【感想・ネタバレ】喧嘩両成敗の誕生のレビュー

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Posted by ブクログ

現在、最高裁判所を頂点とする民事・刑事の法体系があり、何か有れば弁護士を通じて裁判所にということが当たり前に存在しているが、室町時代の昔は自力救済が基本の世界だった。しかも苛烈な名誉意識を持ち、集団の構成員が受けた痛みは集団全体のものとして内部化するという中世人の心性。

そうなると、室町時代における紛争解決とは、放っておけば任侠の世界と同等で、抑止力を効かせつつどどで引くかという話になってしまう。時の支配者たる幕府が、これに権威ある仲裁を行おうとして四苦八苦、荒ぶる人々の公平意識に会う様に様々な制度が出てくる。

最終的に行き着くのが喧嘩両成敗だが、意図は喧嘩両成敗として喧嘩そのものを抑止しつつ、我慢して手を挙げなかった方が(法廷で)勝ちになるとの定めもあり、裁判へ誘導するものでもあった。

今の裁判制度を当たり前のものとして見てしまっているが、こういう裏面史があり、様々な経緯や議論を経て成り立っていることを知るのは大変面白い。

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2021年12月31日

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ネタバレ

イスラム国とか、カルトとか、そういうレベルじゃなくて、異文化を考えるときに、我々がこうやって生きていた歴史があるということがとても助けになる。

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2021年07月31日

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現代においても影響が残る喧嘩両成敗という法について、その成立に至る問題解決の試行錯誤の歴史を様々な事例を通して明らかにする内容。中世自力救済社会とその克服を目指す為政者たちとのせめぎ合いが面白い。

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2021年06月08日

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喧嘩両成敗、って喧嘩した両方を死なせるって意味だったんだね?というレベルの知識のない人間にもわかりやすく室町時代の人々の倫理観や価値観を伝えてくれる本。研究によると、室町時代を生きた人々の倫理観や正義感はだいぶ現代の個人主義的感覚からかけ離れたものだった…ということで、ある種のSFを読んでいるかのような興味深い内容だった。
現代的感覚から見ると、警察や刑務所にあたる公権力がない分、問題が起きたときに自己責任で解決しなければいけない領域が大きい。だが基本的に一人では何もできないので、何かしらのグループに属してそのグループの威を借りたり、グループの連帯責任で生活していく必要があった…という部分が一番のギャップだ。
この部分は現代の素っ気ない人間関係に感謝しかない。

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2021年04月14日

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めっちゃ面白い。非武装の平和な国に慣れてしまって、完全に忘れてしまってるけど、昔の日本は、村や所属団体ごとに武装して、頼れる国や警察もなかったから、自分たちで落とし前をつけなければならなかった。喧嘩が始まり、2人殺されたら、同じ数だけ死んでもらわないと収まらず、エスカレートするほど好戦的なそんな時代に、最終的な決着をつける、みんなが同意できる法理論が、日本独自に育っいった。それがこの喧嘩両成敗であり、ハラキリだった。明治になって、欧米の法律を輸入していなかったら、どうなってたんだろう。今だに日本人のバランス感覚に根深く残ってる気がする。

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2020年12月13日

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ネタバレ

 読んだのは半年ほど前のことになるが、感想を思い出しながら書くことにする。
 この本は中世に漠然と興味を持っていたころ、中世人の考え方を理解するのにおすすめの本という評価を見て、読んでみることにしたものである。
 この本は法制史の本で、室町時代の中世人という現代と異なる価値観をもつ集団の中で、喧嘩両成敗という有名な法がいかに誕生したかということが書かれている。
 私の中で印象に残っていることは2点ある。
 一つは、中世人の異質な価値観である。中世人は非常に短気で名誉を少しでも傷つけられたらすぐに喧嘩に発展し、殺傷事件に至ることも珍しくない。個人間の争いに留まらず、その人たちが属している集団同士の争いに発展し、役人が仲裁に入ってなんとか収まる、ということもままあったようだ。喧嘩の具体的な理由は現代から見ると取るに足らない理由も多い。本には書いた短歌が児に笑われたという理由で児を殺害した人が登場していた。この人は異常者ではないというのが驚きである。 
 歴史を学ぶ上でつい現代の感覚で昔の出来事を見てしまいがちであるが、当時の価値観を考慮した上で、出来事を解釈していくという必要があるのではないだろうか。
 もう一つは喧嘩両成敗の成立の背景についてである。喧嘩両成敗は訴訟を個人間で解決した自力救済型の社会から統治機構による裁判権が確立した近世社会の移行期に誕生したもので、裁判権の統制を行っているが個人間の解決の要素もある、と記述されていたと覚えている。また、喧嘩両成敗は当時の衡平を重視する価値観からも受け入れやすいものであったものだという。喧嘩両成敗という言葉は現在も使用されることがあり、どっちも悪いの意味で使用されることが多いと思うが、その背景には社会の価値観や社会制度の移行など複雑なものがあり、とても興味深かった。
 この本は、以上のようなことを根拠となる資料を提示しながらわかりやすく論を展開して説明する。喧嘩両成敗自体に興味がなくても、室町時代の日本人がどのような人たちであったか知りたい、という方にも自信を持って勧めることのできる本であると思う。

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2020年11月09日

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「喧嘩両成敗」法は何故誕生したか、室町時代に遡って研究する本。随一面白かった!法も警察も裁判所もない時代の共同体ごとの自力救済を原則とするなか村八分さらには埒外(outlaw)に置かれることは何を意味するのか・「両成敗」を求めたのは民衆か権力者か・何故これ程まで「面子」が重要視されるのか・何故これ程まで「平等の損」に執着するのか・責任を(当事者ではない誰かが)取ることの意味と真実を突き止めることへの無頓着さ・「(結果はどうあれ)こんなに頑張ったんだから」が現代でもまかり通るそのルーツ・被害者落ち度による過失相殺が今も残る国。

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2020年08月09日

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「日本的風土に根づいた伝統」とされ、戦国時代において自力救済克服の画期となった法として日本史の教科書にも必ず登場する「喧嘩両成敗法」の室町時代における形成過程を概説。
本書は、喧嘩両成敗法を生み出した室町時代の社会の在り方、特に強烈な名誉意識や復讐意識、衡平感覚といった当時の人々の苛烈な心性にスポットを当てているところに特色があり、喧嘩両成敗法は、戦国大名主導の強圧的な秩序形成策として登場したのではなく、中世社会の中で形成された紛争解決の法慣習の蓄積であったと位置付けている。
本書は、喧嘩両成敗法の成立過程を題材としながら、現代社会と通じながらもかなり異なる室町時代の社会の在り方を生き生きと描いており、歴史学の面白さを感じさせてくれる一冊だった。特に、身分を問わず強烈な自尊心をもち、ちょっとしたことで殺し合いにまで発展してしまう室町時代の人々の現代日本人とは異なる「苛烈」な心性については、本書を読むまでほとんど知らなかったことであり、非常に興味深かった。
また、民法の「過失相殺制度」が世界的にかなり特異なものであり、こういうところにも「喧嘩両成敗」的な心性が息づいているという指摘も、目から鱗であった。
本書は、実証研究の成果をもとに、現代にも通じるテーマについて、研究史への批判も盛り込みつつ、現代を相対化させてくれるような過去の社会の在り方を明らかにし、知的好奇心を満たしてくれるという点で、歴史教養書のまさにお手本であると感じた。

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2020年06月20日

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「謎の独立国家ソマリランド」からの「世界の辺境とハードボイルド室町時代」、そこからの「喧嘩両成敗の誕生」です。高野秀行がソマリランドの平和を氏族主義によるトラブル回避にあるとして日本の戦国大名に見立てたことが、著者 清水克行独自の研究の室町時代の社会史研究に繋がりました。確かに似てる似てる。それにしても近代以前の日本人ってプッツンしやすかったんですね。笑われてキレる感じが、ツッパッているティーンみたい。そうならないように、というのではなく、そうなったらどう落とし前つけるか、の技術が法をつくっていく、社会の安定を作っていく、というお話だと読みました。ただ、ソマリランドは「男一人殺されたらラクダ百頭」というルールだけど、室町時代は「一人を討たば一人をきり、二人を討てば二人誅する」(あくまでルールのひとつだけど…)の違い。ソマリランドは経済的なバランスも含んでいるけど、日本の場合はあくまで名誉のバランスなのだな、と感じました。今、世界中でお互いにツッパッている緊張が多発していますが、例えば戦後最悪な日韓関係は名誉の問題で解決出来るのか、リアルなお金の問題で解決するのか…。アフリカ大陸や近代になる前の社会などの遠い世界の問題じゃなくて、実は今、日本で必要な技術もここにあるのでは、と感じました。

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2019年08月17日

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めちゃくちゃ日本特有過ぎる喧嘩両成敗。
喧嘩を売った方も買った方も等しく罰せられるところから
いや、待てよ。どう考えても前者(もしくは後者)の方が悪どいんじゃないのか?
それでそれでも等しく罰を受けることの方が不公平ではないのか?
という歴史があったり。
もちろん現代は裁判所があるし、江戸時代はお白州があったり
でももっとその前はどうしてたのか?っていうのを
分かりやすく書いてあった。
やはり室町時代頃のみんながみんな、オラオラしてた感。
第三者から「笑われる」ということ自体、侮辱行為で
笑われた!殺す!!みたいな。
どの地位であれ、みんながキレやすかったということだろう。
にしても。これは面白かった!

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2018年09月21日

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争いごとを好まない日本人は、「喧嘩をすれば、喧嘩に勝とうが負けようが、両者ともに罰せられる」のが必定で、そもそも喧嘩をすることがいけない、とする知恵があると考えるのが普通であろうか。著者清水氏はそのような考え方、法制度がどのようにして生起したのかを主として室町時代のもめ事、争いごとの顛末を仔細に解説しながら説明してくれる。喧嘩をしたものは両者とも死罪という厳しい裁決がなされるようになったのは著者によれば、どちらかに軍配をあげると片一方の不公平感が収まらないので、苦し紛れに両者を罰することになったらしい。確かに争いの詳細を調べることなく、一方的に死罪に処するというのは荒っぽい処分と言わざるを得ない。本書によるとこの「喧嘩両成敗」は世界的にも珍しい制度だそうで、また、その延長上にある交通事故などにおける過失相殺という判決も非常に珍しい制度であるそうだ。著者は総じてこの荒っぽい制度に批判的であり、色々な歴史上の事件とその処分を顧みると、白黒を明確にしない、というか明確にすると角が立つと考えて喧嘩両成敗するというのは、良い意味でも悪い意味でも実に日本的な考え方であることが分かったと、いうことであろうか。学術文献の引用も多く、日本法制史の書であるが、私のような歴史に疎い人間にも分かりやすく書いてくれており、非常に優れた作品であると思った。

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2018年06月04日

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[迷裁き、いや、名裁き]日本においては一般名詞化されるほど定着しているにもかかわらず、世界において類似の法を見つけることが極めて困難な「喧嘩両成敗」。改めて考えてみれば不思議に満ちたこの法は、どのような社会や考え方を背景として成り立ったものなのか......。異色の歴史読本です。著者は、NHKの歴史番組『タイムスクープハンター』の時代考証も務めた歴史学者、清水克行。


これは名著。喧嘩両成敗というパンチのあるテーマから、日本人の精神史、中世の社会状況、そして法概念の変化までを視野に入れた意欲作となっています。とにかく読んでいて抜群に面白い一冊でもありますので、タイトルに「おっ」と感じた方はその勢いで購入されることをオススメします。


喧嘩両成敗が成立する上で必須の役割を果たした室町期の社会の描写が本書の中でも白眉かと。笑われたことにブチ切れて人を一刀両断にした挙句、当事者が属する集団の全面抗争にまで至りそうになる話など、とにかく挿まれるエピソードの一つひとつに驚きと「本気かよ......」感が溢れた作品でした。

〜どうも洋の東西を問わず中世社会に生きる人々にとっては「真実」や「善悪」の究明などはどうでもよく、むしろ彼らは紛争によって失われてしまった社会秩序をもとの状態にもどすことに最大の価値を求めていたようなのである。〜

このテーマを「発見した」清水氏、そして清水氏を「発見した」選書部の山崎氏に拍手☆5つ

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2016年03月02日

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この本は単なる日本史の細かい分野の本ではない。現在に繋がる「集団社会と法」を考えさせてくれる良書。公的権力が社会秩序のためにつくる制定法と権力が後からやってくる前に社会が秩序を保つためにもってきた慣習

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2015年08月30日

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喧嘩両成敗がルール化される経緯に多くのページを割いています。室町期の過酷な自力救済の世界が具体例豊富に描かれており、戦国時代等に比べて、イメージがわきにくい室町期にも興味を持つようになりました。室町殿や朝廷の権威はありつつも、完全に実力をもって統治できていない時代の動学的な社会の変化が、何とも面白いのです。

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2013年04月21日

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ネタバレ

室町人の常識が分からないと読み物の登場人物の行動が理解できないな(それほど狂ったヤツら)
中世社会の衡平感覚と相殺主義が心情にあるからこそ、法理に基づいた判断が複雑(あるいは一筋縄でいかない)な時は「喧嘩両成敗」こそ苦渋の選択として定着した
日本人の知恵ですね(´・ω・`)

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2020年05月10日

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ネタバレ

誤解されやすい古典の言葉。
・天は人の上に人を作らず
・健全な精神は健全な肉体に宿る
・初心忘るべからず
そこに僕の中でもう一つ、「喧嘩両成敗」が加わりました。
確かに「喧嘩したものは理由によらず両方成敗にする」という意味自体は合っているのですが、「成敗」とは「死刑」なのであって、積極的に運用するものではなく、諍いがこじれて解決の目処が立たない時の窮余の策という位置付け。
つまり「お前ら、争いが起こったらちゃんと法廷で解決しようとしろよ。私闘で解決しようとしたら両方死刑にするからな」という「見せ札」な法として生まれた、ということ。私闘、過剰な復讐を防ぐという観点で「目には目を」のハンムラビ法典に通じるものがある。

何でこんな法が必要になったか。室町時代の京都での例。
【例1】
北野天満宮の僧侶が金閣寺を訪れる

僧侶に連れられてきていた稚児が、金閣寺の小僧が門前で立小便をしているのをみて笑う

笑われた金閣寺側の僧侶が、負けじと天満宮の僧侶を罵る

天満宮の僧侶が怒り、金閣寺の僧侶を追い掛け回す

金閣寺の老僧が騒ぎを抑えようと天満宮の僧侶をなだめる

天満宮の僧侶の怒りは収まらず、金閣寺の老僧に刀で切りかかる

金閣寺の老僧は、これは手が付けられないと寺の鐘を乱打する

大乱闘になり、一説によれば3人死亡

そのまま天満宮と金閣寺の全面戦争になりかけるが、将軍足利義教の派遣した奉行によってなんとか事が収められる

【例2】
店に元結を取りに来た下女、品物が出来ておらず店主を罵倒

店主が逆ギレし、下女を店から叩き出す

怒った下女、主人の侍に訴える

侍が店主を手討ちにしようとしたところ、その行動を予測した店主が仲間を引き連れ市中で矢を射かける

侍、店主たちを返り討ちにするも力尽きる

店主のバックにいた関口家の集団が出張る

侍が仕えていた三条家の侍たちも出張る

洛中で軍勢同士の喧嘩発生

吉良家が裁定してどうにか解決

【例3】
ある侍が馬で出かけたとき、道中でちょっとした用事があり下馬

そこに通りがかった別の侍、下馬している侍に気づき「下馬している侍には自分も下馬して礼を表す」という当時のマナーに従い、こちらも下馬

最初に下馬した侍、「俺は別の用事があって下馬しただけで、お前に用はない。なのに下馬しやがって。これじゃあまるで俺が目下のお前に対して先に挨拶したみたいに見えるじゃないか。俺を見下す気か(意訳)」と激怒

目下の侍、「ただあなたが下馬しておられたので礼儀に従って下馬したまでです」と弁解

目上の侍、弁解を聞かず刀を抜いて目下の侍に切りかかる

目下の侍も応戦した結果、刺し違えて両者死亡

こんな具合に、当時は極めて些細なことがあっという間に殺し合い、それも集団同士のものまでに発展するほど、現代から見れは異常に喧嘩っ早く、異常に面子に重きを置く時代だったようです。
ネットの表記を借りると、当時を構成する人々は「『シグルイ』の虎眼流門弟と、『北斗の拳』のモヒカン、あとは福本伸行の漫画や『闇金ウシジマくん』あたりに出てくるどうしようもないダメ人間」しかいない世紀末状態だったようで、そりゃあ末法思想が流行って浄土真宗や日蓮宗のような新仏教が起こる訳だと。「トラブルが起こったら裁判しなさい」を定着させるためにいかに当時の為政者が心を砕いたか、という苦労話に見えてきて、実に興味深かった。

ちなみにこの著者、清水克行氏の他の著作には「現代のソマリランドと室町時代って似てるよね」という趣旨らしい「世界の辺境とハードボイルド室町時代」というどっかで聞いたようなタイトルの本もあり、心惹かれるものがある。その路線で今度は「足軽大将殺し」みたいなタイトルでも書いてくれないかな。

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2017年02月26日

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高野秀行さんとの対談本「世界の辺境とハードボイルド室町時代」が非常に面白かったので、これも読んでみた。いやあ、面白いなあ。そうなのか!という指摘の連続で、実に興味深かった。対談での著者の言葉通り、内容がギッシリつまっていて、とっても濃い。一般向けにわかりやすく書かれているけれど、中味を咀嚼するにはゆっくり読む必要がある。当然ながら対談ではかいつまんで面白いところが話題になっているので、あっちを読んでからこっち、というのは正解であった。

対談で、この本が世に出た経緯や、ここに込めた著者の思いが語られていた。しみじみ心に残る話だった。「生涯で一冊一般向けの本が書ければいいな、これで研究活動は店じまいにしてもいいやという気持ちで書いた」のが本書だそうだ。そういう気迫が静かに伝わってくる。

つくづく思ったのは、「日本人の伝統」とか「受け継がれてきた日本人らしさ」などという言葉は、よほど慎重に眉にたっぷり唾をつけて聞かないといけないなあということだ。せいぜい明治以降の傾向であったり、中には戦時中くらいに元があるものを「日本人は昔からこうだった」と考えてしまうことがよくあるように思う。清水先生は丹念に一次資料を読み解いていくことで、かつての日本人の姿を浮かび上がらせる。研究者って素晴らしいなあとあらためて思う。

今の私たちからはおよそ「異文化」としか思えない室町時代のありようを知ることで、今現在の「異文化社会」を理解する手がかりになるという、高野・清水両氏の考え方にはとても説得力がある。と同時に、それでもやはり厳然としてある日本の独自性にも目を開かされる。出てから十年にもなる本を今頃読んで言うのも何ですが、いい本でした。

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2015年09月17日

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喧嘩両成敗法――紛争当事者の”理非を問題にせず”双方を処罰するという世界的に特異な法律が、なぜ近世日本に登場したのか。その源流を中世社会に求め、室町から戦国期の膨大な文献から紛争事案を引用しつつ、その時代の人々の心性、倫理観、法慣習を明らかにしていく。
 読んで驚くのが中世の人々の異常な喧嘩っ早さと人の命の軽さ。下人同士のちょっとしたいざこざが大名同士の全面戦争に発展するとか、トラブルの報復のために無関係な周辺住人ごと焼き討ちとか、公道を歩く者(特に女)は誰のものでもないから拉致ってもOKとか、「修羅の国」どころの騒ぎではない。そしてそれらは決して社会規範からの逸脱的行動でも一部の階級独特の規範でもなく、庶民から貴族まで当然かつ正当な行動であった。
 さらに、当時の人々の感覚として、紛争当事者の一方が損害を受けたならもう一方も同等の損害を受けなければ釣り合いが取れないという信念(衡平感覚)や一方の損害はもう一方の同等の損害によって贖われるという信念(相殺主義)が極めて強いかたちで共有されていたこと、さらにその均衡の感覚があくまでそれぞれにとって主観的なものであったことが、状況を一層苛烈な方向へと導く事となる。つまり、紛争により一方が損害を受けたなら、損害を受けた側は損害を均衡させるだけの損害を与えるべくもう一方へ報復を行う。しかし、報復を受けた側がそれを均衡ではなく過剰な報復であり釣り合いがとれないと感じたなら、再びの報復が行われる。さらに報復を受けた側は……と、報復の連鎖はどんどんエスカレートしてゆく。
 こうしてみれば、十七条憲法の「和を以て貴しとなす」に象徴される穏やかで理知的な農耕民族イメージの日本人像などは、ほとんどファンタジーみたいなものだということがよくわかる(ちなみに、室町期よりも古い鎌倉期やさらに時代をさかのぼった古代はさらに好戦的で残酷な記録を多く見ることができるから、ほんまに恐ろしい「修羅の国」なのだ)。狩猟民族で好戦的な西欧人と農耕民族で温厚な日本人といった古典的で素朴なステレオタイプでは描くことのできない中世日本人像がみえてくる。現代の目から見れば、西欧人は西欧人で、日本人は日本人でやはり相応に残酷かつ凶悪なのだ。
 この苛烈な自力救済的な社会規範の中で、紛争を解決する方策として喧嘩両成敗法が成立していく。衡平感覚と相殺主義を前提とすれば、双方の損害が釣り合うことが紛争解決の必要条件だと言える。だとするならば、その釣り合いを強制的に生み出してしまえばいい。紛争当事者のどちらに理がある非があるといったことは完全に議論の埒外において、とにかく双方の損害を一緒にしてしまう。つまり、紛争当事者の両方が等しく処刑されることで均衡をとる。これにより、有無をいわさず紛争は治められ、社会秩序は回復される。喧嘩両成敗法とはいわば、中世の社会秩序を守り維持していくための、ひとつの知恵なのだといえる。
 やがて戦国期、安土桃山期を経て江戸期へと移行するにつれて、こうした喧嘩両成敗は影を潜めるようになる。法の支配と裁判による解決という近世の社会体制が確立していくわけだが、それでも喧嘩両成敗的なものを求める心性はそうそうなくならない。その最たるものが赤穂事件だといえる。忠臣蔵が今でも人口に膾炙しているのは、こうした心性が今の日本人にも少なからず受け継がれていると言えるわけで、そう考えるととてもおもしろい。

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2014年09月20日

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喧嘩両成敗は他国では見られない。
最初に現れるのは駿河の今川氏親の分国法8条にある。

現代の喧嘩両成敗
田中真紀子外相と鈴木議員、
田中角栄の後の総理に大平、福田以外に三木、など。

室町殿とは将軍と同義ではない。前将軍が実権を握っている場合など室町殿と呼ばれる。

中世日本人は切れやすい。笑われて殺傷事件。強烈な自尊心を持っている。
江戸時代は、切腹は武士だけに許された自害方法。室町時代は、女性も僧侶も切腹している。

名誉意識を持ちつつも、怒りを深く隠している=仇討ちにつながる。突然殺害する、など。

復讐行為を法律によって克服する過程=法律進化論『復習と法律』
仇討ちは違法行為ではなかった。自力救済社会故の慣習。法慣習が多元的だった。
女敵討が横行(鎌倉時代は禁止であったにもかかわらず)。違法な行為という認識はなかった。のちに分国法の一部に取り入れられた。

室町時代は個人の命は軽視、死は身近なこと、復習としての自害、誇りや家のために命を捨てることをいとわない。
指腹という習俗=自ら自害した刀を遺恨のあるものに送り付ける。その刀で自害する必要があった。
忠臣蔵は、その指腹を実現しようとしたドラマ。

自害をもって相手に復讐する習慣は、アジアにもある。メラネシアのトロプリアント諸島、明・清の図頼という習慣。死をもって潔白を証明する、など。
一方、欧米では死は敗北を認めたもの、とみなされる。
ことの是非より、どれだけ思いを込めているか、を基準にする。
p51

エピローグ
喧嘩両成敗=白黒はっきりさせず、まるく収めようとする価値観。
痛み分け思想=民法の過失相殺。世界的にはかなり特異なもの。一般には、過失があれば一切損害賠償は受けられない=日本の痛み分け思想、欧米の勝ち負け思想。
明治の旧民法にさかのぼる。オーストリア法典しか見当たらない。
日本人の気質に合致した紛争の解決方法として、正邪の判断より、体面や損害の均衡を重視する痛み分けが必然となった。その延長に喧嘩両成敗がある。

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2021年01月27日

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中世の「喧嘩」に関する処罰のあり方、それに対する人びとの「もっともだ」「やりすぎだ」「足りていない」といった種々の感想を平易に紹介してくれている点でよし。

ただ「喧嘩両成敗」もしくは「喧嘩両成敗的」措置の結果としての構図に執着しすぎ、紛争当事者双方が厳しく処断されることの、そこに至る意味というか、そうする時の権力者の意図が必ずしも正しく顧みられていないのではないかという印象を受けた。

「両成敗」もしくは「両成敗的」措置には、「平衡」「秩序回復」の意味が込められているケースと、私闘というかたちで検断という本来当事者らに行使を許されていない行為を行い、ときの権力者の権利を侵して秩序を乱したことに対する処罰という意味が込められているケースがあるであろうことは、まま容易に想像がつく。

前者後者の「両成敗」はそもそも処罰の次元を異にしている。前者は紛争当事者やそれを見守る世間一般の思いが権力者の口をして語らせているようなものであり、後者は惣無事令・喧嘩停止令に従わない無法を罰する権力の立場が彼自身の口をして語らせているようなものである。

本書にはそれらを「両成敗」を一緒くた(もしくは一報を無視)している印象を受けた。

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2019年02月17日

Posted by ブクログ

日本人は激情型の人種だった。これには非常に納得がいった。それを表に出さず、内に秘めて淡々と復讐のチャンスを窺っている。その通りだ。
柔和な日本人観の裏には憎悪を内に秘めた日本人がいるのである。

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2014年12月16日

Posted by ブクログ

室町~江戸時代の人々の行動様式を知ることが出来る本。

昔の日本人は武士も農民も実はヒャッハーな人達が多かったと知り驚きです。
現代の感覚からしたらその程度でって理由でも簡単に切りつけるし、切りつけられたら当然のように切り返す。
それも当事者にとどまらず身内、同郷であればお構いなしなあたりがすごい。
といっても強者が弱者に切りかかるのは恥ともとられてたらしく、時代劇などでよく見る武士が町人を無礼討ちする話は実はそうはなく、下手にすると指差されて笑われるくらいに恥ずかしい行為になる時もあったそうで、単に野蛮というわけではなく考え方が完全に違っていたようです。
また、復習としての切腹なんてものもあり、日本文化って面白いナーとおもえる一冊でした。

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2013年06月19日

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