【感想・ネタバレ】感染症は実在しない(インターナショナル新書)のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

本書での主張は言われてみれば最もだなーと思った。
患者の立場(医者ではないという意味で)で言えば、自分がこれからどう生きたいか、をちゃんと考える必要がある。
自分はできるだけ元気な状態で長生きしたいので、健康診断も受けて、かかりつけのお医者さんのアドバイスを受けて、予防できる事象(「こと」としての病気)は防ぎたいと思う。
家族(妻と子)にも同様に健康で長生きして欲しい。

0
2023年05月05日

Posted by ブクログ

コロナ禍で生活が一変した時、私はずっと「新型コロナウイルスは存在する」という考え方をしていたのでとてもしっくりくる内容です。
以前『ベロニカは死ぬことにした』という精神病院が舞台の本を読んで、健常とは何だろう?とめちゃくちゃ考えさせられたので、病気の診断はあくまで便宜上のものにすぎない、そして人は多かれ少なかれ思い込みというものがあり、状態を正しく判断するのはとても難しいものであるという意識がありました。
そんな意識で世の中を見ていると、現象が先にあって、後から人が名付け、定義しているはずなのに、自分なりの言葉の解釈で判断をし、当てはめようとするからグチャグチャになってるなと感じることが多々あるなと感じます。

以前「嘔吐や腹痛がひどい。風邪の症状もある」と病院に行ったとき、消化器系の副作用の注意が書かれた風邪薬を処方されていたことがあって、当時はおかしくね!?って思ってたけど、「程度」で判断しないオートマティズムという話を見て、程度を見ずに風邪薬を処方されたのかもしれないと思いました。

新都心やニュータウンもそうだけど、なんでも「新型」をつけるのは将来的にあまり賢いとは言えなさそう。

最近、科学的に確かめる本について何冊か読んだけど、恣意性を完全にフリーにすることができないことについて読んだ記憶が残っていなかったので、95%の信頼区間という大前提があるんだなぁとなった。
統計学を理解している人が実務的な見方をした時、日常の身近にあるものがどういうものであるのかというのが大変参考になりました。
私1人じゃ全分野を網羅することなんて到底かなわないので、データの開示と恣意性の表明に重点を置かれている各分野の経験豊富な方の存在を知っていきたいところです。
そして自分と近い価値観を持っているなと感じる医者の死生観はとても興味深いものでした。そんなに身体的な目線で深く考えたことがなかったので、今自分は死に続けているんだ、というのは目から鱗な観点でした。

NYのレズビアン女性のエイズ患者さんがタバコが唯一の幸せだと言ったお話は、『ここは今から倫理です。』で闇社会で居場所を見つけた女性の話を思い出しました。

臓器移植意思表示ってあるけど、いまいちこれの価値判断がよくわからないから決められずにいます。私にとって今のところ身近に感じないから優先順位は低くなってしまうし。これも1つの情報開示の話かなって思いました。

以前、「カテゴリや名前にこだわって話すとおかしくなる、あくまで言葉は後づけされたものにすぎない。すべては地続きなものである。人によって言葉の定義が違っていて、それを同じ言葉だと思ってテーマとして話すからいつまでも話がかみ合わない。実際に起こっていることに対して話をしないとわけがわからなくなる」といった内容をブログに書いたが、まさにそれだなって思いました。
現象があって、共通認識するために名づけられて定義がされたのに、後づけされた言葉が先行してしまうのはそりゃねじれてしまうというものです。

0
2022年05月10日

Posted by ブクログ

新型コロナウィルスのパンデミックの昨今において、ニュースなどで話題になった医師、岩田健太郎氏の著書です。

この本の題名を見ると、「コロナウィルスに関しての本かな?」と早合点してしまいそうですが、実際にコロナウィルスに関して述べられているのはあとがきの数ページのみですので、その方面でこの本を検討されている方には注意が必要です。

本書の中で岩田氏が言っているポイントとしては、
・潜伏結核と活動性結核のように、医師が恣意的に判断することによって(感染症は)病気として認定されたり、されなかったりする
・病原菌は存在するとしても、「病原菌の実在=病気の診断」ではない
・検査されない限りは診断されず、診断されない限りは病気とは認識されない
この3点が重要なポイントだなと思います。

「実在しない」という言葉の捉えかたがミソで、存在しているかしていないか? ではなく、感染症を始めとする「医師の診断」には(岩田氏自身が本文中で何度も述べられているように)「恣意性」が含まれているということ。
病気の定義が変われば病名も変わる、ということが「結核」を例にして解説されています。

また、検査についても「感度」と「特異度」という二つの基準を示して述べられており、専門的な内容ながら、なるほどそうだったのねと納得する内容でした。
(特に「治療効果95%の薬」の項目は必見です)

ひととおり読んでみて、日本は新型インフルエンザの際の間違いをまさにこのコロナ禍で繰り返してしまったのではないか? と感じました。
日本の制度的な問題は想像以上に根が深く、厄介そうです……。

0
2021年07月28日

Posted by ブクログ

ご存じ感染症医・岩田健太郎先生のセンセーショナルなタイトルの本「感染症は実在しない」を読んでみました。この本2009年に「感染症は実在しない 構造構成的感染症学」として出版されたものを改版してCOVID-19にあわせて出版しなおしたもの。柳の下のドジョウ・・・かもしれませんが、読んでみると医療における「原因」と「結果」の関係をじっくり考えさせてくれます。さらに一歩進めて、「病気はすべてあいまいなもの」ということをも看破して、COVID-19の現状にも一石を投じています。   

例えば、結核。結核菌が発見されるまでは若い人が消耗していくちょっとロマンチックな面もある病気でした。ところが結核菌が発見されると、それまでの症状=「結果としての結核」から原因=「結核菌の存在としての結核」への価値転換が起こったのです。我々はすべて近代になって起こったこの価値変換以後の世界を生きているのです。

そして科学の進歩とともに感染という事実を検出するテクノロジーが鋭敏になっていきます。そうなると検出された感染のうちどこからを感染症という病気と呼ぶのかはかなり恣意的なことになってしまいます。例えばPCR法が発明されていなかったらCOVID-19のパンデミックはその形をずいぶん変えていたでしょう。こう考えてくると、しょせん病気は実在せず、すべてはその時々の医療のレベルに依存する医療者(あるいは世間も一緒になっての)の恣意的なネーミングにすぎないことがわかるのです。

現代ではさらに一歩進んで高血圧や高コレステロール血症などの症状がない現象でも病気と名付けようというコンセンサス=約束事がなされるようになっています。例えば、高血圧を治療せずに放っておいた場合、治療した場合に比べて脳卒中になるリスクは高まります。けれども、実は治療しなくても90%の人は脳卒中になりません。確かに、高血圧は治療したほうがより脳卒中はふせげるのですが、治療の効果は感染症に比べれば微々たるもので、それこそ膨大な数のRCT(ランダム化比較試験)で初めて差がでる程度。

かっては実在しなかった生活習慣病が作り出され、学会が作った診断基準やガイドラインがあたかも実在する病気があるかのように医療化し投薬がはじまるというのが現代社会です。ここまで考えてくると、現在行われている多くの治療に対して、それを受けないという選択肢を「あり得ない」と決めつけることはできません。「他人に迷惑をかけない」という範囲内で自分の価値観と照らし合わせて、その医療は自分にとって合目的的かという考察が個人に求められているのです。「そこに病気があるから治療」とか、「それが総死亡率を減らす、だから治療」などと決めつけてはいけない。

治療する・しないという医療判断は明快そのものです。しかし、そこに到る根拠は曖昧模糊としています。明快なアクションの根底はあいまいな根拠なのです。だから医療者は医学が持つあいまいさを自覚しつつ、謙虚な態度を保ちつつ、けれど明快に決断をしなければいけないのです。この本、いつもの岩田節で、あれも言いたい書きたいでとっちらかった印象ですが「病気は実在しない」からこそ、患者にとってもまた曖昧さのコントロールがかなり重要だと再確認できた一冊でした。患者にとってもむずかしい時代です。

0
2021年02月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 

本書の主張はいたってシンプルです。「病気は実在しない,現象である」(p.307)。基本的にはこの1点を主張するためだけに様々な事例が引っ張り出されます。ですので,本書を読み解くためには,「実在」および「現象」をきちんと押さえる必要があります。

「実在」とは意識から独立して存在するもの,あるいは,「現象」の背後にある実体を指します。「現象」とは意識できる出来事です。「コミュ障」で考えてみましょう。「コミュ障」とはコミュニケーションがうまくとれない状態,転じて,そのような人物を表す言葉です。たとえば,異性とうまくコミュニケーションがとれなかったときに,言い訳として「私,コミュ障だから」というように使われたりします。このとき,私は「実在」しますが,「コミュ障」は実在しません。あくまでコミュニケーションがうまくとれない状態(=意識できる出来事=現象)をコミュ障と称しているだけです。しかし,「コミュ障」がコミュニケーションが取れない人物を表すようになると,「コミュ障」は「実在」するように感じてきます。もともとは私(=「実在」)に生じる現象でしかなかった「コミュ障」の意味が転じたことで,「コミュ障」という「モノ」があるように思えてくるわけです(私はどこでも「コミュ障」)。

本書で批判されるのはまさにこの点です。もともとは「現象」でしかなった「コト」が時を経て「モノ」のように感じられてくる。結核(「長い間熱が出て,咳が出て,緑色の痰がでて,ときどき血を吐いて,体重が下がっていってどんどん消耗する,場合によってはそのまま死んでしまう」p.69)という現象の背後に結核菌という「実在」が発見されたことによって,現象であった結核が実在化してしまう(結核とは結核菌が体内から見つかること)。このように現在病気と呼ばれる「モノ」(=意識から独立して存在するもの)は,本来的には「コト」(=意識できる出来事)である,と。

そして,そのように病気を「モノ」と認識するのは誤りであるだけでなく,デメリットも大きいと著者は指摘します。たとえば,インフルエンザを「モノ」と認識すると(=インフルエンザウイルスによる感染症),たとえ症状が出ていなくとも,インフルエンザを取り除かなければならない=治療しなければならないと考えます(本書ではこれをパターナリズムやオートマティズムとして批判します)。しかし,治療=人体に手を加えるのは本質的に身体を傷つける行為であり,身体をより良くするという医療の原則からして,症状が出ていないインフルエンザの治療は果たして本当に良いのかという問いが生まれます。症状がないのであれば,身体に悪影響が出ていないので,わざわざ身体に手を加える治療をするよりも自然治癒の方が自然=人体にとって無害だからです。ただし,本来的には「コト」であるインフルエンザを「モノ」と考えるからその問いが生まれるのであり,インフルエンザを「コト」(=急速な発熱,悪寒,倦怠感)と捉えられば,そもそも症状が出ていない時点でこの患者はインフルエンザではなくなり,治療の必要もないわけです。

このように,著者曰く,病気を「現象」=意識できる出来事と捉えることは様々なメリットを生みます。その最たるメリットは「医療とは,ある人の生き方の規定,目的に照らし合わせ,それに不都合がある場合に提供される支援のあり方である」(p.303)と医療の意味を再構成できることです。

病気は現象でしかありません。ですので,病気は恣意的に規定できます。たとえば,インフルエンザを急性の高熱と捉えることもできますし,急性の高熱+悪寒とすることもできますし,急性の高熱+悪寒+倦怠感とすることもできます。そしてこれは医療者だけでなく,自分自身で病気を規定することができることを意味します。身体倦怠感が大敵=病気であり,それをなくして快活に生きることが大事(=ある人の生き方)であれば,それを取り除くために医療を受ける。身体倦怠感は特に問題ないのであれば,わざわざ医療を受けない。要するに,自分がどのように生きたいか(人生の目的)を自分自身で決定し,その目的に合わせて医療を受けるかどうかを決めることができる。そして,医療者と協同してその目的を達成することができる。そのような生き方や医療を享受することが可能になります。これが「病気は現象である」と著者が何回も唱える理由です。

「感染症は実在しない」以外にも著者はいくつかのことを情熱を込めて主張します。たとえば,第9章は「科学的に,本当に科学的に考えてみる」です。その意味で本書は感染症だけの話ではありません。吉と出るか凶と出るかは読者次第です。著者がダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んだ背景が透けて見えるような気がしました。
 

1
2020年05月21日

Posted by ブクログ

2023年31冊目。満足度★★★☆☆

著者はあのダイヤモンド・プリンセス号に乗り込んで有名になった岩田健太郎氏(神戸大学医学研究科感染症内科教授)

本書の第一稿が書かれたのは2008年。新型コロナ発生後、新装版として2020年3月に発刊されているが、内容は特に変更を加えられていない模様だ

医師であろうが、一般人であろうが、本書に対する評価は様々と思われるが、個人的には信頼に足る内容だと思う

なお、著者の新型コロナ以降の言説(変節した?)について、私は特にここでは評価しない。

0
2023年05月27日

「雑学・エンタメ」ランキング