【感想・ネタバレ】食の人類史 ユーラシアの狩猟・採集、農耕、遊牧のレビュー

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Posted by ブクログ

アジアやヨーロッパで展開してきた狩猟採集や農耕の歴史を、自然環境や植生などとからめて描く。地理学、考古学、人類学、etc.多岐にわたる内容で、ものすごく濃厚。農耕、狩猟、採集とはなんぞ、ということを勉強できる一冊。

完全に農耕だけに頼る文化はいまだかつてこの世に存在していない、というのは普段あまり考えたことなかったから、目から鱗だった。

あと、終章で和食がユネスコの無形文化遺産になったことに触れつつ「和食の再認識は、じつは日本の風土の再認識でなければならない」と指摘している。まさにその通りだと思う。

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2018年05月28日

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森川海の連環、狩猟・農耕・牧畜3つの生業の関わり。食を巡って自然がどう手懐けられ、その自然と人の関わりが人の歴史をどう動かしてきたか、大きな視点で整理されている。

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2021年12月06日

Posted by ブクログ

「教養」とはこういうものかを実感できる書である。
サル学や現代政治における民族問題もそれぞれ興味深いが、本書を読むとそれら一見別個の研究の繋がりが見えてくる様な考えを持つ。
ヒトは何処から来て何処へ行くのかは、誰しもが一度は考えたことのあるテーマだが、本書を読むとその想いが一段と高揚するように思えた

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2019年02月15日

Posted by ブクログ

ざっくりした感想は、ホモサピエンス全史を食に絞って書いたような本だな、というもの。社会の授業中に資料集を眺めまくり、民博に喜び勇んで行くタイプなので個人的には好き。
ユーラシア大陸の食事情がどのように発展していったのか、風土や周りとの関係がどのように影響を与えていったのかを紹介しつつ述べられていた。

個人的に印象強かったのは
・インド人がベジタリアンなのは人口密度が昔から高めだったため、環境負荷のかかる肉食を避けようとしたためでは。宗教の戒律は後付けでうまれたのでは

・モンスーン気候の東アジアでは稲を育てつつ周辺の野生動物(主に魚)を食べていたため、自然崇拝や多神教、天然物をありがたがる心が育まれた
一方、欧州など西アジアでは家畜化した動物からタンパク質を摂取しているため、神が人間に必要なもの全てを作ったという一神教が生まれた


同じ内容が繰り返し出て来たため、少々冗長に感じてしまったのがちょっと残念。


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2024年02月24日

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この途方もない地球の歴史と、途方もない人間の欲求

狩猟採集、農耕、牧畜(遊牧)の起こりや、各々のふしぎな相互関係に触れつつ、
この地球のとても複雑な自然史と文化の要約を通して、人間の営みを省みる1冊です。

「世界の食文化についての雑学」くらいカジュアルな内容でないと私の頭では理解できないんじゃないかと心配でしたが、興味を失うことなく完読できました。

子供のころに保健の授業で習ったタンパク質や糖質の話と、社会科で習った地理学や風土、歴史で学んだ文化文明がごく自然につながることに感動し、今になって知る喜びを感じました。でも本来その繋がりは当たり前のことなんだよな〜と思い、若い頃もっと勉強に興味をいだければよかったなとも思うことも。「知ること」「知ったことがつながること」の喜びに子供のころに気づけるかどうかは大事ですよね。

人間に欠かせない栄養素、糖質とタンパク質。この組み合わせは風土によって米であったり小麦であったり、魚であったり豆類であったりと異なります。日本は「米と魚」、西洋では「麦とミルク」などといったように。著者はこれについて「糖質とタンパク質のパッケージ」という概念を提唱しています。この組み合わせの違いがその地の文化や宗教、思想にフィードバックしているのが面白いです。

食文化の素晴らしさにも触れています。たとえば日本食について、世界でも注目される和食。その原点ともいえる一汁一菜には、日本の紀行・風土が現れていると著者は説きます。汁ものには水が豊富であることと良質な軟水があること、豊富な魚介類から採れるさまざまなダシも必要です。湿潤な気候により発展した米作りと発酵技術も和食には欠かせません。以前は粗食であることの例えだった「一汁一菜」ですが、白ごはん、味噌汁、お漬物、ただこれだけでも、日本の豊かさが現れているのです。

人間の社会と気候が互いに影響しあったり、海と森林が互いに作用しあったりと、複雑な相互関係が絶妙なバランスを保ちつつ、地球をおおいつくす毛細血管のようにからみあって、この自然というシステムを持続させてきたわけですが、途方もなく長い地球の歴史上のたった一瞬にも満たないこの数百年で、人間は豊かさや便利さを求めるあまりにいきすぎた環境破壊をおこなってきたわけです。

たとえば現代に生きる私たちが手に取ったひとつのパンには、どれだけの人と技術が関わっているでしょうか。海外で小麦を栽培する農家、その栽培に使われる機械およびその燃料、小麦の製粉、包装にも人間や機械は当然関わりますよね。そして何トンもの小麦粉は船で運搬され、食品メーカーが買い入れ、工場の巨大なベルトコンベアやオーブンでパンが焼かれます。個別包装する機械、それをまとめて小売店に運ぶトラック、小売店による管理と販売があって、やっと私たちの手元に届くのです。ここまでにどれだけの燃料が使われ、どれだけの土地を使って巨大農場や工場が建てられているでしょうか。このたかが一つのパンは人間のとんでもない贅沢だということに読後気づかされます。

大量生産、大量消費が当たり前の現在から、作り手と食べる人の関係がよりローカルで、より小さな輪でつながるような在り方を目指すべきではないかと思います。農家直売のマーケットで買うことや、時には財布と相談しながら、他のものより高い値段のフェアトレード商品を買うこと。すこしずつでも、できる範囲で今の在り方から距離を取っていきたいと思っています。

何千万年と続く膨大かつ複雑な世界の歴史・文化に大幅にページを割いていますが、最後のたった十数ページ「終章」「おわりに」にため息が漏れるほど胸を打たれました。最後の数行を以下に引用します。

〝食とは、地球システムのなかでの人間の営みなのであって、いくら技術が進んだところでこの根本原則が変わることはない。これを都合よく制御しようという現代社会の試みは、いったん動きだせばあとは永遠に動きつづける「永久機関」を作ろうという試みと何ら変わることはなく、破綻は目に見えている。繰り返し書こう。食の営みは、土を離れては、あるいは人と人との関係を切り離したところでは持続しえないのである。〟

人間が管理しようとすることイコール多様性をなくし、コントロールをしやすくすること。自然相手でも、人間相手でもそうだと思っています。スーパーに並ぶ野菜はどれも形、大きさ、色味が揃えられていますが、野生のものは姿形もバラバラです。本来はそうなのです。多様性を受け入れることは、すなわち管理をゆるめることにつながることではないかと思うのですが、実際の社会は管理・監視の目を強めているようにしか思えません。

人類史の本を読むたびに、この人間が生み出した技術を賛美したくなるような文明の発展と、生態系の破壊に見られるような人間の罪深さのあいだで色々な感情がないまぜになります。取り返しのつかないことをした人間たちが、今やっと始めたせめてもの罪滅ぼしがSDGsということになるでしょうか。

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2023年12月08日

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農耕、狩猟採集、遊牧の三大生業を軸に人類の食と食糧生産獲得の変遷を、糖質とタンパク質の確保という軸から解説。
人類学に興味があるならどうぞ。

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2017年05月14日

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食の確保が人類史を考える上での大きな視点であることは間違いない。「たかが食、されど食」なんと私たちは食の問題を卑小な問題と考えてしまっている事か!しかし人類の文化史そのものでもある。そして食べる行為を通して人間は社会性を高めていったということは否定できない!東西の交流において遊牧民の果たした役割について著者が極めて評価していることは、そういう意味で説得力がある。旧約聖書に出てくるいろいろな食べ物の名称もこのような観点では新鮮だ。ネアンデルタール人とクロマニオン人の接触の可能性などにまで及び、実に雄大な着想。和食文化がユネスコの無形文化遺産に登録されたこともこの延長線上で理解しやすい。しかし、今の日本では、食材の生産はおろか、加工や調理さえもしない、「食の外部化」の極致!との指摘は全くそのとおりだと思う。

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2016年09月09日

Posted by ブクログ

テーマは「狩猟・採集、農耕、遊牧」
着眼点は「糖質とタンパク質」

東洋では「米と魚」、西洋では「麦とミルク」の組み合わせが一般的だが、動物資源に関して、前者は天然資源に寄るところが大きいのに対して、後者は天然ものへの忌避がある。
キリスト教には「神が作った家畜を食べるべし」という考えが根底にある。

これは初めて知った。
農耕民族である日本人に対して西洋は狩猟民族で、という漠然としたイメージがあった気がしたけど、これはキリスト教以前のゲルマン民族のイメージってことかなあ。

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2016年06月05日

Posted by ブクログ

著者の佐藤洋一郎氏は、元総合地球環境学研究所教授・副所長の農学者。
本書は、ユーラシアの人類が進化し、文明化を遂げる中で、“食”に関してどのような歴史をたどり、現在に至ったのかを概観したものである。
その際、著者は2つの観点から、全体を整理している。一つは、生物としての人間の生存に欠かせない栄養素である「糖質」と「タンパク質」を何から摂取したのか、もう一つは、「狩猟・採集」、「農耕」、「遊牧」という大きく3つに分かれる生業のいずれから食料を得たのかという観点である。
そして、ユーラシアを、東の夏穀類ゾーンと西の麦農耕ゾーンに分けて以下のように分析している。
◆中央アジアの乾燥地帯の東側の地域は、大半が夏雨地帯で降水量も相対的に多く、豊かな水に支えられた森が、温度条件の差異により、北から針葉樹林、落葉樹林、常緑広葉樹林、熱帯雨林と、緯度帯に沿って広がっている。そして、食料については、それぞれの森の性格に応じた地域分けができるが、概ね、夏穀類(糖質)と魚(タンパク質)の組み合わせ、即ち、「米と魚」または「雑穀と魚」というパッケージであった。また、これを生業という観点から見ると、「農耕」と「狩猟・採集」によるものである。
◆一方、西側の地域は冬雨地帯で降水量も概して少ないが、地域のバリエーションは温度条件よりも水分条件に依存し、南北よりも東西方向に大きい。そして、食料については、冬穀類(糖質)と家畜(タンパク質)の組み合わせ、典型的なものとしては「麦とミルク」というパッケージであった。また、生業の観点から見ると、「農耕」と「遊牧」によるものである。この地域で、タンパク質を得るための動物質の食材が、天然資源ではなく家畜(人が作った動物)であるというのは、「家畜は神が人に与えたもの」というキリスト教の思想を反映したものとも言える。
更に著者は、3つの生業のかかわりについて、相互補完的でありながら相互対立的でもあったといい、「農耕文化」と「狩猟・採集文化」、或いは時代が下ってからは「農耕文化」と「遊牧文化」が、土地の利用形態を巡って対立を続けてきたこと、西ユーラシアが原産と考えられるコムギの東への伝播は交易の担い手であった遊牧民によってであった可能性が高いこと、などを挙げている。
『食の人類史』という壮大なテーマには答え得ていないが、現在のユーラシア各地の食文化の歴史・背景を知る上では有用な書であろう。
(2016年4月了)

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2017年03月25日

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