感情タグBEST3
Posted by ブクログ
性悪説と性善説の両方の内容が、比較されながら載っているのですごくわかりやすい本だなと思います。
私自信人間は性悪説だとおもっていたので、この本を読んで共感する部分もあり、逆に性善説にも感心するところがあり面白いと思いした。
古典を勉強するにはもってこいの本の一冊だと感じました。
Posted by ブクログ
性善説の論語、性悪説の韓非子、この2つをバランスよく取り入れることが組織運営やコミュニケーションを取るうえで大事。どちらかに偏っても良くない。しかし自分はどちらかというと韓非子寄りである。
Posted by ブクログ
孟子と荀子の直接対比は、既に何度も行われていることであり、今それを行っても、目新しい発見は少ないと予想されます。(勿論それは無駄なことではありませんが) それを考慮してか“はっきりと人の天性は善とは言っていないけれど、発言から判断すると性善説の立場に立っているといえる孔子”と“性悪説の荀子に学び、人間の性は悪だから法によって厳しく統制すべし、という具体例を提示した韓非子”という、少し外したところを持ってくる辺が著者の慧眼だと思います。読み比べて感じたのは、「両方を状況に応じて使い分けるのがベスト」ということ。
Posted by ブクログ
性善説と性悪説の違いが分かりやすい本。性悪説の韓非子、もっと悪い奴なのかと思ったけど意外にそうでもなかった。それは当然!と同調できるレベルに思う。どちらかに偏るって言うより、その状況に応じてバランスよく振る舞うべきところ。グローバルビジネスでの性悪説ってどんな感じなのか是非体験してみたいとも思わされた一冊です。
Posted by ブクログ
性善説といわれる「論語」、性悪説といわれる「韓非子」。双方の長所を備えていれば憂いなしとばかりに前半部分と後半部分にわかれて原文・読み下し文・注釈・解説が書かれている。こうやって古典を対比させて読んでみるのも面白い。
Posted by ブクログ
孔子と韓非子をバランスよく読めという事。しかし法家の思想は好きになれない。現実的には韓非子なのかもしれないが、理想は徳で世の中を治める。それを理想としてとことん追求してゆく、法家の思想は安全弁的に用意しておいて、できれば使わずにすめば良い。
Posted by ブクログ
副題 現代をバランスよく生き抜くための方法
性善説を前提とする論語と、真逆の性悪説を前提とする韓非子。
そのどちらが正しいかではなく、淡々とそれぞれのコトバを紹介、解説していく本です。
あえて言うなら、その配合バランスは、読者に任せます、といったところ。
論語に関する書籍は、何冊か読んでいるし、自分の目指している方向性に近いものがあるので、すんなり入ってきます。
生き方として、マネジメントの在り方として、かく在りたいと思う。
しかし、韓非子は、いちいち引っ掛かりますw。
守屋氏の解説がなければ、到底受け入れられない説が多い。
いや、だから、むしろ一冊の中に、まとめて紹介する意味があったんだろうな、と思う。
論語はあまりにも理想論であり、現実はもっと厳しく、現実に対応するためには、韓非子的な性悪説を、自分の信念として持たない
までも、そういうものが存在すると言うことをせめて知っている必要はあるんだ、と。
例えば、マネジメントの基本を論語は、「仁」に置き、トップ自らが率先垂範し、部下を信頼し、ビジョンを共有することで人を従わせることが出来ると考える。
韓非子は、部下を信用してはならず、信賞必罰の権限をトップが握り、その厳密なる運用を以て、組織に常に緊張感を持たせることこそ、マネジメントであると論じる。
それぞれ理はあるわけです。
ワタシは、個人としての拠り所は論語に持ちたいし、マネジメントも基本的には論語なんだと思う。
ただ、ルールはしっかり決めて運用し、チームとしては、韓非子的なスタンス、ポジションの役割を担うマネージャーがいて、タガを弛めないようにする必要があるわけです。
そんな風に考え、役割を割り振れば、真逆の信念も見事に両立でき
そう。
Posted by ブクログ
性善説(孔子)か性悪説(韓非子)かを問う人間学の本。
哲学書とも言えるかもしれない。
自分はどちらかと言えば性悪説に拠って立つ人間だと思っていたが、如何に自分が、もっと言えば日本の教育が孔子の論語に影響されているかを実感。
でも、共感するのが多かったのはやはり韓非子w
そうは言っても、韓非子みたいな考え方の人ばかりでは殺伐とした世となり嫌だし、私自身、友達になれる方を選べるなら是非とも孔子となりたいw
やはり世の中大切なのはバランスと気づかせてくれる本。
著者もそう思っているからこそ、副題に答えを書いてくれていた。
この本のまとめはこの副題である。
中国古典を読みやすくまとめた良書。
Posted by ブクログ
「論語」と「韓非子」、どちらも大事な気がするものの、その土台のそもそもの人間観が違うので、それぞれをどう位置づけるかは難しいところ。
そんなことを思いながら、読んでみた。
が、残念ながら、あまり役にたたなかった。
著者は、「論語」のほうにより共感していそうだが、「韓非子」についても、「そういう面もあることは認めざるをえない」「こんなのも大事だ」みたいな感じで、「論語」の理想論を「韓非子」の現実論で補うような感じかな?
いや、それはそうなんだけど、2つの人間観の違うものをどっちも大事、どちらを何割取り入れるかというバランス論で捉えるようなものではないと思うのですけど。。。
論語や韓非子の言葉を紹介しながら、それを日本の社会や会社に当てはめつつ、そこから教訓を引き出して、なんか一言感想を書くみたいな感じなのだが、あまり深みのない通り一遍の紋切りコメントが多い。
なんか、サラリーマンの処世術と昔の日本は良かった的な懐古主義ですね。
でも、最後まで読んだのは、こうしたディスコースを最近は自ら読むことがなくなってきたので、たまにはいいかと思って。。。。
Posted by ブクログ
著書の意見がいちいちオヤジの説教感あってかなりうざったい。
名言▶解説▶エビデンスゼロの「最近の世の中はダメ。今こそこの名言の精神が大事なのでは?」的なことをかなりの頻度で言ってくる。「男とはこの名言のようにありたいものだ」とかは1番昭和感あってうざかった。
これらのコメントで作者の浅さが伝わってきて、論語と韓非子の名言の選別意図や、解説も合ってるのか不安になってしまう。
しかしその部分をサッと読み飛ばせばまぁまぁの良書だと思う。著者を信じて読み続けられるかどうかが裏テーマ感ある。
Posted by ブクログ
人間の本性は善であるとする「性善説」と悪であるとする「性悪説」。誰も性悪説の社会など期待していないが、性善説では脇が甘くなるというジレンマがこの世の中には存在する。一言で言い表すならば、「修己の性善説」と「統治の性悪説」。自分の内面を見つめる「性善説」と外の世界に目を向ける「性悪説」のどちらも、もう一度学び直しておこうというのが本書の主旨である。性善説の立場で書かれた「論語」は孔子の言説を弟子達が編纂したものであり、孔子の弟子では孟子が性善説の思想を受継いだ。一方の性悪説は孔子の弟子の荀子が提唱し、その弟子の「韓非子」がそれを受継いだ。
「子、四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし」(論語)
「下君は己の能を尽くし、中君は人の力を尽くし、上君は人の智を尽くす」(韓非子)
Posted by ブクログ
性善説の論語の言葉が40,性悪説の韓非子の言葉が40,それぞれ見開きで紹介されている。論語と韓非子を1冊の中で眺めやすく並べたところがミソで、企画としてはよい。ただ、各見開きのエッセイの著者のコメントらしき部分は、思いつきの現代批判・政治批判になっていることが多く、やや安直な印象をうける。エッセイをとばして、タイトルとなっている原典の言葉にざっと目を通すだけ、という読み方でよいかも。韓非子の思想を紹介する軽い読み物としては、なかなかよい。韓非子の言っていることと、新自由主義的な言説、あるいは橋下的な言動が重った。
Posted by ブクログ
中国古典について多数の著作をもつ守屋洋氏が、性善説の代表として「論語」を、性悪説の代表として「韓非子」を取り上げ、それぞれの名言を40件ずつ引用している本。性善説と性悪説は、互いに対立するものではないし、それぞれ実生活で役に立つことを訴えている。
どうでもいいけど、著者の息子である守屋淳氏も中国古典の専門家として活躍しており、先日、講演を聴きにいく予定だったんだけど、大震災のせいで講演会が中止になってしまった。残念。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
「人間を信頼してやっていこう」という『論語』。
これに対し「人を動かしているのは、ただ一つ利益である」と見なした『韓非子』。
これまで日本の社会は、『論語』が説く「性善説」の側に立って運営されてきた。
『韓非子』が唱える「性悪説」は、馴染みが薄くあまりの厳しさに目をむく人もいるかもしれない。
しかし社会が激変しているいま、「日本人も韓非子流を取り入れることが必要だ」と、著者は一石を投じる。
この対照的なふたつの中国古典から実践的な生き方を学ぶ。ふたりの思想家の名言それぞれ40を厳選。
[ 目次 ]
第1章 性善説か性悪説か(性善説は脇が甘くなる 『論語』の人間学 『韓非子』の統治学)
第2章 『論語』の名言(友を持ちたい 「仁」を身につけたい 重厚な人間でありたい ほか)
第3章 『韓非子』の名言(権限を手放すな 組織内部にも戦いがある 小さな忠義立てが仇になる ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
性善説と性悪説。ロマンとソロバン。思いと戦略。全てが同じに意味に聞こえる。どちらがかけてもいけない。両方がバランスを取れていなくてはならない。人に優しくするのは簡単であるが、韓非子の心で人に接するか難しいと思う。「人は利益で動く」と、韓非子の言葉である。我々は、自分の給料を上げるために働いている。紛れも無い事実である。当然ながら、周りのメンバーも同様に考えている。奇麗事では片付かない事実が常にあることを意識していく。
Posted by ブクログ
20/7/17
刑名参同(韓非子)
小人の過つや、必ずかざる
学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ちあやうし
徳は孤ならず、必ず隣あり
文質ひんぴんとして、然る後に君子
暴虎馮河、死して悔いなき者は、吾与にせざるなり
未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼に事えん
その身正しければ、令せずして行なわる。その身正しからざれば、令すれと雖も従わず。
窮すれば変ず、変ずれば通ず(易経)
(韓非子)
知の難きに非ず。知に処するは則ち難し。
禍は愛する所に在り
禍福は門なし、唯だ人の招く所なり(左伝)
衆人の功を成さんと欲して反って敗を為す所以は、道理を知らずして、あえて知に問い能に聴かざるに生ず
智の目の如くなるをうれうるなり。能く百歩の外を見るも、自らその睫を見る能わず。
遠水は近火を救わず
微を見て以って萌を知り、端を見て以って末を知る
三人言いて虎を成す
その我に叛かざるをたのまず。吾が叛くべからざるをたのむ
人をたのむは自らたのむにしかず。
Posted by ブクログ
孔子(性善説)韓非子(性悪説)
性善説のよさを確認しつつかけた点を性悪説で補っていく
孔子
論語とは修己治人の学。修己とは己をおさめる。治人とは人をおさめる。治人のためには修己が必要。
修己の最重要点は徳を身につけること。これを身につけ高い地位についたらこれを下のものに広めていく(徳治主義) 15
徳のなまで最も重視したのが仁
韓非子
人を動かしている動機は何か?仁などではなく利益。
孔子
■朋あり遠方より来る、また楽しからずや
友達を作ることにもっと熱心に!
■君子重からざれば威あらず
態度が重厚でなければいけない)
軽はずみな発言と行動をしない
■学びて思わざれば則ち暗し。思いて学ばざれば則ちあやうし
読書ばかりで思索しないと知識が身に付かない
思索ばかりで読書ばかりだと独断になる
■訥言敏動
■徳は孤ならず。必ず隣りあり。
徳があれば人々の指示をあつめられる
■老者はこれを安んぜしめ、朋友はこれを信ぜしめ、少者はこれを懐かしめん
年長者は安心、同僚は信頼、年少者はなつく
■為さざるなり、能わざるに非ざるなり(弟子の孟子)
仕事ができないのはやろうとしないからである
■その善なる者をえらびてこれに従い、その不善なる者にしてこれを改めむ
誰からでも学べる。いい点は学び、悪い点は反面教師に。
■歳寒くして、然る後に松柏のしぼむに後るるを知るなり
冬に寒さになってはじめて松や柏が寒さに負けずにしぼまずにいるのを確認できる
真価は逆境のときに現れる
■その身正しければ、令せずとも行なわる。その身正からざれば、令すともいえども従わず
まず我が身をただせ
■速やかなるを欲するなかれ。小利をみるなかれ
■和して同ぜず
■君子もとより窮す。小人窮すればここに濫す
君子でも窮することがあるが小人は窮すると取り乱す。それが違い
■君子に侍するが三けんあり
そう/いん/こ(躁:さわがしい 隠:かくす こ:相手の表情をよまない)
韓非子
■明主のよってその臣を制する所のものは、二柄(にへい)のみ
賞と罰の二つの刀のさやで部下を制することができる
■上下、一日に百戦す
■禍いは本福(もとふく)あるに生ず。故に曰く、福は禍いの伏す所なり
不幸は幸福から生まれる。よって幸福の中には不幸のが芽が隠されてる
■智の目のごとくなるを患うるなり。能(よ)く百歩の外をみるも、自らその睫毛を見る能わず
人の知恵は目のようになってはいけない。目は外をみることができるが自らの睫毛をみれない。自分のことはわかりにくいものだ。
■淵中の魚を知るは不祥なり
他人の秘密を知ると、我が身のためにならない
■人を恃(たの)むは自らを恃むに如かず
他人を恃むより自分を恃め
■下君は己の能をつくし、中君は人の力を尽くし、上君は人の智を尽くす
下君は自分の能力で仕事をする。中君は人の力量(体力ややる気)を使える。上君は人の智力を引き出して使う
智力の中でも自分よりも上の智力を使いこなすのが上君
■人が吾が為に善なるを恃まず
人の善意をあてにするな