【感想・ネタバレ】江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実のレビュー

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ネタバレ

チェック項目18箇所。明治政府は「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」「剣戟」などを過敏といえるほど嫌い、禁圧しました、三百年近い徳川幕府を倒して明治維新政権を樹立したのですが、それだけに「反逆」「反抗」「革命」「無頼」「刀」の力を恐れました、武士の行動原理と文化を極端に否定したのです。明治4年(1871)には「散髪脱刀令」を発して、髷を落とし、帯刀の習慣をなくそうと試みています、また明治9年(1876)には「廃刀令」を公布して、軍人、警官以外の帯刀を全面禁止しました。明治の後半まで「江戸の世が懐かしい」とでもいえば、危険思想の持ち主とされたのです、時代小説、時代劇が作られる頃は、明治生まれの人々の世になっていました。武家は一人で歩くことはなく、必ず中間に挟箱を担がせるなどして、従者を連れていた、町人は将軍、御三家、御三卿ぐらいには土下座をしたが、それ以外は、道の左右に避けて済ませた、武家が上司と出会ったときは、小走りにより、地面に片膝を付けて挨拶した。庄司甚内は公許の遊郭設置が必要な理由を①家業を怠り浪費する者を、遊女は何日はも泊める、②遊女の家は、浪人その他の不穏分子の溜まり場になる、③人身売買、誘拐など不埒な遊女稼業の者がいる。地獄……「地女の極上」の略である、地女とは、遊女に対して素人の町屋の女の意味で、御家人の妻の身分を隠して、裏長屋を借りた「地獄宿」に通って「つゆ稼ぎ」をしたのだろう、地女の極上だから、それなりの値段がしたに違いない、家主の監視を潜っての地獄宿も、そうとう危険な商売であった。女性の晴れ着は、基本的に畳みの上で艶やかに見えるようにデザインされていた、そのため室内ではひときわ生彩を放つので、インテリアになり得た。江戸時代の人々の性感覚は、今日からは想像するのが難しい、男にとっては妻は子孫を残す相手であり、恋愛は遊女を相手にする遊びだった、江戸時代の中期後半までは、性は子孫繁栄と遊びに峻別されていたのである、妻への義理さえ立てば、妻は悋気(嫉妬)はしない、朝帰りと妾は男の甲斐性の時代である。夜鷹(ヨタカ)……夜になると仮小屋を作ったり、川の土手や橋の下などで体を売った遊女、船饅頭……江戸は水路が巡らされた水の都市、船の中で売春をする女性のこと。家主は、三年燃えなければ元が取れる安普請(粗雑な作り)にしたので、この建築感覚が後々まで地震大国日本に大きな被害をもたらすことにもなった。年表を見ると大火は、景気低迷の時代に起きている。「生類憐れみの令」の意外な効果……人間も生類に含まれていて、「捨て子捨て病人」を禁止した、道中保護令も出て瀕死の旅人の救護も命じられたが、それまでは知らぬふりをされていた、「人や動物を殺す」「人や動物が死ぬ」ことを何とも思わない風潮を止めたのが「生類憐みの令」である。尾張藩……「生類憐れみの令」の15年前には9歳の林徳之助が2歳年上の川口三平を斬り、自分は自害した、9歳と11歳の殺し合いである、翌年は14歳の少年が斬り合って、互いに絶命するまで戦っている。時代劇で「面を上げぃ」というが、将軍はもとより上位の人の前では相手の顔を見ないのが作法だ、そのせいで近代になっても日本人は、相手の目を見て話さなかったという。学問が道楽か実学か区別のつかないところが江戸の時代を支えた、ところが時代が下るほど、武士は道楽として学問を楽しむ人が少なくなる、出世のための学問の時代である。「秘事作法」によれば、御殿女中には、幼君の性器を鍛える任務があった。凧揚げには天と人とを繋ぐ意味があり、将軍の凧揚げも天上と天下をを繋ぐ絆を再確認する行事だった。

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2013年01月15日

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ネタバレ

 企業でTOEIC何点以上を取らないと…などと言ってバイリンガル養成に躍起になっている。江戸時代にもバイリンガルが重宝されていたとあって驚いた。どうしてかというと、現代のように標準語を使った国語教育がなされていなかったので、意思の疎通を図るのに苦労した。方言が理解できる江戸っ子は儲かったそうだ。

 男たちが浮世絵好きだった理由が意外なところにあって、驚いた。江戸時代の人のエロティシズムは、現代とはかなり異なっていたとあり、「女性の表情、足の指先の表現、波うつ着物が女性の肉体の震えを表現し、流れる着物の裾がとろけるような交合の快美を物語る」のがよかったとある。見えないだけに萌え方が現代とは相当違うところにあるのが面白い。
 
 そんな純情な(?)江戸時代の人が、現代に来たらかなり驚くだろう。電車の中吊り広告には水着姿の女性の写真はあるし、プレイボーイのような雑誌なんて見たら失神するのではないかと思う。

 本を読んでいるといつの世にもバカ息子はいるものだなあと思う。しかもただのバカ息子ではなく、権力者の大バカ息子だ。その名は、松平斉宣(なりこと)。播州明石10万石の当主。元は、あの徳川将軍11代目の家斉の25番目の息子だった。その親の七光り息子は、幕府に所領のうち5万石を献上して、その代わりに「参勤道中斬捨御免」の許可をもらったとある。要するに、庶民が行列を横切ったら切り捨てることだ。かなり頭のネジが緩んだ御仁だ。その後、行列を横切ろうとした幼児を取り押さえて、切り捨てた。しかし切り捨てた場所が、あの尾張徳川家の領地である中山道の木曽路で、尾張徳川家は、幼児を殺すとは何事かということで、「今後、当家の領土を通行御無用」と通行禁止を言い渡されてしまった。

 それでは、馬と鹿のn乗殿様はどうしたかというと、参勤交代ができないと困るので中山道を変装してこそこそと通り過ぎようとしたが、殺された幼児の親が猟師で恨んでいたために、殺されたとある。葵の紋どころはなくても悪は成敗されることがあるのだな。この父親がどうなったか気になるが、著者は何もこの点については言及されていないので分からない。

 ところで、なぜ、大正時代になって江戸の歴史がねじ曲げられたのか気になる方もいるだろう。その理由は、明治維新以来の「欧化政策」によって、江戸時代のものはいけませんとなり、歌舞伎、文芸、落語などで江戸時代にまつわるものを排除させた。

 江戸時代がまたもてはやされる頃になると、江戸時代の実情を知る人がいなくなっていったので、現代の時代劇で見られるような形になった。たとえば、座布団を座っている大名を時代劇では見かけるが、実際は、江戸城で使用していたのは、将軍と御三家のみで、ほかの人は許されていなかったとあり、そうなのかと思った。時代劇で将軍や大名を演じる役者の方々は、虚構のおかげで脚の痛さが軽減されている。

 このほかにもいろいろなことが書かれていて面白い。

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2012年12月20日

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タイトルに即した内容って、結局ちゃんばらの由来とか、限られた部分だけだった気はするけど、それはさておき内容としては、なかなかに興味深いものも多かった。生類憐みの令の解釈とか、老中と大奥の関係性とか、教科書とは違った観点も味わえたし。総評としては、期待以上でも以下でもない感じでした。

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2014年02月26日

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江戸時代というと、チャンバラ映画や士農工商といった身分制度のひどい時代と思われるが、それは対抗する明治政府が作った虚像にすぎない。200年以上続いた平和な時代は徳川政府によって作られたもの、日本の歴史の中で一番長く続いたことは伊達ではないはずです。

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2013年10月18日

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題名が長い!

小飼弾氏によると題名は短ければ短いほど良い本の可能性が高いそうですが、これは面白かった。この本は「イメージの江戸時代」から「本当の江戸時代」へと転換を図るのを目的としていて、江戸の風俗や生活がかなり事細かに、面白おかしく書かれています。

面白かったのは江戸時代の包茎を表す言葉が「越前」だったということ。参勤交代で従者が抱える槍の穂先が袋に入っていたから……らしい。なんというか、洒落と言葉遊びが江戸の良さだなと思います。あと、下級武士や庶民の人妻では売春が超盛んだったとか、町の火消しが経済対策のために放火をしていたとか、ビックリするような話がこれでもかと出てきます。

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2012年04月11日

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なんだか下ネタ満タンで、堅い本かと身構えたら、そんなこと無かった。上等の大名屋敷の糞尿の話を聞くと、時代劇を見る目が変わるね

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2012年01月23日

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江戸時代考証本。へえーへえー!と言いながら読んだ。結構知らない事が書いてあって面白かった。ただこれは江戸時代全体の事が書いてあるので幕末には当てはまらない事も多い。
私としては引用文献が本文に付いてたら良かったなと。

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2011年08月30日

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作者はサブカルチャーの本などを書いているようで、全部が全部本当かな?と疑う気持ちもあるものの、単純んいへええと楽しめた。

明治維新以後、政府は脱江戸政策をとっていたので、明治の人達は近代化に忙しかった。平和な対象の時代になって、いざ江戸時代の芝居をしようと思っても、その頃には本当の江戸時代を知っている人がいなくなっていた。だからいわゆる時代劇の定番、浪人が悪をやっつけたり、お代官様と証人が手を組んで悪さをしたり。。。なんていうのは実はすべて西部劇を元に作られていた。本当の江戸時代は治安も結構しっかりしたいたし、刀でやりあうなんて事は滅多になかったようだ。

他にも江戸時代の町人や武士、大名にいたるまでの当時の暮らしぶりなどが面白かった。下ネタもかなり書かれている。

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2016年03月17日

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トレビア本
時代劇で語られる江戸時代が嘘ばかりという良くある主題の本である。
まあ、へーっと感心させられる部分が多く面白くはある本ですが、なんと言っても構成がひどい。いろんなトピックスを思うがままに書いただけという感じが否めない。特に終末部は何のオチもなくまとめもなくいきなりトピックスで終わっているのである。因みに最後のトピックスは幕末の慰安婦外交とハーフの運命って、日本という国は見境なく慰安婦を造り出すのか(^^ゞ

一番判らないのは「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」というタイトル。本編のどこを読んでもそんな事は書かれていないような気がするのだが、読み落としかしら(^^ゞ

軽く読み流すには良い本かも

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2013年08月19日

Posted by ブクログ

私達が学ぶ江戸の歴史は主に書物からだと思いますが、多くの人によって合意を得られた共通項のように思います。私達が見ている時代劇は、江戸を知っている人たちに作られたのではなく、明治後期になって初めて作られたそうです。昔から見ていて”格好良い”とは思いましたが、どうも現実感が伴っていなかったのはそのせいなのでしょうか。

明治の後半までは「江戸の世が懐かしい」と言えば、危険思想の持ち主とされていたそうですから、今は平和な世の中なのですね。この本を読むことで、やはり、歴史というのは勝者によって作成されるのだと確信しました。

勝者が歴史を作るという大原則に従えば、私が生きてきた昭和・平成という時代の起源は明治なので、明治政府が江戸の歴史を都合の良いように修正してきていることは理解できます。今までは江戸の本当の姿を探るのはタブーとされていたのかも知れませんが、私の数世代前の祖先が暮らしていた江戸時代というものに興味を持っている私にとっては、この本は興味を惹くものでした。類書を多く読んで少しでも江戸時代の姿を自分でイメージできるようになりたいものです。

以下は気になったポイントです。

・享保年間の江戸の人口は100万人を超えていた、それらの排泄物を江戸周辺の農村で肥料として利用したので、江戸のリサイクルと絶賛される(p24)

・髪結いは、町の治安維持の役割を担っていた、旅行者は旅行手形(旦那寺が発行)を提示しなければ旅先で髪結いができなかった(p26)

・文政年間(1818-30)の1文=47.6円と試算される、棟割長屋の家賃(300文)は1.4万円、表店は9.5~19万円相当になったので住んでいる階級が異なった(p29)

・享保年間まで、人口における男女比は、男3に対して女1であった(p32)長屋の子供は、複数の父親みたいな親切なおじさんに可愛がられて育つ、それは紋散らし(父親不確定)のためである(p35)

・吉原の太夫(最上位)と床入りするには、最低3回は必要で、合計90~120両(2700万~3600万円)かかった(p37)

・江戸の治安維持のため、町と町人を代表して、三人の町役人:町年寄(奈良屋、樽屋、喜多村家)が町奉行との間にたって江戸の行政を仕切っていた(p47)町年寄は将軍にお目見えできるので、御家人より地位が高く、譜代大名と敷居を挟んで隣り合わせの位置に座れるので、外様大名より高かった(p48)

・商家の婿は、江戸のエリートであり公職でもあった、三井・高島屋・住友が数百年の歴史を誇れるのは、エリート婿のおかげ(p58)武家は男子相続、養子も同族求めたが、商家はそれと対極にある女系相続であった、婿の地位が低くなったのは、男尊女卑が徹底した明治時代から(p61)

・大工の日当は、銀4匁二分に弁当代(1匁二分)、銀一匁=40
00円とすると、2万円の日当である(p72)

・人や動物を殺す、人や動物が死ぬということをなんとも思わない風潮をとめたのが、「生類憐れみの令」である(p78)

・江戸城で座布団を敷くことができたのは、将軍と御三家のみ、老中でも許されなかった、座布団のかわりに、畳の下に柔らかいパンヤ(綿のクッション)が詰めてあったのみ(p82)

・普通に刀を使っていたら、歯こぼれと血糊で、4人も切れば役に立たなくなる(p96)

・江戸の町は、武家地は、麹町・御徒町というように「マチ」を使い、町人地は、馬喰町・大伝馬町のように「チョウ」を使った(p108)

・一人扶持とは米五合のこと、三両一人扶持とは、年間三両(90万円)、一日二食分(五合)の米支給という意味(p116)

・町奉行所は犯罪を受理すると、与力は同心に仕事を投げて、同心は手下に仕事を丸投げする、町奉行所の与力・同心はすべての大名家、大店に出入りしていたので、付届けとして、与力で二千両(6億円)、同心でもその半額はあった(p121)

・将軍に「面を上げぃ」と言われても、一度は「はっ」と答えて顔は伏せたまま、将軍の威力の前で体がいうことをきかないということを表現、二度目で、胸あたり視線をやるのが礼儀(p127)

・松平定信、水野忠邦は大奥の協力が得られなかったので、二人とも失脚した(p131)

・幕府の年貢は基本的に米を中心にしているので、農民は税金を軽くするために、税金を逃れられる作物・商品作りに精を出した、従って江戸後期の天領での年貢率は二公八民であった(p141)

・婦人が編み笠を被り、手ぬぐいでほっ被りをするのは、祖先の霊がとりついていること意味するので、武士は厳禁とされた(p160)

・豊臣、徳川初期において、日本人口が1200~1400万人において、キリスト教徒は300万人と推定された(p174)

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2012年07月05日

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歴史考証を踏まえると時代劇は成立しませんね。
大奥が江戸のブラックボックスというのが分かりました。

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2011年09月03日

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ネタバレ

ちょっと文章が読みにくいんだけど、内容がおもしろい。
そうなんだよなぁ、時代劇を見ていて、いつも思っていたこと、気になっていたんだなぁ。
本当の江戸時代の風俗って実は違うんじゃないかって。
今日(5/10)やっと読み終わった。面白かったけど、なんだか尻切れな終わり方。
最後にまとめみたいな章があってもいいんじゃないの?
最後の話題もなんか後味悪いし。

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2010年12月22日

Posted by ブクログ

時代物ファンの私ではあるが、「これは嘘だろ〜」と思うシーンも多々あった。これでそのモヤモヤがスッキリ。武士の時代を断ち切るために、ファンタジーの世界に押し込められたのですね。で、現在それを楽しんでいる人たちは、それを現実と思い(こまされて)その世界に耽溺している。これじゃアキバだオタクだ、と馬鹿にできませんね。
2008.01.31-02.03

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2009年10月04日

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