【感想・ネタバレ】日本人には二種類いる―1960年の断層―のレビュー

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Posted by ブクログ

個人的には、1960年を境に大家族制が崩壊し、核家族への移行が本格化したということが重要だと思う。
他の断層としては昭和50年(1975年)がある。
この年以降に生まれた人は、これ以前に比べて超安定志向に変化している。

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2024年01月28日

Posted by ブクログ

一気に読破した.小生「旧型」だが、どの章でも思い当たることが沢山あった.「60年型」は育った環境が「旧型」とは全く異なっており、その辺りをよく理解して付き合えば、同じ人種だからそれなりの共通点は見いだせると感じた.
でも、多くの観点からよく調べている!

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2014年05月27日

Posted by ブクログ

昭和の大衆史、というような歴史書って感じ。

'60年型と旧型がもちろんすべての人に当てはまらないのは当然として、
大まかに1960年を境に急激な変化があったんだなということはわかる。

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2019年06月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

後半にかけて、データのこじつけ感は否めないけど、血液型占いに似たような”あってる、あってない”といった楽しみ方が出来て、一気読みできました。

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2014年11月28日

Posted by ブクログ

かなり大上段のタイトルで興味を引く。1960年に大きな変化が断層として横たわり、その前後で人はさっぱり変わるのだ、という話。きっちり60年で線が引ける問題、というよりも、60年頃に変化が現れた、ということが多いように思う。60年以降であれば皆同じ、とまでは言わないが、まあ共通である、といわれるのだけど、僕(70年代)だって、80年代以降の人とは断層があると思うけどなあ。ただ、いま僕よりさらにオッサンな人たちの幼いころはこうだった、という背景をいくつもいくつも説明されるので、なんとなくオッサンのバックボーンがわかるような気がする…わけないか。あえていうなら、家庭が家庭ならではの役割から、カネでサービスを買うようになった転換期、というような気がする。松田道雄以前、以降とわけてもいいのかもしれない。

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2014年02月09日

Posted by ブクログ

生育環境が一変する「1960年の断層」により、「個」と「家族」、人との関係性が変わり、日本人を二分する「断層」となったと、60年を35の視点で炙り出すということだが、若干こじつけ的で、それは45年でも、50年でも、はたまた団塊2世としても論じることもできるものもある。
ただ、生活習慣や流行やスタイル等、そうそう、そうだったと様々な世代が読んでも、昔を振り返るには面白い点もあるといえる。

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2013年12月21日

Posted by ブクログ

ちょうど私が生まれた年が1961年、著者のいう2種類の日本人の断層の世代なんですね。旧世代と新世代の狭間で苦労して来たような気もしないでもないですが。幼少次第を思い出す内容でした。個人的には時代は繰り返しているだけのような気がしますが、、、、

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2013年11月27日

Posted by ブクログ

1960年を境に、日本人は2種類に区分されると、35項目の証例を掲げ、著者は説明する。
なるほどと納得する項目もあるし、ちょっとこじつけ?と言いたくなる項目もある。
確かに今当たり前にあると思っているさまざまなものが、’60年以前には確かになかった。
今の便利な生活を省みる際に、参考になる著書である

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2013年11月18日

Posted by ブクログ

著者は、広告代理店で、首都圏在住の子持ちの女性を対象にしたユ
ニークな食卓調査プロジェクト【食DRIVE】を率いてきた方です。

その15年にわたる調査の結果、著者が発見したことの一つが「1960
年の断層」でした。1960年生まれ以後の人と、それ以前の人は、明
らかに考え方や価値観、行動様式が違う。「断層」と呼ぶほかのな
い違いが存在している。

実際、1960年生まれは、それまで日本人が経験したことのなかった
ことを経験してきた、歴史的にも希有な存在なのです。その後の世
代は、'60年生まれが切り開いた道を踏襲していくので、日本人は、
'60年生まれ以後(「'60年型」)と、その前の世代(「旧型」)の
大きく二つに分けることができると著者は主張します。

では、具体的に何が変わったのか。それを本書では一つ一つ検証し
ていきます。その詳細にここでは立ち入りませんが、確かに、1960
年を境にして、色々なことが変わったのだなということに改めて気
付かされます。今、身の回りにある当たり前のものの多くは、'60
年以後に普及したものばかりです。

1960年と言えば、「所得倍増計画」。この年から、本格的に高度成
長に突入していくのですから、「断層」が生じるのも無理のないこ
とでしょう。経済成長が人々の暮しを変えた。その起点が1960年だ
った。それは間違いのない事実です。

でも、経済成長だけでしょうか。見逃せないのは、政策の影響です。
例えば、所得倍増計画の実現のために打ち出された「人づくり」政
策の一環として推進された「家庭教育振興策」。これは、「人づく
りの基本は家庭から」という理念のもと、学校を通じた公教育だけ
でなく、家庭の教育にまで政府が口を出していく、というものでし
た。そのために、全国各地で「家庭学級」が開かれ、母親達に対す
る教育が行なわれていくのです。それは高度経済成長を支える人材
を育てるための、政府による主婦の教育=洗脳プログラムだったと
言っても過言ではありません(家庭学級は'64年から開始)。

食が欧米化した背景にも、政策がありました。'55年に米国との間で
結んだ『余剰農産物協定』で、小麦を中心とする米国の余剰農産物
を受け入れることを約束した政府は、パン(粉食)を食べ、畜産物
や油脂類の摂取を増やすよう「食生活改善運動」を行います。米国
からの資金援助を受けた栄養指導車「キッチンカー」が全国を走り
回り、「もっと肉を!」「もっと脂を!」と叫ぶ官民挙げての一大
キャンペーンが張られたのです。「白米を食べると頭の働きが悪く
なり、早死にする」とまで言われたというから、驚きです。

すなわち、「1960年の断層」は、自然に生まれたものではなく、意
図して創り出されたもの、とも言えるのです。「'60年型」は、あ
る意味、時の政府の理想を体現した日本人なのかもしれません。

その「'60年型」も、既に人口の約6割。「旧型」はもはや少数派で
す。好むと好まざるとの関わらず、今後、ますます'60年型の価値
観が支配的になっていくことでしょう。

現代史に新しい光を投げかけてくれると共に、自分の身の回りを見
直すきっかけを与えてくれる一冊です。是非、読んでみて下さい。

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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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「'60年に生まれた人々は、歴史的にとても希有な存在である」と
いうことを、ここで先に申し上げておきたい。
なぜ希有かと言えば、彼らが生まれると赤ん坊のための何かが、幼
稚園に入る頃には幼稚園の何かが、小学校入学の頃には小学校の何
かが変わるというように、彼らがその年齢に達すると、それを取り
巻く制度や環境が大きく動いたり変わったりする不思議なめぐり合
わせに、何度も何度も遭遇する人々だからである。

「プライバシー」という言葉が流行語となったのも、'61年である。

「プロパンガスブーム」となったのは'60年。家庭の熱源は'60年前
後に大きく変わる。(…)
「'60年型」の子供たちには、七輪やかまどに火を熾したり、井戸
やポンプで水を汲むことを日常体験とした人が、ほとんどいなくな
るのである。

「子供は少なく産んで大事に育てる」と言われ始めたのは1960年代
からだ。

'60年には、北海道で20人の中学女生徒が「口減らし」のために芸者
置屋に売られる事件が置きている。(…)
女の子の売り飛ばしなどを禁じる売春防止法が全面施行されたのは
'58年からである。子供の口減らしや売り飛ばしは戦前の話ではなく、
現在60代の人々が子供の頃にはまだ現実だった。

1960年の「国民所得倍増計画」とその後の高度経済成長は今もよく
語られるが、その実現のため'62年に打ち出された「人づくり」政策
と、その一環として行なわれた「家庭教育振興策」について、取り
上げる人は少ない。だが、これ以降の日本の家庭や親子のあり方に
与えた影響の大きさを考えると、これは今も忘れてはならない施策
であったと思う。

重要なのは、従来政府が子供たちの教育に関与するのは学校など公
教育に対するものが中心であったのに、家庭が人材育成の場、教育
の場として政治的に重要視されるようになったことだ。そして、そ
の中身について政府が語り始めたということ、またその期待が主に
母親に向けられるようになったことも見逃せない。

政府の家庭教育振興策は、そんな家庭と、時間的余裕を持ち始めた
母親たちに向けられ、子供の教育へと駆り立てていった。当時は
「健全な家庭あっての健全な児童」という考えから、母親が働くこ
とに対する否定的見解さえ述べられ、一部では論争も起きている。

一昔前なら、農家は農家として商家は商家として、それぞれの家業
や家の考え方に沿って、その家ならではの躾けや教えが施された家
庭教育が、次の時代に政府が求める能力を持つ人間を育成する家庭
教育の時代へ転換していく。

「どんな個性でも、人に迷惑をかけない限り、よいものとして尊重
していきたい」というフレーズも、この時代の育児書に繰り返し書
かれているものだ。親の考えを押し付けるのではなく、子供の言い
分に耳を傾ける親子の対話を推奨し始めたのも、'60年代の育児書
の特徴である。

1960年は、別名「インスタント食品元年」と呼ばれる。

油脂の摂取量を上げるために、それまで日本人にはあまり馴染みの
なかった「炒めもの」を奨励する「一日一回フライパン運動」が始
まったのは'61年。'63年には「タンパク質が足りないよ~」と繰り
返し歌うテレビCMも始まっている。

この日米共同の、官民挙げての「国策」ともいえる圧倒的な施策な
しに、日本人の食をこれだけ短期間に全国規模で変えることは決し
てできなかったと思う。
それが一応の軌道にのったころに誕生したのが、'60年生まれだ。

女の子の名前に「子」離れが進むのは1960年頃からだ。

『人口統計』によれば、「'60年型」は既に日本人全体の約6割
(59%)を占め、「旧型」は4割(41%)と少数派になっている。こ
れからますます「'60年型」の感覚と価値観がものごとを動かす時
代になっていくことは、間違いない。

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●[2]編集後記

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先日、ボーイスカウトでナイフを使った娘。ナイフで木を削るのが
とても気に入ったようなので、鉛筆削り用に小刀を買い与えました。

自分が出張に行っている間に届いた小刀を早速使ってみた娘。あろ
うことか、誤って手首を切ってしまいました。かなり深く切ったら
しく、大量に血が噴き出したそうで、びっくりした妻が救急車を呼
んで、結局、病院で二針縫うことに。ちゃんと使い方を教えるまで、
勝手に使ってはいけないと言っておくべきでした。二針縫う程度で
済んだのは、不幸中の幸い。反省です。

刃物は怖いですよね。でも、生きていくためには刃物を使うことを
覚えなくてはいけない。それは同時に、怪我をするリスクを引き受
けるということです。その覚悟と共に、道具の正しい使い方を教え
るのは親の役目。でも、道具の怖さは、どんなに口で言ってもわか
らない。それに、悪用しないようにするのも、簡単ではありません。

娘には可哀想なことをしましたが、痛さを身を以て知った彼女は、
決して人に刃先を向けなくなるだろうとも思いました。小刀を与え
ようと決めた時、他人を傷つけないようにするには何をどう教えよ
うかと考えましたが、教えるより先に、自分で学んでくれたので、
結果として良かったのかもしれません。

ちなみに、救急車大好きの二歳の息子は、母姉と一緒に救急車に乗
ることができて、大興奮だったそうですw。

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2013年11月05日

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