
正常/異常という図式から、多様性と連続性への発想の転換がほんと強く求められると思う。
著者は色覚の問題を考えることを「より健全な世界観を手に入れるための練習問題」と述べていたが、まさに!
すごく広がる、読んで良かった本でした。

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2022年01月16日

Posted by ブクログ

大変面白かった。色覚だけでなくあらゆる個人差について考えさせられる1冊。自分の感じ方と他者の感じ方は、色ひとつとっても差異があるのだと疑い、その前提の上で社会の仕組みを考えねばならないと改めて思う。

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2021年05月19日

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かつて日本では、世界に誇るという石原式色盲検査表というものがあり、これで小学生以来すべての生徒をスクーリングにかけて、「色盲」を検出しようとしてきた。ところが、その後高柳さんという人を初めとして多くの眼科医の運動で、この検査が差別を生み出すということで、学校において行われなくなった。しかし、だからといって、色盲による不都合な現実が出なかったわけではない。そこで、最近また、この検査表でもう一度スクーリングをやろうとしているという。やる方は、生徒たちが将来そういう困難な局面に遭遇したとき困るから、早めに対策をとらせようというわけである。ところが、川端さんはこれに大きな違和感を覚えた。「むしろ、必要な人に,適切な時期に、必要な情報を」与えるべきではないかという。ぼくもそう思う。それはスクーリングで抽出された人たちが自分の将来を狭く限ってしまうからだ。それでも困ることがあるというのは、それは現代医学の先端を知らないからである。本書で展開された科学の知見によれば、困る場合はかなり限られてくる。本書の醍醐味は、科学ジャーナリストで、当事者でもある川端さんが、現代科学の成果を丹念に追い、異常と非異常の差は連続的なものであることを明らかにしたことである。石原式検査表はたしかにすぐれたものではあるが、現代科学の成果からすると荒い。川端さんはそれを人類である霊長類がもともと2色覚であったものが3色覚をもつようになった動機を述べ、2色覚と3色覚の差はどこにあるかを追究する。そもそも、川端さんは小学校のとき、「異常3色覚(=赤緑色盲)と判定され、その後の職業選択で、幅をせばめつつ現在の地位を築いてきた。そして、今回、本書を書くに当たって、自ら検査をしなおしたところ、アロマロスコープでは正常の結果が出たのである。だとすると、今までのもやもやはなんだったのか。また、世の中でこのもやもや感を持っている人たち、検査をあくまで強行しようとする人たちに提起したのが本書であった。アロマロスコープは石原検査表で問題になった人たちをさらに検査するものだが、これは全国的にも備えている病院が少ないそうだ。そんな環境下で異常か正常かを判断され、将来の夢までつぶされる検査とはなんだろう。わたしも、川端さんと同じく怒りを感じる。本書には色覚の発展についての興味深い記述がたくさんある。たとえば、緑は赤から出てきたものなので、波のかたちが似ている。だから、紛らわしいのだが、これも人によって違いがあって、川端さんの場合はかなり修正しないと正常値にならないのだが、それでも緑を見分けることができる。また、川端さんの場合は青に対する認識が他の人よりも高いという。ぼくも日本の信号は緑と赤だと思うが、緑が青みがかって見えることがある。そういう個人間での違いがあるのである。さらに言えば、正常と言われる人たちの4割も精密な検査では異常色覚と判定されるらしい。川端さんはさらにアメリカの軍での検査も受け、ジェット機のパイロットとしては不適格だが、民間の航空機のパイロットしては合格だという認定を得た。つまり、異常かどうかはどこまでも連続的で、職業での適不適も一概にいえないのである。本書は、ひたすらスクリーングテストに傾いている人たち、また、小さいときから色盲色弱のレッテルを貼られて悩んできた人たちに広く薦めたい好著である(○○賞をあげたい本である)。

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2020年12月10日

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何の根拠もなく、見え方って人によって違っていて、同じものが見えていないのではないかと考えていた。色覚が人によってかなりバラつきが大きいと良くわかったので、同じ物でも同じに見えてはいないことがハッキリした。
やはり多様性を受け入れて、違うことを追求する事は止めるべきだ。

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2022年06月10日

Posted by ブクログ

自分は小学生の時に学校の検査で赤緑色覚異常と言われた。中学では、何人かが別室に呼ばれ、就職で制限があるからと説明を受けた。化学、生物、工学でも色々な色の電線を扱う電気工学の分野は難しいとか言われて、自然に進学の方向を数学、物理の方向にせざるを得なかったな。この本は色はどうやって感じるのかから始まって、色覚異常の検査とその歴史と問題、現在の色覚検査、眼科医による認識、再度の学校での検査の開始可能性などが述べられ。色覚は異常・正常ではなく、広範な連続性があるものととらえていこうとしている。自分で不便と感じるときは、白いハンカチやシャツを買ったつもりでも、それピンクだよ!って家人に指摘されるときかな。

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2021年07月17日

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人間の視覚のうちで色の認識は、客観的な外的事実の認知ではなく、あるスペクトラムの光をある色として認識するいわば錯覚であり、個体差が大きい。したがって、色盲、色弱と言われるカテゴリーと正常色覚を明確に区別することはできず、色覚の弱い人から、スーパーノーマルと言われる極めて色覚能力の高い人までなだらかな正規分布をなしており、正常と以上の間にギャップがない。
また、現在行われている石原式色覚検査は、偽陽性の発生頻度が極めて高く(男子で46%、女子では97%)、スティグマの弊害が大きい割に、メリットが小さく、一律に実施するのは妥当ではない。
という内容。健康診断におけるエビデンスベースの考え方を色覚検査に応用した議論であり、説得力がある。

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2021年07月10日

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色覚の検査、小学校の頃にやった記憶がある。
結果、「異常」の可能性ありと判定されたクラスメイトがいたことを覚えている。
たぶん、僕は、色がわからないことがどういうことか理解ができず、興味本位で彼に質問しただろう。どんな風に色が見えるのかを。
彼はニコニコしてあまり気にしていない風だった記憶がある。でも、心ではどう思っていたのだろう。

今から考えると、みんなの前で色覚について正常か異常かを診断する差別的な検査だった。
しかも「色覚異常」に治療法はないときている。
「色覚異常」が遺伝性のため結婚について注意を促したり、就ける職業を制限したりするための検査。
なんのために、そんな重荷を小学生に負わせなければならなかったのか?

この本は、「色覚異常」がはたして「異常」なのことなのか?を問う書だ。

人が色をどう認知するのか、わかりやすく掘り下げていく。そうした中で、色覚に関しては決して「異常」があるわけではなく、連続しており、多様であり、広い分布があるもの、と認識に至れる。

そして、たとえ色覚の認識が弱かったとしても、みんな自分の持っている感覚を総動員して生きているわけで、1つの感覚の性能のみで全体を語るのには慎重でなくてはならない。

ただし、カラーユニバーサルデザインについてはしっかり環境を整備する必要がある。未だに黒板に赤いチョークを使う教師がいるらしい(ほんとか?)。誰もが認識しやすい色を用いることを心がけることは重要なことだ。

光そのものに色はついていない。絶対的な色なんてない。光をどう捉えるか、ただそれだけだ。
つまり、人によって無数の色認識がある。
たぶん、僕とあなたの色認識は違う。
僕が見える色は僕オリジナルのもの。
そう考えると、日常の何でもない風景の色が、とんでもなく愛おしくかけがえのないものに見えてくる。

発見がとても多い本なので、ぜひ皆さんに読んでほしい。

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2021年06月13日

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