感情タグBEST3
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思えば私の中華風物語好きもここから始まったのかもしれない。
中学時代この本を読んでから今に至るも読み返している。
最初の部分は暗誦できるまでになっていた。
その後、20年ほどしてある本屋さんで高校ぐらいの男子二人連れが本を選んでいた。一人の子が冒頭部分を語り出したのを聞いて、この年代の子供たちには印象の深い文学なのだなと思った。
今も電子本で携帯しています。
何度読んでも味わい深い。
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割と定期的に読み返すんだけど文体が好き。
漢文調でお堅いかと思いきやどことなく艶っぽくてリズム感が良い。声に出して読みたい感じ。
『山月記』が特に有名だし切なく滾るものがあるけど、個人的には『弟子』と『悟浄歎異』が好き。子路から孔子への思いとか、悟浄の悟空語りとか「これだけの圧倒的語彙力で推しを褒め称えるのマジ尊敬」ってなる。
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「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」「悟浄出世」「悟浄歎異」
正義感あふれる李陵が敵国匈奴に捕まる。司馬遷は李陵を庇うが、武帝に逆ギレされて宮刑を受ける。
報われない自分の境涯に発狂し虎になる李徴。ノイローゼぎみの沙悟浄。
どの作品も不安や不快、やるせなさが漂うが、人間の愚かさや弱さを直視することで、人間の本質がジワジワ浮き上がってくる。
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名人伝 ー 技を極めるため、成長しつづけて辿りつく先は… 初めて読んだ時、ラストは軽い衝撃でした。人生における老いの一つのモデルとして今も心しています。段々と衰える、ではなく本質を極めていく人の姿が見えます。
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≪引用≫
地に落ちた矢が軽塵(けいじん)をも揚(あ)げなかったのは、両人の技がいずれも神(しん)に入っていたからであろう。
(なんじ)がもしこれ以上この道の蘊奥(うんのう)を極めたいと望むならば、ゆいて西の方(かた)大行(たいこう)の嶮(けん)に攀(よ)じ、霍山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘蠅(かんよう)老師とて古今(ここん)を曠(むな)しゅうする斯道(しどう)の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射のごときはほとんど児戯(じぎ)に類する。の師と頼むべきは、今は甘蠅師の外にあるまいと。
「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐(じゅっかい)である。
≪レビュー≫
中島敦を読んだのは初めてである。
漢文学者の父を持つ敦は、15歳にして3人の母親を持ったという。33歳で亡くなっている。
「名人伝」は、趙の邯鄲の都に住む天下第一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌という男の物語である。
紀昌はまず、百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人の飛衛に弟子入りする。飛衛の教えのままに弓の名手になった紀昌は、「天下第一の名人となるためには、どうあっても飛衛を除かねばならぬ」と飛衛に矢を向ける。この戦いは互角だったが、飛衛は身の危険を感じ、紀昌に新たな目標を与えた。それが甘蠅(かんよう)老師だった。
飛衛が「己の業が児戯に類する」というほどの甘蠅老師は、紀昌に「不射の射」を教える。
9年の歳月が流れ、山から降りた紀昌は、「以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、なんの表情も無い、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変って」いた。そして不思議なことに弓も矢も再び手にすることはなかったという。
やがて老いた紀昌は、「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる」と述懐する。
不思議なエピソードが唯一残っている。知人の許に招かれた紀昌が、弓と矢を見て「 それは何と呼ぶ品物で、また何に用いるのか」と聞いたというのだ。射の名人たる紀昌は、既に弓を忘れてしまっていたのである。
物語の概要は上記の通りである。
とても不思議な話だ。
業の深奥を極めたはずの射の名人が、最後には弓の名前も使い方も忘れてしまっていたというのである。
名人というよりは神の域に達してしまった者にしか見えない世界がある、とも取れる話である。
興味深いのは、「神に入る」や「蘊奥を究め」などの表現が、囲碁名人の允許状や将棋名人の推戴状に通じているところだろう。
もしくはこの作品から取ったのかもしれない。
囲碁や将棋の物語を書くには、この話は使えるかもしれない。
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買って置いたまま放置していた本。
なんとなくぱらぱらと捲って、読まず嫌いになっていたのだが、読んでみてかなり面白くてなぜさっさと読んでなかったのか後悔してしまうほど。
少ないページの中に実に考え深い内容。好きかもしれない。
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悟浄出世と悟浄歎異が載ってるので買いました。中島敦の文章は本当に美しい…。読む度に新しい感動をくれる短編集です。大好きです。
私としては挿し絵はない方が良かったな…!情景を想像するのが好きなので。
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■山月記■
憤悶と慙恚とによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。 事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。
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●山月記●
この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。
事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己は漸くそれに気が付いた。
この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。
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『山月記』の感想。
高校での国語の授業で『山月記』を読み初めて中島敦を知った。友達から文豪ストレイドッグスの主人公はこの人がモデルだよと言われたことと『山月記』自体が妙に心に残る作品であったことを思い出した。
特別でありたいと願う高校生に「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」というワードを読ませるのかと今になって思う。
『山月記』の元である『人虎伝』と比較して読むと中島敦が作品に込めた想いが分かるような気がする。
「人生は何事をも為さぬにはあまりに長いが、何事かを為すにはあまりに短い」という一文が私は大好きなのである。
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高校の頃の教科書にでてきたときはイメージがあまりわかなくて、ぴんとこなかった『山月記』
「史記」「三国志」「キングダム」など読んで中国歴史ドラマみて、中国史を勉強して、イメージできるようになってから改めて読むと、深く心に届きました。
その時代の考え方、習慣を知っていると理解も深まるしおもしろさも増すのね
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中国の故事を元に描かれたものが多いからか、とっつきにくい印象だったけど、全ての作品に引き込まれてしまった。
特に山月記と悟浄出世。
全てに底通する、自己の弱さや迷いに向き合わざるを得ない主人公達は、きっと敦くん自身の姿なのだろう。
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中島敦の本を開くと紙面が黒々としている。つまり、漢字が多いのだ。中国の古典に題材をとった小説が多く(この本に収められてあるのは、そういうのばかり)、難しい漢字、知らない言葉が多く、実は四割くらい意味が分からなかった。内容も哲学的で一字一句理解しようとすると疲れる。が、全体的に面白かった。
面白かった理由のその一は、読んでいて賢くなった気がするからだ。北風のことをいう「朔風」という言葉など漢文から来ている格好いい言葉遣い、漢字使い、漢文の知識がありとあらゆる所に散りばめられており、意味は半分くらいしか分からなくとも「これも日本文学の源流の一つなんだ。この短い熟語の中にぎゅっと意味が凝縮された魅力」と思いながら、読んだ。
言葉や漢字が難しいのに、読み続けられた理由は、話が面白かったからである。登場人物が人間的である。
高校の教科書で読んだ「山月記」。あまりにも自尊心が高すぎ、自分が人に負けているのを認められないため、人を避けるようになり、ついには山の中で孤独な虎になってしまった人の話
。当時、自分のことだと思って読んでいた。
「わが西遊記」からの抜粋で「悟浄出世」。悟浄というと、今だに堺正章が主役だった「西遊記」の中の悟浄を思い浮かべる古い人間なのだが、悟浄は元々流沙河の川底に住んでいた妖怪の一人で、「自分はダメだ。自分とは何ぞや。」と苦しみ、神経衰弱になった結果、流沙河の中の何人かの哲学者の弟子になり、却って自分が分からなくなって、最終的に三蔵法師の一団な出会う。
その悟浄の目から悟空と三蔵法師。観察している「悟浄嘆異」も面白かった。「全く、悟空のあの実行的な天才に比べて、三蔵法師はなんと実務的には鈍物であることか。これは二人の生きることの目的が違うのだから問題にはならぬ。外面的な困難にぶつかったとき、師父はそれを切り抜ける道を外に求めずして、内に求める。つまり、自分の心をそれに耐えるように構えるのである。………悟空には赫怒はあっても苦悩はない。歓喜はあっても憂愁はない。彼が単純にこの生を肯定できるのになんの不思議もない。……二人とも自分たちの真の関係を知らずに、互いに敬愛しあっているのは面白い眺めである。」
この世のあらゆる人間それぞれの短所がその逆のタイプの人を救うような長所である。そういう人間模様を観察している悟浄。
そのように人間の性格の短所を掘り下げたあと、愛情を持って第三者的な視点で肯定する、分かりやすく、面白い作品が多かった。
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万城目学の悟浄出立にて中島敦の本作からの影響が語られており、読みたいと思った。
李陵 万城目学の『父司馬遷』と対に読む事をお勧めします。
弟子 子曰く〜に出てくる子路の話 孔子の清廉さと子路の潔白さを知る事ができた。
山月記 藤田和日郎の『うしおととら』を思い出した藤田氏も本作からの影響を受けていたのだろうかと ふと思う。
名人 極めすぎると一周するって事ですかね・・・ 個人的には本作の白眉!
悟浄出世・悟浄歎異 悟浄考え過ぎ!流石の傍観者なだけある!
因みに中島敦の写真がロンブー淳に似てると思うのは私だけでしょうか?
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友人が好きだということで再度読む。
山月記の臆病な自尊心と尊大な羞恥心は非常に印象的な言葉。
李陵、弟子、悟浄出世も面白い。
生ある間は死なし、死いたらばすでに我なし。何をかおそれん。
賢者が他人について知るよりもグ社が自分について知る方が多い。
悟浄出世の女偊の話が良い。P153
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北方の「史記」を読んでいる流れから、「李陵」を再読したくなり購入。
はじめて読んだのは中学で、その後高校で「山月記」が出てきて。
どちらの頃も、ふーん…という感想でしか持たなかった。
でも、今回はどの作品も夢中になって読み進めたし、響いた。
あの頃すでに良書に出会えていたのに、気付けなかったんだなあ。
遅くなったけれど、気付けて良かった。
「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」「悟浄出世」「悟浄歎異」収録
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山月記が一番好きだ。
中島敦の文章は本当にかっこいい。
というか、めちゃくちゃ知性的といった印象。格調高い。
李徴が自分に重なるとことも多々あり、衝撃を受けた作品。
月に吠える虎…、せつなくて美しくてしびれます。
李陵も印象深い。
かっこいい男とはなんなのか。
国と国との戦争のなかに完全な悪なんて存在しないということも教えてくれます。みんな、正義と正義のぶつかりあいなんだろう。
いやしかしほんとに、かっこいっす、中島敦。
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ipadのi文庫に入っていた。
国語の教科書などで読んだ事はあるが、流石に長年読み伝えられただけあって、短い話でも話自体も面白く、また教訓も深い。
将棋の羽生さんは、著書「決断力」の中で名人伝の様な心境で将棋を差してみたいと語っているが、なるほどと思う。
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読み始めると案の定、「漢文訓読体」というのでしょうか、
その古い文体に悪戦苦闘しました。
しかし、知らぬ間になんだかどんどん夢中になっていきます。
単純に物語が面白い。どの話も。
特に良かったのは、西遊記の河童の沙悟浄を主人公とした二作。
悩める沙悟浄が妖怪の賢者たちを訪ね歩き、教えを乞う。
そののちの三蔵法師一行との旅を彼の視点から綴った悟浄歎異。
まさか沙悟浄をこんな風に描くとは。
読み切るのはとても苦労しましたが、非常にユーモラスで、
とても楽しめた一冊です。
<収録>
1.李陵
2.弟子
3.名人伝
4.山月記
5.悟浄出世
6.悟浄歎異
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やっぱりこの頃の本は文章が綺麗。言葉にしようとするといい言葉が浮かばなくて、結局言葉にするのを断念してしまいそうな心理をするすると文字にできるのは本当に凄いなと思う。中島敦代表作といえば、教科書に載っていた山月記でしょうが、個人的には名人伝が凄く好きでした。オチがいい。たった7ページしかないのに、面白い。後半の悟浄出世と悟浄歎異も、面白い。悟浄歎異の八戒の科白に、思わず「共食いかよ」とつっこんだ。
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私が持ってるのは55版だからこの表紙じゃないよ!
高校の授業で「山月記」を読んだ時は、この作家さんとは仲良くなれそうにないなぁと思ったものだけど、今読んでみると、これだけ漢語語彙が多いのに読みやすい!
慣れない漢語語彙は確かに難解なんだけど、それでも登場人物の感情が手に取るようにわかる。
今までずっと挑戦しようと思って積みっぱなしだったのは損してたなぁ。
Posted by ブクログ
高校の現代文で読んだ『山月記』を再読したくて手に取った本書。しかし山月記以上に、度肝を抜かれた作品に出会った。その名は『名人伝』。弓矢の技術を上達させたいと思った主人公が、様々な鍛錬を経て、最後にある境地に達する。
一つ一つの訓練も、またそれにかける時間も、スケールの大きさが半端ない。それこそ射られた矢のように展開する、物語のスピード感も心地よい。