【感想・ネタバレ】隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?のレビュー

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Posted by ブクログ

今はもう、ついに「葬式は要らない」「戒名も要らない」「坊主のお経も要らない」「お墓も要らない」「灰と骨は野山に撒いてくれ」という時代である。

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2024年03月25日

Posted by ブクログ

日本や世界経済の動向に関する本をよく書かれていた副島氏が、宗教について書いた本です。私の場合、宗教との関わりは法事程度のものですが、菩提寺があるのは広島県のほうで、距離が離れているのであまり行く機会はありません。

従って、この本のテーマである仏教について深く考えることも少なく、仏教に関するイメージはありませんでした。この本では、日本に伝わった仏教を含む宗教について私の知らなかった多くの内容が書かれています。

例えば、仏様(お寺でよく見る阿弥陀如来等)は柔和な顔をされていると思いますが、当然、男性だと思っていました。それを、副島は、仏様ではない女神であると言い切っています。

宗教家の方が書かれた本と読み比べることによって、自分にとってどのように理解すべきか、今後の読書の楽しみが増えてきたと実感できた本でした。

以下は気になったポイントです。

・仏様(ゴーダマ・ブッダ)ではない3人の女神がいる、阿弥陀如来・観音菩薩・弥勒菩薩、この3人の女神の像は、本当はすべてイエス・キリストの奥様であった、マグダラのマリア像がガンダーラ地方(アフガニスタン、カブール)で名を変えて3世紀に中国に入ってきたもの(p12、13、19)

・釈迦は、マガダ国でヒンズー教の厳しい修行をして悟りを開こうとして失敗、6年間も修行して「こんな苦行はするものではない」と気づいた、これが悟り(p17)

・奈良の大仏は、お釈迦様ではなく、盧舎那仏(るしゃなぶつ)と言って、大日如来であり男の像である。(p20)

・曼荼羅図の中心に描かれているのが大日如来、お釈迦様(ブッダ)は、大日如来の横に小さく描かれているもの(p22)

・空海の開いた真言宗は、キリスト教とよく似ている(p22)

・イエスの弟子であるはずのペテロとパウロは、ローマ教会を作っていくときに、イエスキリストの救済の思想を捨てて、「キリストよりも自分たち僧侶を拝め」という悪質な支配の思想を作った(p23)

・キリスト教の God(ゴッド)は、神様ではなく「天」と訳すべき、本来の「神」は、町外れに住んでいる占い師や呪い師のこと(p26)

・菩薩とは、悟りを開こうとして修行している者で、悟り(ボーディ)を開いたら如来になる(p28)

・お釈迦様とイエスキリストは全く同じ思想を持っていた、この世のすべての人間を現世の苦しみから救おうとした(p29)

・仏教の中で、仏様の降臨、下生による人類の救済は、阿弥陀如来(浄土宗)と弥勒菩薩の下生による現世への来迎の姿として説かれた、これは天台宗でも真言宗でも同じ(p30)

・中国の道教の祖の老子と、儒教の祖の孔子(紀元前551-479)は46歳の差がある、70歳の老子に24歳の孔子があったという説あり(p37)

・旧約聖書は、メソポタミア文明の宗教文献の亜流であることが近年はっきりしつつある(p39)

・イエスキリストは、ユダヤ教の中の「エッセネ派」と呼ばれる清廉で厳格な宗派に属していた(p41)

・ローマ教会は、母のマリアの処女懐胎を説き続けているので、マグラダのマリアがイエスの奥様という説は困る(p48)

・鎌倉5山と京都5山で全部で10寺、京都の南禅寺は別格なので11山となる、これらは中国との貿易(御朱印船・勘合符貿易、各藩の密貿易)で儲かったお金でできたもの(p126,127)

・貿易するときには、漢文で書かれた立派な貿易文書が必要であった、これは臨済宗の坊主が担当してパトロンから手数料をもらっていた(p127)

・中国(宋、明、清)の豊かさは、1000年間、世界のGDPの25%をキープしていて、アヘン戦争から大きな衰退が始まった(p131)

・空とは無である、人は死ねばすべて無に帰る(法相宗の立場)、大乗仏教は、キリスト教のマリアさまが、阿弥陀如来と観世音菩薩となって、その中に組み込まれた(p144)

・この世の苦しみの原因はすべて、人間自身の中から生まれる「煩悩」=「渇愛」である、これをなくすことができれば、苦しみもなくなり(滅諦)、この方法が八正道である(p161)

・イエスもマリアも生身の人間であったとするのがアリウス派で、コンスタンティヌス帝もアリウス派であったし信仰している人間もずっと多かった、三位一体説(神デウス、子イエス、精霊が一体で神となる)が主流派となってローマカトリック教会を作っていった(p182)

・江戸時代になってヒンズー教の神様が、民衆仏教として参拝の対象になった、東京では目黒不動尊(龍泉寺・天台宗)や、柴又帝釈天(経栄山題経寺・日蓮宗)、神楽坂毘沙門天(善国寺・日蓮宗)(p194)

・現代の阿弥陀如来と観音さまは、コミケ(コミックマーケット)で描かれている若い女性のマンガ像そのものとなって現代に甦っている(p216)

・中国の民衆はあくまでも道教の関帝廟にいく、先祖崇拝と商売繁盛と一族繁栄の神様なので、孔子廟にはいかないだろう(p232)

・ユダヤ王国はただの王国で、帝国になったことは一度もない、ユダヤ王国は常に、ペルシャ帝国やバビロニア、ヒッタイト帝国などの属国(朝貢国)であった(p243)

2013年1月3日作成

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2013年01月03日

Posted by ブクログ

仏教は深く突き止めると聖書に起因するという副島の思想が出ている。聖書はシルクロードを経てインドの密教、そして中国の景教、空海の真言密教という流れを組んでいると思う。日本における秦河勝も渡来人。日本の形骸化した仏教を復活させるにはイエスキリストの他には考えられない。そんな印象を持つ副島の思想。

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2012年11月11日

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