【感想・ネタバレ】アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬのレビュー

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Posted by ブクログ

第二次大戦中、ユダヤ人ら100万人以上が殺された収容所アウシュヴィッツに、自ら捕虜となって潜入した1人の男がいた。ポーランドの軍人ビトルト・ピレツキ。彼の目的は、収容所内を調べて、秘かに外部に情報を送り、ナチスの非道を世界に知らせること。そして、収容所内で抵抗グループを組織し、内部からの収容所解体を狙うものだった。

彼は、どうやって収容所に潜入したのか。劣悪な環境をどう生き延びたのか。その疑問に答えるように、膨大な資料をもとに日本人研究者がまとめたのが本書だ。ユダヤ人収容者とは異なる目線で内情をつづっている点が興味深い。

彼は、収容所内で書いた報告書でこう語っている。「私は、石でも木でも無く感情を持つ人間だから、時には生じた事実に対して、思いや感情を率直に記すこともある」。家族との思い出や感情の機微が記された文章からは、彼の人間性が感じられる。

彼は収容所を脱獄し、詳細な報告書を書いて世界を驚かせた。戦後はソ連の傀儡政権への抵抗運動にも参加。彼の歩みは戦中はナチス、戦後はソ連に翻弄されたポーランドの悲しい歴史を物語っている。

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2021年05月24日

Posted by ブクログ

祖国ポーランドを愛して、自らアウシュビッツに収容されたピレツキ。そこで行われていることを外部に知らしめ収容所の中に抵抗の地下組織を作っていく。一切の自由がないイメージのアウシュビッツで組織を作っていたことに驚いた。
脱走しポーランド亡命政府の将校としてワルシャワ蜂起などに関わっていくが、ソ連に支配されたもう一つのポーランド政府によって捕らえられ処刑される。
彼の壮絶な生き方を通して、この時代のことを知ることができました。

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2022年01月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ヴィトルド・ピレツキ。
この本を読むまで知らなかった。
アウシュヴィッツ強制収容所に潜入し、内部状況を外へ伝え、内部組織をつくり、脱出。
その後、社会主義化していく祖国で罪人として処刑された。
彼の罪が無効なものであると、名誉回復がなされたのは1990年以降のことだった。
大国の思惑によって左右されてしまうという現実が如実に書かれていた。

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2016年01月27日

Posted by ブクログ

 右であろうと左であろうと、全体主義を突き進めていくと似たようなもので、「自由を享受する」という観点から見れば、その理想とは程遠い世界となっていくのだろう。ピレツキは結果的にその両方に抗う形となり犠牲となった。
 本人の記述ではないため、客観的な書きぶりとなっていた。

 「自由を享受するという理想」については、これからも考えていきたい。

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2015年11月18日

Posted by ブクログ

ヴィトレト・ピレツキ。その名前を知る人はほとんどいないだろう。
ポーランドの闘志で、自ら選んでアウシュビッツ収容所に入り、収容所の中からその窮状を世界に知らせようとし、約2年半後に脱走をするという驚きの活躍を見せた人物である。その後ナチス配下でのワルシャワ蜂起にも参加している。しかし、終戦後に祖国ポーランドの親ソ連の共産主義政府に抗して反対組織で闘ったために捕らえられ、裁判にかけられて処刑された。

本書はその激動の時代に信念に生きた人生を追っている。
前半はアウシュビッツ収容所の時代。収容者の中での階層があり、管理者であるカポや副カポとなることが重要であったことは実体験も交えて描かれている。また、収容者から家族への手紙が出され(検閲はもちろんあったが)、収容者へ家族からの贈り物が届けられていたという事実も意外である(ユダヤ人収容者とは違うのかもしれない)。TVのドキュメンタリにもなった収容所の中のオーケストラや、自らの命を身代わりとして差し出したコルベ神父などの話などは胸に刺さる。アウシュビッツからの脱走劇は高揚するものがある。

後半は、ワルシャワ蜂起とポーランド政府との闘いと処刑に至る裁判が続く。「三度死ぬ」は、アウシュビッツ、ワルシャワ蜂起、そしてポーランド政府の政治犯として三度の死が迫ったことを示す。三度目は彼の命を実際に奪ってしまった。ポーランド政府から受けた拷問について「ここでの拷問に比べれば、アウシュビッツなど子供の遊びだ」と言ったとされる。祖国から受けた仕打ちであることを考えると彼の受けた痛みは想像するに余りある。

ポーランドで汚名を着せられたピレツキのその名誉は1990年の共産圏の崩壊による政府交代により回復された。

アウシュビッツを含む絶滅収容所の収容者の心理を描くものとしてはV. E. フランクル『夜と霧』やプリーモ・レーヴィ『アウシュビッツは終わらない』の方が深いが(彼らのものが自伝であるからでもある)、その後も含めた東欧の暗い歴史に対する重みのある本。

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2015年08月30日

Posted by ブクログ

かっこいい男がいたもんだ。
久々に、惚れた。
かっこいい人だわ。

今ウクライナがロシアに侵略されてますが、
ポーランドも他人ごとではないのです。
ポーランドよりもマイノリティなウクライナ、
実を言うとポーランド人はウクライナ人が嫌いで、
ウクライナ人もポーランド人が嫌い、
それより嫌いなのがユダヤ人。

16世紀ポーランドの国王は、税収増を見込んでユダヤ人を優遇、その結果ポーランド周辺にはユダヤ人が多い。
1930年代、ポーランドは、西の全体主義国家ドイツと、東の全体主義国家ソビエト、
どちらも追い払えるほどの国力はない。
独ソ不可侵条約により、ドイツはポーランドの西側、ソビエトはポーランドの東側を占領。
その時東側にいたポーランド軍将校、政府関係者をスモレンスク近郊のカチンの森で処刑した。
当時、ポーランドの諜報能力の高さは有名だった。
リトアニア領事で、ユダヤ人6000人にビザを発給した杉原千畝氏の諜報能力も際立っており、ドイツがどれくらいソビエトと戦えるか、ヨーロッパの戦線が終われば日本にソビエトは総力をあげてくる。アメリカが参戦するかをポーランド軍将校相手に諜報活動をされていた。

ドイツがポーランドを消滅させ、ドイツが敗退後、確実にソビエト赤軍がポーランドを赤化し、ソビエトの属国にする、
ピレツキの分析能力の高さ、軍人としての能力の高さ、人間力の高さには、惚れ惚れするくらい感服する。
ドイツがポーランドのオシフィエンチムにドイツ語でアウシュヴィッツ強制収容所を開設、ハインリヒヒムラーが視察に来て、沼地のオシフィエンチムは強制収容所を開設するにはぴったりの土地だと、ハンスフランクに開設を急がせた。
ソビエト軍捕虜を使い強制収容所は開設されたが、
当時、アウシュヴィッツではなにが行われているか、分からないが噂では虐殺が行われているという噂がポーランド国民軍の耳にも入ってきた。
多くのポーランド人が逮捕され連行されている。
ポーランド国民軍は、ポーランド国民を守るため、アウシュヴィッツに潜入することを決め、ヴィトルトピレツキは、潜入することにした。

ドイツは、ソビエトとの不可侵条約を破り不意打ちでソビエトに侵攻し、思わぬ大量にソビエト軍捕虜を受け入れなくてはならなくなり、その処遇に困り、やむを得ず、「絶滅」させることになった。
その時初めてチクロンBを使うことになった。

それからあの恐ろしいガス殺が始まり、
ガス室から焼却炉に移すのが面倒だから、ガス室と併行に焼却炉を完備するビルケナウ絶滅収容所をアウシュヴィッツの30キロ先に作る。

アウシュヴィッツは、一つと思われるし、また絶滅収容所と思われているが、アウシュヴィッツは、あくまで労働収容所、

Arbeit macht frei
働けば自由になる、
アウシュヴィッツ第一収容所。

Tod macht frei
死ねば自由になる、
アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウ。

ピレツキは、自分の身を偽り潜入し、約2年アウシュヴィッツで過ごしたが、自分の身に危険が迫りアウシュヴィッツを脱走。

ようやく終戦、ポーランドを解放したソビエト赤軍は、最初は解放者として歓迎されたが、1年もしないうちに暴政が分かり、ポーランド人は落胆していく。
ポーランドは、共産化したのだ。

共産国になるポーランドを認めないピレツキは、共産党政権のポーランド、祖国に見せしめとして処刑された。

今どきこの様な完璧な人はいるだろうか?

ソビエト、ロシアには中途半端に妥協して和平交渉してはいけないのだ、
虫の居所により簡単に他国を裏切る。
簡単に戦死者以上に人を殺すのだ。

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2022年04月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ポーランドの英雄、ピレツキの伝記。自ら志願してアウシュビッツに入り、地下組織をつくり脱走。そこでの詳細な記録は、アウシュビッツの実態を生々しく伝えるものになる。オーケストラが優遇されていた話や、クリスマスには少し気を緩める話など、殺戮の残忍さをさらに際立たせるリアリティ。その後、ワルシャワ蜂起に参戦する。自ら祖国ポーランドを守ろうとして、結果、敵がヒトラーからスターリンになっただけ。見せしめ裁判で拷問、死刑にあい、彼の業績が声優として認められたのは、ごく最近であった。まったく知らなかった事実に触れることができる一冊でした。

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2015年09月07日

Posted by ブクログ

私たちの実現した社会体制は、それが一見民主的に実現されたように見えたとしても、または、大きな敵から私たちを守るために構築されたように見えたとしても、歪んだ指導者、歪んだ思想のもとでは、独裁制となんら変わることがない悪になりうるということ。

ナチスドイツによるポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦の中で、最も忌むべき戦争犯罪の一つは、アウシュビッツ収容所に代表されるユダヤ人の虐殺。
そのアウシュビッツは、ユダヤ人虐殺の舞台となる前から、ナチスドイツに抵抗するポーランド国民を収監し、打ち殺す場所であった。

その、アウシュビッツにおいて反ナチスドイツの抵抗勢力を組織し、抵抗戦線を構築すること、そして、収容所でなされる悪を暴くために、潜入を志願した者がいた。
本書は、ポーランド軍大尉ヴィトルト・ピレツキのアウシュビッツへの潜入の記録から始まる。

ヒトラーの死、ナチスドイツの崩壊によって、ヨーロッパでドイツとの戦いは終わる。
しかし、英国、米国連合軍が、ソ連を連合軍の有利になるように参戦させるために、スターリンの前に投げ出した、ポーランド国民にとっては、戦いは終わらなかった。
その闘いにも、ポーランド国民、そして自らの自由を求めて戦ったヴィトルト・ピレツキは、ポーランド政府によって殺害され、名誉は剥奪される。
そして、その名前はソ連共産主義が崩壊するまで、表舞台に登場することはなかった。

1990年ポーランド司法は、ピレツキを死刑とした判決について、無効とするとともに次のように故人の名誉を回復させる。『ポーランド国軍 騎兵大尉 ヴィトルト・ピレツキは、あらゆる軍人が敬すべき我が国英雄の一人である。我々は、ドイツ人、ロシア人と同罪である。我々の手で、我々自身の英雄を抹殺してしまったのだから』

本書は、失われたヴィトルト・ピレツキの名を私たちに紹介してくれるとともに、最後の一文によって、今の日本に足りないものを示唆してくれているような気がする。

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2015年08月30日

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