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Posted by ブクログ
日本の歴史を紐解いても、これほど残酷で凄まじい1ページはないことでしょう。広島に原爆が落とされた直後、昭和の時代で三本の指に入る台風がその現場に襲いかかったなんて、僕は今の今まで知りませんでした。
この「忘れられた災害」をどう捉えるべきなのか、読み終えてもなんとも言葉のない、やり切れない一冊ではあります。おそらく作者の柳田もそうだったのでしょう。
しかしこの本は、単なる惨劇の記述に終わってはいません。
むしろ、そんな惨劇の土地の真っ只中にありながらも、自分たちの仕事を放棄したりしなかった気象台職員たちの熱意が主題となっています。それがあるからこそ、読者もそこに一筋の光明を見るような思いで読み進めることができます。そして作者の柳田も、やり切れない現実の記述の中に、そのような形で「人間性」というたったひとつの希望を見出していたのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
広島・原爆と来れば、壮絶な記録であるのは当たり前である。しかし、
終戦前後の気象観測に切り口を持って来たところが、さすが「柳田
ノンフィクション」なのだろう。
爆心地から離れていたとは言え、広島気象台も原爆投下の被害を
受けずには済まなかった。建物のガラスは四散し、立っていた者は
爆風で吹き飛ばされる。
観測機器も勿論被害を受け、気象観測どころではない。通信設備や
無線も使えない。それでも、広島の状況を東京の中央気象台に伝え
なくてはならぬ。
気象観測に欠測は許されぬ。東京の中央気象台に送れなくても、
満足に機器の修理も出来ぬまま広島気象台は気象観測を続ける。
そして襲った枕崎台風である。広島気象台では異常な風雨を観測
していたが、通信網が復旧しない広島の悲劇は、台風が近づいて
いることを伝える術がないことだった。
この枕崎台風では軍の要請を受けて、原爆被害の調査の為にいち早く
広島入りをしていた京都帝大の調査班からも遭難者が多数出ている。
そして大量に採取した原爆被害の標本も、突然の土石流で失われた。
「この被害を後世に伝えねばならぬ」。広島気象台の台員たちは、
原爆と台風の被害調査を地道に続けて行く。しかし、被害者・目撃者
からの聞き取り調査を元にした資料も、GHQの命令で発表の場を失う。
どの時代にも困難な状況にあるにも関わらず、自分に課せられた
使命をまっとうしようとする人々がいる。綿密な取材の出来た上質
なノンフィクションだ。
Posted by ブクログ
原爆直後の台風一過。
広島に原爆が投下された8月6日、その1ヵ月後の9月17日、観測史上稀に見る大型台風が広島を襲った―――。
中央気象台は各地方からの測定結果を元に天気図を作成しているが、何らかの事情で地方からの入電が途絶えると、その地域の天気図は空白になってしまう。
枕崎台風でも同様の事が起こり、九州南部から空白地帯が広まっていった。それは台風の進行と重なり、今回の台風の尋常ならざる勢力を示したいた。
被爆直後の広島では通信業が途絶え、情報を市民へ提供する術が無かった。警報を示す赤い旗を掲げるも、その意味を理解しえた市民は少なかった。
そして迎えた9月17日、台風はバラックを吹き飛ばし、山津波を引き起こし、全てを洗い流した。
その衝撃が冷めやらぬうちから、気象台の職員は被爆後の台風災害という空前絶後の被災調査を始める。
地道な聞き込みの結果、恐るべき台風の猛威が明らかになっていく。
この本で最も感銘を受けたのは、気象台職員達の観測への熱意だ。
原爆投下直後から定時観測を続け、一方で被災者への聞きこみ調査も行っていく。記憶が劣化しないうちに原爆と台風の記憶を後世に残す意義を知っていた。
それは気象観測の精神に刷り込まれていた事だったろうが、このような非常事態下でもそれを徹底して行っていた事に目を見張る。
さらに、その記録を掘り起こし、自分の足で関係者への聞き取りを行い、この本を完成させた著者にも感謝する。
Posted by ブクログ
広島へ原子爆弾が投下された前後を気象台の所員の動きを通して描いています。原子爆弾の直接の被害に目が向きがちですが,その直後に広島に上陸した超大型の枕崎台風が広島に更に追い討ちをかけたことは,まったく認識外でした。広島出身なので,おなじみの地名も出てきてより臨場感を感じつつ読むことができました。
Posted by ブクログ
「枕崎台風」という台風は名前だけ聞いたことがあったが、本当に名前しか知らなかった。
この台風は終戦直後の九月に枕崎に上陸し、広島を通って日本海に抜けた大型台風だそうだ。
そう、広島なんである。一月前に原爆で壊滅状態に陥った無防備な広島を、巨大台風が襲ったのである。
本書は、広島の気象台職員を主人公に、半ば小説仕立てで枕崎台風の被害を描いている。
本書を読んで感銘を受けたのは、気象台の職員にせよ、病院関係者にせよ、学者にせよ、あの戦争のさなかで黙々と職務をこなしていたということである。
広島・原爆というと、私が最初にそれを知ったのは子供の頃読んだ漫画の『はだしのゲン』であり、丸木依里の絵本であり、戦争体験記の児童書である。で、もう少し大きくなると大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)を読んだりしたわけである。が、被害者の立場から見た惨状はある程度知っていても生き残った人が職業人としてどういう身の処し方をしたかということはほとんど知らなかった。(もちろん『ヒロシマ・ノート』にも治療にあたった医師のことが書かれてはいるのだが)子供心には、当時の大人が何だか竹槍訓練と炊き出しばっかりしていたように感じたものである。今考えるといくら戦争中でもビジネスマンもいれば技術者もいれば新聞記者も鉄道職員も郵便局員もいたわけである。原爆投下後にも、焼けなかった郵便局は開いていたのに驚いた。
主人公(視点人物)とされている気象台職員をはじめ、他の職員らは原爆投下後、「気象人」としてのプライドと義務感をもって怪我や食料不足に苦しみながらも職務を全うしようとする。実に頭が下がる。それとともに、この惨禍を膨大な調査によって明らかにした著者のねばり強い取材にも感服した。