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潜伏キリシタンは命がけで信仰を守り通したという「物語」は世界遺産登録で一層浸透している。しかし潜伏キリシタンが信仰したものは、キリスト教というよりむしろ伝統的な神仏信仰、もしくは土着の先祖崇拝に近いものだった。教えを伝える「専門家」がおらず、聖書のような「聖典」もない状況では、教えも儀礼も変容してしまうという指摘。丸や(マリア)や出臼(デウス)、オラショなどの「入れ物」は残ったが、信仰の本質は失われていた。
現代日本のキリスト教徒に比べ、戦国時代のキリシタンの数がとても多いのが不思議だったが、お殿様に命じられてよくわからないままキリシタンになった農民たちがほとんどだったというのに納得。大名や武士などのインテリ層が力と幸運に惹かれてキリシタンとなったが、その多くは望んだ幸運が得られなければすぐに方向転換した。むしろ農民のなかに形としてのキリシタンが残っていった点が興味深い。これを著者は先祖崇拝と位置付ける。
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禁教の時代に仏教を隠れ蓑にして命がけで信仰を守り通したとされる潜伏キリシタン。
しかし導く者もなく、日本人には馴染みのない用語も多い教えを、識字率も高くない平民が正しく伝え信仰していたのだろうか。
信仰を否定するものではない。彼らがどういった経緯でキリシタンとなり、何を守ってきたのかを紐解いていく本だ。
禁教が解かれ宣教師と邂逅し、正しいカトリックの教えに帰った者たちもいる。が、先祖からの教えをそのまま受け継ぐ者もいる。
潜伏キリシタンとカクレキリシタンの違い、オラショの解読、信仰の対象となったものなど、実に興味深い内容だった。
ただ、最終章の「日本ではなぜキリスト教徒が増えないのか」というのは少し疑問。
新興宗教団体の人数の増加を挙げてこれだけ世間に受け入れられているというが、そうではないように思う。
それこそ家族が引きずり込まれるからだろうし子供は否応なしに入れられるからなのでは。
敬虔で教義がそのままでなければならないという厳しいイメージがあるキリスト教が受け入れられるためには、日本人の先祖崇拝を受け入れて土着化が必要とあったが、それこそキリスト教とは異なるものと著者が提示したカクレキリシタンの姿なのではないのかと思う。
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中学校の授業で習うだろうか、隠れキリシタンというこの名前。本書の題名にある潜伏キリシタンである。どこなく何か事情ありなことを思わせるこの名前には、江戸時代における激しい迫害を思わせ、また何かしら悲しみとロマンに満ちた哀愁を感じさせるものがある。そして、誰もがなんとなくわかった気になってその名前を留めおく。
本書は、そうしたごくごくありふれた認識に対して、本当はどうなのかという問いを具体的な事実に基づいて掘り下げたものである。
日本人の信仰心、伝統的な神々に対する認識、そうした全面的な理解とともにこのキリシタンを相対的に位置づけたところに、読者に対して新たな発見を促していく。興味深いと思った。
折しも、長崎県下のキリスト教関連遺産が、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として、世界遺産に登録されたところであり、一読の価値はあろう。
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長崎のキリシタンに関する遺産が世界遺産に登録されたが本当に世界遺産にふさわしいのか。隠れキリシタンが禁教期の厳しい迫害にもめげず信仰を守り通し、禁教が解かれた時に来日した神父に巡り合っただとか、観音様に偽装したマリアを大切に拝んでいたとか、そもそも異なる言語の宗教を当時の日本人が命がけで信仰を守るほどしっかり理解していたのか疑問だったが、本書でよく理解できた。外来仏教を取り込んで自分たちの宗教に変容させたように、キリスト教さえも「仏教の新しい神様」として受け入れていた。先祖伝来・先祖崇拝の対象であり、キリスト教の精神を深く理解していたわけでは無いという説明は腹落ち。いまだに「カクレキリシタン」はいらっしゃるが、カトリックでもプロテスタントでもなく当然ながらキリスト教の教会に行くわけでもない。「先祖からの伝承を捨てるわけにはいかない」という信心に依っている。
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隠れキリシタンという一般に思われているような敬虔な殉教者のイメージは、禁教が一巡するとその後の世代には継続されず、一般の信者は教義を知ることなくただ先祖が敬ってきたという前例を踏襲してきただけである。それゆえ今でもカクレキリシタンというクリスチャンでも隠れキリシタンでもない宗教(?)が存在する。
ポルトガル人による鉄砲伝来とともにキリスト教が日本に上陸し、その貿易の魅力から多くの有力大名がキリシタンとなって、強制的に支配下の住民をキリスト教徒にした。その数は日本国民の3%にもなり、現在の0.8%よりも大きい。ただ、司祭の数も少なく、彼らの言語能力は限定的で日本人の助けを借りなければならず、末端まで教えが浸透しなかった。
秀吉の禁教令から、向かい風に変わり徳川幕府の徹底した禁教で1644年最後の日本人司祭が殉教する。その後は誰も教えることなく、地下にもぐるが、その実態はキリスト教とは言えるものではなく、神仏習合の上にキリスト教が乗っかった現世利益と先祖崇拝を重視する日本的宗教に変化したものだった(例:マリア観音)。
オラショはもともとポルトガル語混じりで意味不明であったと思われるが、さらに端折られて呪文化した。また葬式の時だけ祈るようなものとなり、葬式仏教と変わらないような状況にもなっている。