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Posted by ブクログ
世の中がどうあるべきか、どういう政体であるべきか、たまに考えることがある。
目の前の様々な問題を見ると、もうどうにもならないのではないかと考えるのをやめたくなることもある。
そんな時に、指針を示してくれるのは、先人たちの遺産だと私は常に思っている。
こういうことを、それこそ人生をかけて考え抜いてくれた偉人たちの考えを学ぶところに立ち返る。
それによって何か得られるのではないだろうか。
ということで、手に取ったのが「大人の道徳」だ。
ちょっとまだ自分のなかで咀嚼しているところだが、
要は、
・学校教育における道徳とは、いわゆる心の在り方ということではなく、
民主主義や市民社会の前提となっている考え方・ルールであり、
それを子どもに叩き込むことで市民に育成することが、道徳教育である。
・いまの民主主義には、主権者側からみた「共和主義的民主主義」と、市民側からみた「自由主義的民主主義」がある。
・現代日本にとっての主権者はアメリカであり、日本国民はホッブズ的市民に過ぎず、
古代ギリシャの民主主義から見れば奴隷的である。
という内容だと理解した。
これらの内容は、むしろ今までの議論の歴史をわかりやすくまとめたものであり、著者の考え・理論は少ない。
そして、理想論とはいえ、あまりに現実的ではないだろう、と思わなくもないのも確かである。
だから、まずは本書で考えを整理して、そのうえで思考を積み上げていけばよい。
そう思わせる一冊であった。
Posted by ブクログ
難しいことをこんなに分かりやすく文章にできる手腕に感動する。ルソー、ロック、ホッブスの違いの章の気持ちよさったらない。頭が解きほぐされて行く快感。
Posted by ブクログ
大人になることはどういうことか分かった。
大人になるとは、自然の傾向性に逆らえるようになること、そして、理性的判断から導かれる普遍的道徳命令に従うこと。
自他の命や財産の保護のために戦う側になること。
近代国家成立の前提からして、大人になることは有無を言わさぬ義務であること。
大人になるにはどうすればいいかは書いていない。そういう本ではない。
"近代の学校という教育制度は、すべての人間に合理的な思考の訓練を施し、民主主義の国家の政治を担う市民と、産業主義の社会の経済を担う労働者であるために、必要な知識や道徳を教える制度として、存在しています。けれども、それらはすべて、たんに手段であるにすぎません。それじたいが目的ではないのです。国家が独立することじたいが、近代の目的なのではありません。民主主義じたいが目的であるのでもなく、ましてや、経済の成長や発展が目的であるのでもありません。ほんとうの目的は、これらによって維持される、人間の「栄誉」なのです。人間が「栄誉」を獲得し、それを守り抜くということこそ、近代と、近代の学校教育の、ほんとうの目的なのです。…
では、「栄誉」とは何でしょうか。それは、服従を恥じること、そして独立であろうとすることにほかなりません。すなわち、カントが人間の「尊厳」と呼び、ルソーが市民の「自由」と呼んだもの。それが、福沢が「栄誉」と呼んだものに、ほかならないのです。"p279〜280
大人にならなければならないという意識からこの本を読んだはずなのに、栄誉や尊厳を最上とすることに何の意味があるかと考え始めてしまう。それこそが自然の傾向性を最上とする私的自由主義に自分が取り込まれていることの証左ではある。おそらく根本的価値観の問題である。自然の傾向性に逆らいたければ、どうにかして根本的に価値観を転倒するしかないということ。
道徳には正当な根拠がいると思っていた。しかし、カントですら要約すると「ダメなものはダメ」としか言ってないというのは、ある意味励みになる。