感情タグBEST3
Posted by ブクログ
2021/06/17
これを読んだのは2回目。初めて読んだ時には文章のキレの良さにページをめくる手が止まらなかった。こんなに自由な小説があってもいいのか、と感動していた。しかし、それより先には進めず、この本で著者が言わんとしていることはまったくわからなかった。内田樹による解説を読んでも、あまりピンと来なかった。この小説の魅力に取り憑かれはしたが、それは言葉とか形式の面でだけであって、内容に関してはわからずじまいだった。
今日、改めて読むと、それが少し見えてきたような気がする。が、なんというか、やっぱりまだ距離があるような気もする。内田樹の解説によれば、この小説の主題の一つは「暴力的なもの=邪悪なもの」なのだが、いまの私はそれをあまりよく知らないか、あるいは直視していないからなのだと思う。それに、内田樹が解説で提示していた、その時代の空気みたいなものを私はまったく知らない、というのもある。でもまあ、それでも著者のいう「むき出しの憎しみや怒り」といったものの一端は見ることができたように思う。ぜひともまた読みたい。
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面白かった。
面白かったのだが、大きな声で「面白かった」とは叫べない。
なぜなら「何が書かれているのか」が理解できなかったからだ。
遠慮がちに「面白かった」とつぶやく程度が関の山なのだ。
たくさんの暴力にたくさんの死躰(死体ではない)で溢れている作品であり、たくさんの肉体的苦痛にたくさんの精神的苦痛に溢れている作品である。
そして、たまらなく悲しい作品である。
全共闘世代の人が読んだら、もっと理解できるのかもしれない。
まぁ、理解できなくても、感じることはできる。
だから「面白かった」とつぶやいても、許してもらえると思う。
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高橋源一郎が、「デビュー作にしたかった」「自分の中でひょっとしたら一番の作品かも」というだけある、記念碑な作品。
おそらく、「変わったボール」を取り慣れない読者は、この作品を受け止めることが出来ずに「ただの気持ち悪い文章」だと思って投げ出すだろう。
すばらしい小説には全てがある。エロも、グロも、哲学だって。
リアルなものはあらずや?
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20080311
一月もたってしまった。。それもこれもオースターの原書のせい。しかも読み終わってないし。
やっと読破!このひとの日本語のつよさはなんなんだろうか?詩?わたしの名前は「リボンの騎士」初版本です。それにしても内田樹の解説がキレがよすぎて感心した。あたまいいなー。しょうせつってこうやってよむんですね。
色々考えないうちに解説よんでしまった。読み返したい。
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高橋源一郎の幻のデビュー作らすぃ。描写から鼻のつく強い腐臭を感じるのはこのひとか村上龍ですな。若さがあふれてなんかイテテテテってなります。ポストモダンっていわれてるけど、彼の描くテーマは普遍的な気がするし、哀愁を感じる文体は19世紀のレトロな印象も。。。とにかくすごい。「すばらしい日本の戦争」を癒す?話なのだが、すべてがばかばかしくって支離滅裂。でもそれがいいたいことなのかもって思ったらうまく術中にはめられた気がして気持ちよかったです。
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高橋源一郎、幻のデビュー作。
第一作として群像新人文学賞に応募して落選した『すばらしい日本の戦争』を少し書きかえて発表したもの。
僕個人的には『さようなら、ギャングたち』の方が完成度が高い気がするが、この作品も充分に素晴らしい。
『さようなら、ギャングたち』に劣るとは言えど、これは彼のデビュー作だ。
それを考えると、こんな作品をデビュー作でかける高橋源一郎はやっぱり天才だと思う。
『ギャングたち』にせよ、この作品にせよ、一度読んだだけでは完全に理解することは出来ないし、味わうことも出来ない。
『ギャングたち』の場合は、読み進めながら、加藤典洋の解説を読んで、読み進めて、理解して、味わって、もう一回解説を読んで、もう一回読み直す。それでもまだ足りないし、味わいきれない。
今回は内田樹が解説を書いているが、今回も同様に、本文読んで、解説読んで、本文読む。
それによって、面白さも、感動も、美しさも倍になる。
『ギャングたち』にせよ、『ジョンレノン対火星人』にせよ、アレゴリーっぷりが半端なく、そのアレゴリーっぷりを少しずつ理解し、紐解いていくとやっぱり、どう考えても、究極の私小説だなって思う。
内田樹も書いているが、学生運動(全共闘)のリアルな生き残り(実際高橋は学生運動で逮捕され、拘留中され、その時に失語症に陥っている)としての高橋源一郎による、もはや宿命的な作品であると言える。
彼がいかに小説(文学)を愛し、言葉を愛し、そして、愛するがゆえに苦悩し、苦闘して出来上がった『さようなら、ギャングたち』と『ジョン・レノン対火星人』。
これを読まずして、「小説を読んだ」とは言えない。
てか、言わせない。
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理解不能な「ジョン・レノン対火星人」というブロックサイン。相手チームにそのサインが読まれることは無い。だけど仲間にもそのサインは解読することができない。サインが読めないうちに対戦相手の左ピッチャーは苦手な「肩口から入ってくるカーブ」を投げ込んでくる。僕らはどうすればいいのか?同じように死体を描写した手紙ばかりよこす「すばらしい日本の戦争」と僕らはどう向き合えばいいのか。義人は自らの受難をもって救済をなす。
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入手方法:池袋のJUNNKU堂。「虹の彼方に」勉強会に備えて。
露悪趣味、で片付けてしまう人は多いでしょう。
しかしではなぜわざわざ露悪をするのか。
数々の名前を持つ「手淫」をわざわざ「手淫」と表記する作者は、まさに独房の前の住人に死体の描写を送りつけ続ける「すばらしい日本の戦争」そのものです。
そのものは、悲しみでできています。
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ナンセンス小説と言えばいいのか。
形容し難い。作者独自の文体と固有名詞の洪水に酔うしかない。
これが、60年代なのか、60年代とは。30年代とは。90年代とは。終末思想。死体。
30年代、60年代、90年大門の30年周期、と考えると、2020年代は終末思想が蔓延するかもしれない、とか思った。テスラ、Twitter、ロシア、温暖化、プラスチック。
オチから逆算すると、なぜ我々は死体が見えないのか、という疑問に突き当たる。死体は本来そこら中に転がっているはずだ。ただ、それは見えないように巧妙に隠されている。もしくは、我々が見えないふりをしているだけだ。死体がなければこれだけの物質は生産されていない。死体がなければこれだけの思想は生まれていない。死体がなければ、生者は存在できない。
読んでいて頭がおかしくなりそうなのに、読むことをやめられない。これが小説なのだと言われればそうだし、こんなものは小説じゃないと言えばそれもそうだし。
痺れた。
Posted by ブクログ
「性の深淵について君と語り合いたいのだが」
「ええ。七十分で二万円頂くことになっているわ」
「もちろん、語り合うだけではすまないかも知れない。それが深淵の深淵たるゆえんなのだが」
「その場合には三万円頂きます」
『「ねえ、ヘンゼル」
グレーテルはお兄ちゃんのベンゼンの躰の上に乗っかって、フェラチオをしながら言いました。』
『わたしのママは日本で一番古い私立女子校フェリス女学院を戦争中に卒業し、現在は「エホバの証人」のパンフレット販売人、つまり、例の「魂のヤクルトおばさん」なのだ。』
『わたしたちの手の中で勃起した陰茎は、志村けんがずっこけ、わたしたちが吹きだす度にしぼんでしまうのだ。おそらく性交中の人間の表情が苦痛に充ちているのは性欲を減衰させないための生物学的配慮なのだろう。』
『おれは思うんだよ、あらゆる獣は翼手竜の末裔なんだ。それは進化じゃなかったんだ、これが大切なところなんだ。
羽根は退化して手になっちゃったのさ。
哺乳類は飛ぶことを忘れて四つ足になっちゃったんだが例外が二匹だけいた。
カンガルーと人間がそうだ。』
『親愛なるエホバ様、
「義」が「性交」でないのは確かなようです。
報告、おわり。
追伸、わたしはあなたがきらいです。』
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読みながら主題がわからないとずっと思っていた.フットワークの軽くテンポのいい文章は読んでいて面白いが,巻末の内田樹の解説を読むまで正直言ってさっぱりわからなかった.
主題を容易に理解できなかったのは(読解力不足はもちろんだけれど)過激派の時代とあまりにかけ離れていた日々を過ごしてきたからかもしれない.解説を読むまでこうしたことをほとんど理解できないかったことに怖さを覚えた.みんなそうなら,これから危ないのかもしれない.
Posted by ブクログ
面白かったのは間違いない。
でも何が何のメタファーだとか、何に対するメッセージであるとかは正直わからなかったし、わからなくてもそれでよかったんじゃないか、と思う。
悪趣味なはずの描写に潜むリリシズムにやられっぱなしで、ところどころ読み返しながらわからないまま面白く読み終えました。
さようなら、ギャングたちももういちど読みたい
Posted by ブクログ
再読。すらすら読めておもしろおかしくもの悲しい。怒りというかなにかが伝わってくる。なんの理由もないのに出所したばかりのテータム・オニールの陰核が男たちによって切除されとこなんかすごく痛ましかった。でもそこがすごくいい。
よかった。
Posted by ブクログ
高橋源一郎幻の処女作。顰蹙を買うような作品にしようと思って書いたら本当に顰蹙を買ったそうな。
確かに下品で猥雑でふざけた小説だと思う。なぜ引き込まれてしまうのだろうか。
後半、悲しいままに終わる。後味は悪くない。
Posted by ブクログ
怒りと憎しみに満ちた過去の葬送。ほとんど詩の詰め合わせといった感じだった『さようなら、ギャングたち』と比べると、ストーリー性は高い。しかし、これほど説明するのが難しい小説ってそうはない気がする。
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『さようならギャングたち』と同じ様で実は意を別にする作品。(やはり作者もあとがきで触れていた)
直線的なエロとグロの洪水が様々な言葉で襲いかかってくる。ナンセンス系は割と冷めた目で読んでしまうが、あまりにおかしすぎて笑ってしまった箇所もある。
主題以上にもっと理解してあげたい楽しい作品だった。
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さよならギャングの高橋源一郎の作品。ひさびさに触れたが文節では理解できるがトータルでは実験小説のよう。奇しくもビートルズのレボルーションNo.9のような小説。
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いかにもあの時代にあのカテゴリーにいた人が書いた文章って感じ。
あの時代にこういう作品が発表されたっていうこと自体に価値があるんだろうけれど、時を経ても読み継がれていくべき普遍的なテーマを持つ作品かというと甚だ疑問。
節々に垣間見える才気の断片から、生まれた瞬間に放った輝きはものすごいものだったんだろうと想像できるけど、今読んでも当時放っていたんであろう輝きを本当の意味で感じることはできない。んだと思う。
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この作者が私の大学に特別講義に来ていた時、私は食堂でパイタンラーメンを食べていた。
パイタンラーメンを食べながら「なぜにパイタンラーメンは夏の間はお休みなのであろうか、こんなに旨いのに」と考えていた。
パイタンラーメンのスープは豚骨ベースなので別メニューの「豚骨醤油ラーメン」に似通った味ではあるのだが、パイタンラーメンにはそれとは異なる謎のこってり感があり、ラー油をたらした時にはもうとても旨いんです。その謎のこってり感の正体が夏には向かない素材なのだろうか、一体何なんだろうかと考えていた。私はその頃高橋源一郎は名前しか知らなかったので、講義よりもパイタンラーメンの謎に夢中であった。後日講義に集積した友人に聞いた所、「文学以外何でも」と銘打たれたその特別講義の後半30分は、高橋氏のお気に入りラーメン屋の話だけが展開されたらしい。その数日後、この本を読み、件の講義に出なかった事を悔やんだ。
Posted by ブクログ
いままで読んだ高橋源一郎の小説の中で、
2番目に面白かった本。
68ページの
「ヘーゲルの大論理学」なる人物が
「突発性小林秀雄地獄」なる病気を
発症させる部分が好き。
こういう文章が出版されている事実に
とても自由を感じる。