【感想・ネタバレ】仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

本書を入門書や注釈書といって良いものか?
ゼロポイントの題通りに、ど真ん中を、引用、知性を持って理論的に説き明かしていく。そしてそれは筆者の裏付けのある実践でもって支えられている。
仏教用語に関する予備知識や仏教に触れる経験があった方がより興味深く読めるとは思います。
歴史を振り返ったりスッタニパータ等についての解説もあるが、畢竟、至極当たり前の事が書かれています。
しかしこの視点で書かれた仏教書は多くはない気がします。
ここ20年で読んだ仏教書では最良の一冊であると思います。
本当にお勧めします。

0
2023年08月28日

Posted by ブクログ

仏教がアナーキーかつラディカルで、しかもプラグマティックであることを隠すところなく伝える本。

生き生きとした筆致にもかかわらず、内容は慎重を期していて、信頼が置ける。

釈迦が輪廻を否定したって私も思っていた!どこで習ったのだろう。。

0
2019年04月13日

Posted by ブクログ

瞑想の考え方について知りたいと思い手に取ったが時間がなくざっと読んだだけなので、瞑想の参考に出来るほどのものは得られなかった。しかし涅槃や悟り、仏教の起源については初学者の自分にも分かりやすく書かれていた。今回読めていない部分が多いので再読したい。

0
2018年12月19日

Posted by ブクログ

やや難解な内容ではあったがゴータマ仏教の神髄に触れられたような気がする。まだわかったようなわからないような状態ではあるけど、それこそ簡単にわかったらもっともっと解脱する人も多いだろうし。

0
2016年12月10日

Posted by ブクログ

生きることの苦に対する姿勢が仏教だとすると、生きることが楽(喜)だと思っている自分はどうなのか。
その楽が原因で苦がくるのか。あるいは楽には楽の生き方があるのか。
探っていきたいと思った

理解しても「わかっちゃいるけどやめられない、悪い癖」。これを抜くために修行

0
2016年11月26日

Posted by ブクログ

201607/

縁起の法則が、私達衆生の迷いの生存状態・苦の現状を形成している法則であるからであり、ゆえにそのはたらきをありのままに見て、私達を現状に至らしめている原因・条件(因縁)を消滅させることができれば、私達は苦であるところの迷いの生存状態から脱却する(解脱する)ことができるからである。/

ゴータマ・ブッダの仏教において目指されていることは、衆生をこの「世間」の存在状態から「出世間」へと移行させることであり、その手段は、縁起の法則によって形成された私達の苦なる現状について、その原因や条件を徹見し、それを消滅させることである。「仏教は難しい」とよく言われるが、その基本的な筋道は、このように、これまた実にシンプルなものなのだ。/

ゴータマ・ブッダの教説の新しく、そして弟子達にとっては魅力的であったポイントとは何かと言うと、それは彼が衆生の苦という存在のあり方を徹底的に分析した上で、それは原因による必然的な結果ではあるが、そこからの解脱は決して不可能ではないと結論したこと。そして「私(ブッダ)はその原因を見出し、それを根絶することができた。私はその方法を君達に教えてあげることができるし、そのとおりにやれば、君達にも必ず私と同じことができる」。このようにはっきりと語り、かつ、その言葉が真実であることを、彼の全人格を持って、対面する人々に納得させ得たこと。これこそブッダの教説が多くの人々を惹きつけた理由。/

世界を説明することではなくて、世界を超越することが仏教の第一目的である/

厭離と離貪を経て解脱に至った者には、必ず「解脱した」との智が生ずる、というのは、経典において何度も繰り返されている仏説の基本である。そして、このいわゆる「解脱知見」を得た修行者は「わが解脱は不動である」とか、もやは再生することはない」とか、「梵行は完成した」とか、「為されるべきことは為された」とか、そのような自覚を明白にもつ。/

渇愛は凡夫に対しては「事実」として作用しており、それが彼らにとっては「現実」そのものであるところの、「世界」を形成してしまっている。ゴータマ・ブッダの教説が当時の真剣な求道者たちに対しても説得力をもったのは、彼がそのような「世界=苦」の原因を渇愛であると特定し、それを自分は滅尽したと宣言した上で人々にもその方法を教え、そして弟子たちがそれを自ら実践してみると、本当に「世界」が終わって苦が滅尽した--あるいは少なくとも、そのように確信することができた--からである。/

無為の涅槃の覚知によって、渇愛から離れた眼で現象を眺めた時に、誰が教えるということもなく、ただ明瞭に自知されることが一つある。それは、いま・ここに存在している、「私」と呼ばれるこのまとまりが、他の全ての現象と同様に、一つの「公共物」であるということだ。
「公共物」という言い方が正しいかどうかはわからない。「私」と呼ばれる、継起する現象のまとまりは、「私のもの」ではないけれども、他の誰かのものでもないし、ましてや「みんなのもの」でもない。花が花のようにあるように、山が山のようにあるように、石が石のようにあるように、「私」はただそのようにある。そこには意味も無意味もない。/

仏教の本質は、「世界」を超脱した無為の常楽境を知った上で、そこから敢えて、物語の多様に再び関与しようとすることにある。したがって、そこに新たな物語が様々な仕方で示現することは当然なのだが、それらが「仏教」であるためには、そうした物語があくまで「遊戯三昧」の境地から、執著を離れた形で語りだされていることが必要だ。/

0
2016年07月25日

Posted by ブクログ

仏教の核となる教義をここまでわかりやすく解説した本はないのではないか。

巨大な哲学的体系では決してなく、苦、縁起、輪廻、涅槃、解脱など極めて論理的で、かつ「書かれていることを、書かれている通りにしたら、書かれている通りに解脱できた」という、極めて実践的なものでもある。

解脱とは徹底して客観視する、もしくは人間社会の心象風景は須らくバーチャルだと断じてしまうことのようにも思えるが、解脱者が涅槃と俗世間との繋がりを表現しようとすると、表現の仕方によってさまざまな教理が生じるのだろう。

0
2016年04月12日

Posted by ブクログ

解脱・涅槃とは何か、輪廻と縁起をどのように捉えるか考えるために購入。

パーリ経典に拠る仏教理解を基本にして、解脱・涅槃とは何かという「仏教のゼロポイント」を検討する。
著者はテーラワーダ仏教の瞑想センターで実践を積んでいるが、仏教徒ではない。
本書は、仏教「思想」の本であって、宗教としての「仏教」の本ではない。

輪廻については、業の結果が寄り集まったモノが縁によって生起し続けているだけであって、輪廻が仏教思想の弱点であるという見方を却ける。

大乗仏教に対しては、肯定的とは言えない態度を採る。
ただし、否定的では全くない。

0
2015年11月08日

Posted by ブクログ

なんか、もう、今年最強。涅槃の説明。因果とかってラプラスの悪魔的なもんだよ(私の理解ね、著者の言葉ではないです。)だから、要は、そこで起こってることって色。色即是空。っていうようなことがつらつらと書いてあって、自由意志の問題とかを頭がくらくらするくらい考えてる欧米な人達と比べてのパンチ力半端ないよね

0
2015年09月08日

Posted by ブクログ

恐ろしい仏教入門書を読んでしまった。私は仏教徒ではないということ。この本は、仏教価値を一転させた。さて困った。私の宗教とは?

0
2015年08月15日

Posted by ブクログ

再読。やはり素晴らしい。ちゃんと読めてなかった部分もたくさん。ニー仏さんのツイキャスなどを聞いてから読むとまた別の感慨もある。輪廻のところ、ツイキャスで質問したいわ。

0
2016年06月28日

Posted by ブクログ

仏教の目的である「解脱・涅槃」とはどういうことか?
その他、縁起や無我など基本的な仏教で重要な要素について解説されているが、しかたないとはいえ、専門用語は多い。

ただ、あくまでも著書はテーラワーダの視点から述べており、大乗仏教に対しては、読み手からはやや否定的と感じる立場である。
その立場も、日本の行学のない仏教への失望から来ているのかな、とも感じた。
ブッダのしなかった葬式法事を最大事とし、観光や地域振興、慈善事業などの世間的な善だけ、自己と向き合い煩悩と格闘することさえ稀な日本の仏教。
失望するのも仕方ないかなと思う。

ただ、著者が平生業成の教えを知らないであろうことは残念である。

0
2023年12月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自然と湧いてくるものを止めるためには、流れに逆らう行為を敢えて行う必要がある。「悟り」とは何なのか?簡単ではないが、読む前よりははるかにわかるようになった。

0
2023年11月01日

Posted by ブクログ

資本主義経済とあまりにも相容れないような気がする。
他者が不必要?自己がいかに無為であるかを追求すること?
仏教の大原則は輪廻転生の前提。縁起からおこる全ては無常であり、それは不満足である。
我儘は、自分のコントロールのできない、外からやってきた無我であり、結局は隷属である。
宗教に効能効果はない。瞑想してもなんの得にもならない。コスパもない。
仏教における倫理規範のの二重構造
仏教における最上の価値は涅槃、それを目指すことが善
一方で涅槃の境地は善悪をともに捨て去った先にある。
そのため、世間の中の日常的振る舞いには、素朴な功利主義と、無生産者なれども尊敬に値する"律"が必要。これによる社会的な生き残り
仏教は政治的庇護を受けていたから2,500年も存続してきた。
輪廻とは、「何かが輪廻」しているのではなく、現象の継起、プロセスそのものが輪廻である
つまり、なにかから彼方にバトンが渡るようなものではなく、今この現在に置いても続いているこの状況が輪廻。

0
2021年07月31日

Posted by ブクログ

ブッダの教えについて、「これが本当の教えだ、あれは違う」と様々な宗派の色々な意見があります。

そんな事より、この教えで心の平静を得られたと言ってくれた方が、よっぽど信用できます。

けれども、誰もそんな事は言いません。現代社会では、悟りは「円満な人格完成者」と思われているからだそうです。

本書を読んで、ブッダの考えがぼんやりと理解できました。次の本も期待しています。

教義上の争いのエネルギーを、「心の平静を得てみんなが平和に暮らす」ブッダの智慧を蘇らせるのに使った方が、よっぽど有益だと思います。

0
2020年08月10日

Posted by ブクログ

真宗系の本ばかり読んでいるが、いったい上座部仏教ではどのように仏教を解釈しているのかを客観的に知りたくて読んだ。著者が宣言している通り、信仰者ではなく、仏教哲学に基づく悟りの実践者としての立場から、典拠を明示してブッダが求めた悟りについて簡潔に分かりやすく記述されている。
テーラワーダはこういう風に考えているんだという事が理解できた。
自分自身は、まったくこの分野に詳しくないので、これが正しいかどうかに関しては判断しかねるところがあるが、日本の大乗仏教と今いる上座部仏教との大まかな違いが分かったのは収穫である。
なお、テーラワーダのパーリ語経典に関しては、ブッダの言葉を翻訳している点と、一部存在が不明になっていた時期もあることから、漢訳の阿含経より新しいのではないかという疑惑もあるので、何が原点なのかという事はよくわからない。
少なくとも、上座部仏教も、大乗仏教も、人間の苦の開放を目指していることには間違いがない。それが時代や民族の文化と共に変遷したとしても自然なことだろうと思う。
非常に刺激的な内容であるので、仏教哲学一考として読むのはいいと思うが、これを読んで実践に走る前にもうちょっと勉強した方がいいのではないかと思う。

0
2021年04月30日

Posted by ブクログ

 ゴータマ・ブッダの仏教が「何」を目指すものであり、そしてそれを達成すると「どうなる」のかを解明する。なんとも直截な目的で、テーラワーダ仏教のインパクトのすごさに驚きます。大乗の中にいた日本人の多くは、仏教の本質の転換を強く促されています。

0
2019年09月06日

Posted by ブクログ

仏教の目的は解脱する(悟りを開く)ことです。

それを忘れた宗派は「名ばかり仏教」であると私は思ってます。本書はそんな思いを少し肯定してくれる部分もあり、それを「大乗」の奇妙さとして書かれています。これだけ初期仏教から乖離した日本仏教が、なぜ仏教を名乗っているのか?それに対する著者の考えにも納得です。そして初期仏教から変容し続けたからこそ、日本まで伝わったと言う説明はとても腑に落ちました。

本書の内容はかなり専門的で、周囲よりもちょっと仏教を知っているくらいでは、読むのが大変です。実際かなりの時間がかかり、しかも理解できてない部分も多かったです。しかも著者は自分は仏教徒ではなく、探究を楽しんでいるだけだとも言います!!今までにない仏教に対する視点を与えてくれた貴重な一冊です。内容は難しいけど...。

0
2017年08月19日

Posted by ブクログ

文字通り原始仏教の思想をわかりやすくかみ砕いて解説した一冊。

今の日本の俗にいう葬式仏教とは異なるものの、純粋な哲学として興味深く読むことができた。

0
2017年07月22日

Posted by ブクログ

著者は上座部(小乗)の実践者のようなので、大乗の教えに対して拒絶反応があるようだが、何れにしても釈迦自ら大集経で説いたように有効期限が切れた末法の現代においては釈迦仏教で解脱は難しい。それと自分一人の解脱を目指すより一切衆生を救済する方が目的としては優れていると僕は思うが、そもそも大乗の教えは釈迦の教えではないと言うのも首を傾げた。ところどころに「自分さえ良ければ良し」とするニュアンスがあり、それがいかにも上座部らしかった。別にそれを否定するつもりはないが、社会としてそんな人間ばかりだと問題なんじゃないかと思わなくもない。

0
2017年05月03日

Posted by ブクログ

ブッダのいうところの悟り、解脱、涅槃とはなんなのか?
そして、ブッダは解脱したあとで、どうして、そのまま死なずに、人に教えを伝えたのか?

という問題に明快な答えを出しています。
(2番目の問題は、この本を読んでみないと、どうしてそれが問題なのか分からないのだけど)

仏教、とくに原始仏教に興味があって、ときどき思い出しては、読んでいる。大乗仏教の教典に比べるとシンプルで分かり易いのだけど、分かり易いがゆえに、すっきりとしないところがあった。

それは多分、
・どうしてすべては「苦」なの?(人生、楽しいこともあるじゃん)
・輪廻転生って、本当にあるの?(あるいとしても、無我ということと矛盾しない?)
・輪廻から脱する、つまり完全にいなくなる、つまり完全に死んじゃうというのが、どうして求められるゴールなわけ?
・そもそも、悟りって、なんなのよ?
・解脱すると具体的にどうなるわけ?
みたいな疑問だったと思う。

で、この本は、このすべての疑問にとても明確に、整合的に応えてくれる。個人的にはかなりスッキリしました。

ここに書いてあることが好きか、嫌いかはべつとして、そもそもブッダが説いた教えはこんなものだったに違いないと思う。(原始仏教の教典が整合的に読めるので)

で、こうして分かってみると、とてもシンプルで、もうそうとしか読めない。どうしてこれまで、分からなかったのか、分からなくなる。

本書では、日本におけるよくある理解(誤解)を取り上げながら、そういう理解はありえないことを説明してあって、自分もまさに「仏教とはこういうものだ」という考えから、ブッダの言ったことはこういうことに違いないと日本的な誤解をしていたんだな。目から鱗がぼろぼろ落ちた。

要するに、知らない間に大乗仏教を通じて、ブッダを読んでいたわけですね。別に大乗仏教を信じているわけではなくても、なんとなく日本的な言説・風土のなか、その思想が深く埋め込まれているわけだね。

大乗仏教がいいのか、原始仏教がいいのか、という問題ではなくて、まずはブッダ、原始仏教が言っていることを素直に理解してみて、それを踏まえて、大乗仏教とか、さまざまな流派がどう違うのかを理解していくことが大切だと思った。(まあ、宗教としての仏教を考えれば、あとで生じたさまざまな流派は、「ブッダが本当に言ったことはこれだ」というわけで、「ブッダの教えをこういうふうに改善しました」とは言わないわけだからね。)

0
2017年05月01日

Posted by ブクログ

 私自身仏教徒ではないが、仏教の思想というものには元々興味があって、教義とは別に仏教を解説してくれるような本書は非常に興味深い。
 著者も仏教徒ではないが大学やミャンマーで仏教を学んでいる。ミャンマーの瞑想センターで瞑想している西洋人に「あなたは仏教徒ですか?」と訊ねると「そんなことはどうでもいい(I don't care)」と返ってくる。己の生き方についての指針自体はすでにある程度持っていて、その実践のために仏教的手法を採り入れてみよう、という感覚であるし、我が意を得たりという発見でもあった。
 これは絵を描くにあたり、油絵で描いてみたり、水墨画で描いてみたり、写実主義によってみたり、シュールレアリズムによってみたり、という手法の選択にも似ている。大事なのは描きたいものを描くことであって、それに適した(あるいは表現者が好む)表現方法を選択すればよいという話であって。

 宗教とは教祖あるいは経典を崇拝し、すべて教祖、経典の言うがままに従うというものではない、というのは日本人ならおおむね自然に身に着けている発想で、葬式は仏教、結婚式はキリスト教、地鎮祭は神道と目的や趣味趣向によって宗教的手法を使い分ける。
 ただこの「自然と身に着けている」というのが案外と厄介で、自然にできるからこそ「何故」を問いかけられると答えに詰まってしまう。呼吸は自然にできるが、「どうやって呼吸しているのか」と問われて正確に答えられる人は決して多くはないのではないか。

 そうした自然な心の動きを改めて認識し、在るものを在るものとしてとらえることで、また新しく見えてくるものもあるのではないか。


 余談。

P.202
『もしかりにゴーダマ・ブッダ滅後の世の中に、そのような「正しい仏教(引用注:ブッダが実際に説いた教えやその価値判断に厳密に従っているもの)」以外の仏教が生まれてくることがなかったとしたら、それは数千年の時間と数千キロの距離を越えて、私たち現代日本人にまで伝わり、そして受容されることはおそらくなかった。』

 仏教が発祥の地から遠く離れて、長い時を超えて生き続けたのは、その変幻自在というか、「物語の裁量」というものがあって、だからこそ多くの宗派が生まれ、互いに矛盾さえしながら多様性を広げてきた。
 これはなんというか、「参加できる」「ライブ性」のようなものであって、アイマスのプロデューサー概念をはじめとした多くの二次創作コンテンツもそういった要素があるからこそファンを増やし情熱が継続しているわけで。
 そういう視点から考えると「蓬莱学園」というコンテンツが、「学閥」なんてものを生み出すほどに強く深く人々に受け入れられたのは、その変幻自在な懐の深さだったのかなあ、などと本書を読んで思った次第。

0
2017年01月18日

Posted by ブクログ

初めての仏教解説書としてはなかなか難解だったけれど、自分には日本仏教よりも釈迦仏教(ゼロポイント)の方が合っているように感じられたのは大きな収穫。周辺知識をもう少しつけたらまた必ず読みたい。

0
2016年05月06日

Posted by ブクログ

仏教の基本的な考え方を論理的に解説してくれていますね。
自分は知識が少ないので、二度読みでだいぶ腑に落ちてきましたが、理解してしまえば説得力がある本だと思います。

0
2015年12月01日

Posted by ブクログ

これは面白い。世界三大宗教と言われながらその教義は幅広く、親しみやすいようで捉えどころのない仏教についてその起源から考える入門書。著者は仏教の本質を「その教えの説者が、「物語の世界」の外部の視野を、自ら有している」ことと定義し、悟りとはそうした苦痛や快楽の原因となる物語の世界―対称にイメージを付与してしまうものの見方―から解き放たれることと説明しているのはわかりやすい。他にも輪廻というものがいま・この瞬間にも生起し続けている話など、用語を丁寧に噛み砕きながら興味深い内容を教えてくれている。

0
2015年08月22日

Posted by ブクログ

パーリ経典から、ブッダの「悟り」(=仏教思想のゼロポイント)を読み解く本。
初期仏教教団の形態や基本の教理(四諦、八正道など)を頭に入れたうえで、結局お釈迦さまの悟りってどんなものだったの?と思ったときに読むとヒントになりそう。
私は輪廻の話や、悟ったあと利他行に転じた理由に関してが興味深かったです

後半は、だんだんと「日本仏教」を批判するような文が多くなってくるのがちょっと気になります(大乗仏教の思想を悪く言っているわけではありません)。「悟り」のみを扱うのなら、「日本仏教」のことはあんまり言及しないほうがよかったのでは…。

0
2015年11月08日

Posted by ブクログ

難しい! 中国経由で導入された仏教なので、漢字で理解が深まるが、本書によるとほとんど仏教用語が通常の漢字での意味と異なる由.例えば、「苦」は不満足の由.「輪廻」は、行為による作用が結果を残し、その潜勢力が次の業(行為)を引き起こすというプロセスをひたすら相続している と定義され、一般に言われる「ある人が、一つの生から別の生へ移るという物語ではない」.
だったら、もっと分かりやすくするべきだ.最後の章で、日本独特の仏教について、なぜ仏教の看板をはずさないのか とある意味で強烈な批判をしているが、納得できる論考だ.

0
2015年07月29日

Posted by ブクログ

難解だが、バッサリと言い切っているところもあり、読みやすい。研究者としての視点があるから、論理的に感じたのかも知れない。

0
2020年02月02日

Posted by ブクログ

ミャンマーで上座部(テーラワーダ)仏教を学んだ著者が、初期仏教の解釈をおこなうとともに、現代に生きる仏教の実践者たちの体験も参照しながら、釈尊(ゴータマ・ブッダ)「解脱」「涅槃」ないし「悟り」の具体的な内実を、明確にしようと試みた本です。

著者は、「解脱」や「涅槃」を証得した修行者には明白な自覚が訪れるといい、それを世間の「現実性」と区別して「本来性」と呼んでいます。その上で、大乗仏教における「即心是仏」や「平常無事」の主張は、「現実性」から「本来性」への移行というゴータマ・ブッダの教えには明白に見られた方向性は無効化され、「現実性」と「本来性」が媒介無しに等置されていると論じています。

やはり、大乗仏教的な発想に多少ともなじんだ読者のばあい、ともすると、ここに説かれている「悟り」がドグマティッシュなものに感じられるのではないでしょうか。あるいは、かつて秋月龍珉が批判した「禅の心理主義的解釈」と同様の問題が指摘されはしないだろうか、と思ってしまうのですが。

0
2017年12月03日

「学術・語学」ランキング