感情タグBEST3
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町田康との出会いは高校時代。当時初めて読んだ町田康の小説の印象は正直、意味がよくわからなかった。その独特な文体、独特な言い回しが今ではクセになりそうで。電車の中で読んだら笑いを耐えるのに大変だった。酒を飲みながらならより気持ちよく、爽快に読める本かもしれない。
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自分は家でひきこもってだらだらするんが好きです。
でも、人生前向き、活動的に生きていらっしゃる方を見ていると、自分はあかんのではないか、と思いました。
しかし、この本を読むとそのような考えは吹っ飛びます。人生怠けてええんです。がんばらんと生きよう。
怠けてるわりにパンクの薫りもしますが。
町田入門にはもってこいの随筆集です。
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中島らもをして「この本を読むとあらゆるやる気がなくなる」と言わしめた本。
そしてその通りになる本。
朝10時から時代劇みて焼酎のお湯割り飲んで腹ふり。すごいよ。
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町田康氏作家初期のエッセイ集。
いくつか読んだ氏の小説には、狂った人が多く登場する。ペンキ塗りに才を見出す男(ただしすぐ飽きる)、大きな冷蔵庫を買わない男(飯の予定が組まれてしまうことを恐れて)、呑んだくれのパンク歌手。全部自身の経験に基づいていたんだなあ。はは、やっぱ狂ってる。
善人と悪人とあほとかしこの分析。言葉のビート。最高。
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夏目漱石の「坊っちゃん」は権力者たちの横暴に対し
正義感から怒りの鉄拳をくらわすが
しかし最終的には敗北して田舎町を追われ
東京へと帰っていったのであった
町田康の「へらへらぼっちゃん」は東京に住み
パンクを歌ったり映画に出たり面白エッセーを書くなどして暮らしている
一見、抑圧とは無縁のフリーダムな人生であるが
結局は社会人である、時には卑屈になるし、満員電車にも乗らねばならぬ
なにより生活が不安定だ
それらの鬱屈をはらすべく、頻繁に飲酒をおこなうのだが
酔っぱらうと生来の無鉄砲が顔を出し、損ばかりすることになると
そういうわけである
でもどうにかなる日々
これは小説家デビュー前後、新聞・雑誌に書かれた面白エッセー集
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古本で購入。
つい読んでしまうのじゃよ。なにを。なにをって、あんた町田康です。
てことで町田康の初エッセイ集。
いろんな雑誌に書いてきた文章を集めてるので一貫性みたいなもんは全くないけど、よくまぁそんなことを思いつくなとさすがの町田節に笑ってしまう。
ところどころ語尾を上げて半疑問形にする話し方にイラつくあたりとか、わかるなぁ。
何か説明するときにそんなふうに話す奴がいて「いちいち同意を求めるなボンクラ」と思うことしきりなのだが波風立たぬよう生きる小市民の僕は曖昧に頷きつつ聞いてしまうのだよ。はは。
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こういう感じ好きだなぁ。
なんだかよくわからないけど、読んでるとなんか安心してくるんだなぁ。
この人の小説も読んでみよう。
音楽も聴いてみんければ。
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初めて町田康作品でこれを読んで、好きな文体ばっかですごく興奮したような気がする。同時になんでこんなに面白いのに今迄手ェ付けなかったんだと後悔した、気がする。
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携帯電話で待ち合わせの概念が崩れる話とか、セッティングを買って出てしまうがために結局損な役回りになってしまう話とか、大槻ケンヂ的に言えば「町田康って私に似てる」って感じでしょうか。文体がたまらん。漢。
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まずその文体の面白さ。町田康が書く日本語はなぜこうも面白いのだろうか。言文一致の髄を極めたと言っても過言ではない。加えて、パンク歌手、関西弁というと威圧的なイメージを連想するが、そんな我々の勝手な思い込みとは裏腹に、町田康は非常に謙虚なのである。その腰の低さがどうもに面白い。
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分かりそうで、さっぱり分からん町田康。
なんて堕落した人生を送っているのだろう。
日々のあらゆるしがらみから開放されたい人は是非読んで下さい。
全ての力が抜けていきます。
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町田康の初期のエッセイ集。
若干の初々しさや読みにくさはあるけれど、
町田節は昔からブレてない。単純にあははと笑える。
一日中時代劇を見て、昼間からお酒を飲んで、
まっとうな人から見たらひどい生活ぶりだけど、
こんな時期があったからこそ「告白」や「パンク侍、斬られて候」などの
作品が書けたんだろうなぁ。そう思うと人生むだな経験なんて無いのかも。
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いいと思います。へらへらなぼっちゃんです。面白いとか面白くないじゃなくって、こういうエッセイとか随筆みたいのは、その人の文体に浸かりたい、ただ、文章として読んでたいって、それだけだったりする。(12/7/28)
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『あはは。遊びのイロハもわかっとらん。ハンドルには左右に五度ばかり、きってもタイヤが動かぬ範囲があり、これを称してハンドルの遊びという。』
『財布と魂が連動してませんのよ。』
『すなわち、参る、というのは、「行く・来る」の謙遜語であって、そのアナウンスを聞く度、自分には、非人間的なスピードで疾走する巨大な列車が、謙遜しながら、もじもじホームに入ってくる姿が想像せられて、気色悪くてしようがないのである。』
『電車が参るとは何事だ。ふざけやがって。それを言うなら到着しますだろう、馬鹿野郎』
『なんかぁ、人殺し? みたいなことって、やっぱりやっちゃいけない? って感じ? だから獄門とかになって欲しい? みたいなぁ』
『なんの思案も浮かばぬばかりか、シアンの化合物をお椀で飲んだイワンの馬鹿、それっていやん。』
『そこで自分は、居酒屋に入り、〆鯖を食ってお酒を飲み、すっかり酔っ払って豊かな心でスタジオ入りした。みなの視線が冷たかった。歌うことがなにもないので鯖の気持ちになりきって海のことを歌った。リハーサルが終わって自分は家に帰り、眠り、遊び、怠け、そいで死んだ。』
『むかし流行った森進一の歌の一節に、襟裳の春は何もない春です、という一節があったが、JR南武線津田山駅駅前は春夏秋冬問わずなにもない。』
『つまり、ヘロインやLSDなどの薬品を摂取することによって、つまらぬ日常の風景や意識を変えてみようと思ったのである。ええっと、ヘロインはどこにしまったっけな、って、馬鹿、馬鹿、馬鹿。そんなものは家にない。』
『月にまあ一度。多くて二度。自分自身が、虫けら同様の、とるに足らぬ卑小な存在に思えてくる。情けなさのあまり、口惜しさのあまり、死にたくなる。』
『すいません、すべてわたしが悪いんでございます。はい、申し訳ございません。はっ、六尺の躰を七重にも八重にも折ってお詫び申し上げます』
『自分はいま心の底から反省している。しかし反省などということがいったい何の役に立つだろうか。』
『言葉は、音に、色に、そして、匂いにとけ込んでいるからね。』
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町田康初エッセイ集、とあって『苦虫』エッセイよりもアクが濃い。
はっきりいって読みにくい箇所も多々あるけれど、笑うところももちろんあった。
1日に時代劇を5本も6本も観ていることが何回も繰り返し書かれていておもろ。
MVP:携帯用の銀の取っ手付魔法瓶をかざして御用だ、って捕り方の真似をする町田康
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後半ちょっと飽きたなあ。
でもこんなに堕落しても堂々としていないことを堂々としているというか、
ちまちました自分に対する潔さみたいなのがあって
痛快。
語り手が真面目であればあるだけ、笑ってしまう。
そして、自分で自分を笑う、悲しさ。。あきらめ。。
自分なんてちっぽけだしね、
くよくよ悩んでる自分を笑ってみたり、またくよくよ悩んだり、
時々運良くいい感じになったり。どーでもよかったり、よくなかったり、
でも著者は努力してると思うけど。
著者なりの努力って言うか。
遊ぶのも大変って言うか。
自分で自分の時間に納得するのに、実は普通より厳しいとか。
こんなに堕落してるぜって言っててもさ、作品で食っていける勝ち組じゃん。
おもろ。
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ものすごく忙しくてイライラしたとき、疲れきってて何も考えたくないとき、読むとなんか落ち着くとゆうか、あほらしくなるとゆうか、はは。
四天王寺近辺に住んでるもので、四天王寺〜天王寺動物園〜新世界の描写が個人的にお気に入りです。