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【揺れて荒れて変えて】阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生する中、安室奈美恵がCDデビューし『失楽園』が人々の関心を捕らえた1995年。平成の中でも時代を画す重大事件が相次いだこの1年を振り返りながら、後代に与えた影響について考察を加える作品です。著者は、幅広い分野に関する著作を持つライターの速水健朗。
著者がまえがきで記しているように、懐古趣味を十分に満たすことができることはもちろん、1995年という1年が持つ重要性を改めて気づかせてくれる一冊でした。この年の出来事をどうまとめるかは人それぞれだと思いますが、議論の補助線として非常に参考になるかと思います。
〜1995年とは、それ以前に起こっていた日本社会の変化を強く認識する機会となった転機の年なのである。〜
1995年について記憶のある人にもない人にもオススメ☆5つ
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95年といえば私はまだ6歳だったから、この頃の日本がどんな空気に包まれていたのかはわからないけれど、この本を読んでいる時はなぜか妙な気分になった。当時、子供ながらに私も何か異様なものを感じていたのだろうか。
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1995年は自分にとって重要な年。いろいろなことの転換点だった年。
2浪の末なんとか大学に入れた年。
阪神大震災、地下鉄サリン事件は、その後の911、311と並んで自分の人生での最も衝撃的な事件。
当時バブルのことを全く意識せず、それが弾けたことも実感できなかった。
1995年を通して様々なことを振り返り、思い出させてくれる1冊。
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この本を読んで、最も驚いてしまったのは1995年が、もう18年も前だということ。そんなに、そんなに昔なのかい。ワシ、おっさんやん。。。
読みやすいのに、情報の密度が濃いのでもう一度読んでもいいかもしれない。参考文献も面白そうだ。
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地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災が起きた、戦後史の転機といわれる1995年はどんな年だったのか。歴史を縦ではなく横に読み解く試み。こうして政治経済、文化やテクノロジーを見ていくと、自民党体制の崩壊もインターネットの始まりも、グローバル化も、この時代が基盤になっていたのかと思う。自分はまだ山梨に住んでいた子供だったので、その大きな変化には気づいていなかった。
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阪神大震災とオウム事件のインパクトがありすぎる1995年だが、バブルがはじけ始めた年でもあった。これまでの上へ上へと目指す世の中を脱し、シンプルな生活の良さを見つめ直された。その流れは現代にもつながっている。だから、1995年は数年前のバブル期よりも、その20年後の「今」に近い時代であった。
特に象徴的なのが、ウインドウズ95の発売。インターネットというものが身近になり、その可能性が認識されたという点では、なるほど現在とのつながりは深い。インターネットは情報や娯楽を目の前のパソコンだけで完結させてしまう。新聞も雑誌も店舗も電話も手紙も不要にしてしまう。そして、お金がかからなくなる。それが脱バブルのきっかけとなったような気がする。
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政治、経済、文化そして日本を揺るがした震災やテロ。様々な分野で”日本の転換点”とされる1995年を細かく読み解く1冊。
95年は自分は小学生。震災とサリンの記憶しかなかったが、この本を読んでくと、Windowsだったり、浜ちゃんと小室コラボのヒットだったり、様々な事象が自分にも思い出されて面白かった。
歴史の上ではこうした”転機の1年”が少なからず存在するんだろう。その1年に起こった出来事がその後の社会の在りようを変えていく、ということを、どう意識できるんだろう、と考えた本だった。
現代もその転換点にいると感じる。意識して生きよう。ありがとう。
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読後、改めて1995年は私にとって特別の年だと実感。僕らは歴史から学ぶことが苦手だ。過ちを繰り返し繰り返し。。それでも、まぁ一歩一歩進むしかないのだ。
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いつ「中村英里子は現在パリ在住」が入ってくるかワクワクしていたけど、でなかったーー。
1995年を生きたことがある人が読めば、あのとき何が起こっててそれがどう今に繋がってるか良く整理できそう。
歴史を横に見る手法は「1985」という本を下敷きに、としていたけど、逆に、一番振り返って面白くないのは何年なんだろうなぁ。
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阪神大震災では岡山と広島の県境でも少し揺れた。
学校に行くとみんなあの揺れで起きたみたいな話があって「あれで起きないバカいるのかよ」みたいなことを言ったら美術の先生が起きなかったけどなにか?みたいな返しをした記憶。
オウムもテレビの中でだけ、地下鉄サリンのサリンもだけど地下鉄なんかなかったし乗った事なかったからイメージが沸かなかった。そのぐらいに東京は遠かった。
エアマックス95の実物はあの年に見ただろうか? 結局あの95年に出たエアマックス95やエアフットスケープやエアズームフライトなんかの実物を見たり買えるようになったのはその数年後だった。エアマックスとGショックのプレミアム化で自分の欲しいものとのちに価値がつくから手に入れておこう、ヤフオクで売ろうという本来の価値とは違う部分でファッションアイテムが注目されたのはやはりこの年からだったように思える。
『エヴァ』が始まって毎週ではなく時折部活帰りに家で見ていた。やはりハマったのは劇場版が公開するからそのための深夜での再放送だったけど、覚えているのは内容ではなくエンディングの逆さまで水中に浮かぶ綾波のイメージが僕の最初のエヴァのイメージだった。シンジ達と同じ14歳である中二の年で、リアルシンジ世代と一部で言われていたが、いつしかミサトさんたちの年齢を超したと思ったら『Q』でまたミサトさんたちに年を追い抜かれてしまった。
僕個人では1995年は野島伸司脚本『未成年』が放映された年であり、ドラマにハマっていきその後の人生を確実に間違えた方向に向かわせた一年だった。
オウム事件について書かれている部分を読むと今やっているドラマの『クロコーチ』の三億事件のように警視庁長官を狙った狙撃事件など時間が経ってドラマや小説などで描かれて、現在と1995年を繋ぐものが現れるだろうなと思った。
1995年に生まれた人は18歳、幼くてまったく記憶にない人たちや以降に生まれた人が読むとどう感じるのか。確かにタイムスリップしてもバブルの頃よりは違和感はないんだろうな。
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“最悪でも、いささかの懐古趣味を満足させることはできるだろう”
本書の前書きで、著者が引用した文章である。果たして本書は懐古趣味を満足させるだけの本なのか?いやいや、1995年は、エポックメイキングな年なんですよ!と納得をさせられる本なのか?
確かに経済面やテクノロジー、文化面等、各論では後世に影響を与えた出来事はあったようだ。しかし、1995年という年全体ではそれほど後世に影響を与えた訳ではなさそうだ。というか、そこまで踏み込んだ記載と分析はなされていない。
どちらかというと、“懐古趣味を満足させる”内容であったが、それでも私にとっては懐かしい1年をよみがえらせることが出来た。
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激動の1995年を広く浅く振り返るダイジェスト本という感じ。いろんなことあったんですなあと感じ入るけど、他の年でも頑張れば一冊本になるのかなあ。でも震災と地下鉄サリン事件がこういう本に向かわせたのか。そしてTV版エヴァンゲリオンもまた1995年放送開始なのだった…
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大学に入った年。すごく思い入れのある年だ。阪神淡路大震災や地下鉄サリンなど,大きな事件が続いた年だった。そんな95年を中心として,日本や世界の出来事を雑多な視点から眺める本。
記述はやや無味乾燥な気もしたが,科学技術や文化のくだりでは懐かしい当時が蘇ってきた。政治や経済,国際関係といった堅い話題から始めているのは,ちょっと読者を掴み損ねているようなもったいない感も。でもそれは当時の自分がそんな話題に疎かったせいかも知れない。
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1995年という年を、政治経済、文化、事件など様々なニュースから読み解く。
その時日本はどのような状況に置かれていたか。
社会学の本ですが読みやすい文体でした。
1995年は私はまだ子供だったのでほとんど記憶はないのですが、
なんとなく情景を浮かべることができました。
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★確かにそんな時代だった、けど★著者と同年代として、広く浅く懐かしくは読めた。ユーミンとドリカムの自動車を巡る歌詞の比較で、固有名詞にこだわるキラキラした存在から日用品に変わったとの指摘は興味深い。1995年当時、東京ではデートでそこまで車にこだわらなかったと思うし、むしろ欠かせなかったのは地方だったろう。
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サクッと読めて、あの1995年という年を知れる。オウムと震災ではない、あるいはエヴァではない、1995年。1995年といえば小学1年生で阪神間に住んでいたので、ほとんど記憶はないのだけれども、なんとなくエモい気持ちになりました。バブルは弾けてしまったけど、まだ絶望感は少なくてただただ漠然とした不安がある時代。その雰囲気がなんとなく伝わってきた。
ここに書かれてる様々なトピックをさらに深く掘ってみるとか(個人的に小林よしのりの『ゴー宣』が気になった‼︎)あるいは自分の好きな年を同じように観察してみるとか。読んだ後こそ楽しめる本だなあと思ったり。
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1995年は現代史において、象徴的な年である。戦後50年という節目であるとともに、この年に起こったことを列挙するとその前後の時代の分岐点となっている。
・阪神・淡路大震災
・地下鉄サリン事件
・オウム真理教への一斉捜査
・東京と大阪ではタレント知事が誕生
・村山政権、新進党の躍進、社会党分裂
・デジカメ、PHS、Windows95、プレステ発売
・WTO発足
・イスラエル・ラビン首相暗殺
・ロッキード事件結審・アメリカ-ベトナム国交正常化
・イチローの活躍と野茂の渡米
・若貴兄弟による千秋楽優勝決定戦
・小室系サウンド・Mr.Childrenの大流行
この年に大震災とオウム事件という、世の中を揺るがす大災害と集団犯罪が起こったことで、20世紀末という終末的な感覚も相まって大きな不安感に覆われたように思う。そして災害・安全保障対策やNPOの活用といった政策的転換も図られた。
また、政治的には中選挙区制から小選挙区制へと選挙制度改革が行なわれ、これ以降は派閥や金権政治が鳴りを潜めて二大政党制や知名度の高いタレント候補といった政治家が増えていく。永遠の野党・社会党の解党が進み、自社さ連立によって祀り上げられた村山首相のキャラクターに注目が集まった。
2000年代に急速に拡がっていくインターネットについても、この年にたくさんの萌芽がみられる。象徴的なのは、ソニーが絶好調であり、アップルがどん底にあったことで、ソニーによるアップル買収の話すらあったのだ。
インターネットの勃興とともにグローバル化の不可逆的な流れが本格化したのもこの年である。湾岸戦争以降の大規模な戦争は鳴りを潜め、人類の共通敵としてテロリズムが明確に定義される。東西冷戦の構造にも終止符が打たれた。
この時代において、野球や大相撲、あるいは音楽といった大衆娯楽についても変化が見られるようになる。実力のあるアスリートは海外に飛び出すようになり、また熱狂的にアイドル化する傾向も起こるようになる。それとともに芸能的なアイドルは不遇の時代を迎える一方で、小室哲哉やMr.Childrenのようなカラオケでも歌えるメガヒットメーカーが次々と現れた時代でもあった。
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僕は筆者より少し年上だけど、まあ同世代といっていいだろう。1995年という年が様々な転機であった、ということを、ジャンルを分けて描いている。冒頭に「最低限、懐古趣味を満足させる」という姿勢が表されている。一読すると、1995年前後にあったことが羅列されていて、まさに懐古趣味の満足だなあ、と、それはそれでよいのだけれど、もう一度目次を眺めてみる(僕は普段目次をあまり見ない)。政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費・文化、事件・メディア、というカテゴリー。当時の自分はどのカテゴリーに関心を示していて、今とはどう違うのか。
本書への期待を、考察ではなく自分の変化を追う、ということに移してみると、なんとも楽しい本なのでありました。
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1995年は、最も興味のあるポイントだ。そんな年の出来事がきっちり記されているが、そこからの考察を期待していただけにそれが無かったのが物足りなさを感じたひとつの要因です。あ、終わっちゃったって感じで読み終えた。
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1995年とは、いったいどのような年だったのか。
そう問うとき、「日本の転換点である」と答えて、おそらく大きく外れることは無いだろう。
しかし、果たして具体的にどのような意味で?阪神・淡路大震災、オウム真理教の一連の事件、ウィンドウズ95、エヴァンゲリオン、二信組事件、「新時代の「日本的経営」」…枚挙に暇が無い出来事が、確かにこの年には起きた。それらは現在まで、どのようなかたちで尾を引いているのか。本著は1995年という一年を「横に」読もうという、今までありそうでなかった挑戦と言えるかもしれない。
ただ本著だけで「1995年が転機の年であるという固定観念を外す」というのは、難しい。
本著が1995年というヨコ糸を丹念に織ったとするなら、前後でやはりそれを各テーマの「タテ糸」(いわゆる通常の歴史的経過を見るような著作や言説)と絡ませることで、ようやく固定観念からの脱却は果たされるはずだ。
あるテーマ史への深い理解を目指そうとする時、そこに横からの光を当て今まで見えなかった像を照らす。本著はそうした目的のもとで読まれてこそ、真価を発揮するのではないだろうか。
著者が慎ましくも述べた「懐古趣味を満足させる」だけの著作となってしまうには、あまりにも惜しいとは思う。
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個人的なことを書くと、1995年は高校を卒業した年。なんともう18年も経つのか・・・。
確か1月に大学入試センター試験で思ったとおりにいかずに起きたのが阪神大震災だった。そして、その2ヵ月後、大学受験に失敗し浪人生活が決定したときに起こったのが地下鉄サリン事件だった。
確かに、1995年は著者が言う「転機の年」だったことは否めない。しかしながら、本著は転機の年と断言とする考察に乏しく、こうした事件を書いているだけ、という印象は拭いきれなかった。
あとがきに書いてあった「『1995年』はバブルの時期からたった5.6年あとの世界でしかない。一方、2013年の現在からは、18年も前である。とはいえ、『1995年』はバブルの時期よりも現在に近い時代であるように思う」ということは当時多感な時期を過ごしたからか納得した。
冒頭に書いたように、この年に高校・大学を過ごした世代がロスジェネ世代。個人的には、1995年よりもその3年後の1998年が崩れかけていた高度成長期の価値観が崩れ去ったような気がするのだが・・・。そして、この翌年私は就職活動を迎えるのであった。
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≪目次≫
第1章 政治ーポスト55年体制の誕生
第2章 経済ー失われた20年の始まり
第3章 国際情勢ー紛争とグロ-バリズムの時代
第4章 テクノロジーーインターネット社会への転換
第5章 消費・文化ーオカルトと自己喪失の世界
第6章 事件・メディアー大震災とオウム事件のあいだ
≪内容≫
事実が綴られつつ、当時の評者の文や著者のコメントがはさまる。なるほど、1995年はターニング・ポイントなのだな、そしてその前の時代とは隔絶しているけど、この後は現在までつながっているのだな、と感心。
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正直あんまり内容はなかったと思う。
ただ面白いのは今の20歳の若者が18年前の1995年にタイムスリップしてもおどろかないだろうと。それは1995年が携帯もそれなりにコンパクトだし、ネットも一応ある。バブルのジュリアナじゃないけど、ファッションも違和感がない。女性の眉毛もこれ以前は太いけど、1995年は細眉のはじまり。イチローはいるし、ガキの使いあらへんで!を見れる。安室もいる。違和感があるとすれば、スタバが日本にないくらいだと。それだけ1995年は時代の転換期だったという内容。
確かに1995年はいろいろあった。
阪神大震災、野茂ドジャースへ、地下鉄サリン、知事に青島とノック、テレサテン死亡、函館空港でハイジャック、今話題の八王子スーパー殺人事件、村山談話、オリックス震災の年に優勝、ビートルズ25年ぶりシングル(フリーアズアバード)、ウィンドウズ95、相撲若貴決戦、そして最後に新日対UWF!