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野村克也からその才能に惚れられ、ドラフト1位で指名された伊藤智仁。しかも3球団共同した中でそのヤクルトスワローズに入団。そして鮮烈なルーキーイヤー。規定投球回に達してはいないが防御率0.91という成績で新人王。ケガにより記録に残る活躍はできなかったが、復活してカムバック賞を受賞。記憶に残る投手。短い選手生命ではあったが、自身の経験からコーチとして選手を指導している。柔らかいからゆえにケガが多かったとは知りませんでした。
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高速スライダーで一世を風靡した不世出の投手伊藤智仁。類まれな才能と引き換えのケガに泣いた野球人生。同級生の作家が描いた不運ながらも幸福な人生。
記録より記憶に残る投手。衝撃的なデビューから3か月でのケガによるリタイヤ。その後の長いリハビリ生活。
あの古田敦也をして、ナンバーワンビッチャーと言わしめた名投手の野球人生人生。
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伊藤智仁。ゴジラ松井と同じ年にヤクルトへ入団。ルーキーイヤーでは実働2ヶ月半だが、三振を奪いまくる高速スライダーと防御率0点台が評価されて新人王。その年、1試合奪三振の日本記録を達成しながらサヨナラホームランを打たれたことは、結果的に「悲運のエース」としての彼を象徴するシーンだ。
華々しい1年目だったが、その後はケガに苦しみ、短い現役生活のほとんどが手術とリハビリの繰り返しだった。しかし、本書の彼の発言には悲壮感や後悔は感じられない。あまりに柔軟で故障しやすい肩関節や新人時代に過酷な登板数を強いられたことも、そして「悲運のエース」と呼ばれたこともプロ野球で注目を浴びることができたと、前向きに考える。
だからこそ彼は「幸運な男」だった。
伊藤智仁は現役引退後、投手コーチに就任。今の彼が語る、ピッチャーに必要な素質は壊れないことだ。
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元東京ヤクルトスワローズ 伊藤智仁の歩み。
長谷川昌一の文章が優しい
悲運だの悲劇だの言われたピッチャーの壮絶な
はじまりと戦いとか、再起とか。
あぁこんなことがあったんだなーとか
改めて勉強にもなった。
伊藤智仁素晴らしすぎる
戦力外通知の時期ってほんと嫌だけど
その裏で一人一人、みんないろんなドラマがあるなって
悲しくもありそれでいて前を向こうっていう気持ちとか
プロ野球ってやっぱり面白い。
涙なしでは読めない!これは!
ますますスワローズが好きになったので
今年も球場で応援しようと思う