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ジロドゥの戯曲。
水の精オンディーヌと、騎士ハンスの恋を描く。
オンディーヌの奔放すぎるキャラクターが強烈だが、それは本心とは裏腹な社交辞令や政治に満ちた貴族の社交界と対比させるためのものなのだろうか。
展開が読めずイライラする場面もあったが、大六場、第七場での物語の畳み方は素晴らしかった。最後のセリフが強烈に残る作品。
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私にとって一番好きなパターンなので、いつも以上に冷静さを欠いてしまいます。きっと感じたこと全てを誰かに話したら「何言ってんだコイツ?」と思われるのは間違いないでしょう。そのくらい、好きなタイプの物語です。どこか間の抜けたキャラクターたちが笑わせて、その台詞を良く考えると裏があって考えさせられて、気がつけば目が潤んでいる事に気付く結末。喜劇なのか悲恋なのか。オンディーヌとハンスは、私にとって愛すべきキャラクターとなりました。ただ、この戯曲をもし演じる機会があるとすればやってみたいのはベルタの役ですけれどね。
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オンディーヌ、純粋無垢で明るくてキラキラしてて本当にいい子で。
最終的には悲恋だけど愛ってこういうものだよなって思いました。
小説で久々に泣いちゃった。
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裏表紙の説明文には「究極の愛」とあった。異種婚姻譚という物語のパターン自体が究極の愛と結びつきやすいと思うけど、その中でも確かに「究極の愛」と呼ぶのにふさわしい作品だった。
あまりに純粋で偉大すぎる魂とあまりに卑小な魂とが惹かれあってしまったことがそもそもの悲劇の始まりなんだろう。
でも卑小な魂といっても、それは人として普通にもつ魂。人としてまともであるがゆえに、水の精オンディーヌの魂には及ぶべくもなく卑小なんだと思う。だから、オンディーヌが愛したハンスは、日と一般にまで拡大できて、人それ自体がいかに卑小なものなのかを思い知らされる。
そして、一方の純粋で偉大な魂は、決して神のような絶対的な存在ではなく、どこまでも澄み切った一人の女性として描かれる。悩み怒り悲しむとオンディーヌの言動自体は普通の人とそう変わらないはずなのに、どこまでも純粋さも偉大さも失わないで、かえってくっきりと際立っているように思う。
この越えられないくらいに激しい落差が必然的に悲劇を生むし、だからこそ究極の愛なんだろうなあ、とぼんやり思う。
かなり昔にエッセイか何かでラストシーンが紹介されていて、それ以来読みたい本の一つにずっとなっていた。でも一冊4500円のジロドゥ戯曲全集しかなくてなかなか手が出せないでいた。光文社古典新訳文庫のおかげで、こういう作品がとても手にしやすくなったと思う。「カラマーゾフの兄弟」のように他社でも出ている作品ではなくて、他では手に入らない隠れた名作をどんどん出していってほしい。
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ジロドゥといえばルイ・ジュヴェで、解説にはジャン・ルイ・バローも登場するから、「映画に恋して」に配架。王妃に語るオンディーヌの言葉『そこでは最初にむかえた男が、つねにただひとりの男です。』と、ラストが哀しいですね。最初にベルトランに会えたらよかったのに。そうしたら、お話が成り立ちませんが。えっ、ハンスって自然を踏みにじる人類の代表なの!?
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水妖記の戯曲版としてあまりにも有名であり、ラストシーンは傑作である。
水の精霊オンディーヌと騎士ハンスの悲劇的な恋愛を描いた物語で、人と人に非ざる者との恋は始まりから破局を予感させる。
これは東西の異類婚の物語同様、予定調和ともいえる筋書なのであろうか。
水の精霊といえば人魚姫を思い出すが、オンディーヌのように悲劇的な結末を辿る。人魚姫ばかりでない。日本の昔話で言えば、「鶴女房」「天女の羽衣」「雪女」など、異類婚の行く先は幸せなものではない。
ハッピーエンドに終わる物語は果たしてあっただろうか?(美女と野獣は元々どちらも人間だし)
人は異種と結ばれるということにロマンを感じる一方、心の底で「禁忌」を覚えるものだ。禁忌だからこそ惹かれ、また、激しく拒絶する。そのような相反した心理が数多くの異類婚譚を生むのではないか。
そしてこの物語は単なる異類婚による祖語だけにはとどまらない。魂というものは決して分かち合うことが出来ない、永遠にわかり合うことの出来ない男女の虚無的な愛がある。
女の純粋さは自らの魂の死を招く。オンディーヌは自分の魂を破壊することにより、愛から救われるのである。
この物語は愛からの救済なのだろうか?冷たく横たわるハンスを艶然とした表情で見つめるオンディーヌ。そこに果たして希望はあるのだろうか。
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まさに悲劇の体をした作品。
人間の弱さをとことんまでに
痛感できる作品でしょう。
実際にハンスは欲に負けて
オンディーヌ以外の女性に恋をし
婚約してしまいます。
オンディーヌは汚れなき、うそなき
透明な存在。
しかしながら人はそう生きることはできないのです。
別のバージョンも読みたいですね。
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なんとなくデジャヴを感じでしまった。何故?
ラストまで読み終わった時、この二人がまた何処かで出会うことはないのかと一瞬考えてしまった。
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フランスの文人ジロドゥ(1882-1943)の手に為る恋愛悲劇、1939初演。フーケーの「ウンディーネ」を下敷きにしているが、ジロドゥの描く水の精は、この19世紀ドイツの作家のそれよりも、もっと奔放で天真爛漫で、魅力的だ。幾分砕けた躍動感のある訳文が、ジロドゥ作のオンディーヌの性格をうまく表現していると思う。僕はオンディーヌのこの口調が好きだ。
幼子のように裏表の分裂のない、"永遠の15歳"である精霊の言動は、「みんなの大きな魂を、ほんとうに愚かに、こまぎれにしてしまった」人間社会に在っては、喜劇的に響いてしまう。この、動物的とさえ云える無邪気さ一途さが、オンディーヌだ。しかし、透明で純粋な魂こそが、我々の社会の中では、悲劇を引き寄せてしまう。
透明で純粋な自他未分離の愛情に忘我することを、人間は一方で求めているようでありながら、他方では確かにそれを恐れている。それは死の際の一瞬に於いてのみ可能となる、成就ならざる成就。
騎士は死に、精霊は忘却する。永遠に隔てられた二人の間に、オンディーヌの嘗てと変わらぬ無邪気な言葉が響くのが、切ない。
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戯曲は初めて読んだ。会話文ばかりの文章なんて果たして本当に楽しく読みこなせるのか不安だったのだが、この作品に限ってそんな心配は不要だったのだと思い知った。小説のように視点が固定された地の文がないため、台詞の一つ一つが切実で、素直で、情熱的、そしてそれらの掛け合いはまるで音楽のようにリズミカルに私たちの胸に響く。その躍動感は、時に心理描写をつぶさに描く小説よりもダイレクトに、登場人物の感情を我々に届ける。その濃密さを知れただけでも、今回「オンディーヌ」を手にとって良かったと思った。
加えてこの「オンディーヌ」、勘違いに勘違いを重ねて殺したり殺されたりするよくある異類婚姻譚の悲恋物語かと思いきや、内実はまるで違う(悲恋ではあるが)。主人公のオンディーヌに悲恋物語のヒロインらしい影がつきまとわない。素直で、活発で、直情的で、嘘やお世辞が言えなくて(そのため社交界=人間界には溶け込めない)、それゆえに彼女のひたむきな愛と赦しが遂げられなかった、その悲嘆が胸を衝く。オンディーヌが水の精として自然そのものを表しているのなら、ヒーローのハンスは、終盤本人が言及しているとおり、凡庸な人間そのものである。
オンディーヌとハンスの関係を、近代の人間と自然の関係を示唆しているとの見方もあるようだが、私にはそこまで感じ取れなかった。ただ、人間の愚かさ、弱さ、矮小さ、そしてそれを包み、赦し、愛す水の精(=自然)のひたむきさは溢れるほどに伝わった。ハンスが死んで、人間界でのできごとをまるごと忘れたオンディーヌが、水底でひとり、その行動の意味も忘却の彼方に、まるで人間のように生活をするその悲哀が、古典的な悲劇における「死」よりも酷く悲しく、そして美しいと思った。いつか実際に公演を見てみたいなあ。
Posted by ブクログ
先日読んだ或る小説で言及されていて、その引用文がひどく印象的だったので読んでみた。
訳の違いで随分ライトな感じになってはいたけど、最後の展開は凄くドラマチックでロマンチックで、わりと好きです。
愛した人のことをすっかり忘れて生き続けるのと、
何もかも覚えているまま、その記憶とともに死ぬことは、
どちらが幸せなのだろう。
毎日のあらゆる瞬間の中に刷り込まれたそのしるしさえ、オンディーヌは忘れてしまうのだろうか。
しるしが残ったままだったとして、その意味を、もしくはそこに意味があること自体を、オンディーヌは忘れてしまうのだろうか。
魔法にかかったかのように。
もしくは、魔法が解けたかのように。