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語注が少なくて読むのに少し手こずったけど、面白くってどんどん読みました。
『少年』はたしか古屋兎丸先生のコミカライズがあった気がします。光子ちゃんがこれまた嗜虐的で妖しい魅力のある女の子なんですわ。登場人物の年齢が皆まだ幼いという点も、個人的には刺さる部分があったりします。
『幇間』に登場する三平はまさしくprofessionalで、よくぞ収録してくれた! と勝手に快哉を叫んでいました(笑)。
『麒麟』は、言わずと知れた孔子が登場する『論語』での一篇を、谷崎なりに解釈した作品。これぞ魔性の女! 愉悦に浸りながら囚人の惨憺たる様相を眺める南子夫人の獰猛な美しさを孕んだ瞳は、ものすごい誘惑だったと思います。
『魔術師』は、谷崎のエキゾチックな趣味が全開の傑作です。舞台装置から何から何まで劇的で、「嘘っぽい」と批判してしまえばそれまでですが、このごちゃごちゃした、けれども魅力的な世界観こそ、谷崎文学の真骨頂だとも思います。
『一と房の髪』もエキゾチック趣味が見え隠れしています。当時流行った活動写真などの風情すら感じますが、個人的にはそこまで響きませんでした。
『日本に於けるクリップン事件』は本文中に「マゾヒスト」と触れられているように、谷崎自身のマゾヒズム解釈が含まれていて興味深かったです。蓋し芥川龍之介は、谷崎文学のこのような面を否定したのですけれどもね。締めにはちょうどいい作品でした。
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ドMを文学に昇華した谷崎潤一郎は偉い!
マゾヒストは一種の演じ手であると語っているあたり、そうだなぁと深く共感するし、空想を伴うこの行為が作家にいい刺激を与えたに違いない。
特に好きなのは「幇間」「日本に於けるクリップン事件」の2つ。女性に虐げられたい男の快楽と真のマゾヒストの心理を語っている物語に、谷崎のマゾヒスト的考え方、空想の楽しさを垣間見れて、なんだか嬉しくなった。
そして最後にみうらじゅん氏の鑑賞がある。共感するところが多々あるので、やっぱり私は変態かもしれない。
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私、やっぱり谷崎氏が好き。タイトル見て、全然惹かれなかったのに(表紙には惹かれて買ったけど)、むしろ何回見ても笑えるすごいタイトルやなあ・・・と思ってしまうけど、やっぱりどれも谷崎潤一郎の文章だ。レトロチックで、艶めかしい。
少年・・・子供の視点ってこんなんだったな、と懐かしく思う一方で、なんでこの子たちはこんな痛々しい遊びに嵌っちゃってるんだろう、とストーリーにちょっと不満。
幇間・・・川と花見船の組み合わせが好き。昼の宴会とか。
麒麟・・・中国、歴史、王、麒麟、私がとても好きな言葉、シチュエーション。最後まで退屈しなかった。
魔術師・・・「麒麟」よりもっと好きな世界観。夜のお祭りってわくわくする。暗い照明と雑然とした場所で開放的になる人々。しかも美しい魔術師がありえない魔法を披露するなんて。結末も滑稽で、ちょっと恐ろしいけど好き。
一房の髪・・・ディックの足が気になりつつ、哀れな男三人がどうなるのかと思ったら、災害と事件になってしまった。 地震も女も悪女に引っかかる
男も怖い。
日本におけるクリップン事件・・・本当にあった事だと勘違いしてたけど、フィクションか。最初は、なんか納得いかないけど犬で完結したのか~と思っていたら、夜中になんという寒気のする結末を読んでしまったんだろう。人形は無理。想像すると怖すぎて寝れない。私は夫の心境が未だに理解できない。(20120816)
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全ての作品が、本当のことのように感じました。
フィクションであるとは、感じません。
その原因は、行動・心理の、近さ、と言いますか、そこで起こること起こること、考えること考えることに違和感を感じないのです。
あの『一と房の髪』での露西亜人に対する描写のなんと麗らかなことでしょう。私にはその露西亜人の体の全てが、手に取るようにわかります。
三人の男の心理も同様に、私には理解ができます。
それと、『一の房の髪』の◯◯の部分はなんですか!超気になります。読めないんですかね。
『魔術師』について、ちょっと思うところを書いておこうと思います。
あの魔術師は、手品師であると同時に催眠術師である。つまり、手品師+催眠術師=魔術師になりうるのです。
どういうことかと申しますと、ご存知の通り、催眠術師は、人を自由に操り、猿だの、象だの、何か動物などに変えて、その人を操ることができてしまいます。
しかし、それを外から見ている人間は、催眠術にかかっていませんから、当然、その人が、滑稽な真似事をさせられているように感じます。
ここで、観衆全てに催眠術をかけられたらどうでしょうか。
催眠術を、「メインに」かけられる人、と「サブで」かけられる観衆。この構図では、術師以外のすべての人間が、催眠術にかかってしまいます。
メインにかけられる人は、「◯◯になりなさい」と、暗示をかけられ、サブにかけられる(実際の催眠の深度としては、とても深く、催眠深度としては、メインをも超越しなければならないと思います。ここで言う、「サブ」とは役割のことです)観衆は、「あの暗示をかけられている人間は、◯◯だ」という暗示をかけられるのです。
ここまでの深い催眠を、あの情景のような、大きな場所で、大人数に対して一斉にかけるというのは、いささか不可能のように感ぜられるでしょう。
しかしながら、それを、可能にするための、まさしく「ギミック」が、「手品」なのです。
手品では、催眠状態なしで、不思議な事が、現実に起こります。
それを信じてしまう観衆は、もはや催眠導入にはもってこいの状態になるのです。
更に、言えば、術師の美貌や、劇場の場所(木々が怪物に見えるなど、すでに軽い催眠状態であります)も重要で、それを、術師は完全に計算し尽くしていたと思えます。
谷崎はどういうつもりで、これを書いたのでしょう。とても催眠・催眠状態のことを知らない人間が書いたとは思えないのですが……。
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レジに持っていくのをためらうタイトルとは反対に、ポップな装丁。
楽しめる人と拒絶する人に分かれそう。
谷崎が好きなら問答無用で受け入れるか。
「少年」のエスカレートしていく感じがやばい。
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比較的初期の短篇を6篇集めたもの。他の文庫なら、タイトルは普通に「少年・幇間」などとするところを、あえて『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』と銘打った。これで新たな読者を開拓しようとの目論見だろうが、『フェティシズム小説集』とともにまずは成功か。ただし、これだと例えば篇中の「少年」等をマゾヒズムの枠組みに固定してしまうことで、他の要素から遠ざけてしまうという欠点も併せ持つ。「少年」、「幇間」、「魔術師」などは耽美、幻惑、哀しみに満ちており、谷崎の筆法は冴えに冴えている。それぞれの短篇は長編に優に匹敵する密度だ。
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「幇間」、何度読んでもいい。あの最初の舟と河岸のにぎやかさ、あれを味わうために「幇間」を何度も読む。最後の一文も徹底してていい。
確か新潮文庫だと「刺青」に入っていたはず。
「麒麟」は初めて読んだ。中国を舞台にした(孔子とか)作品で、南子夫人の悪さがいい。
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「マゾヒズム」っていうワードと表紙に惹かれての衝動買い(●^o^●)
もやもやっとしたまだ「芽」のようななんとも言えない感じがいい。
一番最初の少年たちの話は読んでてかなりどきどきした^^
・・・これって、やばいかなぁ(^_^;)
Posted by ブクログ
マゾヒストに執って―或いはサディストに於いても―、相手は道具でしか無く、自分の内で描いたシナリオに愉悦、美を求めている。それが叶わないのなら、その相手は不要となる。
"マゾヒストは精神的の要素を含まない"と云う谷崎の価値観には、大いに賛同せざるを得ない。それを履き違える者が、此の世に多過ぎる事も。
マゾヒズムもサディズムも、表裏一体であり、何れも各々の価値観を識らなければ、其処に官能的美学は産まれない。それがSMと称されるものの本質であると、以前から私も感じていた。
此の一冊は短編集で構成されているが、中でも「魔術師」と「少年」は私の中では途轍も無く官能美を備えている様に思う。「一と房の髪」は、「痴人の愛」の簡易ver.の様で、それならば「痴人の愛」を読み耽る方が幾らか愉しめる様に思う。
虐待等の過去から生じるマゾヒズム(或いはサディズム)の性質は、無感動にその行為に悦びを感じ、そして僅かな切欠と共に反転する事もある。
それがSとMが或る種同義である事を物語っている。
谷崎の作品は、登場人物の中で格別に美しいものより、それを"利用"した者の動きが綿密に描かれている。其処が、他作品よりも秀逸な点だろう。
一見、利用されているかの様に思わせる男女関係だが、マゾヒスト達はその"美"を「(谷崎の言葉通り)利己主義」な主人公の脚本の為に利用しているに過ぎない。
それを如何に捉え、エロティシズムを感じ取る事が出来るかが、読者の感性に懸かっている。
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《購入済》以前から谷崎潤一郎の描く耽美で背徳的な世界観に惹かれていたのも勿論だが、踏み込んだきっかけはやはりジャケ買い。入門書としては調度いい短編集だった。『魔術師』と『日本に於けるクリップン事件』は繰返し読みたくなる。恍惚としたのは『一と房の髪』。
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別にマゾヒストというわけでも無いのだが、いや、これは仕方ないよねと即決して、レジへ。そのまま一気に読む。
もうね、ひたすらに官能的。めくるめく甘美な世界にようこそ。谷崎さんの文章は、こう、押入れの中にひっそりと隠れて、襖の戸を少しだけ開けて覗いている感じなのだけど、いやあ素晴らしい。
最近安売りされている感があるけど、本来、狂気や倒錯とはこういうものだと思う。
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私は体はMで心がSです。
なので、女性を自分好みのS(プレイの上で)に調教することに喜びを感じます。
いままで攻める側だった少年が、マゾヒズム的喜びに目覚める瞬間が好きです。
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Mとは何か
改めて考えさせられた、真面目に。
ただの変態、ただの奴隷、愛くるしい存在だと思っていたけど実際はたぶんそうじゃない。
身勝手のM、サービスのS
大きい愛は感じたけど決して深くはない。
相手の気持ちを全く考えないM。
まさに身勝手のM。
油断しないようにしよう。
踊らされてるのは私だったんだ。
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マゾヒズム…どちらかと言うと、なかなか理解し難い分野。「谷崎文学がドM度を高めるのは、これらの短編を書いてからもう少しあとのこと」とみうらじゅん氏が解説されてるので、初心者の私にはちょうど良かったのかもしれない。 『少年』はいきなり独特の世界観に思えたけど、その他の作品はハッキリとした行動が出てこないので、とても読みやすく、マゾヒズムに分類されるんだろうけど、谷崎氏にかかると文学的というか結構好きな感じの文章でした。
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非常に抽象的なのだが、あぁ……谷崎潤一郎さま……と言う感じ。
谷崎潤一郎自身が、美しくて悪い女にめちゃくちゃにされたいんだろうなと、ひしひしと感じた。
ねっとりとした、様々なマゾヒズムの世界…ただ単に願望を垂れ流すとか、そういう感じではなく、それを文学へと昇華させているのだから、やっぱり文豪って凄いなぁと感じた。
1発目から、かなりマニアックで背徳的なのだが…私のお気に入りは魔術師と一と房の髪。これよかった。
他にも谷崎潤一郎フェティシズム小説集とやらがあるが…そちらもとてもマニアックでよかった。
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色っぽい小説が読みたかったのだけど…ちょっと思ってたのとは違ったな。「魔術師」の描写はめいっぱい煌びやかで浮かれた光景を想像させてくれてわくわくした。「日本に於けるクリップン事件」おもしろかった。
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6編のマゾヒズム小説集。本質的にはあまり共鳴出来なかったが、それでも惹きこまれる文章だ。喜びはあくまで肉体的、官能的なものであって精神的なものではなく、奴隷になるのも芝居として楽しんでいるに過ぎない、とマゾヒストの心理が書かれていて腑に落ちた。小川洋子の『ホテル・アイリス』でも感じたが、SMはどうやら他人を道具的に介した自己愛の表現らしい。余談だが、関東大震災を小説で読むのは本書に所収されている「一と房の髪」が初めてだ。
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マゾプレイは一種の芝居とおっしゃるのはなるほどと思いました。この道の代表者ならではの重みのある言葉でした。なかなか難しい言葉もあり、結構重たく感じました。
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なるほど、タイトルも含め谷﨑の入門書としては格好の一冊だ。マゾヒズムとは一方的な被虐者を装いながらそれ以上に束縛しようとする独占欲の裏返しであり、より優れた加虐者がいれば積極的に主人を交換しようとする関係性の享楽こそが本質である。無垢なるままに奉仕者と受益者の立場を行き来する『少年』の完成度は素晴らしく、その世界観を構築するために言葉の一つ一つが奉仕者として主題の鮮やかさ、艶めかしさを引き立てる。そう、谷崎の本は主題以上に、徹底的に責め立てられることで妖艶に花開く言葉自身がマゾヒズム性を帯びているのだ。
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6編収録の短編集。
「M」のイメージとなると「女王様が男に対し鞭を振るったり、足蹴にしたり、ロウソクのロウを垂らしたり暴言を吐いたり」というのがまず思い浮かびます。
作中にもそういう描写があるのかな、と思っていたのですが、そこまで露骨な表現はなかったです。ほっとしたような残念なような……。
前半の作中の男性たちは性的興奮のためにマゾヒズムを追いかけているという感じではなく、もっと純粋に、そうされる方が楽しいからされているんだという風な、子供が楽しいおもちゃを見つけて遊ぶような感じで無邪気にマゾを楽しんでいる印象を受けました。そして、後半の作品からはそうした無邪気さ以上の楽しさを知ってしまったゆえの人間の欲望というものが表れてきたような作品だったように思います。
そう考えると最初に収録されている『少年』のように子供がマゾの楽しみを覚える話もまったく不自然な話ではないのだな、と思えます。また『幇間』は本当に主人公が嬉しそうで読んでいるこちら側が苦笑してしまいそうでした。彼の笑い顔が自然と頭の中に浮かんできました。
谷崎潤一郎は読み始める前から「マゾヒズム小説」のイメージがとにかく強かったのですが読んでみると文章表現も幻想的で美しいものが多く、特に『少年』のラスト近くの場面や幻想色の強い『魔術師』などでは特にその強さを感じました。
五編目の『一と房の髪』では女性の魔力の強さを実感……。ここで女性に翻弄される男たちは、二重国籍で日本人でも西洋人でもないと語っているのですが、そういう満たされなさを抱えていたからこそ、同じ境遇の女性にここまではまってしまったのかな、と思いました。そして女性側が男性たちのそうした弱さを知ってふるまっていたかと思うと、ますます「女って怖いな」と思ってしまいます(苦笑)
最終話の『日本に於けるクリップン事件』では谷崎のマゾヒズムの定義的な文章が印象的です。この文章を頭に置きつつ他の短編たちを思い返してみると、登場人物たちのまた違った側面を考えることができると思います。
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初っ端の「少年」が子供のマゾってやつでパンチが効いててすごいですね。逆に他が霞むような。最後の「日本に於けるクリップン事件」はまとめとしては良いです。
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とかく文章が美しい
そこで一言で言い表されてしまう驚きがそこかしこにある
ゆっくりと読み返してみたいが、マゾヒズムはやはりどうも共感出来ない
あちこちのマゾヒズム論はとても興味深かった
「幇間」の最後のプロフェッショナルな笑い、など
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昔、課題で「少年」を読んで、あまり肌に合わないと思ったにも関わらず、読んでしまった。
何となく流していても、気付いたら絵が浮かんでしまっているあたり、恐ろしい。
好みかは別として、触れておいてよかったと思う。
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巨匠と呼ばれるレジェンド作家のマゾヒズムに絞った短編集。
谷崎潤一郎ってそういう人だったんだ!そんな衝撃と共に、読み進めていった。一つ一つがライトなものからややヘビーなものまで。
シチュエーションは違えど、モダンな雰囲気は全作品に漂っています。
巻末には解説があり、短編の関連や裏付け、谷崎潤一郎自身のことにまで触れており、全く知らない人でも理解できるつくり。企画として面白い。
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ちまちま読んでたら一年かかってた…。被虐趣味者と嗜虐趣味者では、前者がより自分勝手という印象がある。サディストのSは、サーヴィスのS。被虐嗜好は自分には自然と沸き上がらないものだから、仕立てあげる側のマゾヒストの視点に、何だか興味がある。 と、どうやら、マゾヒストは、単に虐められるのが好きなのではなく、好みの人間に虐められることが肝要で、そうでなければ快楽を伴わないらしい。…軽蔑している相手に虐待されても多分一般の人と同じようにとってもムカつくだけなんだろう。 なかなか興味深かった。『少年』が一番好みかな。
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ほぼ表紙だけで買ってしまったーーー。
正直、買う時ちょっと恥ずかしかったです。
マゾヒズムというけれど、思っていたほどでもなかったです。
(じゃ何を期待していたのか、という突っ込みはナシで。)
「少年」は下品・・と思ってしまって読むのやめようかなと思いつつすべて読んだのですが、それ以外はすらすら読めました。
「少年」は6つの話のなかで、いちばんマゾヒズムという言葉があてはまるとわたしは思いますが、マゾだのサドだの知らない(その"気"はあるかもしれないけど)子どものお遊びがエスカレートするという話で、本人がわたしってマゾと自覚しているわけではないと思います。
これ以外の話もマゾヒストが絡む話なだけであって、虐げられる様子が鮮明に描かれているわけでもないです。
なのでマゾヒズムという言葉を使うのはちょっと違うのでは?という意味で思っていたほどでもなかった、という感想になりました。
まあ正しいマゾヒズムが何かも知りませんけど。
6つの中でいちばん気に入ったのは「魔術師」。ただどの辺がマゾヒズムなのかわたしにはさっぱりわかりません。
「日本に於けるクリップン事件」は推理小説のようで面白かったです。
谷崎純一郎を知らないわたしのような人間が「いかにも」なマゾヒズム小説を期待して買ってしまうのではないだろうか(わたしは期待してませんから)、いやむしろそれを狙ってこんなわかりやすいタイトルと表紙にしたんじゃないのか集英社っ。
Posted by ブクログ
表紙がすっごい可愛い。
やっぱりこの人の絵、好き。
谷崎潤一郎って、名前は知ってたけど、まさかこんなマゾヒズム文学を書いているとは全く知らなかった。
昔に書かれたお話だから、もう漢字が難しくて。
タイトルから最早分からない始末。もっと勉強しなきゃね。
個人的には、「魔術師」が好きかな。
あの不思議な感じに惹かれます。
「少年」も、マゾとかサドとかの性癖に目覚める前の子供達の、本能的な性趣向を描いていて面白い。