【感想・ネタバレ】覇王の家(上)のレビュー

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Posted by ブクログ

小説としての家康像は様々あって、好き嫌いを感じることもあったが、司馬遼太郎の本を初めて手に取り読んでみて、こういう歴史書があったんだと、今更ながらしみじみ感動した。
下巻も続けて読んでいく。

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2023年05月17日

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家康公ブームに乗って読みました。やっぱりこんなお人柄だったのかも!とドラマの家康公とのリンクに思わずワクワクしました。

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2023年03月31日

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相変わらず司馬遼太郎節の炸裂。 この人のエロティシズムどこまで信用していいのかわかりませんが、とにかく興味深い。 徳川家康の幼少期から織田信長との関係、正妻 築山との関係、三河武士との関係、すべて興味深く拝読させて頂きました。

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2023年01月27日

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家康と三河の家来たちの物語。家康は基本的には地方の殿様で、もともと天下を取るような夢も持っていなかったし、それほどの器量があったわけではないとする。確かに、彼は自国を守ることに一杯いっぱいだったし、今川、武田、そして織田に囲まれた環境ではそれは無理もない。そして、三河の国はもともと小さな豪族の集まりで、織田家のような利得に基づく合理的な主従関係はなく、ただ濃密な人間関係が特長であったという。たしかにその観点で、徳川幕府というのは、地方の内向きの政権が大きくなった性格を持っていて、外国との交流を絶ち、ひたすら内部的安定を優先させたというのはその通りかもしれない。
秀吉との関係のくだりのあと、一気に家康の最期まで話が飛ぶなど、司馬作品としては珍しくバラつき感もある作品ですが、よく知られたエピソードの裏側にある、家康の性格、三河人の気質をえぐりだしているとこは、とても興味深かったです。

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2022年02月13日

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久々の司馬遼太郎。昔と違って、地名が出た時に検索すればすぐスマホで確認できるので、物語りが頭に入ってきやすくて、読み応えが上がったように感じた。

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2021年11月08日

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なんというカッコいい締めくくりだろう!読後の満足感と下巻への期待が最大限になって読み終えました。石川数正が到着して戦勝祝いをした際に、秀吉が返した言葉は流石と言うべきものだし、その後の著者の締めくくりがよく出来た舞台の幕引きみたいでした。いつも思いますが、司馬遼太郎の描くこの時期の秀吉はとても魅力的で好きです。この小説の主人公は家康の筈なのですが、最後に秀吉と著者に持っていかれてるところが面白い。笑

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2020年09月13日

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司馬遼太郎がまとめた、徳川家康の生き方をまとめた本。

上では、小さいころの話から小牧・長久手の戦いの途中まで。

自分の才能を疑い、歴史から再現性が高いことを重視して大名として君臨していたことがうかがえる。下手なビジネス書よりも学びがある。

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2019年12月29日

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【感想】
「国盗り物語」や「太閤記」でも、特に異質で不気味な雰囲気を醸し出していた徳川家康が主人公の物語。

読んでいると、家康は決して野望家ではなかったということが窺い知れる。
その独特さや不気味さ、総じて変わり者であるという点はあくまで「三河者」というジャンルが為すものであり、その中でも特に家康は現実主義で、そして悪く言えば地味で、才能や運に頼らずコツコツと物事を堅実に積み上げつつ立身していく様が見て取れた。
家康と、信長や秀吉との違いは、かの有名なホトトギスに関する一句でとてもよく分かる。

かと思えば、たまにヒステリックの如く奇抜な行動を起こし、狼狽え激情し、そして次の瞬間には瞬間冷却されたかのように冷静になる。
また、計算はするが、決して人を裏切ったり、打算的な考えは用いない。
このような変人エピソードもまた読んでいて家康のチャームポイントであり、面白いなーと思った。

家康本人の台詞やエピソードがさほど作中に多くないのも、彼の生前の本音や意見を漏らさない性格によるものなのかもしれないと読んでいて感じた。

下巻も非常に楽しみだ。


【あらすじ】
徳川三百年―戦国時代の騒乱を平らげ、長期政権(覇王の家)の礎を隷属忍従と徹底した模倣のうちに築き上げた徳川家康。
三河松平家の後継ぎとして生まれながら、隣国今川家の人質となって幼少時を送り、当主になってからは甲斐、相模の脅威に晒されつつ、卓抜した政治力で地歩を固めて行く。
おりしも同盟関係にあった信長は、本能寺の変で急逝。秀吉が天下を取ろうとしていた…。


【内容まとめ】
1.国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。
「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。

2.武田信玄の西上に対して
「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」
何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。
家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。
結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。

3.我が子・信秀(後に切腹)を陥れた家臣に対して
信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。
それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。
信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。


【引用】
「人よりも猿のほうが多い」
ただ国人が質朴で、困苦に耐え、利害よりも情義を重んずる点、利口者の多い尾張衆とくらべて際立って異質だった。
「三河衆一人に尾張衆三人」という言葉すらあったほどで、城を守らせれば無類に強かった。


p34
家康という、この気味悪いばかりに皮質の厚い、いわば非攻撃型の、かといってときには誰よりも凄まじく足をあげて攻撃へ踏み込むという、一筋や二筋の縄では理解できにくい質のややこしさを創り上げたのは、ひとつにはむろん環境である。
桶狭間によって勢力地図が変わり、家康が今川氏から解放される運命を作ったが、彼はそれでも今川氏と別れず留まっていた。

また、家康はあくまでも今川氏への信義立てを装い、岡崎城が空城になるまで入らなかった。
無論ただの正直者ではなく、正直を演技するという、そういうあくの強い正直であった。

結果、西の織田と東の今川に対し、同時に自分の律儀さを感心させたこととなった。
家康のような弱小勢力としては、律儀さを外交方針にするのがもっとも安全の道であった。


p63
・武田信玄の西上に対して
「敵がわが公野を踏みつけつつ通り過ぎてゆくのに、一矢も報いずに城に隠れているなどは男子ではない。」
何事も慎重をかさねてきたこの男が、血の気を失うほどの形相でこう言った。
家康という人間を作り上げているその冷徹な打算能力が、それとは別にその内面のどこかにある狂気のため、きわめて稀ながら破れることがあるらしい。
彼は全軍に出陣支度をさせた。
結局は惨憺たる敗北に終わるのだが、しかし彼ののちの生涯において、この敗北はむしろ彼の重大な栄光になった。


p218
本能寺の変後、堺にて其の報を聞いた家康は大いに狼狽え、自害しようとさえ考えた。
同席している穴山梅雪を一人取り残し、三河者だけで協議を行った。

家康の奇妙さは、梅雪にその重大情報を明かす時すでに、激情が去っていたことである。

「国へ帰ります」と、家康は穏やかに言った。
家康の性格のおかしさも油断ならなさも、そういうところにあった。
彼は自衛のための構造計算を平素精緻にしておくくせに、それが一旦崩れると人より数倍狼狽え、しかもその彼を破滅的な行動に追いやる激情が、すぐに沈静してしまうのである。

復讐を思い立ったものの、織田家の他の軍勢と違い、家康のこの場の状態は誰よりも哀れであった。
この言葉で自分を絶望から救い出そうとし、気力を鼓舞してみただけで、さしあたって言葉そのものに重い意味はない。
それよりも、この危険な上方地域からどう脱出するかである。


p222
「穴山殿、是非ご同行なされ候え」
家康は言葉を尽くしてすすめたが、梅雪の表情が優れない。
(家康めは、このどさくさにまぎれてわしを殺すつもりであろう。)

「梅雪、多知ノ男ニテ」
当時言われていたように、武田の族党の中では知恵があり、その知恵を勝頼を裏切ることに使い、家康を仲介者として織田方に寝返り、巨摩郡一つをもらった梅雪は、危険を感じた。

が、この甲州人は家康についてもっと知識を持つべきであった。
家康という男はその不透明な見かけのわりには意外なところがあり、それは年少から一度も人を謀殺したことがないということであった。
家康はこの時期よりあとも、そういう所行はない。
梅雪は、このとき不利な判断をした。

梅雪は、この場で家康一行と別れた。
この行動は、おそらく三河人どもの不気味なばかりの団結の様子を見て、彼らが信じられなくなったのであろう。

梅雪はさほどもゆかぬうちに明智方の警戒線にかかり、その場で首にされてしまった。


p232
村重や光秀からすれば、反逆はむしろ正当防衛であったであろう。
殺さねば、いずれは殺されるのである。

信長はかつて酒井忠次の詭弁を信じ、家康にその子と妻を殺させた。
それほどの目にあった家康こそ反逆すべきであるが、家康は強靭な自己防衛上の意志計算能力を備えていた。
信長も、いま目の前にいる老中の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であると思ったときには自分は自滅するという事を家康は驚嘆すべき計算力と意志力、冷静さをもっていた。


p237
「いずれ物事が煮えてから」
やがて起こるであろう織田家の諸将間の権力闘争が泥沼の状態になり、強者たちがヘトヘトになってから立ち上がっても遅くはなかった。


p242
「復讐戦のため、京にのぼる」
そのような颯々とした行動は、家康の性格では無理であった。
ところが復讐しなければ、世間への顔が立ちにくいという困った課題がある。
このため、せめて復讐に出かけたという事実だけを作っておかねばならなかった。
でなければ、世間への声望を失うし、さらにはかれの士卒に対してもまずかった。

人に将たる者は、士卒の心につねに自分が英雄であることを印象させておかねばならない。
このために、「形だけ西上の姿を見せておく」という、いわば演技的行動をしていた。

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2019年03月22日

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やっぱり司馬遼太郎はおもしろい。スピード感と登場人物の思考描写がいいんだろうな。

変に史実をひとつひとつなぞっていかないから気持ちよく読み進められるんだな。

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2016年07月02日

Posted by ブクログ

司馬遼太郎ならではの徳川家康の話。
覇王の家、というタイトルとちょっと印象が違いますが~面白く読めました。

三河の小さな大名の子に生まれた家康。
今川に人質に出されている間に父は亡くなり、不在のまま跡を継ぐが、実質的には領国を支配できない。
三河の人々はそれに耐え、気の毒な若君を思い続けたという。
実直でやや排他的だが、一丸となって戦う三河武士。
もともと農民である分、地縁に恵まれた関係だったという。
尾張は都会なので、気風が違うのだそう。
織田信長はもちろん、身分の低い出の豊臣秀吉でさえ、ずっと合理主義者だったのはそのせいだという考察が説得力あります。

家康は信長よりも武田信玄のほうに親近感を抱いて尊敬していた形跡があるそう。
そういわれれば‥
織田信長には正妻と長男を殺すように命じられたしね。
しかし、この件については、妻の築山殿のことをえらく悪く書いていて、何か資料もあるのでしょうが、作者の嫌いなタイプだったの?
長男も猛々しすぎて家臣の信頼を失った経緯があるそう。

家康自身は戦った相手のほとんどを許し、反乱を起こした家臣も降伏すればそのまま許し、戦国大名には珍しく?誰かを謀略によって殺したこともない。
自分で手を下して誰かを殺したことは一度もないほどらしい。
さすが、「鳴くまで待とうホトトギス」?
家康は最初から天下を望んだのではないでしょうね。

大河ドラマ「真田丸」が始まる頃に、予習のひとつとして読みました。
あまり真田について詳しくなりすぎても、かえって文句言いたくなるかもと思って、この辺から。
本能寺の変の後の伊賀の山越えの話など詳しく書いてあり、ドラマではほとんどスルーの小牧長久手の戦いも詳しかったので、ちょうど良かったです☆

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2016年06月25日

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ネタバレ

司馬遼太郎の本は、いつもひとつの事柄から、違った方向にひろがっていったり、例え話をいれてくれたりしてわかりやすく、おもしろいです。本作は、大河を見て家康をもう少し知りたくなり読んでみました。三河衆の忠誠心の強さ、今川衆や織田衆の三河衆の見下し、信長より信玄の生き方を参考にしたこと、三河物語は大久保彦左衛門のひがみが書き込まれていること、信康が長篠の決戦前での退却戦で殿をつとめたことなど色々知ることができました。いちばんは、築山殿の話。10歳も家康より年上で、多淫であること、ヒステリックであることなどは大河で有村架純演じたものとは全く違い、私はどちらかというとこの作品のイメージでしたが、本来はどちらなんでしょうかな~と考えてしまいました。後半は、義理の叔父にあたる酒井忠次とのやりとりにも驚かされました。信康の非常識な行動からしたら仕方ないのかと思いますが、当時は当たり前のことなんでしょうかね。信長との同盟関係を20年続け、チャンスや恨みもあったろうに、ただの1度も裏切ることもなかったのも、辛抱強いとおもいました。長篠の戦いの後の勝頼との戦いは、色々テレビやら本やら読んでもあまり描かれておらず興味深かったです。勝頼は戦には、強かったが、内政をおろそかにしたこと、北条との同盟を破棄して、上杉と同盟したことなどが、衰退につながっていくことなどは始めて知りました。また、家康も本能寺の変後は強大な勢力である北条と敵対するが、暗愚の氏直と戦離れしている北条軍の弱さを見抜いていたことなどもすごいなと思いました。下巻も楽しみです。

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2023年12月31日

Posted by ブクログ

30代前半までに、主要な司馬遼太郎作品は読んだと思っていたのだが、徳川家康を描いたこの作品は、「主要な」作品と捉えていなかった。今般、NHKの大河ドラマを観ていることもあり、遅ればせながら読んでみた。上巻は、本能寺の変まで。司馬さんは主人公のスキキライがハッキリしてるのだが(司馬史観?)、徳川家康については、「妙な男であった(p318)」と書いてあるとおり(たしかに妙な行動は多い)、そうスキでもなさそうだ。さて、下巻へ続こう。

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2023年09月18日

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大河ドラマが始まって家康についてタヌキおやじぐらいのイメージしかなかったのでこれは読まねば!と。
正直今まで司馬遼太郎作品を読んで家康は好きになれなかったけどやはり読んでみるとイメージはかわる。確かに「奇妙な方」だ。

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2023年03月27日

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大河ドラマの主人公を時代小説で読むことを続けている。司馬史観などと言われたりもするけれども、それはやはり文章が重しろいからなのだと思う。ひょっとしたらこうかもしれないなと思わせる書きぶりは見事。後半も楽しみ。

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2023年02月24日

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徳川家康の今川家の人質時代から桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に敗れ、織田と同盟を結び、武田北条と政治力で領地を固めてゆく。新しい支配者 秀吉にどう対峙していくのか。家康の部下が生き生きと描かれていて面白い。正妻 息子を殺さなければなかった家康。悪妻の評判の築山殿だが彼女の強きなプライドも哀しい。家康が人間関係を重要視しているのがよくわかる。

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2023年01月29日

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 徳川三百年の礎を築いた徳川家康の生涯を描く歴史小説。

 なぜか、戦国時代の司馬作品では、この作品だけまだ読んだことがなく、おりしも大河ドラマで注目されているので、この機会に読んでみました。

 上巻は、信長が討たれた所まで描かれており、家康の巧みな政治力で徳川家を守ってきた苦労が伝わってきました

 また、三河の風土であったり、三河武士の特徴であったりしたものがこの時代を生き残る重要な要素であったことも理解することができました。

 時折挟まれる司馬史観の余談もこの令和の時代にあっても考えさせられる内容でした。 

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2023年01月22日

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知ってたつもりだった、家康と、支えた三河衆のその歩み。 上巻は、甲州武田との繋がりに多くが割かれた印象。屈辱の三方ヶ原の戦いだけでなく、前後の学びと領土・人材の組み込みが、その後の躍進の基盤に。 或いは、奥方と嫡男自害申し渡しの悲劇が、正室 築山の方のヒステリーによるものなど、徳川家康に於ける自らの記憶と、イメージ修正が必要だと感じるに至った一冊。 田舎者から、天下人への変遷を辿る下巻が、早くも楽しみでならない。

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2023年01月09日

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家康の凄さを改めて感じることができる作品。
信長に対して、この行動がどのような影響を与えるか等を常に考えていた様子が伝わってきた。
おもしろくて一気に読んでしまった。

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2021年01月03日

Posted by ブクログ

こういった歴史小説はあまり読まないので、読みきれるか不安だったが、読んでみると家康の新たな一面が次々と露わになってきて、あっという間に読み終えていた。
力強い肉体や、天才的な頭脳があったわけではなく、幼少期から人質生活を強いられ、常に誰かの顔色を伺いながら生きるようなその姿に、親近感が湧いた。
そんな彼が、300年続いた江戸時代を作り上げたのだと思うと、私にも何かできるのではないかと根拠のない自信が湧いてきて、仕事を頑張れた。

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2020年11月07日

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徳川幕府を開いた徳川家康の小牧長久手の戦いまでを描いた本。徳川家のバックグラウンド、家康の複雑な成長過程から彼の人格がどう形成されていったか?彼の美学がどのようなものだったのか?を教えてくれる。
結果、徳川幕府を得て日本人の美学にさまざまな影響を及ぼしたか考えさせられる。

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2019年07月21日

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家康という人間を型にはめて思い込んでいたが、複雑な不思議な人間だったんですね。そうじゃないと生きて行けなかったということでしょうか。でも、最後に天下を取ったのだから面白い。三河と尾張と隣なのに文化がこうも違う点も面白い。やっぱりこの頃はまだまさにそれぞれの国だったんですね。

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2018年01月03日

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どちらかというと三成が好きなので、これまで司馬作品の中でも敬遠してたタイトルですが、食わず嫌い的なところで、読んでみるとなかなか興味深い作品。特に250年続いた徳川幕藩体制は日本人に徳川家の家風を浸透させたという説はなかなか面白い。

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2016年07月25日

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三英傑の中の1人の徳川家康が主人公の小説を初めて読みました。徳川家康を含め家臣、三河衆の特徴についての書き方がわかりやすかった。私個人的には徳川家康を知るための入門書籍としては非常に参考になった。

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2023年05月21日

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どうも司馬遼との相性は余り良くない。

中学生の時に読んだ「項羽と劉邦」は抜群に面白かったし、大河ドラマと平行して読んだ「功名が辻」もなかなか良かったのだが、「坂の上の雲」は永遠と続く戦争シーンが退屈で4巻で断念したし(ただ子規が生きている間は良かった。日露戦争が始まったら作者が替わった様)、この本も下巻を読む気になるかどうか。読んだとしても内容次第で星が1つ減るかも。

合わない理由はまずは司馬遼が評価が低い人物をやや固執的にこき下ろし続ける事。「坂の上の雲」の伊地知(乃木)しかり、この本の家康(三河武士達)しかり。読んでいて鬱屈して来る。

後、日本の歴史を書いた作品が評価される事が殆どだが、海外の歴史を書いた作品の方が面白いと思うのだが。

因みに野沢尚脚本の「坂の上の雲」は素晴らしかった。(断念したが)原作を超えた脚本だと思う。

喜久屋書店あべの店にて購入。

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2023年01月30日

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ネタバレ

~全巻通してのレビューです~

「関ケ原」「城塞」と共に家康三部作とされている本書。
家康が童だった頃の人質時代から天下を獲るまでを描いています。
ただし、関ケ原の合戦や大坂冬の陣、夏の陣には触れられていません。

具体的には信玄との三方ヶ原の戦い、本能寺の変後の上方脱出劇、秀吉との小牧・長久手の戦い、石川数正出奔劇などが中心に描かれています。

家康は信玄をよっぽど尊敬していたんですね。
井伊の赤備えもできましたし。

また、信長の後継者に名乗りを上げた秀吉に対して、圧倒的兵力差がありながらも引かなかったのは凄いなと思いました。

「関ケ原」「城塞」を読んだ後に読む本としてはいいのではないでしょうか。
家康を知ろうとしてこれを読んだだけでは物足りないと思います。
私は山岡荘八の「徳川家康」を読んでたので、おさらいの意味でも読みやすかったですね。

あと、司馬先生は家康を好きではないようですね。
江戸時代という太平の世が長く続きましたが、反面閉鎖的で世界から取り残されましたからね。
評価は難しいところだと思います。

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2021年02月27日

Posted by ブクログ

改めて司馬遼太郎先生の徳川家康を読むというのも、やはり面白い。歴史も時代とともに色々な捉え方をして変わってくるものであるが、司馬遼太郎の歴史観は、やはり全ての基本なのだろうと思いますね。

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2021年01月10日

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物語というよりは、第三者(つまり著者である司馬遼太郎)の視点から徳川家康について語らせた伝記物もしくは人物伝の印象が強い。

スタート地点は三方ヶ原の戦いあたりからであるため、山岡荘八の『徳川家康』に比べると、深く書かれているわけではない。

家康については『関ヶ原』でも主人公の一人として登場しているが、それはあくまでも関ヶ原の戦いにスポットを当てたものである。

司馬はもしかすると、家康にはそれほど興味がなかったのかもしれない。

ただ、司馬の歴史小説には、山岡や吉川英治のように、一人の人物にスポットを当て、その生涯全般にわたって書いたものがほぼない。これが司馬のアプローチなのだろう。

まだ下巻を読んでいないので断定はできないが、本作もおそらくそうだろう。

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2021年01月03日

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ネタバレ

徳川家康の本。司馬遼太郎は家康があまり好きではないようで、家康の劇的な人生の割にはページ数も少なく、小牧長久手の戦いで話が終わってしまう。まあその後の話は、「関ヶ原」「城塞」を読んで欲しいということなのでしょう。司馬遼太郎の考えでは、家康は全く新しいことをせずに人の真似のみで天下を取った、さらに本人は別に天下を欲していたわけではなく自分の領土である三河・駿河を守ることしか考えていなかったらしい。家康のすごいところは自分を人間としてではなく、殿様(社長)という部品であると定義し、人格を消してあくまで機械として一生を全うしたということ。現代のサラリーマン社長的な面があり、そこが個性で通した信長や秀吉と異なるところであり、徳川幕府という大きな会社が250年もの間存続することができた大きな理由なのだろう。また三河人は田舎者でそのために豪奢なことを嫌い、同族意識が強く外部のものを寄せ付けず、かつ我慢強く精悍な武士とのこと。信長、秀吉は三河人であり、明るく贅沢好きで経済感覚が非常に発達しておりお金を通して全てを考えていたので、三河人とは正反対であった。最終的に三河人(家康)が天下を取ったため、三河人の外部を受け入れないという気質が国全体に敷衍されて鎖国となったなどというのはとても面白い考えである。また、現代日本人の我慢強さや質素を好むような面(いわゆる武士道精神)も結局は三河気質によっているようだ。家康が現代に残した影響は相当大きいと改めて感じた。

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2020年03月28日

Posted by ブクログ

徳川家康 なんとまあそこにいるかのような人物像。三百年も続く時代を築き上げるなんて前半の家康さんでは全く想像できない。何度負けても生きていればチャンスはあるわ。ちゃんと生きていれば。

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2017年09月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

――真似るのだ。
 という。独創や創意、頓知などは世間のものは知恵というがそういう知恵は刃物のように危険で、やがてはわが身の慢心になり、わが身をほろぼす害悪になってしまう。いや、わが身の勝手知恵というものは――とくに戦の軍略のばあいは――いかに古今に絶っしたいくさ上手であろうと、やり方が二通りか三通りしかなく、それが癖になって決まりものになってくる。いつのいくさのときもおなじやり口になってしまい、それを敵がのみこんでしまえば、敵のほうが逆手にとって出てくる。結局は三勝して最後に一敗大きくやぶれて身をほろぼすもとになる。
「そこへゆけば」
 と老師雪斎はいった。
「物まねびの心得ある者は、古今東西のよき例をまねるゆえ、一つ癖におちいることがない。それにはなにがよいかという、よいものを選ぶ心をつねに用意しておかねばならず、そういう心におのれの心を持しているためには、おのれの才に執着があってはならぬ。おのれの才がたかが知れたものと観じきってしまえば、無限に外の知恵というものが入ってくるもだ。そのうちの最良のものを選ぶだけのしごとですむのだ」

雪斎の説では、天才とは一生で大いくさを三度もすればそれで十分なもので、百戦百勝というようなことはせぬものだということになる。さらに雪斎の説は、天才でない者はおのれの知を張りださず、ひとのよきものを真似び、それによって生涯粗漏のなきことのみ考えてゆくべきだ、ということになるらしい。

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2020年01月31日

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