【感想・ネタバレ】生きていく民俗 生業の推移のレビュー

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Posted by ブクログ

「みんなの民俗学」を読んでからまた民俗学づいている。
民俗学の本、読んでるととても楽しい。なにか知識として身についている気は特にしないが、きっともっと大事な何かが身についているはず!
民俗学って、「普段の生活」が時間が経つと「学問になる」というのが面白いと思っている。いっそのこと、今この瞬間が既に民俗学の対象になりうるわけだし。

この本は江戸から昭和あたりの人々の暮らしー農民、出稼ぎ、行商、丁稚奉公、女性の仕事など、なんかよく見るテーマから、物乞い、被差別職業、人身売買など、おおっぴらに語られなさそうなものも研究対象の一つとして平等に紹介しているのがとても良い。
ただ、それぞれ一つのテーマを別々に紹介していくというより、「すべてが繋がっている」ように説明してくれるので理解しやすい。

あとは昔は良かったみたいな風潮あるが、昔のクソなところは本当にクソというのはちゃんと理解しておかなきゃとはやはり思う。昔はなにより人の命が軽すぎた。

また、日本の古い言葉は漢字の読みも含め、今の観点から見直すととてもエモいので覚えていきたい。

かもじ: カツラ
販女 (ひさぎめ): 魚売りのこと
杣 (そま):古代から中世にかけて律令国家や貴族・寺社などのいわゆる権門勢家が、造都や建立など大規模な建設用材を必要とする事業に際して、その用材の伐採地として設置した山林のこと
オーレン:黄連という生薬?

塩飽諸島 )しあく) 香川県
雑喉場 (ざこば) 大阪
水分 (みくまり)
特牛 (とつこい)

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2021年03月23日

Posted by ブクログ

時代は循環しながら発展していくと言われるもので、高度経済成長時期を過ぎ、人口の減退期にある日本では、自然農やマクロビオテックといった動きが、昔ながらの地方の田舎の暮らしをモチーフとしたイメージ作りとともに、一部で力強いムーブメントとなっている。心理的な側面として、現代社会に対して多くの人が食や経済やらに関して、不安・生き難さを感じているのではないかと想像する。

チャールズ・アイゼンシュタインは「聖なる経済学」の中で、人々に分離感やエゴ意識が高まり、疲弊していく社会を救う考え方として、贈与経済の有効性を述べている。これによればマネー経済は領域を縮小させることになるのだが、それはかつて日本で行われていた暮らしに近いものがありそうに思える。
また、オーストラリアで生まれた持続的な農業を主とした暮らしを実践するパーマカルチャーは、しばしば、日本の江戸期に見られる循環型の社会と比べられる。

この本では、中世・江戸期・昭和30年頃までの日本における経済と暮らしを「生業の推移」としてまとめられている。1965年刊。かつての日本の暮らしを再確認したいと思って手にした。

結果を言うと、明治初期の人口3500万くらいだと、うまく自給できるところも7割くらいあるが、その他3割は物々交換やマネーを介した交換経済が中心であったこと。それも安定的なものではなく凶作も起きるし、出稼ぎや人身売買などもあるし、人が食べていくためには生業も固定的ではなく、いろんな変遷があったことが分かる。江戸時代万歳といった簡単な話ではない。

今の時代は確かにマネーでいろんなものが代替できて、職の自由もあるのだけれど、かえってマネーに縛られることが多くなり、貧富の格差に対する感覚も以前に比べ広がっているとされている。人件費よりも安い化石燃料で機械化され、出荷時期をずらしたことが付加価値とされる今の農業がいつまで成立するものか。
これからの社会のあり方がどう変わっていくのか深く考えさせられる。

一文だけ理想的な自給社会像の例を紹介しておく。
【鹿児島県大島郡十島村宝島】鍋釜鍬鎌のような金具類、材木以外は自給できた。砂糖、塩、タバコ、イモ焼酎、バショウ繊維、生糸、船などは自給した。造船や鍛冶の仕事は技術を持った人が行い、頼んだ人はその間、船大工や鍛冶屋の畑仕事をするという労働交換であった。
島内では金銭は必要なく、島で生産できないものを購入するために砂糖やカツオブシを鹿児島まで行って売った。財産も平均して他人の生活をうらやましがることもなければ、その世界はまさに天国であるといっていい。古い時代にはこのような集落が本土にも広く分布していたと思う。
・・・まるで、「懐かしい未来」のラダックだ。

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2015年11月30日

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青春18切符で旅行中、移動の電車の中で読みました。

地域に生きた人の生業が地域をつくってきて、その軌跡を思い浮かべながらの電車旅。旅行に持っていってよかった。

企業に雇われ働くようになったのはたったここ1世紀の話。
常に貧困と隣り合わせの中で、必死に働き、仕事をつくり日本人は生きてきた。どのような地域で、どのような自然の中で暮らしているかによって、仕事のあり方は違った。仕事×民俗学。地理的、歴史的に俯瞰する本。
面白かったーーー。

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2013年09月02日

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江戸時代以前は、藩や国の単位で往来が制限されていた、、というのは武家社会の話で、農民や商人といった一般層はかなり自由に行き来していました。街道とは別に赤線と呼ばれる山間の道を通って、博労や女衒といった人身売買も盛んに行なわれていました。

人身売買というと物騒な雰囲気ですが、戸籍制度が整備される以前には丁稚奉公や養子縁組といった形で子どもにより良い暮らしをさせる選択肢は普通にありました。

たとえば富山の薬売りは有名ですが、それは日本海沿岸で塩づくりをしていた製塩業が、瀬戸内海などでの効率的な入浜との競争に負けて下火になっていったところに浄土真宗の毒消しの製法が広まり、手の余った若い娘が売り歩くようになったのが起源と言われています。

このように労働力の伝播に従って、文化や習慣、そして生業もバリエーションが増えていきます。上流から下流に行くに従って分業制が生まれたり、専業者の村ができたりといった形で専門職がつくられていき、技術が高度化していったのです。

民俗とはこのように、人々の交流と時代の要請に従って移り変わっていくものなのでしょう。まさしく生き物のような生業の変遷を、もっと追いかけていきたいものです。

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2012年10月04日

Posted by ブクログ

日本の村と町の様々な仕事の変遷を描いている。山、村、海辺、町での様々な職業をその起源から説き起こし、更に著者が各地を旅した時の見聞を散りばめているので説得力が有る。ちょっと前のほとんどの日本人が、色々な生業に携わり、ぎりぎりの生活をしていたというのに驚かされる。明治以降の新しい産業の担い手が、農村に居場所が無い次三男たちと農村を積極的に離れた女性達で有ったというのも興味深い。今後の日本を支える生業が何なのか考えさせられた。

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2012年08月25日

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社会に生業が生まれ、家業となり、やがて職業へと移り変わる。
そんな大きな流れを描いた本。

いつの間にか持っていたイメージのいくつもが、本書によってくつがえされた。

印象的だったのは、かつていたという押し売りのこと。

自分は「サザエさん」の中でしかその存在を知らない。
今話題なのは「押し買い」だが、押し売りもその手の「悪徳業者」「詐欺業者」だと思ってきた。
ところが、本書によれば、かつては相互扶助のようなものであったらしい。

自給自足でやっていけない土地で、凶作が起こったりすることで流浪の民が生まれる。
乞食になることをよしとせず、食べ物などをめぐんでもらう形ばかりの対価として、粗末であっても品物を置いていく。
富める者は貧しい者を助けるのが当たり前という発想の贈与=交換だったというのだ。
十分なのかはわからないが、貧しい人の誇りにも配慮した社会のありかたなのではないか、と感じた。

イメージが大きく変わったといえば、農業者も漁業者も、かつては移動しながら生活していたということも挙げられる。
たしかに、漁業者については、季節によって魚がいる場所がかわるから、それを追って住居も変えるのは言われてみれば納得する。

農業者の方も、出稼ぎが多い。
男性だけでなく、女性も、子どもも。
昭和の「出稼ぎ」のイメージだと、農閑期=冬に都会の工場に働きに行くという感じだが…。
土地にもよろうが、田植え、養蚕など、年中何かしらと出ていく。
それだけ自分の土地だけでやっていけなかったということだ。

農業者が報われないと感じていたのは今に始まらないことだったようで、特に女性に強くそれが内面化されるとう指摘にも、ぎくっとする。
女性が流出すると、集落の人口が減少する。
現在の状況は、急に成立したわけでなく、明治以前から用意されていたということか。

そのほか、どう一人前になるかという話も面白かった。
漁業者となるには、海のあらゆることを知らなければならない。
毎日海に行き、学ばないと一人前になれない。
学校へ行っている暇はないということだ。
商人の方も、厳しい修行を経る。
こちらは特に具体的に詳しく説明されていた。

大きな流れが書かれているのだが、そこはさすがの希代のフィールドワーカー、あちこちの集落の個別的な状況を通して語られる。
巨視的にも、微視的に読むこともできる、一冊で何度でもおいしい本といえそうだ。

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2023年10月01日

Posted by ブクログ

むかしの人がどのように働いて、どのように生きてきたか、働き方の移りかわりと生活の移りかわりを紐づけながら追いかけた宮本常一の本です。
それぞれの時代、それぞれの地域の人々が、その時代その地域に合わせてなんとか食いぶちを作ってしぶとく生きてきたのだというのが印象的でした。昔からそうであったようにこれからの仕事のありかたも移りかわっていくのだろうと思え、読み終えて労働感が柔軟になった気がしました。

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2019年10月26日

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日本の経済史と産業史を地方を見聞して歩いた経験を持ってまとめようとしたもの。農村で完全に自給自足ができなかったことからいろいろな生業が生まれた。その中で、忌み嫌われるがなくてはならない生業の一部が差別の対象となったことなども記されている。
『民俗のふるさと』の下巻のようなつもりで書かれたとのこと。
宮本常一が社会を見つめる視線は温かいなぁと感じる。

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2018年06月05日

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宮本常一は相変わらず、とにかく平易で読みやすい。この本は民間のさまざまな「職業」にスポットライトを当てており、中身も興味深く、宮本民俗学の中でも特に面白い一冊と言えるのではないだろうか。
宮本常一や柳田国男を読んでいて気になるのは、「昔は○○だった」と書かれているとき、その「昔」とはどのくらい昔のことを指しているのだろう、ということだった。
私の推測ではほとんどの場合、「昔」と呼ばれているのはせいぜい江戸時代なのではないか。ただ、農業に関しては、農機具や生活状況は室町時代からほとんど変わっていない、と何かの本で読んだことがある。
民俗学はこのように、しばしば正確な「とき」を明記しない場合があるが、かといって民俗学者は歴史を知らないなんてことは全くなくて、実に様々な史料を手にしているはずだ。
山口昌男さん辺りを参考にすると、おそらく、こういうことだろう。
近代西欧を支配してきた<直線的な歴史観>に対して、近代化以前の日本民俗の宇宙は<円環的な時間>の世界であり、営々とつむがれてきた<庶民>が住まってきたのは、たとえばヘーゲル的な進歩史観とは全く隔絶した空間なのである。
そこには終わりも始まりもなく、人々は喜怒哀楽、生老病死を無限に繰り返しては後代へとバトンタッチしていく。
これはきっと、南方熊楠の<森の生活>に通じるものがあるのだろう。

本書によると、近代的な意味での貨幣経済体制が本格的に動き始めたのもやっと江戸時代である。ただし網野善彦さんあたりはそうは見ていないので、考え方によるところだろう。
貨幣経済が本格的に僻地の<ムラ>にまで届いたのは、きっと江戸時代後期から明治にかけてのことだろう。
その頃、私たちの生活圏は<円環する時間>を永遠に失ってしまったのである。

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2013年12月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

物々交換〜行商が、この国の商売のルーツであり、各地の営みと生業(なりわい)が丹念に綴られる。 『芸事』も、施しを受けて来た“流浪の民”が、生きていく為の『売り物』として成り立って来たという説も興味深い。 夏休みの自由研究的に、民俗学を“かじり知った”一冊。

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2015年09月01日

Posted by ブクログ

人々の生活の歴史が詳細に描かれている。

杉は近世になると桶や樽の材料として利用されるようになり、都市で酒が作られるようになると、吉野熊野で大量の樽材が求められた(樽の記述は水の文化史にもあり)。

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2022年03月19日

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