【感想・ネタバレ】音楽嗜好症(ミュージコフィリア)のレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

面白かった。この本ほど「自分にとっての音楽とは何か?」を真剣に考えさせられた本はありません。また、これほどまでに音楽的才能というのが解剖学的遺伝(つまり生まれつき)からの影響に支えられている事に驚き、自分には自分が生まれつき持っている手札で鍛錬していくことしか出来ないのだという事実と、自分には自分が生まれつき持っている手札を存分に使って良いのだと選択肢を貰いました。私と貴方が聴いている音楽への認識に、例えどれほどまでに違いが合ってもそれはそれで良いのだ。名著。

0
2021年06月23日

Posted by ブクログ

音楽『嗜好』症というタイトルだけあって、29章すべてで音楽をKEYとして、様々な脳機能上の欠損(事故、病気、先天性、手術)を原因として起きる様々な症例が扱われる。

異常に音楽が好きになった、音楽が嫌いになった、楽しめなくなった…そして音楽に救われた、等の話が様々な症例とともに詳細に紹介される。

どれもこれも人間の脳機能の不可思議さに驚くばかりだが、こうなることが誰にでもありうると思うと怖くなる。

音楽(主にクラシック)の素養があるともっと理解が深まるかもしれないが、さほど素養が無い私の様な読者でもYouTubeなどで動画を見ながら読むとより一層楽しめた。

0
2020年07月05日

Posted by ブクログ

雷に打たれ命を取り留めた替わりにいきなり音楽に取り憑かれた男、金管楽器の低音に反応しててんかん発作を起こす船乗りと言った様々な症例を紹介するオリバー・サックスは「レナードの朝」の原作で有名な神経学者だ。

歌手がよく音楽の力を口にするがどうも一定の条件では本当に力を持つ。言葉を話せなくなった失語症の患者が音楽にのせると会話ができるようになる事がある。なんと話しかけても「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」を繰り返す自動症の患者に音楽に乗せて問いかけると答えが帰ってくるようになった。「コーヒー、それとも紅茶?」「コーヒー」・・・「デイヴィッドは治っている!」彼の食事を持って帰りこう告げた。「デイヴィッド、朝食だよ」「オイ、ヴェイ、ヴェイ。・・・」

絶対音感を持つ者がいれば、音楽を認識できない人もいる。4~5歳で音楽の訓練を始めた場合ちなみに中国人の6割は絶対音感の基準を満たしたのに対し、普通のアメリカ人の場合わずか14%に留まった。声の高低を使う声調言語が音感を鍛える様なのだ。絶対音感のある音楽家の脳は側頭平面の大きさが、左右で大きく違っており、赤ん坊の方が絶対音感に頼るところが大きいことから「大部分の人間は絶対音感をなくし、音楽能力が縮小した」のかも知れない。とは言え絶対音感と美しい音楽を作る能力は別物だ。

生まれつきの視力障害の場合に聴力が発達するのは使われない視神経を聴覚に割り当てるからで、感覚神経は融通が効くものらしい。音色や言葉や数字に色を感じる共感覚はなんだか電話が混戦しているような話だ。特定の才能だけが飛び抜けている知的障害のサヴァン、「なぜ私たちみんなにサヴァンの才能がないのだろうか?」、胎児や乳幼児で弱い左脳が損傷を受けた場合、右脳が対照的に過剰発達をしてしまうのか。左脳が発達すると右脳機能の一部を抑制したり阻止したりするのだが左脳の損傷で変則的に右脳優位になる場合がある。

脳神経に起きているのはおそらく物理的な現象だがそれにしてもいろんなことが起こる。オリバー・サックスの新作は「見てしまう人々 幻覚の脳科学」すでにiPadの中で積ん読状態でこちらも楽しみだ。

0
2015年04月14日

Posted by ブクログ

音楽に取りつかれるということ、脳の虫、才能、絶対音感、共感覚、音楽と身体機能、音楽と感情、音楽と記憶、認知症。
今まで論じられてきたこと、あるいは、語られることなく、個人的な「あるある」でバラバラに済まされてきたような諸々が「脳」をキーステーションにして展開される。その纏め上げだけでも面白いが、さらに特筆すべきなのは、それぞれに紐づけされた事例の多さ。
脳科学者である筆者自身が診察した患者、過去の研究、筆者のもとに手紙で寄せられた体験談、歴史上の人物や作曲家についても考察や分析が及ぶ。
自分の身に覚えがある事例もあり、納得したり感心したり、時には感動もしながら読み進められた。
基本的にはただの音楽好きが読んでもついていける平易な筆致。ただし、脳の知識(たとえば部位ごとの機能マッピングなど)が頭に入っている人なら、ずっと面白く読めるのだろうなと思った。

0
2014年09月11日

Posted by ブクログ

文字通り“雷に打たれて”以来、ピアノを弾くことに取り憑かれてしまった医師。隣人の家から大音量で流れるレコードプレーヤーの音楽のような幻聴。聴覚は機能しているのに脳が音楽を構成する要素をうまく感知できず、無感動になってしまう失音楽症。反対に、言語に不自由を抱えている人たちが音楽の力によって、コミュニケーション手段やアイデンティティを取り戻す過程。脳神経科医の著者が出会い、あるいは送られてきた手紙や時に自身の体験談から、音楽とヒトの脳の関係を語ったノンフィクション。


私が本書で一番興味深かったのは絶対音感にまつわるくだり。ニューヨークと北京の音楽学校で行った調査で、4歳から5歳のあいだに音楽の訓練を始めた生徒のうち、中国人生徒は約60%が絶対音感の基準を満たしていたが、英語話者の生徒は約14%しか基準を満たしていなかったという。この差は中国語が言葉の意味を区別するのに音の高低パターンを用いる「声調言語」であることに関わっている。幼児期において言語能力の発達はふつう絶対音感の保持を妨げるのだが、声調言語はそれ自体音感を必要とするために、絶対音感も保たれるということらしい。
これは同時に乳幼児はみな絶対音感の潜在能力を持っているのだが、言語を習得するため、あるいは聴覚情報を総合的に処理できるようになるために抑制されていくものだということも表している。話はさらにネアンデルタール人の時代へ飛び、原始の人類は音楽でコミュニケーションをとっていたはずなのだが、言語の発達により大部分の人間は絶対音感を失くし音楽能力が縮小した、というスティーヴン・ミズンの仮説を紹介している。
まるで「文字禍」。他の章では古代ギリシャ人が膨大な「イーリアス」や「オデュッセイア」を覚えていられたのは叙事詩に節がついていたからだ、という当然の指摘もあり、ネアンデルタール人と比べて音感が退化してからも人びとは音楽で記憶をつなぎとめていたとわかる。言葉と文字が音楽をコミュニケーションの中心から追いやってしまったのだろうか。
もちろん音楽は今でも人間の記憶と感情を喚起させる力を失ってしまったわけではない。本書第3部、第4部で紹介された音楽療法で救われたさまざまな人たち、特にチック症状に悩むトゥレットの患者たちがドラムを叩くことで解放されていく姿にはとても感動した。視覚・聴覚・知覚に障害を抱える人みなに音楽が作用するのはそれが〈振動〉に他ならないからではないかとも思い、コロナ禍の今、現場で音楽を共有することの意味をまたもう一度考えることになった。
音楽に救われた人だけでなく、音楽に苦しめられた人びとも紹介されている。その多くは耳をよく使う音楽家だ。蝸牛管の衰えによって大脳皮質における音のマッピングが歪んでしまい、音感がズレてしまった作曲家の「自分がもっている耳で仕事をするんですよ。自分がほしい耳ではなくてね」という言葉には胸が痛んだ。聴覚が変調をきたすと、その空白を補うために脳が幻聴を聞かせることもある。ヒトの脳は〈意味〉を求め、〈意味〉をつくりだすことから逃れられないのだ。

0
2020年08月02日

Posted by ブクログ

 難しい本だった・・・。時間かけすぎたかもしれない。色々な症例をもとに、医学的、哲学的、工学的にその分析をする。分析結果がどうつながるのかは分かるものもあればわからないものもある。と、目的を掴むのに苦労する内容に思えた。こういう例があるので、応用すると何らかの音楽的才能が開ける、とかいう話ではなかった(少しその辺に期待してしまった)。

0
2015年09月07日

Posted by ブクログ

以前からこの本のハードカバー単行本を書店で見かけ、気にはしていたのだが、突然文庫化されたので早速買ってみた。
著者は「レナードの朝」で有名な脳神経科の臨床医で、ここでは音楽にまつわる様々な脳現象(音楽が頭から離れない神経症的状況とか、脳の損傷の結果音楽が意味あるものとして把捉できなくなるといった症例とか)を豊富に列挙しており、音楽現象の一面として、興味深い。
ただし、著者は臨床医としての誠実さから、「わからない」ことはわかったように書かないため、諸事象の根本的な理由、その解釈が、読者には呈示されない。
その辺は興味本位で読んでいる我々にとってはちょっと不満である。解釈のほどこされない諸現象が列挙され、私たちは不安になってしまう。もちろん、これは自然科学の限界をよくわきまえた、極めて適切な書き方なのだが。

0
2014年10月19日

Posted by ブクログ

オリヴァー・サックスは、ぼくが脳神経学に興味を持つきっかけになった「妻を帽子とまちがえた男」の著者。
一般的には、「レナードの朝」で有名。

本書では、脳に障害を抱えた人たちを音楽の視点からみている。

脳の障害が様々な困難を引き起こすにもかかわらず、音楽的な能力は損なわれず、むしろ、向上するケースがあることを具体的な患者との関わりを挙げながら、説明していく。

いつものかんじではあるけれど、ぼくに音楽の知識がないせいか、するすると読み進めることができなかった。

0
2014年10月17日

「エッセイ・紀行」ランキング