【感想・ネタバレ】経済で読み解く日本史 江戸時代のレビュー

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Posted by ブクログ

各藩のシステムそのものがどう頑張ってもデフレになるシステムという指摘が勉強になった。あと、吉宗は米価を上げるために日本全国に日本酒づくりを殖産したのね。景気対策は緊縮財政出なく、シニョレッジで。

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2023年05月02日

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「この美しい日本を子々孫々に伝えていくために、私たちは経済の掟を学ぶ必要があるのです」

この一文に尽きる。

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2022年03月15日

Posted by ブクログ

上念氏の本は以前から読んでいたのですが、最近ネットにて「経済で読み解く日本史」のシリーズとして全5巻セットが文庫本で出ていることを知りました。文庫本なので持ち運びがしやすく、どこででも読めて助かります。

最後に読んだ五冊目は、江戸時代③です~
以下は気になったポイントです。

・有史以来、日本経済においてあれほど大きな存在感を示した寺社勢力は、江戸時代に入って没落した、その理由は秀吉の治世から日本が独自に通貨を発行することになったから(p2)

・日本は大東亜戦争の最中であっても憲法は停止せず、選挙も実施されていた。憲法停止、権力をすべてヒトラーに集中したドイツとは異なる(p34)

・危険な思想、人が支持されたのは、経済がぐちゃぐちゃになって皆が破れかぶれになったから、経済が悪くなったのはある理由により貨幣不足となりデフレになったから(p38)

・江戸時代の特徴、1)400万石(徴税権)の徳川家が3000万石の日本全体を治めた、2)管理通貨制度、官符の捺印により民間に通用させた、3)百姓な農民でない(p45)

・このまま石田三成にまかせていたら、自分たちの利権が危ない、と感じた大名たちが徳川家康を担いで、まさに農民から都市を包囲し、権力を奪取した(p67)

・徳川三代が浪費した資金は、鉱山から掘り出した金銀を鋳造して新しく作った金貨、銀貨、つまり大規模な金融緩和と財政政策を同時に行ったことになる。1932年の高橋是清による日銀国債直接引き受け、2012年のアベノミクスの金融緩和と同じ効果があった(p71)

・2枚の慶長小判を溶かして、3枚の元禄小判をつくる。元禄小判には慶長小判の3分の2しか金が含まれていないが、交換レートを1:1にすることで貨幣量が1・5倍となり、増加分を幕庫に納入できる、通貨発行益(シニョレッジ)が得られる。(p81)

・新井白石は、家宣の遺命だと事実を捏造して、金銀含有量を慶長時代にもどした、これにより激しいデフレ、景気の低迷となった(p90、93)

・水野忠成が老中首座になると、緊縮モードからリフレ政策へと転換した、1818年には80年振りとなる「文政の改鋳」が行われた、1834年までに何度も改鋳と行い、江戸に空前の好況訪れた、これが化政文化というものの正体(p101)

・物価の高騰よりも、幕府内の権力闘争によって老中構成が変わることで「リフレから緊縮へ」何度も経済政策が転換されたことが、真の問題であった(p102)

・江戸、大坂の中心地10里四方にある大名、旗本領を、その外側にある天領と交換する方針を固め、上知令(1843)を発布したが極めて評判が悪かった(p108)

・鎖国をすることで、資本取引の自由がなくなったかわりに、金融政策の自由(貨幣を自由に発行してインフレをコントロールする)を手に入れた。室町時代に改鋳により空前の好況が起きたのは、鎖国という資本取引規制のお陰(p183)

・4代将軍(家綱)以前は生産性が低く、年貢と自家消費で作物がなくなったので、一般人は人的担保しか使ってもらえなかった、「質入借金=質権設定」は、金利はゼロの代わりに質にいれたものから発生するキャッシュは全て取られた(p139)

・「書入借金」は、抵当権設定と同じで、寺社・武士・商人などのように資産を追っている人が使えた、これには金利がついた(p139)

・東回り航路とは、江戸、小湊、銚子、那珂湊、平潟、小名浜を経由して、荒浜(宮城県)に至る航路で、徳川家の天領と江戸を結ぶルートである(p159)

・川村瑞賢は、東回り、西回り航路、淀川河口の改修等、様々な公共事業を行った、インターネットの登場が私達の生活を変えたように、全国の港湾ネットワークをつなぐことで、江戸時代の経済や暮らしを大いに変えた(p161)

・江戸の三大飢饉は、享保(1732-33)、天明(1782-88)、天保(1833-37)だが、最も大きいのが100万人近い人口減少をまねいた天明の飢饉(p163)

・(貯蓄ー投資)+(税収ー財政支出)=輸出ー輸入(p199)

・藩札は、金だけでなく、銀やコメなど多様な資産を裏付けとしていた、日本人が明治維新以降、国際的な通貨制度にいち早く順応したのも、藩札という蓄積による(p205)

・諸藩はアルゼンチン、藩札はアルゼンチン・ペソと考える、金貨銀貨建ての債務はドル建て対外債務、諸藩が債務を返済する場合は、「輸出」をして金貨銀貨を獲得するほかはない。そのためには、屋内において金貨、銀貨の流出をおさえるために緊縮財政が必要となる(p208)

・長州藩と薩摩藩がやったことは、グットカンパニー(藩主の個人のお財布=島津家)、バットカンパニー(藩の公的なお財布=薩摩藩)という会社分割を、誰にも気づかれないようにやった、借金のリスケと緊縮財政は藩の財布に付け回し、殖産興業の儲けは藩主個人の財布に入れた(p215,224)

・天保一分銀は「一分」と刻印されているだけで、銀の含有量換算では本来12.5枚必要なところ、4枚で金貨1枚と交換できた、刻印により銀貨の価値を3倍増させていた。これは現在私達が使っている紙幣と同じ、これは海外から銀貨(メキシコドルラル)を持ち込んで日本の銀貨に両替するとたちまちその価値が3倍になる現象を起こした(p232)

・これを防ぐために、開港日の前日である1859年6月2日に「安政二朱銀」という貿易用の特殊通貨を発行した、安政二朱銀は天保一分銀に比べて銀含有量が1.5倍ある。メキシコドルラルの価値を、天保一分銀に対して3分の1に落として、適正な為替レートを実現するはずであった。これは昔の中国の兌換券(おつりを人民元でもらうと、兌換券には戻せない)と同じしくみ(p238)

・藩札は3倍に発行量が増えたが、銀貨は金流出のために9倍に増えたので、藩札の方が少なく価値が上がった。これが藩札の価値が安定していた理由(p249)

2019年11月23日作成

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2019年11月23日

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なかなかの良書。
イデオロギーがかったところは玉に瑕。
幕末の金貨流出に対して、幕閣の対策を用意していたとは知らなかった。

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2022年06月29日

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江戸時代は歴史の授業で習うほど、庶民が抑圧され中央幕府がやりたい放題をするような社会体系ではなかった。歴史の見方を変えてくれる本です。庶民と言われる約9割が主役となり、産業を発達させ、新たな需要と共有を生み出した。また、石高制と貨幣制度が同時に現れ、バックにあるゴールドの有無によってインフレとデフレを激しく繰り返す時代。近代的な知識が広く浸透しておらず、『公儀』であっても武士的思想に囚われ誤った選択をした結果、経済のスピードに取り残された時代であったとも言える。勉強になりました。

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2020年08月24日

Posted by ブクログ

高校の時、世界史を選択していたせいか、この本により勉強させられた。
特に、江戸時代の百姓(農民とは限らない)は思ったより豊かな生活をしていたという点だ。歴史についてさらに学びたいと思うようになった。

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2020年06月22日

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1、2巻同様に、経済成長を通貨供給量との関係で説明する視点が大変面白くて新鮮だ。江戸時代になると論拠となる資料も増えるから、説得力も増してくる。話の筋を通すための乱暴な展開もあるが、学者や専門家が著した専門書を繋ぎ合わせてわかりやすく説明するという手法は、池上彰氏に少し似ている。ただし、教科書の記述や政治家を批判する部分は、主張はわかるが品がない。そこを上手く捌けばもっと読まれると思う。

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2019年11月23日

Posted by ブクログ

書店で見かけ、時代別に数冊が刊行されていたため、江戸時代をお試し購入。教科書に登場する改革を見ると、賄賂政治で悪者視された田沼意次より、新井白石や緊縮財政を主導した改革の為政者が評価されるような書きぶりだが、経済学の視点からは失政であったことが理解できる。米本位制や世襲を改革できなかった江戸幕府が、300年維持できたことが不思議でならない。

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2019年06月28日

Posted by ブクログ

徳川家康の天下統一は、信長や秀吉の集権ではなく大名の代表。だから税収は自分の土地からのみ。色々な参謀の政治は、経済的な結果は教科書とは逆。通貨換算ってほんと大事。今ブームの金融理論にも通じるものがあり勉強になる。

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2020年08月17日

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