【感想・ネタバレ】則天武后のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

則天武后の一生を、その前段である隋末より描く。描写は極めて小説的でありそういった意味で純学術的ではないけれどおかげで最後まで楽しく読むことができた。章立てが細かく、区切りがつけやすいのもそれに寄与している。
唐初の時代背景として、西魏由来の旧六鎮を元とした主流派・関隴集団と、それ以外の非関隴集団との政治力学が種々に出てくる。則天武后は自らの幕下として北門学士といった寒門出身の子士を多く用いたためか。
唐代は律令による三省六部の官制が敷かれたが。中書省は皇帝に近侍する秘書的役割から発展したもので、皇帝の意を体現する。門下省は詔勅の審議を受けるが、これは貴族の意を体現するものであると同時にそういった貴族勢力を政権に組み込むことで政権の安定を図った。
太宗の皇太子争いでは、長孫皇后の子である皇太子承乾と魏王泰と晋王治がいた。皇太子が素行不良により廃嫡され、対抗馬であった魏王泰も相応しくないとされ、晋王治にお鉢が回った。これは魏王泰を推すのが南朝系の者であり、政治の主導権を奪われることを恐れた関隴集団筆頭の長孫無忌が、気が弱い晋王治を擁立することで影響力の保持を図ったためだった。
則天武后は自らが皇帝の位に付く前に、任官に科挙を重視し名門貴族同士の通婚を規制し新たな家格体系を作ることで門閥系貴族の力を抑え新興非門閥貴族系勢力の台頭を促した。また、酷吏により反対勢力を叩き潰し、瑞兆を演出し、仏典から理論を構築するなど入念な下準備をしていた。
唐代の皇室は、北朝系の遊牧民の慣習を色濃く残しているためか、嫡子相続が確立はせず、皇后の地位と権威も不安定で常時置かれていたわけではなかった。そういった時代だからこそ、則天武后が皇帝の位につく事もできたのだろう。しかし、流石に男女同格の気風までは取り除けず、韋皇后は単純に則天武后の後を倣うが失敗している。
唐という王朝は、整った統治機構をもって成立しながら、武后という女性皇帝の登台をあっさりと許した。それを許した大きな理由は、足場としての唐朝の特質、すなわち個人的な人間関係、恩寵的関係を容認する体制上のゆるさ、その上に北族的影響と魏晋以来の時代の空気のなかで形成された女性の強さが重なる、という構図から導きだされる。筆者はここに、漢代までの古代的世界とも宋代以降の君主独裁制が確立する時代とも異なる、中国中世的世界の表象をみてとるのであるが、どうであろうか。

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2021年06月01日

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