【感想・ネタバレ】文学部唯野教授のレビュー

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筒井康隆のブラックユーモア小説。架空の大学「早治大学」文学部英米文学科の唯野教授を中心とする露悪的な大学組織のドタバタ劇と、唯野教授による文学理論の講義が交互に進んでいく。

文学理論目当てで手に取ったが、筒井康隆のナンセンスで下品なユーモアが面白くかなり自分好みの内容だった。

文学理論の方は、印象批評、新批評、ロシア・フォルマリズムまでは簡単だし、いかにも文学理論らしくて面白いのだが、第4講からはまるきり現代思想の話に。門外漢ゆえ分からないが文学理論ってこんなに思想にベッタリなんだろうか。ちなみに現代思想の解説としては、他の新書や一般書と比べてもかなり分かりやすいと思う。

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2023年12月20日

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大学内のポストをめぐる権力争いのパロディと、文芸批評論の講義のコントラストが秀逸。
特に、実際の講義を模した文芸批評論は、文芸批評の歴史的な流れを追いながら、具体的にどんな「批評」を展開したのかということの、たいへんわかりやすい解説になっている。
作中、「後期の講義内容」として取り上げられる予定のコンテンツが述べられていたが、その講義はもちろん、作家としてのその後の「唯野教授」も含め、ぜひ続編を期待したい。

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2021年11月11日

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何度読んでも蜂巣川教授のくだりで大笑いしてしまう。滑稽でみっともなくて大真面目にどうしようもない人間たちが右往左往している、問答無用で面白い話。また、章末の講義や会話中の知的な言葉遊びが愉快。

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2019年09月14日

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学会学閥を題材にしたコメディと
文学評論史に対する演説が噛み合わさった著者ならではの作品
文学部に限らず文系学問に縁がないが
いずれにせよ学問じたいが大変なものだとはたからみて思う
そうでないものが大変でないということではないのだろうけれども

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2018年10月20日

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やはり筒井康隆は天才だなと思う。ややっこしい批評理論とその背景にある哲学を小説仕立てで騒乱の中でさらりと総覧させてくれる。もちろんこれは筒井康隆の読みであり理解であるにしても批評理論というものをよく描けているような気がする。読んで感じた一定の印象は今後、いい意味で役に立つと思う。

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2017年12月18日

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学問小説、と言う一風変わった形式。毎章後半に唯野教授の講義が行われ、その内容が非常に興味深い。文芸批評に強い関心があるため非常に楽しむことが出来、ナラトロジーや記号論など、力を入れて勉強をしている範囲については特に楽しめた。大学の講義を受けているような感覚だった。唯野のスタンスは、文芸と学問とのバランスについて、自分と完全に反転した形だなと思った。それらを両輪とした相互フィードバックを志向する点は共通だが、比重が逆だ。メタフィクションとしても面白かった。

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2015年08月08日

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大学教授陣の内情を滑稽な姿でもって明かしながら、主人公・唯野教授の批評文学論の講義が一章ごとに進む。
批評文学論、中でも構造主義の物語学に興味がわいた。文学論の本も読んでみようか? 唯野教授ほどわかりやすくはないかなぁ?

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2014年12月01日

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お世話になった教授にオススメされた本。正直、大学の退屈な講義をボンヤリ聞いてる位ならこの本読んだほうがよっぽど面白いし学べると思う。

わかりやすい文学理論だけじゃなく、大学内部の権力闘争、身分と恋愛に関しても楽しめる奥行きがある。もっと早く読んでいれば…と思える本のうちのひとつ。

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2014年01月08日

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文学部とはこういう所なのか!と素直に受け取って良いもの?ストーリーが面白すぎたから講義の部分も同じテンションで読み進めてしまったけれど、これはユーモアを利用した批評論の押し売りか!とても面白かったです。コミカルドタバタでした。

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2022年10月24日

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おもしろかった 滑稽で興味深くて勉強にもなりながらも戦慄する醜さもあり ぜんぶひっくるめて面白かった IQ3の言い方をするとウケてしまった
唯野教授の講義とそれ以外の行き来が鮮やかでなんだか舞台を見ているような気持ちになる場面も多々ありました 
大学関係者の知り合いが本書を読み「これはリアルでちょっと笑えないところがある」ということを零していたので気になって読んだのですが マジ?となっています

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2022年01月08日

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ネタバレ

その当時のアカデミアの人事というか人間関係はこういうところなのだろうか、、、と考えざるをえなかった。。。本当かウソなのかはこの小説を貸してくれた教授に聞いてみよう。
授業形式で前半にアカデミア界隈の人間模様、後半に授業が盛り込まれ、知識も増やせた一冊であったように思う。

以下読書メモ
ーーーーー
・ひとに例外を許さない、個性を認めず独自の行動をさせない、そのかわりその人が自分のものとして負うべき苦しみや悩みや責任を忘れさせてくれるような存在を「世人」という。こういう世人と話すときの普通の会話や雑談や無駄話のことを『空談』といいます。これは『語り』の日常的な、非本来的なありかたで、語りというのは、人間それぞれが、自分は他の道具的なモノやモノ的なモノではなくて、そういうものを理解したり照らし出したりできる、そして自分も照らし出せる、この世に生きている存在だと自分でわかっているということ、それを了解し、解釈している場面なの。この場面ではじめて言語が可能になる。だから本来の語りなら、われわれは話している相手がわかっていることを聞いて相手と同じようにわかることができる筈だけど、空談はそうじゃない。直接的な出会いじゃないんだよね。話が話し手からひとり立ちして、内容は薄くなって、語り広められて真似される。マスコミの発達でそれはますますひどくなって、聞く方は了解するという面倒なことをしなくていいわけ。さらにこの語りということの中には、聞くことや焼熟することも含まれています。人間の『語り』というのは、語る存在として自分を示すこと以外にも、世界に耳を傾けるということでもあるの。

・人間の非本来性の中には、自分の死をまともに見ようとしないってのがあったね。では、まともに見るとはどういうことか。他人の死というのは経験できないし、代わってやることもできない。ところが自分の死は、それがやってくれば人間は現存在でなくなっちまう、しかも、いつやってくるかわからない。つまり死はそのたびごとの可能性で、人間はそのたびことに自分の終りにかかわっている存在だ。そのたびごとといったって、やはり死はいくら早くても一瞬先にあるわけだから。つまり本来的に死を見るというのは、自分に先んじて死とかかわり、それを本来的に了解することで、これを『先駆的了解』といいます。おおいやだいやだ。おれなんか自分の死を了解したくないね。あたしゃ自分が死ぬ時なんぞは、もう、そこにいたくありませんよ。しかしハイデガーは、常に先駆的了解のために自分に先立って、自分が先へ投げこまれるのではなく、自分を先へ投げこめと言っています。それが自分の全体性をとらえ、新たな可能性に向けさせるのだと言っているわけで、ハイデガーの場合、人間的な知は、常にこの先駆的了解から始まるの。と同時に、その中から出られないところがこれまた限界なの。ハイデガーに言わせるなら、人間の存在というのはいつでも新たな可能性の問題なのだから、つまり完成なんてことはあり得ない。どんな科学も理論も、先駆的了解を行った結果を部分的に抽象化したものに過ぎないっていうの。
11:29 田村まり ハイデガーの著作は『存在と時間』だったよね。では人間にとって時間とは何か。ハイデガーは、人間の存在している意味、それから、人間が存在することを可能にしているもの、それが時間性だと言います。あのう、歴史、と言わないで、時間、と言ってることにご注目ください。人間が全体的に、本来的にこの世界に存在するには、死という可能性をめざしながら自分を見る、つまり未来を見ると同時に、過去を見て自分の非力なことを知り、同時に現在を見て自分を解放する。つまり『過去を見つつ現在にある未来』というのが人間存在の意味、つまり時間性だっていうの。


・文学作品の意図というのは、ただ作者の意図というだけでは説明できないものがあって、その時代、その文化が、われわれの時代、われわれの文化へやってくる時、そこには作者が意図することのできなかった新しい意味が生まれてくる筈だ。この不安定性こそ文学作品の特質だとガダマーは言うの。たしかに不安定だよなあ。作品から問いかけられるわれわれ現代の読者の方は、何百人も、何千人もいるわけでしょ。そしたらその答えは同じじゃない筈だよね。で、これをガダマーに言わせると、作品を了解するのは常に、別のかたちの了解なのだ、その意味をずらせることだ。だからこそ、現代でほんとの了解をするのは、現代だけにしかない意味で作品を了解することだ。つまり新しい現代的な意味をひっさげて故郷へ帰るみたいなもんだって言うの。

・フッサールってのはほら、意味というのは意図された事象だ、その中から絶対不変のものを発見すればそれが本賞だ、イデアだって言いましたね。だからハーシュがそう言うのも当然といえば当然。意味というのは言葉以前にあるものだ。意味が言葉によって固定されるのはそのあとのことだっていうんだけどさ。じゃあ君たち、ちょっと、言葉を使わないで、頭の中で何か意味することを考えてくれるかい。できましたか。そりゃまあ、あんな感じ、こんな感覚、言葉で言いにくいものはあるだろうけど、それはまだ意味ができていないからだよ。では一方ハイデガーはどうかというと、『存在と時間』の中で彼は、言語が可能になる『語り』というのは、世界に耳を傾けることでもあると言ってたよね。そもそも人間は、時間によって構成されているのと同じで、言語によっても構成されているのだってわけ、つまり言語はコミュニケーションの手段でもないし、意味を表現する手段でもない、それ以前に世界を生み出し、人間を生み出したのが言語だっていうの。言語によってはじめで人間は人間になれる、言爵は、人間が自分の全体性をそっくりそのまま提示するたの場所として、ひとりひとりの人間よりも先に存在していて、それによって人間は成長するにつれ人間らしくなっていく。

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2021年04月13日

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唯野教授個人は饒舌な小男、モラルも低くて女子生徒に手を出したりする俗っぽさ。周りのキャラクターも小便を漏らしたり、小狡い性格だったり、全然立派な人物はいない。
大学教授たちの世界は政治根回し、足の引っ張り合いばかりで期待ほど勉強していない。
でも講義はとても面白い。欄外に及ぶ知識の深さ、紹介される本は膨大で、文学理論は全てはわからないけど、読みやすく砕けた表現になっている。難しいから参考文献をもっと読んでもう少し知識が増えてから読んだらまた面白いかもな。
毎章唯野をめぐるドタバタしたエピソードで始まり、講義で終わる話の型も決まっている。
斉木が蟇目と衣服を調えながら研究室から出てきたあたりから特に面白かった。

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2021年01月04日

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ネタバレ

大橋洋一著『新文学入門』に登場していたから読んでみた。文学理論の本でもあり、物語でもある。難解な文学理論を唯野教授が軽妙な語り口でもって説明してくれるので、雰囲気はつかめた。けれど、自分の言葉で説明できるくらいの理解は私の力不足でできなかった。大学での文学の講義と、『新文学入門』を照らし合わせて、補完的に読むのが一番いいんだろうなあ。時間をおいて、もう一回読みたい。

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2020年06月24日

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時代的に病気や性に対する考え方、捉え方が偏見と差別的。ブラックユーモア。

大学内構造を垣間見。狂人めいた登場人物がユーモラス。
教授になるって、大変なのである。

表現の妙、レトリック。言い回しはキレッキレですね。
それでいて押し付けがましくない。

活字を読んでいて、声を出して笑うことってないんですが、『文学部唯野教授』はところどころ鼻息が、フフン!っなりました。
筒井康隆に対する読まず嫌いが払拭されてしまった。

唯野教授の講義内容は文学的理論、哲学に浅い私でも楽しめました。
ここまで幅広く展開できて、面白い。脱帽です。

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2020年05月27日

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唯野教授の大学内に渦巻く人間関係や忖度や僻み妬みなどが筒井御大独特の文体で可笑しく描かれている。蟇目が狂った時のカオスは最高だった。各章の終盤に必ず唯野教授の文学論が展開される。私には内容はよく分からなかったが、文学論をこんなに展開できるのも筒井さんの凄いところだと思う。

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2020年02月24日

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もうこんな大学ないと思うのだが、それでも少しあってほしいと思うし、
こんな教授いはしないと思うのだが、それでもいてほしいと思う。
惜しむらくは、読者には前期の聴講しか許されていないことだ。

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2018年04月05日

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インパク知 7・7

大学教授、唯野仁をとりまく大学内の政治状況と、彼が行う「文芸批評論」という講義が交互に描かれた、全九章の小説。文学批評の大きな流れと主要人物が、唯野教授の軽快な口調で語られる。文学版「ソフィーの世界」といったところか。

文学を志す学生さんなどには必読書であろうし、専門書と行き来して、大枠を確かめつつ具に知る、ということができそう。 小説、と書いたが、これを「小説」だと読むよりは、入門書だとするほうがしっくりする。

文中の「貴族的な読者」という部分には、非常に納得した。結局、文学は時間的にも金銭的にも裕福な、「貴族」のお遊びに過ぎない(ニュートラルな意味で)。

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2018年03月26日

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主人公の唯野仁は、早治大学英米文学科教授であり、「野田耽二」というペンネームで小説を執筆しています。本作は、彼を中心にアカデミズムに生息する者たちの生態をアイロニカルにえがき出している小説ですが、同時に現代文学理論について学ぶことができる内容になっています。

ユーモア・センスは著者の従前の作品と同様で、とくに現代の若い読者に響くのかという点では、やや疑問もあります。井上ひさしの作品についての同様のことがいえるように思うのですが、この方面の感性はもっとも賞味期限が短いので、しかたがないのかもしれません。それ以外にも、アカデミズムの置かれている状況はますます厳しさを増しており、ここにえがかれているような大学人たちの愚かしさは、いまとなっては牧歌的にすら感じてしまいます。

唯野の後期の授業や、野田耽二の作品『海霧』などについて、もっと知りたいと思わずにはいられません。著者に続編を書いてほしいという声はすくなくないと思うのですが、現在までのところ正式な続編は執筆されていないようです。ただし、『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文春文庫)、『文学部唯野教授の女性問答』(中公文庫)、『誰にもわかるハイデガー―文学部唯野教授・最終講義』(河出文庫)などの関連作品は観光されています。

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2016年12月03日

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本気の実験的な小説って好きなんです。
作家の教養がビンビンに伝わってきて、それでいて知識のひけらかしになってないから、作品に緊張感が保たれています。

「もっと勉強しましょうね」

唯野教授の学生に向けたこの言葉は、作家、批評家、ひいては我々のような読者にも向けられた言葉なのだと思います。

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2016年08月14日

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 本当に大学で講義を受けるように、一講ごとに少し間を空けながら読んだ。唯野教授の喋り言葉で説明される文学論は分かりやすく、読んでいる時は納得できたけど今となってはあまり思い出せない…!だけど面白かった。
 本作は大学内部をパロディーにして盛大に皮肉っている面もあってそちらも刺激的だったけど、本当にこんなことあるのかな…と、今自分が通っている大学のことを考えてしまった。唯野教授の後期の授業も聴講したいのですが、それは出ているのかな…?

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2015年12月13日

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稲葉振一郎氏の社会学入門で紹介されていたので。
文系大学で教授たちがあたふたするパニックコメディ。
ところどころ下品で奇天烈で、かつちょっと古いかなあという感じはするけれど、うちの大学の先生なんかも裏では苦労してるのかしらと思うとなかなか楽しめる作品でした。
新たな文学理論の創出を目指した唯野教授でしたが、さてこの後夢破れたのかどうなったのか。
またそれだけではなくて、各章後半は唯野による文学批評講座になっているのですが、そこも体系づけてそれらを学べるし、著者の皮肉やらメタ的な言及やらがあってニヤニヤできるし、ためにもなりました。

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2015年10月02日

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改めて筒井康隆の偉大さを思い知らされました。
徹底的にパロディ路線かと思いきや、講義では真面目に文学論を唯野教授にさせています。
第7講の記号論に間違いがあると批評家が書いていたと筒井先生は書いているが、小説に目くじら立てるのもねぇ。
でも文学論はわかりやすく、面白いです。こんな教授だったら文学部に行きたいと思うかも。小説と筒井流文学論解説が読めるのはお得かも。

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2014年03月04日

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いやおもしろかったな。

作品を書いた動機が、自分の作品をわけのわからない言葉で批評されたものだから腹が立って批評について勉強したのだとのこと。そしてそれをこのようなブラックユーモアな作品に仕上げたのだとのこと。

筒井先生、かっこいい。

もっといくつかこういう文芸批評についての本を読んどきたいな。そしたらオレにももっと分かるかな。

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2013年09月24日

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唯野教授がおもしろい。この息をつかせぬような文章で、なんだかケムを巻かれているかのように読み進んでいった。
文学の話以外の、唯野教授のはちゃめちゃ?な行動や理論は始終くすくす笑わされた。

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2024年05月01日

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筒井康隆の本は、学生の頃によく読んだ。友人達とドタバタの短編を読んで話のネタにしたものだ。この本も、ベースは大学教授の裏事情やドタバタのストーリー。但し作者が考える文学論・思想を主人公に真面目に語らせており、創作部分とアカデミックな部分のギャップが凄い。面白い小説を読みながら、勉強にもなるという大変凝った本になっている。こういうアイデア、それも筒井康隆らしいと思った。

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2021年04月30日

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濃厚な文学批評論の講義と軽快な大学教授のコメディーが合体している。コメディーの方は語り口が軽いのでとても読み易い。講義の方はある程度文学や哲学の知識がないと全部理解できないであろうと思った。メタ的な描写が入ってくるのが面白い。

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2020年02月18日

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著者の人間観察は相変わらず冴えていて(よく描けていて)際立たされた人物像の卑小・卑屈・傲岸ぶりをとらえた毒気を孕んだ筆致は愉しい。またそんなかれらのドタバタ(狂騒・暴走)ぶりはいきいきと精彩を放っている(著者は愉しんで書いていることがよくわかる)。残念なのは主人公のするそれぞれ章の講義部分の大半が(特に後半部分になってくると)正直よく解らなかったこと。自分の知力を越えるものであったから・・残念。ただ主人公の次々言及(紹介()する学者・哲学者の理論はエライく端折られているにせよその切口というか口調にはひきこまれた。

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2018年05月12日

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ネタバレ

再読。
大学騒動記プラス文芸理論およびその基礎の概観。
心理学を学んでいたときにも同じ感想を持ったが、文芸理論、どんだけ隙間産業なんだよと。

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2014年04月05日

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大学に内緒で小説を書いている文学部の唯野教授、大学におけるその異常な日常と文芸批評の講義が並行して描かれる、壮大な…アカデミズム批判?文学批判?とにかくスケールの大きい作品。文芸批評の入門書的な読み方もできるが、登場する批評方法のどれによっても解体できなさそうな本書自体が、既成の法則に痛烈な一矢を報いているような。

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2020年12月18日

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文学部の教授を主人公にして、文学史や哲学史、大学の内部事情について色々織り交ぜたすごい本。こういう、たくさんの知識に裏打ちされた作品を読むとただ感心してしまう。昔、高校生の時に初めてこの本を読んだ時は、大学で世界史を教えたいなどと思っていた時期で、大学の教授の世界はこんなになっているのか、と驚いた覚えがあるけれども、この本の内容が事実なのかウソなのか、今もよくわからない。

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2020年07月15日

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