【感想・ネタバレ】知性のテン覆 日本人がバカになってしまう構造のレビュー

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Posted by ブクログ

ああ、治さん君を泣く
この方はもう少し長生きして欲しかったなあ!

ヤンキーに本を読んでもらえないと本は売れない
じゃあヤンキーに読んでもらえるのはどういうものなのか
という発想がもう素晴らしい
そしてヤンキーって何?
自分の中のヤンキーを点検する辺り

反知性主義って何か、それが生まれる経緯の考察
そしてそれをいいとか悪いとか言うのではなく、ただそれを放っておくことに対する感みたいなものはある

ヤンキーの持つ痛みを放っておいては解決せず
ただそれと「いやいやそうじゃなくって」と時間のかかる対話をする必要
そう、処方箋はあるんだけど服用するめんどくささはあるんだな

でも、読んでいて元気が出るのでそういう意味で私にとってとってもいい処方箋

他には

ロシアの苦しさは軍事と言うファンタジーにお金をつぎ込んだせい
拡張して侵略して搾取して、そういう構造に限りがあることは分かってもどうすればいいか分からず困っている人たち
身の程以上のものを持たなくても生きることはできる
そこに幸せを感じることができるかどうか、よね~
ずばり分かりやすく、しかも楽しい語り口で語ってくれるとことか

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2021年08月29日

Posted by ブクログ

世界中が豊かになって中流になって、地球がそれを支えきれなくなって、みんなの足下が崩れ出して、みんな不機嫌になっている。
そんな訳でみんなが欲望を剥き出しにして品がなくなってしまった。自分のことは自分でなんとかするしかないのだけど、自分一人でなんとかできるわけではない。
いくつもの矛盾と問題と欲望のぶつかり合いが世界を複雑にして難しくする中での知性のあり方を考えさせられる本。とてもいいなぁ。
開かれてる。つまり、押し付けではない。ぜひ是非ご一読を!

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2021年04月23日

Posted by ブクログ

すごい本を読んだ。【いろいろなところに入口を持つ迷路の道の一つで、そのゴールは「知性」という中央広場】という箇所が最も全体をあらわしているのではないか。「難解」という感想に落ち着きそうになるが決してそれだけではない。手の届く「解る」から「なんとなく解る」「解りそうでわからない」「さっぱり解らない」までが順不同に訪れるのだ。こういう本が読まれる世の中であって欲しい。

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2020年09月22日

Posted by ブクログ

橋本治さんの本は、一つ一つの文章が、なるほどね〜 そうだよね〜 という気持ちのよい納得感を持っていて、この本もあーあ!という暗めの現状を論じている本なのですが、読んでいてとても「快い」感があり、同時に自分ももう少しがんばろうと励まされました。

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2018年04月28日

Posted by ブクログ

もうこうなると哲学書のようだ。しかもかなり難解の。
反知性主義が蔓延する理由を緻密な構成で考察しているのだが、正直よく理解できない。自分にはそんなに難しい話でなくて、経済成長による中流化で従来存在感のなかった大衆が『ヤンキー』に成り上がり、さらにネットの出現で彼らが自己主張を始めて目立つようになっただけではないのか?

橋本治風に言うと最後まで「よくわからない」だったので、自分としては異例なことに3回繰り返し読んでみた。そうしたら上記の事がちゃんとそう書いてありました。
3回も読むと一つの概念が形を変えて重層的に示されていることに気付くが、極めて複雑な立体図形を分解して「こういう構造になっていたのか」と驚く感覚。なんか、深すぎるね。

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2018年01月20日

Posted by ブクログ

本物の知性について、深く検討するものとみました。わかりやすく説いているようにみえて、さすがに深いですね。

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2017年10月29日

Posted by ブクログ

橋本治氏の俯瞰した社会を見つめ、語る文体が心地よいです。彼の生き方自体もマイノリティ側にあるのだろう。身構えずに、その語りに素直に心を傾けることができる。そして、何よりも分かりやすい。至極まっとうなことを言っているのに、あまり社会の中では触れることのない視点からの世の中の姿を言葉で映し出してくれる。
本のタイトルの『知性の転覆』の「知性」という言葉が実際の社会の中でどのように存在しているかを分かりやすく描いた初まりの「ヤンキーの定義」の箇所を引用します。
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ヤンキーの定義「自分の経験した事だけ」で、その範囲を超えたものは「よく分からない」という判断保留の状態になり、知識を得ることによって自分の判断基準を広げるということをしない。なぜしないかと言えば、それをする必要を感じないからである。

その反対に「経験値を用いずに、全てを知識だけでジャッジする人」で、「経験値に用いる」ことをしないのは、そもそも「経験値」に値するようなものを持ち合わせていないからなのか、あるいは「自分の経験値」を知識に変換する習慣を持たないのかの、どちらかだろう。
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別に「知性とは何か」を説明しようとして語った言葉ではないけれども、「知性」という存在が「ヤンキー」と「オタク」のあいだをフワフワと浮かんでいる情景が想像できて、「知性」という存在を目にしたように感じられた。
このような世の中を観る視点やそれを伝える言葉を感じるだけでも凄く楽しい読書になります。
おそらく、この本を読み終えたころには、その幾つかは自分のなかにも芽を出し始めているかもしれない。
せっかくだから、私が線を引いた幾つかを紹介します。
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*「不良」というものにはあまり知性がない。だから、平気で「社会から逸脱する」ができてしまうのだが、ということは、知性とは「人が社会から逸脱しないように繋ぎとめておく力」であったりもする。知性の持つそういう一面は、今となっては忘れられたにも等しい状態になって入るけれど、かつて知性はモラルと重なる言葉でもあった。
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*「自分の頭で納得できるような考え方をしてもいいのだ」ということに出会った人間は、こういう風な爆発をする。
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近代教育を受けた人間は、ことの必然として「自我」というものを持ってしまった。中央集権体制では、「自我」というものは上の方にいる人間だけが持っていればいいものである。しかし、地の中央集権体制が生み出した。
教育は、末端まで「自我」をら教え込んでしまった。
崩れた知の中央集権体制は、小さくなって各自の中に収まってしまった。「自我」というのは、「中央集権体制的に自分を操ろうとする主体」なのだ。
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☆EUの建前としての均一は、時として一部に対して「つらい義務」になる。

初めは「一つの大きな経済圏を作って金儲けをする」というはずだったが、「それほど豊かでない国」を仲間に入れて大きくなっていくうちに、EUは「困った国を助ける互助会」のような性質をら持ってしまう。

支援を受ける側は、支援と引き換えに、望んでもいない「自分達のあり方」とは違う(みんなのあり方」を受け入れる。支援をする側は、「自分のあり方」とは直接に関係ない「みんなのあり方」をら守るために金を出す。「みんなのあり方」な「みんなのあり方」であって、それに関わるどの国の「あり方」とも、直接には関係がない。
どうして話がこんな風にすれ違ってグルグル回りするのかと言えば、それは「自分もその一員である“みんな”のあり方を維持することは、一時的に自分の損にはなっても、結局は自分にとっての得となって返ってくる」(情けは人のためならず)の単純な理解が欠けているからだ。
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「自分達とは直接関係のないものに目を向けて、それに関してなんらかの意思表明をする」というのは、人間の知性のなせる技だが、だからと言ってそれができない人間を「知性がない」とは言えない。
それは「知性がない」ではなくて、「知識がない」というだけで、そういう状況が存在するということを知らなかったら、「そこに目を向ける」ということは起こらない。自分の経験値だけでその外側にある「知識」というものを持たなかったら、世界は自分が「知っている」と思える手探りの範囲内にしか存在せず、その外側は「何も無い暗黒」と同じだ。
愚かなのはイギリス国民がEUからの離脱を選択したことではなくて、「離脱に賛成」の票を入れた後で、「ところでEUって何に?」と言ってしまう国民がいるということだ。(自分がどういうシステムの上に乗っかっているのかを理解していないーーそういう知識を持たない人間をそのままにして、彼等に決断を委ねてしまうということだ。
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★アニー・サリヴァンのモノローグ
『言葉さえあれば、人間は暗闇から抜け出せる』『言葉の光に照らせば五千年の昔を見ることも出来る』
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「労働者のあり方」という観点からしたら、近代工業社会は、生まれ続ける失業者をすくい上げるために「新しい産業」を作ってきたという面もある。つまり、労働者の安定が帝国主義の発展を支えてきたという一面もあるけれど、でもその「発展の形態」は飽和状態に来た。
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★★人が「需要」と考えるものは往々にして「欲望」のことで、「人の欲望が無限である以上、需要もまた無限に存在して、であればこそ“物”を作り出す産業も不滅だ」と考えられていた。それは、実は、「物が足りなくて困ることがある」という「それ以前の時代」の考え方で、「物が余ってしまう未来」のことを頭に置いていない。だから、「人の需要は無限に存在し続けて、マーケットもまた無限に近く続いて広大だ」ということが、うっかり信じられてしまう。

産業は、「需要」と向かい合うもので、「飢餓」とは向かい合わない。「無限の需要」を習慣的に夢見てしまう産業は、知らない間に「物が余ってしまう社会」を作り出してしまう。
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また、いつか橋本治氏の本を読みに戻ってくる。それまでは、より多くの人の視点から世の中を観る旅をしてこよう。そうしたらまた違った橋本治氏の魅力を感じられることだろう。

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2017年09月12日

Posted by ブクログ

反知性をヤンキーのくくりで考えると、なるほど比較的すっきりくる訳ですね。作者があとがきで書いているように、論旨があちこちに飛んでいくから、なかなか捉えどころのないように感じつつ読み進めていたけど、なるほど最後2章くらいで、だいぶ理解がまとまりました。読みながら思い浮かんだのは”ぼくらの民主主義~”で、共通している部分としては、小さい声にも耳を澄ませようよ、ってこと。ヘイトスピーチに限らず、どうしても幅を効かせがちなのは大きな声なんだけど、自分の知性不足を思い知らされて腹が立つから、声も大きくなるんですね。でもそもそも知性がなければ発言は控えるべきなんですね。せめて無知の知くらいが備わっていれば、もう少し品性のある発現が増えるかもしれないですね。そんなことをつらつら考えてました。

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2017年06月02日

Posted by ブクログ

本書をレビューするのは非常に難しい。読んでみてどうだった?と聞かれて、何かよく分からないが読み終わった後に清々しくもあり頭も痛くなる、というよく分からない状態に今私はなっている、思考は迷路だ。考えれば頭が痛くなるし顔面に熱を持っているのが解る。
本書は知性の顛覆というタイトルではあるが、知性とはそもそも何か、知性が無いとはどの様な状態なのかという議論から入る。いや、議論というよりはフリーディスカッションを筆者が議題を挙げて開始され、否応なしに読者である私が巻き込まれ、尚且ついつ質問してくるかわからないから、必死に頭の中で筆者の求める解答を探していく感覚に似ている。筆者が展開するロジックは非常に楽しいし、時には突っ込みたくなる箇所も多数出てくる。いつのまにか、会議の主旨や目的を忘れて議論に花を咲かせていると、ふと今日は何の会議でしたっけ?と突然我に帰る。その繰り返しが最後まで続いた様な内容だ。
決してつまらないものではなく、個性が失われて総中流化していく日本に、僅かながらも生き残るヤンキー的な人間たちの存在を考えていくあたりは日常で何となく考えている「どうでもいいような」話題もあっても頭を使う。私も大学出ではあるものの、普通の会社に入って普通に昇進して人並みの給与を貰って、同じ様に部下を均一に育てようとする一方で、大して弾けもしないのに、海外に趣味の楽器を発注して普通とは違う自分に逃げようとする、ある意味バカな側面も持つ。普通から逸脱するのは恐怖だが、自分を失う恐怖も同時に持ち合わせる。
自分の中の知性と反知性がぶつかり合って、一体全体知性とは何か、自分は知性があるのか、知性にも上の方と下の方があるなら、自分はどれ位なのだろうか、そんな事を傍で考えながら読み進める。結果的に「おわりに」書かれている様に、筆者自身も本書の難しさ解りづらさを書いているが、恐らく私がこの様な本を書いたら、勿論もっとわかりづらいし、読者から非難轟々になるだろう(勿論私に書ける能力も気力もない)。
本書の楽しさは、筆者に知の沼の様なところに引き摺り込まれて、笑いながら羽交締めにしてくる筆者を振り解きながら、何とかして陸地に上がろうとする様な感覚に陥る点にあると思う。これをただ疲れた、面倒だと思う方には進めないし、一緒になって沼から脱出ゲームしない?難しいよ、と誘われても「楽しそうだね」と言える方には大いに楽しめる。
結果、私のレビューも伸び切ったスパゲッティみたいにぐちゃぐちゃになっている。

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2023年09月23日

Posted by ブクログ

第5章の「なぜ下品になったか」が良かった。
80年代から「バカになる」が時代のテーマで、バブルが崩壊しても「バカのままでいい」と宥されてきたと分析。
関西のお笑いと品性を解いていた。

私は反知性主義は40年かけて浸透したのだと納得。
今、テレビもお笑い芸人とアイドル歌手が占拠している。
こんなTVを捨てて、Youtubeを見る若者がほとんど、ということは日本の若者も捨てたもんじゃないと思う。

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2021年03月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

とても大事なことが書かれている一冊である。
一読では消化できないので、メモとする。

 日本の伝統芸能では自分を「消す」ものなのに対し、SNS時代の自分とはまず「出す」ものであるという変化。この変化が石原慎太郎の太陽の季節による「肉体=性欲の肯定」あたりにあるという話を見ると、今の後期高齢者の「マッチョな思想」が見えてくる。一方で、アプレゲール以前の近代日本文学は「自己主張できない」という現実を前にした苦悶を描いた。

みんなが自己主張する時代に、自分のあり方が揺らいでしまうと、人は不機嫌になる。上昇志向はないが、優越性が「崩される」と考える。中流こそが差別を生む。自己主張を肯定する共和制はエゴイズムでできていて、自分より偉い奴を認めない社会では知性は何の役も立たない。

福沢諭吉は、自由という名の自分勝手が他人に悪影響を及ぼすことを罪だと考えた。つまり、知性とモラルは同居していた。しかし、知性と共存していたモラルを捨ててしまった日本人は下品になった。
 モラルとは、本来人の内側に湧き出るものであるはずなのに、上から押し付けられると解釈される。自己主張=自由が具体化するのは、欲望であり、欲望を包む皮がモラルである。

江戸時代は、「下品にならない自己主張」という表現方法を模索していた。つまりは、粋、イナセ、風刺である。落語、川柳、漫才だってそうだろう。知性がモラルと乖離してしまうと、自己主張は他者を失う。

「知性とはヘレンケラーに言葉の光を与えるアニーサリヴァンのようなものである」

「主義とは方向性を持ったベクトルのような力」で、中心に向かおうとする求心力である。しかし、その中心に神はなく、あるのは空洞である。中心に自分を据えようとする思考は自己完結して破綻する。この現代で、知性とは複数の問題の整合性を考えるもので、でも現代重要視されるのは、「決断力」や「行動力」という名の「思考停止」で、グダグダ考え続ける持久力は、せっかちなじれったさの前では「なにもしない」「行動しない」と言われるだけ。

反知性主義を生み出す土壌は、「均質なみんな」のことだけ考えて「個人の不幸」を考えず、他人を排除している自覚を持たない「幸福な知性」である。

そして、問題の元凶は、問題の当事者が「反省しないこと」である。

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2017年09月15日

Posted by ブクログ

個人的には、アメリカで起きた事は10年先の日本でも起きるという“格言”があって、この本の出された2017年から7年、書かれ始めた2015年から9年で、そろそろ日本でもと思うわけじゃなくて、2024年のアメリカではまだトランプへの支持が多く、いったいこんな状態がいつまで続くんだよとの思いでうんざりしているわけです。
snsでの荒れ方もまだこれから本番って事?って思うと、じゃぁいいやと撤退しているんだけど、大衆は明らかに知性を必要とせずに現状を肯定する御神託を求めているのがイヤ。
今後10年も同じような状況じゃ橋本治も草葉の陰で何だかなぁと思ってんじゃないのかな。

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2024年03月27日

Posted by ブクログ

橋本治流の「反知性主義」についての考察です。ただし「あとがき」に「反知性主義を対象とする一本道のようではありながら、結局そうではありません。そうであるのかもしれませんが、書き手である私は素直な一本線を用意していません」と書かれているように、著者独自の視点からさまざまな議論が縦横無尽に繰り出されており、『「わからない」という方法』(集英社新書)以来比較的リーダビリティの高い書き方にシフトしていたように見える近年の著者の作品のなかでは、その意とするところをつかみにくいものに含まれるように感じました。

本書がむずかしいと感じてしまう理由のひとつに、本書における「反知性主義」ということばが一般的な意味とはやや異なるかたちで使われている点にあります。本書の冒頭で著者は、オタクとヤンキーに挟撃されて自分自身の関心をもちたいものがどんどん減っているという現状認識を語っています。このことが本書の議論の中核であり、オタクとヤンキーという文化トライブの差異をめぐる議論に接続したほうが、本書の内容はクリアに理解できるのではないかと思います。

著者自身がみずからの来歴について語っているところも、興味深く読みました。東京の山の手に生まれ、「大学解体」の声がかまびすしいなかで「学ぶということ」についてたった一人で独創的な思索を編み上げていた著者は、現代において「知」の偏在化が成し遂げられたことを認めつつ、かつて存在した「知の中央集権体制」が崩れ去り、同時にかつては「知」と結びついていた「モラル」も崩壊してしまったと論じています。

ヤンキーの反省的回路の欠如した言説と、オタクのパロディ的な自己言及的言説の双方を批判しつつ、「近代的自我の確立」とは異なる知性の可能性について考えようとしているということになるのでしょうが、養老孟司や内田樹であればあっさり「身体」ということばでそうした知性の座を指し示すところを、あくまで歴史的叙述のうちからオルタナティヴな道筋をあぶりだそうとするところに、著者らしい「知性」のきらめきが感じられます。

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2019年10月31日

Posted by ブクログ

小説 TRIPPER誌、2015-2017連載。ひと昔の知性は自分のあり方を考える自己達成的なもので、孤立・特権化したものだった。現代の知性は、みんなのことを考えるべく要請し、相手をムカつかせないよう納得に導くもの。少数の人間の頭がよければいい時代は終わった。

まえがきとあとがきで、書くに至った経緯や、暗中模索で迷路のようだ、というのを先に読んだお陰で、読み進められました。思考のプロセスなのかな、結果ではなく。

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2018年10月13日

Posted by ブクログ

橋本氏の主張は気になるのですが,今回は少しわかりずらかった.話の論点があちこちしたので,雑談しているような感じ.自己主張が下品であるあたり,面白く読んだ.

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2017年10月08日

Posted by ブクログ

かなり偏ったイデオロギーのうえにトピックが乱立しているといったイメージ。たまにeye openingなポイントがないわけではないのだが、本としてどうなのという点はある。

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2017年09月10日

Posted by ブクログ

ひさびさの橋本治。相変わらずのらりくらり話と話をつなげていきます。テーマは反知性主義について。BREXIT、トランプ大統領、フランス大統領選、そして東京の都民ファーストの会の大勝…世界中そこかしこに溢れ出る傾向を主義主張ではなくて「かつて持っていた自分の優越を崩されたことによる不機嫌さ」という「気分」なのである、と指摘します。戦後昭和平成21世紀の時の流れに著者自身の実感を重ね合わせつつ思いつくままに話題を飛躍させながら、でも極めて誠実に論を積み上げてその気分を捕まえようとする試みが本書です。とても平明なのにかなり難解な本で「いま起こっていることはそういうことなんだろうな…」というやっぱり気分が残る感じ。このモヤモヤ感が橋本節だったような…

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2017年07月17日

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