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Posted by ブクログ
心理学ブームという社会の枠組みに気づかず、私はいつの間にか心理学を学んでいたのかもしれない。何事も現代の枠組みから逸脱して自分は選択できないのかも、と考えさせられた一冊。すべてを心の問題としがちなのもいかがなものか。
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様々な分野で見られる「社会の心理学化」という現象を、精神科医の斎藤環氏が解説・批判している本。
社会の心理学化とは、“教育・福祉・家庭など社会の様々な領域で心理療法の技術が多く使用されるようになり、文化の中で心理療法的言説の比重が大きくなってくるような事態”のことである。Ⅵ章までは、文芸やサブカルチャー・事件報道といった分野における社会の心理学化を紹介している。例として、ファッションと化した「トラウマ語り」や事件報道に精神分析が担ぎ出される現状、心理学ブーム・脳ブームなどが挙げられている。2003年に書かれた本なので、今読むと多少時代遅れ感があるのは仕方がないだろう。もっとも、心理学ブームというのは日本でも遅くとも大正時代には見られた現象らしい。
という訳で、本題は、社会の心理学化の理論的な解釈を試みた終章 「心理学化」はいかにして起こったか である。筆者によると、社会の心理学化というのは“精神分析のシステム論的応用”のことである。つまり、精神分析の知識が人口に膾炙し、それが自己言及的に使われる状況のことを言う。本書に挙げられている例として、ある人が「自分は母親が好きではない」と言うのを聞き、「それなら彼はよほど母親が好きなのだ」と「分析」したりするが、実は、言っている本人が聞き手にそう思われることを期待して言っていることがあり得る。このように、精神分析(擬き)を自らに対して行うことによって、自身に潜む僅かな狂気も掬い取られ、臨床心理学と精神医学への需要が上がったのが、社会の心理学化だという訳である。
最近でも俗流の心理学や脳科学の本はよく売れているようで、そのような「マニュアル本」・「取り扱い説明書」には何処か違和感を感じていた(そういう本に全く価値がないとまでは言わないけど)が、本書に述べられている「心の身体化」、或いは「心のモジュール化」という観点から考えると分かりやすい。
読んでいてハッとさせられたのが、“誰にとっても「自己分析」は不可能”(p.171)ということだった。分析の本質はあくまで治療行為であって、自己分析は一般論にならざるを得ない。平たく言えば、自己分析なんて言っても、畢竟自分に都合の良い解釈でしかないということだ。
“断っておくが、ネガティブな解釈のほうが「都合のいい」ことだって珍しくない。たとえば自罰的なことばかり言う人が、ぜんぜん謙虚じゃなくて、むしろかたくななことが多いのは、その人にとって「自罰」のほうが「都合がいい」事情があるからだ。(p.171)”
これは(特に精神科医の口から)言われると確かに頷けることで、我が身を省みて無闇矢鱈な自己分析には気をつけなければと思った。その一方で、このこと自体も結局はメタな「自己分析」、すなわち自己分析の自己分析、自己分析の自己分析の自己分析、…に回収されてしまうのではないかとも感じた。自己の内面を探る、みたいなことがもはや染み付いてしまっていて、この点に関してどう考えれば良いのか難しい(これも自己分析なのだろうか?)。
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映画やドラマに「トラウマもの」があふれ返り「癒し」がブームになっている現在の状況に対する違和感から出発し、「心理学」的な解説が社会のアーキテクチャとして機能してしまっていることの問題性を鋭く指摘している本です。
「猫も杓子もトラウマ」といったような風潮にどこかいかがわしさを感じているというひとはおそらく少なくないでしょうし、わたくし自身も本書で紹介されている小沢牧子の著書にかなり説得されるところがあったのですが、本書ではそうした「心理学化」の傾向と、表層的にはまったく異なるように見える「脳ブーム」とのあいだに共通する問題を見通しているという点で、単なる素朴な違和感の表明とは一線を画しているように思いました。
われわれは、わかりやすく耳に心地よく響く説明を求めてしまいますが、そのことがわれわれの生きるシステムのなかに組み込まれているのだとすれば、単なる個人の決意によって問題の解決を図ることは絶望的なのかもしれない、と思ってしまいます。
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お年寄りが病院に行くのは病名を与えられるためのように思う
痛み苦しんでいいという権利を病名は与えてくれる気がする
ココロも同じく、この苦しみに理由を、物語を!というニーズが
昨今の心理学ブーム、心のマーケットを生み出しているとのこと
心は胸ではなく、脳にある
感情の原因物質である脳内神経伝達物質を出す・受け取る部分に
先天的な器質の違いがあるかもしれないのに、
全て心理学的物語に乗っ取りますか?と問われていると感じた
物語も正しい部分はあると思うけれど、安心材料の役目が大きい
“親はまさに子供を管理する存在に他ならない。それが自然な姿だ”
自然体のひどい親より管理マニュアルに沿った親の方がいいじゃん
と言っていますが、なるほどと思いました 親は管理者という発想
先天的な器質異常(性悪説的)でも親はコントロールしなければいけない
という発想は物語崇拝から離れた発想、私には新しく魅力的でした
Posted by ブクログ
心理学という言葉は多義的だが、ここでは特に「臨床心理学」をターゲットにしている。
ちょっと古いデータだと女子大生の希望職種の第二位に「カウンセラー」が来ることなどからも読み取れるように、良かれ悪かれ私達は臨床心理学的なもの(たとえば「トラウマ」という概念とか)を意識せざるを得ない時代を生きている。
なぜこのような時代になったのか。そして現代に起きている心理学化とは何なのか。筆者は以下のように述べる。
「昔は思想の時代だった。わかりあうために、みな議論をした。しかし論争だけでは人は救えないことがわかってきた。その結果、思想から感情へ、共有から不干渉へというシフトが起こった。議論の場面が失われて、かわりにガス抜きのようなカウンセリングだけが流行した。心の安定だけが、最大のテーマとなった。状況を切り離して感情へと焦点を当てることで、カウンセリングは問題の所在を見えにくくした。それが心理主義だ」
別に思想の時代に戻れというわけにはいかない。しかし現代をある程度相対化してみる必要性は絶対ある。私達は多分、あまりにも心理学化しすぎている。そういう意味で、一読の価値がある本。
ちなみに通俗心理学批判とかそちらの方向ではおとなしめなので、そういう本を求めている時は違う本を読んだほうが良いとおもわれる。また、存外カジュアルな書き方なので、もっと学術的なものが読みたければ別の書籍のほうが適しているだろう。
Posted by ブクログ
ずっと気になっていたが,文庫版が出てたので読んでみた。後半ちょっとムズかった。今の学生を見ていると,「飾り」としてのトラウマみたいなのはあるような気がするなーと。