【感想・ネタバレ】ファイト・クラブ〔新版〕のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

私は野生を忘れた草食動物です。現代人に野生を取り戻させる圧巻の文学。

「私はジョーの前立腺です」から始まる、私は〇〇です、が好きだ。この構文、ファイト・クラブ構文と言っても良いのではないだろうか。(元ネタは雑誌みたいだけど)

ファイト・クラブの創設者、タイラーは「僕」のもう一つの人格だった、というところに何故気がつかなかったのだろうと思うほど、比喩やシーン転換が巧みだった。
そして、殴り合い、全身に怪我をしながらでないと到達できない境地。私たちはフィクションを通して、とても自分では体験できないあらゆる体験ができるのだが、この「ファイト・クラブ」の描写は、騒乱プロジェクトや、タイラーのキスなどは、私たちがどんなに賢ぶろうと、動物で、有機物で、暴力の本能を持ち、血を流し、汚物で世界を汚し、死ぬということを、これでもかと訴えてくる。私はジョーの荒れ狂う胆のうなのだ。

文明は、私たちを野生から遠ざけていく。本能に近い部分はより隠蔽され、私たちに刺激を与えるのはいつでも人工のものだ。それに抗うかのように、ファイト・クラブは、自らの肉体、血肉を使うことで、自分という人間と向き合う場なのだ。

頭に焼きついて、ファイト・クラブを、チャック・パラニュークの文章、世界を欲してしまう自分がいる。

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2023年11月01日

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ネタバレ

これはすごい。
一世を風靡した”ファイト・クラブ”。
当時映画は観た記憶はある。
とんでもなくかっこいいブラッド・ピット、激しい暴力性のイメージが強烈なまでの印象を残している。
が、それ以外の物語の部分となるとほぼ忘却の彼方。
原作を本で読んだこともなかったし、チャック・パラニュークの名すら意識したこともなかった。

最近、『ファイト・クラブ』の作者が長い空白の時を経て新作を出したと聞き、この機会に読んでみるかと手に取った一冊。
まず、度肝を抜かれるのがその文体。
最初は何を言っているのかほぼ頭に入ってこない。
何やら精神に異常をきたしているのか、薬でトリップしてしまっているかのような支離滅裂さと急速な場面転換。
ただ、注意深く、というかちゃんと言葉を沁み込ませて読んでいくとギリギリ理解できる。
理解できてくると、そのぶっ飛び具合が逆にかっこいいとさえ思え、クセになる。
なんとも不思議な文体だ。

デイヴィット・ピースとかジェイムズ・エルロイなんかを彷彿とさせるが、彼らともまた一味違う。
著者あとがきを読むと完全に狙った結果のようにコメントしており、ものすごい技術だと感じた。
そして、この文体を新訳で見事に表現しているのが池田真紀子さん。
最高です。

物語性としても、これはこの世界観に憧れ、かぶれる輩が多く出てくるだろうと思うような中毒性のある陶酔感が半端ない。
不眠症に悩みながらサラリーマン生活を送り、そこそこの暮らしをしているものの今ひとつ生きている実感が薄い主人公。
迫り来る死と向き合うことでその空虚さを埋めることが出来ると気付き、病を詐称し、様々な病気の互助グループ通いをするが、そこで出会ったマーラ・シンガー。
彼女も自分と同じ詐病と確信する。
なぜなら、自分と同じく複数の互助グループで見かけるから。
彼女が居ると見透かされているようで互助グループの活動に没入できない。
何とかマーラと話を着けようと近づくが、あえなく交渉決裂。

そんな中、出会ったタイラー・ダーデンというカリスマ男。
最初はウェイター業の中で行うちょっと過激ないたずら(と言うには悪意ありすぎだが)と少人数での”ファイト・クラブ”の開催を共に行い、やや歪んだ方法で人生の彩りを取り戻して行くのだが、次第にエスカレートし、コントロールが効かなくなって行く。。。

”生”を実感するために繰り返す、正気とは思えない暴力、悪事の数々、狂乱。
ともすると、足を踏み入れてしまいそうになる危うさを牽引力とするカルト的でパンクな唯一無二の物語。

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2023年05月09日

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この本。最初から最後まで面白かったかと言えば、そうではなくて、どちらかといえば、後半から急速に面白くなってきたという具合でした。

そのため、おそらく読む人を選ぶ作品であるだろうし、駄作と見られても仕方がない表現も一部あり、それらのデメリットを乗り越えた名作、という表現がこの作品について書ける、ネタバレなしの書評かな、と思います。


実はこの作品、出会ったきっかけはMr.Childrenの『ファイトクラブ』という曲から始まり、実際にその映画があったことから映画を見て、原作を読んだ、という経緯を踏んでいます。

大まかなあらすじと結末は、映画で既に知っているので、だからこそ、改めて読み切ることができたかもしれません。


主人公の「ぼく」と、「ジョン・タイラー」。
制度の中に生きる自分と、自由に生きる「タイラー」。
タイトルである、「ファイトクラブ」はどのようにしてできて、そしてどのような結末を迎えるのか。


世紀末の退廃感、主人公の不安を、ぐるぐる感じながら、刺激的な表現にちょっとクラっとしてしまいました。

後半で明かされる、びっくり仰天な事実から加速する物語の面白さをぜひ。

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2022年11月19日

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私の人生はどこに向かっても、この本はバイブルとしたい。

ファイトクラブの映画のレビューで「かっけえ、これは男の映画だ」というレビューが割と多く、とても残念に思っていた。映像にするとタイラーが格好良すぎて、過激なシーンの本質がお洒落さに変わってしまうんだなあと、メッセージ性があるストーリーなだけに、残念に感じていた。でもそれは監督であるデヴィット・フィンチャーの力量が、あまりにも凄まじいが故の事象だとも思う。

小説だとカルピスの原液くらい濃く、何を言いたいかが切実に鋭利に伝わってきて良い。

原作者のチャック・パラニュークが何を思って書いたのか、詩的な文や直接的な皮肉が混じった言葉で、独特の世界観を通して視えるのが面白い。

この小説を読んだから、私はなにかしら人生を変えようとは思わないけど、自己崩壊を投影させて、現実の自分を見直すのにはいいのかなって思う。

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2022年08月21日

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映画を見ていたように、情景が目に浮かぶような作品でした。思い返せば返すだけ、印象深いシーンがより鮮明になり時間が経っても好きな作品です。
開放的なストーリー、リアルではあり得ない暴力による統治が恐ろしくもなんだか目が離せませんでした。

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2022年07月10日

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えっっっも!
とにかくその一言に尽きる。あまりに繊細な文体、エモーショナルな展開、新奇性のある言葉選びに驚いた。カルト的人気があるというのは知っていたけどこれは納得。
一見視点があちこちに映っているような主人公の言葉選びは、でも読み進めていくうちに主人公のキャラクターに没入させられる。
繰り返す退屈な昼間と刺激的な夜。でもやがて昼間は夜に引き摺られるように不穏さを増して加速していく。夜の加速はそれ以上で、物語後半でも加速は止まるどころか増していき、ラストはそのまま窓の外に勢いよく飛び出していくような疾走感が残る。
ラストの数行に選ばれた言葉のエモさ。
繰り返される「ファイトクラブ規則第一条」のキャッチーさ。
最高の本だった。

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2022年05月13日

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長い視点で、人はみな死ぬ。
明日死ぬ人間も、いつか死ぬ人間も。
銃口を口に入れられて、「何が望みだったか?」と聞かれたら自分はどう答えられるだろうか。

自分の意志、自分のルールでやれれば万能感が得られるか?他人の意思や社会の規範に身を委ねるのは何より楽で、それはそれで代え難い。どちらが正しいということではない。

以前、自己啓発系の本で「自分モードに入れ」みたいな教えを読んだのを思い出す。

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2022年05月06日

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賛否両論ある1冊。
映画のままが好きなら映画だけをおすすめしたい。
ファイトするというところと、狂人的な主人公だけが同じ。
あとは違うんだけれど、少しシュルレアリスムっぽい狂人さというか、文章も遊んでる(?)、世界観表現の為にちょっと気持ち悪くなるくらい精神的に病んでいるのを強調しているので立て続けは苦しかったかもしれない。
個人的に原作が映画と違うのに拒絶反応が無い為、これはこれで面白かったです。

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2022年04月15日

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昔映画を見たときと全く印象が違う。
めちゃくちゃ胸熱で面白さ倍増。最後の1行も凄くてゾクゾクした。
私は何にでもなれるからこそ私の中にいるタイラー・ダーデンと上手く共存していきたい。

頭の中にいる想像の自分がかっこいいのは世界共通なんやな。
頭が冴えてて大胆でカリスマで突然学校を占拠したテロリスト集団も隠し武器で1人で倒せちゃうんだもんなあ。

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2021年11月06日

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文章に独特のリズムがあって、比喩とか表現が面白い。
資本主義、消費社会に対するアンチテーゼが効いていて、自分の生活を見直さなくちゃな…という気にさせられる。

映画を見てからこの本を読んだので、勝手に頭の中でエドワードノートンとブラピに変換されて読んでしまう。

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2021年04月10日

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ブラピの映画の原作ぐらいの気持ちで手に取ったが、この本は凄い。自分の人生の価値観を揺さぶられるような作品には、なかなか出会えないと思う。この作品にはそんな力があります。

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2019年01月13日

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おれを力いっぱい殴ってくれ、とタイラーは言った。
事の始まりは、ぼくの慢性不眠症だ。
ちっぽけな仕事と欲しくもない家具の収集に人生を奪われかけていたからだ。
ぼくらはファイト・クラブで体を殴り合い、命の痛みを確かめる。
タイラーは社会に倦んだ男たちを集め、全米に広がる組織はやがて巨大な騒乱計画へと驀進する――
人が生きることの病いを高らかに哄笑し、アメリカ中を熱狂させた二十世紀最強のカルト・ロマンス。デヴィッド・フィンチャー監督×ブラッド・ピット&エドワード・ノートン主演の映画化以後、創作の原点をパラニューク自らが明かした衝撃の著者あとがきと、アメリカ文学研究者・都甲幸治氏の解説を新規収録。
デヴィッド・フィンチャー監督作品とストーリーはほぼ同じだけど、ブランド品で心の隙間を埋め広告に踊らされるブランド志向や生きている実感を得にくい社会や男性の生き方のロールモデルがない彷徨える男性の迷走へのシニカルでユーモラスな風刺が散りばめられた原作のユーモラスな面白みが良い。
「ファイトクラブ」の着想のきっかけが、ホスピスでのボランティアだったり、様々な細部の元ネタなどが判るあとがきも必読。

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2024年03月26日

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ネタバレ

映画は未見。ていうかよくこれ映画にできたなーどうやって映像化するんだよこれ

現代人は、みんな心の奥底にタイラー・ダーデンを飼っているのかもしれない
退屈な日常から引っ張り上げてくれる破天荒なカリスマというみんなの妄想が、実際に表出してしまったら……?
みんなが「アイツの指令なら仕方ないよねー」って言いながらメチャクチャに暴れるための言い訳にできる存在がいたらどうなる……?
っていうのが、この物語の本質だと思う

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2023年12月23日

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映画を観てから興味が湧いて。
序盤は映画を観ていないと読めないかも…と尻込むほど独特な文体だなぁと思った。
日本語訳だから余計読みにくいのかと思ってたけど、読み進めるにつれ映像作品のようにシチュエーションがパンパン切り替わる文章が面白いし、主人公の脳内のカオス感が味わえて良かった。

紹介文に「カルトロマンス」と書いていて、映画を観た感じそんなにロマンスがあったか?と思ったが、小説は特に後半が分かりやすくロマンスだった。
映画だとブラッドピットという美しく、セクシーすぎる人間がタイラーを演じていたのでそっちに気を取られて、タイラーと僕を中心に観てしまっていたんだろうなと気付いた。

ファイトクラブ2があるらしいが、日本語訳版はないっぽい?
どこからどう続くのかは気になるが、このままで終わらせてほしい気持ちもある。

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2023年10月21日

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介護施設で働いていると利用者の理不尽な暴力に曝されることがあり、自分も首を締められたことがある。肉体がわりと元気な方だったので苦しかったけども、そのときとても脳内はクリアだった。本書を読んでそのときの澄み渡った感覚は、自分の命が自由で期限のあるものであることを実感したからだと思った。
本作は慢性不眠症を患う主人公にタイラーという人物が「おれを力いっぱいに殴ってくれ」と頼むところから大きく動きだす。2人の殴り合いはやがてファイト・クラブという互助グループとなり、規模を大きくし全米を揺るがす騒乱計画となっていく。
主人公は周囲がそうするように学校を卒業し、就職してメディアの勧める品を消費するようないわば普通の人。そんな主人公は物語が進むに連れて死という逃れられないものに向き合っていき、ファイト・クラブによってそれまで手にしていた普通を捨てていくことになる。この過程が自分の経験した命の危機にも通じるものがあるなと感じた。それと同時に、正解のない人生をいかに生きるのかという哲学的な問いに気付かされた。自分は本書からこの問へのアンサーとして、どんな生き方をしても自分は自分でしかないのだからもっと自分の力を信じて好きに生きてみたら?というメッセージがあるように感じた。

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2023年10月02日

Posted by ブクログ

自分の人生がまるで欺瞞だと感じても、人を殴ってはいけないし自分を傷つけてはいけない。それらは完全に間違ってる。
そして、ときには一度どん底まで落ちてみないと分からないこともある。

ところどころ興味を持続できない章もあったが、中盤から終盤へと差し掛かったあたりの大学中退ボーイとのシーンは、映画にもあったけど、小説で読むと切れ味はさらに格別で、ぐちゃぐちゃになっていく終盤の前で一息をつけるページになっている。
この数ページのエピソードはあまりにも美しいから、このシーンを読むためだけにでもこの小説を読む価値がある。すでに映画を観た人でも。

人間扱いされないことに切れたタイラーが、結局形を変えて同じことをしているということは、一応指摘しておきたいと思う。タイラーも神ではなく、絶対的な正義でもなく、思想に絡め取られ自分の人生を見失い世界の中でもがきながら正解を探し求める一人だということだろう。

ただ映画を先に観ない方がいいね。
読む度にシーンがチラついて全然読むのに集中できない。

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2023年04月28日

Posted by ブクログ

旧訳を読んだのが大分昔なのでうろ覚えだけど、旧訳よりかなり読みやすくなった印象がある。だからと言って文体が綺麗になった訳じゃなく、ゴチャゴチャ感と不安定さはあるので洗練されたという感じ。映画よりも生々しさを感じるのが面白かった。

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2023年04月16日

Posted by ブクログ

抑圧された社会への反逆。
誰かが決めたレールを歩み続けることの疑問。
自己破壊による生への実感。

ファイトクラブにのめり込む彼らには共感できないまでも、この世の中にどこか息苦しさを感じながら歩んでいる自分自身に突き刺さる要素が多く、かなり衝撃を受けました。また、抑圧された社会への反逆という点で、伊藤計劃「ハーモニー」の要素を強く感じました。ファイトクラブの影響を受けたと言われるのも納得です。

ただ、文章がかなり読みにくく、いまどの場面で誰が話しているのが分かりづらいのは欠点かも?結末はだいぶ違いますが、映画版がこの小説の映像化作品として非常に良くできているので、そちらを見た上で、保管として読むのが正解かもしれません。

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2023年01月28日

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ネタバレ

濃い。
映画版は視聴済みですが、原作を読んでやっと"カルト的"に支持される理由が理解できた気がします。
痛みや暴力の描写に濃淡があるなら、本作は原液の濃さでした。
大量消費の既製品に囲まれ、社会の歯車になって生活する。そうして生の実感が薄れ不眠症を患った主人公が、死を目前にした当事者たちと居るときだけ「自分は生きている」と感じることができる。
しかし、それは麻薬でした。
主人公はどんどん先鋭化していき、より強い生の実感を求めてファイト・クラブを創ります。このとき彼は、ファイト・クラブを創りスペース・モンキーを組織したタイラー・ダーデンが自分自身だと気がついていません。
タイラー・ダーデンは主人公の人格の一つであり、強い欲望が形を持った姿でもあった。
忌むべき父、神のメタファーを内面化し、究極の暴力を作り上げ、そして最後には自身の手で破壊します。
マーラの存在は救いにならなかった。主人公は男性性を憎みながらも欲していて、マーラへ向けたのは嫌悪と依存でした。それを愛と言ってしまう。
主人公にとって、彼女もまた人生の消費財の一つに過ぎなかったのだと感じました。

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2023年01月07日

Posted by ブクログ

映画はかなり忠実に作ってあるのね。

テンポよく読める、映画同様原作も刺激的、「生」を実感しているか?現状に満足か?ビシビシ来る。

そして作者のあとがきが地味に面白かった、これを読んだ上でまた映画を観直そう。

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2022年12月28日

Posted by ブクログ

読み終わったあとに壮大な気持ちになる。
文明化された社会の中で消費するだけの生き方をしていないか、考えさせられる。

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2022年03月31日

Posted by ブクログ

 読みにくかったが、ためになった。あなたは、心の底からこの世界に満足できているのかと問いかける本。
 なんとなく生きるのはなんとも愚かな行為だと再認識させられた。
 チキンレースをしている場面は読んでる方まで恐ろしい気持ちになったが、追い詰められた時に本音が出てくるのは納得できた。
 生きる目的を失わないように、常に焦りを持ちながら毎日を過ごしたいと思った。

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2022年03月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

チャック・パラニューク著『ファイト・クラブ』

 デヴィッド・フィンチャー監督の映画版が良すぎて原作小説は全くケアしていなかったのですが、これがどうも米国文学の「新しい古典」と評されているらしいことを聞き及び、ブレット・イーストン・エリス著『アメリカン・サイコ』と同じタイミングで購入しておりました。

 あららら・・・天才ですね、チャック・パラニューク。

 テーマやメッセージもさることながら、散文小説の枠を奥歯をペンチで掴んでグラグラさせるみたいに揺さぶってくるその破壊力たるや。訳者 池田真紀子氏の仕事が良いと思います。改行、句読点、カッコの使い方が本当に上手い。2つの人格のせめぎ合いを記号的にも非常に良く表現できている。

"ちょっと愉快な爆薬は、過マンガン酸カリウムに粉砂糖を混ぜたものだ。要するに、燃焼速度の速い成分に、その燃焼を加速するための酸素を供給できる成分を混ぜるわけだ。すると瞬時に燃焼する。その現象は爆発と呼ばれる。
 過酸化バリウムと亜鉛末。
 硝酸アンモ ニウムとアルミニウム末。
 アナーキズ ムのヌーベルキュイジーヌ。
 硝酸バリウムの硫黄ソースがけ木炭添え。これが初歩的な火薬だ。
 どうぞ召し上がれ。"(P266)

 こういったテキストが散りばめられた本作だけども、実際のところは厨二病患者がガンオタ、ミリオタの欲求をマスターベーション的に満たすようには書かれてはいない。本質的には厨二病患者向けの作品であるにも関わらず。なぜならフィジカルにまつわる卓越した表現をぶつけてくるからだ。その苛烈さや文字から読み取れる痛みは電脳空間で誰かに石を投げつけて溜飲を下げている人間には受け入れがたいと思われる。格闘ゲームを傍観しているような冷静さではそれは読み下せない。我が事として突きつけられるからだ。この小説を読んでいるあいだずっと問われ続ける。「お前はいま、ファイト・クラブに参加している」

" 痩せた連中はどこまでも持ちこたえる。挽肉みたいになるまで闘う。黄色い蠟に浸したタトゥつきの骸骨みたいな白人、ビーフジャーキーみたいな黒人、そういった連中は、麻薬依存症患者更正会にいる骸骨そっくりにしぶとい。降参したとは絶対に言わない。まるでエネルギーの塊で、ものすごい速さで震えるおかげで輪郭さえぼやけている。彼らはみんな、何かから立ち直ろうとしている。自分で決められるのは死に方くらいだから、それならファイトで死んでやろうと思っているとでもいうみたいだ。"(P198)

 ピンピンに研ぎ澄まされた言語感覚でアナーキズムと消費社会批判と信仰と父性喪失と2つの人格の主導権の奪い合いを描く。言葉の切り方と重ね方は非常に詩的。とはいえこの作品の中核は自己決定不能に陥った資本主義への無自覚な過剰適応への闘争であり逃走だ。

"「若く強い男や女がいる。彼らは何かに人生を捧げたいと望んでいる。企業広告は、本当は必要のない自動車や衣服をむやみに欲しがらせた。人は何世代にもわたり、好きでもない仕事に就いて働いてきた。本当は必要のない物品を買うためだ」
「我々の世代には大戦も大不況もない。しかし、現実にはある。我々は魂の大戦のさなかにある。文化に対し、革命を挑んでいる。我々の生活そのものが不況だ。我々は精神的大恐慌のただなかにいる」
「男や女を奴隷化することによって彼らに自由を教え、怯えさせることによって勇気を教えなくてはならない」
「ナポレオンは、自分が訓練すれば、ちっぽけな勲章のために命を投げ出す軍人を作ることができると自慢した」
「想像するがいい。我々がストライキを宣言し、世界の富の再配分が完了するまで、すべての人々が労働を拒否する日を」"(P213)

 商業的、経済的システムを徹底して搾取的だと糾弾しながらそのカウンターとして悪ノリと自己破壊的暴力と左翼的階級破壊衝動を提示する。

 次に引用する2つのパラグラフが自分にとっては本作の真髄だと思っている。知的でジョークが効いていて、既得権益層がふだん想像だにしない社会生活の要素を人質に世の中に対して闘争を仕掛けている。「なめんなよ、俺らを」と。その準備を睡眠なのか無意識なのか曖昧な状況の中で徹底したリアリズムと知性と暴力的思考をもって着々と進めているところが、全てが描かれていないだけに読者が悶絶するほど興奮するところではないだろうか。

" あいにく、自動フィルム繰り出し・自動巻き取り機能付き映写機を使う劇場が増えるにつれ、組合はタイラーをさほど必要としなくなった。というわけで支部長閣下はタイラーと話し合いを持つ必要に迫られた。
 仕事は単調だし、給料は雀の涙ほどだから、全米連合および映写技師映写フリーランス技師組合地方支部の支部長閣下は、巧みな言葉使いを用いて、支部の判断はタイラー・ダ ーデンの今後を思ってのことだと言った。
 排斥とは考えないでくれ。ダウン サイジングだと思ってくれ。
 支部長閣下は臆面もなく言った。「組合は、組合の成功におけるきみの貢献を評価している」
 いや、おれは恨んだりしないよ、とタイラーは愛想よく笑った。給料支払小切手が組合から送られてきているあいだは他言しない。
 タイラーは言った。「早期退職だと思ってくれ。年金つきの早期退職」
 タイラーが扱ったフィルムは数百本にのぼる。
 フィルムはすでに配給元に返されている。フィルムはすでに配給会社に返却されている。 コメディ。ドラマ。ミュージカル。 ロマンス。アクション。
 タイラーの一コマポルノが挿入されたまま。
 同性愛行為。フェラチオ。クンニリングス。SM。
 失うものは何もない。 おれは世界の捨て駒、世の全員の廃棄物だ。"(P158)

"「忘れるなよ」とタイラーは言った。「あんたが踏みつけようとしてる人間は、我々は、おまえが依存するまさにその相手なんだ。我々は、おまえの汚れ物を洗い、食事を作り、給仕をする。おまえのベッドを整える。睡眠中のおまえを警護する。救急車を運転する。電話をつなぐ。我々はコックでタクシー運転手で、おまえのことなら何でも承知している。おまえの保険申請やクレジットカードの支払いを処理している。おまえの生活を隅から隅まで支配している。
 おれたちは、テレビに育てられ、いつか百万長者や映画スターやロックスターになれると教えこまれた、歴史の真ん中の子供だ。だが、現実にはそうはなれない。そして我々はその現実をようやく悟ろうとしている」とタイラーは言った。「だからおれたちを挑発するな」
 本部長は激しくしゃくり上げ、スペース・モンキーはしかたなくエーテルの布を強く押しつけて完全に失神させた。"(P238)

 おまけに、この作品世界ではタイラー・ダーデンのカリスマ性を非常に現代的な思想で否定してみせる。それを「ぼく(眠っていない時の主人公)」との綱引きと同じくらいのウェイトで、みずから組織したファイト・クラブとのマウントの取り合いをやってみせるのである。

" 今後、新たなリーダーがファイト・クラブを開設し、地下室の真ん中の明かりを男たちが囲んで待っているとき、リーダーは男たちの周囲の暗闇を歩き回ることとする。
 ぼくは訊く。その新しい規則を作ったのは誰だ? タイラーか?
 メカニックはにやりとする。「規則を作るのが誰か、わかってるだろうに」
 新しい規則では、何者もファイト・クラブの中央に立つことは許されない、とメカニッ クは言う。中央に立つのは、ファイトする二人の男だけだ。リーダーの大きな声は、男たちの周囲をゆっくりと歩きながら、暗闇の奥から聞こえてくる。集まった男たちは、誰もいない中央をはさんで正面に立つ者を見つめることになる。
 すべてのファイト・クラブがそのようになる。"(P203)

 チャック・パラニュークはこの時点で自ら創作した魅力的な主人公を押さえつけファイト・クラブを「プラットフォーム」化させている。いくら働き者のタイラー・ダーデンでも仕組み化無しにカリスマ性だけで米国中のおにーちゃん達を組織化できない。カリスマ的中央集権を引用の部分では驚くべき明朗さで否定している。

 経済学的にも政治思想的にも組織論的にも非常に示唆に富んだ小説だ。

 消費経済の暴走にカウンターを当てながら、主題となるアナーキズムの暴走を突き放したように客観視する。

"騒乱プロジェクト強襲コミッティの今週のミーティングで、銃について必要な知識をざっと説明したとタイラーは言う。銃がすることは一つ、爆風や爆圧を一方向に集中させることだけだ。"(P168)

 幾重にも張り巡らされた冷めたメタ認知が描く暴力=自己破壊による自己決定権の回復。文章を訓練しただけじゃ書けない小説です。

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2021年07月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

映画がもともとめちゃくちゃに好き。
本1回目→映画→本2回目と進めた。

本は1回目は場面が飛びすぎる文体についていけずで、最初からそれが狙いだとわかって読めばよかった。
それを踏まえて改めて映画を改めて観ると納得の構成だし、そのあとで本を読むと小気味よくスッと入ってきて良い体験だった。
本と映画で場面にいろいろ違いはあるけれど、その本質はズレてないのも良い。

どちらも終わり方の解釈が死んだ死んでないで分かれるけれど、わたしは本も映画も死んでいないな〜と思う。
死んでしまうとそれは本質ではない気がするし、場面もそう描かれているのでは(特に本)、と思うから。
やはり映画はタイラーのカリスマ性がすごくて、本だとそれが薄いというか、カリスマよりミステリアスな印象が強かったな。

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2020年07月15日

Posted by ブクログ

幻想的で現実的な物語だった。カルトな人気があるのも頷ける。 ただ生きていた主人公がタイラーという男と出会い、現実を変えていく。 ファイトクラブについて口にしてはならない。 合間に挟まれる条文や俳句は印象的。俳句は原文ではないだろうけども。 暴力というだけでなく規律を重んじ、クラブは加速していく。 タイラーに関しては察するものはあったけれど、ラストに至るまでの怒涛の過程は一気に読んでしまった。

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2022年01月16日

Posted by ブクログ

大分前に映画を観て、いつか原作を読もうと思っていたが、満を持してやっと読んだ。映画を見ていたらマッチョな漢臭い感じかと思っていたが、実際はそうじゃない。心を麻痺させるな、最期まで熱く生き抜けみたいなメッセージなのかな。

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2018年07月01日

Posted by ブクログ

ファイトクラブと結婚は似ている
久しぶりに読むの苦しくて、解説を途中で読んでしまった。そして解説で触れてるテーマと、それ以外の部分なのかなにかの隠喩なのかわからない部分なのか判断する読み方になってしまった。

話は予想していた通りの話で、テーマは解説で理解していた…ページ数も少ないが
長く感じた。
この長編の元になった短編版の方が読んでみたい。

解説を先に読んで後悔、読み終えたのにその説明以上のことを感じ取れてない気がしてる。

ファイトクラブと結婚は似ている。

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2022年03月20日

Posted by ブクログ

タイラーダーデンのカリスマ性凄まじい
言葉のセンスもおしゃれでかっこいい
でも、映画の方が分かりやすかったかも
これは当時の若者が読んだら痺れるでしょう

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2021年06月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

有名な映画の原作。
著者あとがきでも述べられているが、原作小説があったのだ。

一読して驚いたのは、映画のプロットが小説にかなり忠実なことだ。映画版ファイト・クラブは間違いなく非凡な作品だが、物語とそれを盛り上げるディティールの大部分は小説ですでに語られている。
その一方で、小説のラストは映画とは明確に異なる。ラスト、タイラーに向かって引き金を引いたあとの場面が描かれている。主人公は「天国」と呼ぶ場所にいる。おそらくは医療刑務所。そこで「ぼく」に食事を運んでくる人々は、青あざを作っていたり縫合痕があったり、鼻骨が折れている。そして「ぼく」に向かってタイラーの帰還を待っているとささやくのだ。

自分が映画ファイト・クラブで好きなシーンは、ファイト・クラブにのめり込み仕事をおろそかにする主人公に上司が説諭するシーンだ。上司との面談中、主人公は自分で自分をボコボコに殴る。血を流しながら悲鳴をあげ、集まった人々を前に「許してくれ、もう殴らないで」と上司に向かって懇願するのだ。その結果、主人公はフルフレックス、お咎めなしの労働環境を手に入れる。
このシーンは小説とは異なる。小説では、タイラーの勤務先の1つであるホテルの支配人を前に主人公がこの行動を取る。これは主人公とタイラーの関係の伏線にもなっている。

また、映画では、人間の油から石鹸を作るシーンでは医療廃棄物置き場から盗んでいたが、小説ではマーラの母親が吸引した脂肪を使っている。これは持ち主が特定されている分、小説の方がグロテスク。

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2020年10月22日

Posted by ブクログ

文学のジャンル分けとして「爆破文学」なんてカテゴライズが有り得るのではないかと思っているのだが、本作は爆破文学の現代有望株、といえるのではないか。読ませる爆破シーン多数。

他人と明らかに違う行動論理を持つ人、というものは文学にとっての栄養。本作はその外れた人たちが組織化されていき、カルトに近づいていく様が、独特なテイストで語られていく。

翻訳家の都甲氏が「現代アメリカ文学の新しい古典」と評しており、それは持ち上げすぎだが、現代アメリカの風味を知る上では損のない一冊。

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2020年01月25日

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