【感想・ネタバレ】「弱者」とはだれかのレビュー

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Posted by ブクログ

「差別」というわかりにくい概念を、そのわかりにくい部分について感覚的な視点から解明している本です。
弱者とかそうゆう問題ではなく、「自分はほんまにかわいそうな人間やねん」と思ってる人が一番かわいそうです。
差別問題に違和感を感じている人なら、大方同調できるのではないかと思います。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

ずいぶん昔にこの著者のいじめについての本を読んでなるほどなあ!と思ってたところにたまたまこの本が目についたので。
そこまでおお!みたいなのはなかったけど、難しいテーマに斬り込んでいくのはさすが。(今ひとつ納得いかないのも多いけど)
世の中空気を読み過ぎて臭いものに蓋してばっかり、てのはほんとにそう思う〜

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2019年08月26日

Posted by ブクログ

個性と平等、部落問題をしっかりと捉えるのに役に立つ書。大学教授にもなって、成績上位者の掲示に反対して、成績下位者の人権が保たれないという。成績が悪いことを明らかにするほうが、人権が確保されるとでも言うのだろうか?

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2018年11月12日

Posted by ブクログ

原発事故や生活保護不正受給等々で「弱者」が騒がれるこの世の中、弱者ってなんなのかを考えた本。

読んで損はしないとは思う。もうちょっと踏み込んだ話を展開してほしかったが、それは新書の限界か。

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2012年05月27日

Posted by ブクログ

脳性まひとして生まれて61年,人間は不公平は無いとようやく実感することができた。もちろん、弱者ではない。

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2011年12月23日

Posted by ブクログ

  読みやすくて、興味深いことが書かれていました。
中でも興味深かったのは、マスコミの言語規制のこと。いきすぎた言語規制は、本来の意味を見失いつつあるように思います。「肉屋」では駄目で「精肉業者」にしろなんて、なんておかしな話だろう。表面だけを変えたところで意味はないし、そうすることで糾弾から逃れようとしているかのようにすら見えます。

  あとは、逆差別の問題。被差別者に対して保護を、と優遇措置が行われている。しかし、これも言語規制と同じように目的を見失っているように思いました。弱者というのは、「社会で生活する上で何かしらの不利を生じるもの」という意味では、支援が必要な場合もあるでしょう。けれど、何が必要で何が不必要かをしっかり見極めるべきではないでしょうか。弱者を聖化するのは違うと思うんです。

  「平等」が叫ばれる中、差別を許さない雰囲気が高まっています。それ自体はとても良いことだと思うけれど、差別対象を見つけ出して保護するよりも、共に歩んでいく道を探すべきではないでしょうか。異なる共同性同士であれ、長く一緒にいて "慣れる" ことがその一番の近道になるのかもしれないと思いました。

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2011年07月27日

Posted by ブクログ

昔は今の観念でいう「差別」はなかった。弱者利権が新たな差別を生み出している。語調がやや堅くとっつきにくかったのが難。

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2012年02月12日

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弱者、この本が取り上げるのは例えば被差別部落出身者や障害者なんだけど、彼らについて語るときに感じる遠慮みたいな、それは何だろうから始まる。
三つ挙げていて、その一つがある時代で広く支配的な「正しさ」の共通観念に人々は支配される。言ってみればちょっと流行った「空気」ってヤツ。
二つ目が「言ってみても問題は解決しない」とゆうあきらめ、もう一つが切実さの欠如、メディア情報の氾濫。
現代社会のいたずらな弱者の記号化みたいな、例えば電車の優先席とか、そこを問題にして何が弱者かを問うことから始めるべしとする。
情緒のファシズム、ことさらな言挙げや賛美が「弱者」に聖痕を残し不必要な境界線を引く可能性を指摘。
出生前診断と中絶について、それは障害児を持つ親と同じ直線上にある考えで、ナチスの優生思想的な差別には直結しないとゆう議論。『五体不満足』のことさらな明るさに対しても。
それとアイデンティティの主張で差別が不可欠になってしまいつつある被差別部落の話。マルクスが指摘した下部構造が上部構造を形作るとゆうものについて。差別ー被差別のパラダイムで物事を考えているのは現在のおれたちでその考えを過去に戻ってあてはめることはできないこと。小林よしのりの部落フェスの主張が現在では意味を持たないこと。
個別性と普遍性、言葉狩り、生産年齢人口の見直し、ハゲ、デブなどのエロス的領域の弱者など幅広く扱っていてとてもおもしろかったし勉強になった。
たださーっと読んだので細かいところの論理の整合性とかはあまり見なかったですけど。例えばガラス張りになった駅とか。ありゃ誰かが落ちたら他の客や経済全体への悪影響があるからと思うんだけど。

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2010年04月23日

Posted by ブクログ

当事者のことは、当事者にしか語りえないのか。普段、その問いに「イエス」と答える人は、ぜひこの本を読んでみると良いと思います。明解な答えが出るとは思いませんが、何らかの形で、考える一助になると思います。

本文では、結構過激めいた発言もしていますが、ある意味ここまで「弱者」という言葉とその真意に切り込む人は、貴重だと思います。特に部落問題をとりあげ、「弱者聖化のカラクリ」を説いています。確かに、「弱者」とは絶対的なものではなく、相対的なものとして考える必要があるのかもしれません(著者の発言に全面的に賛成することはとてもできませんが)。

小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』への批判は、ちょっと大人気ない批判の仕方だな、とも思います。部落解放フェスティバルの真意は、小浜氏が推察するよりも別のところにあると、僕は考えます。

文体が気に触る人もいるかもしれませんが、参考程度に読んでみてはいかがでしょうか。

「むしろ私たちは、障害者の人たちの共同性のなかにも、健常者の人間関係と同じ問題(人間性のマイナス面)があるということに気づくべきなのだ。皮肉な話だが、そのことは、ただ同情心、道徳心から「あの人たちだってみんな同じ人間なんだ」といった美化の感情や一般化の論理に支配されている限りは、かえって見えてこない。ある世界、ある関係が持つ個別的な複雑さへの認識を深めることを通して、ほんとうの意味での「人間的共通性」を感じ取るべきなのである。」(p162-163)

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2009年10月04日

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障がい者や出生前診断、部落差別問題などをめぐって、われわれが感じる「言いにくさ」「遠慮」にひそんでいる問題を率直に提出し、それを突きつめて考えようとしている本です。

われわれが「弱者」というレッテルを貼って「聖別」をおこなうことで、ひととひととのあいだに成り立つ自然な交流が疎外され、「こわばり」を生んでいることに対して、著者は批判の矢を放っています。「予想される不幸感や大変さを避けたいと願う気持ちは、現に障害児を持っている親が、この子の障害を今すぐ取り除いてやる方法があったら、何でも試してみたいと思う心情とも同じである」と著者はいいます。そして、逃れられない現実に向きあおうとする個別的な経験を飛び越えて、出生前診断に対する批判をおこなうのは不適切だと主張しています。

次に部落差別問題に対しては、部落出身者には居住地域以外の外的な指標が存在しない以上、「部落差別は、そういう指標で差別してはならないという近代社会の原理のよいところがほんとうにきちんと貫かれるなら、必ず解消されるはずの差別である」という原理が確認されます。そのうえで、部落のアイデンティティを強調する戦略がかえって差別を助長する危険性を孕んでいることへの懸念を表明しています。

「弱者」をめぐるさまざまな言説に対する批判をおこなったうえで、著者は「弱者」の聖別を乗り越える道筋を探ろうとしているといえるのではないかと思います。とはいえ、著者は差別を克服する新しい〈理念〉を掲げているのではありません。本書において提出されているのは、「自分がなぜそのことを気にするのか、自分がそのことを問題にしようとする必然性はどこにあるのかということを、自らの経験と感覚の中に問い尋ねてみる」という、聖別を克服するための具体的な〈手続き〉だと理解するべきでしょう。

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2017年11月29日

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ネタバレ

社会的弱者がどういうふうに作られるかを考察した本。障害者をやたらと感動ものにするメディアの演出、ダウン症児を生んだ親の覚悟への違和感、被差別部落者が差別を恩恵として行政から手厚い保護を受けている事実、など公には言えないがなんとなく言いたいことを述べた本。
若干、ぶんぶんうるさい虫を叩くようなぴしゃりとした物言いに流れることはあるが、強いて感情的な批判ではない。

最終章での「生産年齢人口」(すべての15歳以上から65歳未満まで)ではなく、「就業人口」とみなし、むやみに若年者に進学させずに職業教育を行うという考えには同意できる。これは老人はみんな養われるべきという敬老に偏りもしない。

絶対的な弱者もいなければ強者もいない。弱者はある面では強者であり、既得権益を求めて「新しい弱者」の共同体が生まれるが、自己責任、自己決定をこころしていればいいと説く。

「煙草訴訟」の話など、まさに、博士進学しながら職が保障されないのは大学のせいという高等遊民の嘆きと似ていなくもない。

意訳すれば、弱者ー強者構造に巻きこまれないためには、多元的な共同体を背負いながらそれぞれの中での優位を認め合うのがよい、別の関係を持ちこんで寛容になる、ということだろう。要するに違っていてもいい、その人のいいところを別に見つけなさいな、ということ。

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2014年04月22日

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 この本は「社会的弱者」の正体を明らかにするのが趣旨ではない。社会的弱者が発生する社会構造に焦点を置いて考察するのが狙いであり、優先席問題、五体不満足、子供、部落差別といった個々の事例を分析していく。あまり表立たない話題を取り扱っているため現実離れしているという感想を持つ人もきっといる。しかし、小浜逸郎の「何だかおかしいと感じながら、私たちがそれを表明したり追究したりしない理由」という問題意識は現在も共有されてもいいはず。
 小浜逸郎の問題意識は内田樹『街場のメディア論』が引き継いで語っているようにも思える。内田樹は「定型」的な文章構成に頼りジャーナリスティックを失ったメディアの態度がメディアの受け手である私達の「知の不調」に繋がり、誰が言っても問題なくリスクを負ってまで自分が言う必要のない世論形成を助長する、と述べている。本書で本位的に書かれないメディアの存在については、内田樹『街場のメディア論』を読んでみるのがおすすめ。
 個々の事例は小浜逸郎の「実感から立ち上る言葉」で記され、意識の凹凸が激しくて読むのに精神的な疲労が伴う。有益な知見は先に挙げた問題意識に集約されていると言っていい。したがって星3つ。

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2013年11月28日

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著者は右翼よりなだけあっていうこともぐっときます。ぼかさずはっきり述べる点で〇 マイノリティーを受け入れる社会であること、マイノリティー自身が内部から自分で解決できないものを発していく勇気をもっていくことが 弱者をなくす近道。

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2011年06月17日

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[ 内容 ]
「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。
しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?
本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。
だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。

[ 目次 ]
第1章 「言いにくさ」の由来(「弱者」というカテゴリー個別性への鈍感さ ほか)
第2章 「弱者」聖化のからくり(建て前平等主義部落差別をめぐって)
第3章 「弱者」聖化を超克するには(共同性の相対化言葉狩りと自主規制問題)
第4章 ボクもワタシも「弱者」(既成概念の見直し新しい「弱者」問題)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年06月02日

Posted by ブクログ

弱者というか、この社会の人間関係などを書かれている本。
主に「弱者」=「差別」だとも感じられる内容で
よんでいて、心が痛くなったりもしましたし、いらだちを
感じる部分んもいくつかありました。
また、共感できるところもありました。
このような本はなかなか読まないけれども、
今回読んでみて、よかったと思います。
今まで、小説や物語などしか読んでなかったので、これを機に
このような本も読んでみて、社会のことをもっと知りたいと思います。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

取り扱ったテーマも良いし、著者の言いたいことはわかるが、どことなく説得力に欠けてしまうところがあった。また、言いたいことにちょっと熱が入りすぎてしまったかなと思います。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

 この本は、偶然本屋で見つけたものです。精神障害者と呼ばれている人たちと接することを通じて、私自身がそれまでに「勝手に相手を精神障害者として分類し、カテゴライズしていた」事実をこの本を読んで改めて考えます。バリアフリーを考えるときにも、物理的バリア、制度的バリアをなくすことは良く話題になります。しかし、建物も、道路も、制度もみんな人が作っています。人の中にある差別意識について考える必要があります。なぜ人は差別するのかということについて、考えるきっかけになります。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

差別的表現について研究する際に出会った本。

「弱者」とは固定された人の性質ではなく、さまざまな観点から見ることによって、時には弱者、時には強者といったように、立場の違いは流動的なものである。

老人は常に弱者ではないし、サラリーマンが常に弱者でもない。子供もある面では強者となる場合がある。といった具合。

非常に読み易い。

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2009年10月04日

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