【感想・ネタバレ】新編 日本の面影のレビュー

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 来日して、いろいろなものに興味を持った、ラフカディオ・ハーン。興味を持つ対象が、次第に物体から、日本人の心の内面へと変化していく。
 その様子を嬉しく思いながら、本作を読み進めていきました。

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2024年05月11日

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 日本名 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、1840(明治23)年、日本にやってきて初めて書いた「知られぬ日本の面影」の翻訳アンソロジーである。
 ハーンは来日後、間もなく会った親切な英国人教授に「日本の第一印象は、出来るだけ早く書き残しておきなさい。」と言われ、あわただしく書き留めたものをまとめた。本当によく書き残してくださったと思う。なぜかというと、その時外国人ハーンが見た、今から180年前の日本は、我々の国だけれど、もうそんな素敵な国は世界のどこにも無いのだから。
 「東洋の第一日目」という章からの抜粋。
  『人力車ほど居心地の良い小型の車は想像できない。わらじ履きの車夫の動きに合わせて揺れる、キノコのような笠越しに見える通りの景色には決して飽きることなく想像を掻き立てられる。まるで何もかも、小さな妖精の国のようだ。まるで、人も物もみんな小さく、風変わりで神秘的である。青い屋根の小さな家屋、青いのれんがかかった小さな店舗、その前で青い着物姿の小柄な売り子が微笑んでいる。………見渡す限り幟が翻り、濃紺ののれんが揺れている。かなや漢字の美しく書かれたその神秘的な動きを見下ろしながら、最初はうれしいほど奇妙な混乱を覚えていた。町並みの建築や装飾に、すぐにそれと分かるような法則は、感じられない。それぞれの建物に、一風変わった、特有のかわいらしさがあるようである。一軒として他とそっくりな家はなく、全てが戸惑ってしまうほど目新しい。』

 スピリチュアルなものに惹かれるハーンは、上陸した横浜から神々の国、出雲へ人力車を乗り継ぎながら(すごい)四日間の旅をする。その過程で、山あいの田んぼ、杉や松の森の薄暗い影、遠くの藍色の山並み、藁葺屋根の連なり、道端の小さなお地蔵様や祠など、日本独特の田舎のやさしい景色を目にする。
 松江に着いて迎えた最初の朝の印象。
 『山の麓という麓が霞に覆われている。その霞の帯は、果てしなく続く薄い織物のように、それぞれ高さの違う頂きを横切るように広がっている。その様子を日本語では、霞が「棚引く」と表現している。』

 出雲大社で外国人として初めて本殿への昇殿を許され、宮司に謁見しお話を伺う機会を持った後は、山陰地方の神秘的な海辺の村を旅し、そこに伝わる伝説や宗教など興味深い話を収集する。
 そして、一年ほど松江で中学校と師範学校の英語教師として赴任するのだが、そこで、日本の学校について今から見れば意外な印象を伝えている。
 『近代日本の教育制度においては、教育は全て最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は文字通り教師(teacher)であって、英語の“mastery”の意味におけるような支配者ではない。教師は彼の教え子たちに対し、年上の兄のような立場にある。………どの公立校も、まじめで、固有の精神を持ったひとつの小さな共和国であって、そこでは、校長と教師は、大統領と内閣の関係に立っているに過ぎない。』
私の親の時代は、もっと教師は威圧的であったと聞くし、私はそのような教師には巡り合わなかったが、「日本は管理教育」と長らく言われていると思う。ハーンの居た学校がたまたま民主的な学校であったのかもしれないが、まだ、明治23年ごろはそのようなのびのびした教育であったのかと思った。
 『日本人の微笑』という章では、イギリス人は深刻で生真面目であるが、日本人は決して生真面目で深刻ではなく、その分、幸せだと思うと書いている。そして、苦しかったり、悲しかったり、愉快でないときでも、相手に不愉快な印象を与えないため、いつも微笑を浮かべている日本人の礼儀作法を美しいと書いている。

 今の日本を見たらハーンはどう思うだろう。自分の知らない日本を教えてくれた外国人の記録。記憶にはないけれど、どこか体の奥に眠る記憶のようなものをくすぐられ、照れ臭く、申し訳なく、温かく、涙が出そうな、自分のひいおじいさんの友人から聞いた自分の先祖の話のような素敵な記録であった。

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2021年02月09日

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2012.8記。

突然ですがやっぱり地元の夏祭り・盆踊りというのはよいものです。なぜか振付を熟知しているおばちゃん、よくわからない役割を与えられてねじり鉢巻きで周囲ににらみを利かせているおっさん・・・

私が小学生(30年前、1980年前後)のころから変わらない風景だが、思えばこのおっさんおばちゃんも30年前はせいぜい30代。つまり1980年代にはそこそこ「盆踊りだせー」とか言っていた世代ではないのだろうか?2030年ごろには僕も地元の公園辺りで「自治会」のテントの下で東京音頭の音量を調節したりしているのだろうか?日頃は都心に電車で働きに出てしまう僕だが、そうやって将来どこであれ地域の行事の継承役の一角を担えるならそれは嬉しいことだ・・・こういう廃れそうで廃れない日本の季節の風物詩を大事にしたいと思う今日この頃。

さて、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が描写した(おそらくは19世紀末の)出雲における盆踊りの様子は、日本人が読んでもめまいがするほどに美しい。
以下、少し長いが引用です。

「かつてのお寺であった本堂の陰から、踊り子たちが列をなして月の光を浴びながら出てきて、ぴたりと立ち止まった。(中略)・・・すると、太鼓がもうひとつ、ドンと鳴ったのを合図に、さあ、いよいよ盆踊りの始まりである。それは、筆舌に尽くしがたい、想像を絶した、何か夢幻の世界にいるような踊りであった・・・(中略)こうして、いつも無数の白い手が、何か呪文でも紡ぎだしているかのように、掌を上へ下へと向けながら、輪の外側と内側に交互にしなやかに波打っているのである。それに合わせて、妖精の羽根のような袖が、同時にほのかに空中に浮き上がり、本物の翼のような影を落としている。(中略)・・・空を巡る月の下、踊りの輪の真ん中に立っている私は、魔法の輪の中にいるような錯覚を覚えていた。まさにこれは、魔法としかいいようがない。私は、魔法にかけられているのである。幽霊のような手の振り、リズミカルな足の動き、なかでも、美しい袖の軽やかなはためきに、私はすっかり魅了されてしまっていた。幻影のように、音も立たない、なめらかな袖の揺れは、あたかも熱帯地方の大きなコウモリが飛んでいるかのようである。いや、夢だとしても、こんな夢はこれまで見たことがない。」(ラフカディオ・ハーン「日本の面影」(池田雅之訳))

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2019年01月03日

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のちの小泉八雲の滞在記です。とにかく日本文化を誉めまくってます。一番興味深かったのは「日本人の微笑」の項で、その中でもイギリス人と老サムライのエピソードが印象的でした。

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2014年05月06日

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好き。
日本で(戒律で悪徳を縛る)キリスト教を流行らすメリットはないって序文が好き。
混血、複雑な家庭事情で育ったハーンは完全なるキリスト教圏の人間ではないのだな。
ハーンが日本好きすぎて照れる。

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2012年07月04日

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ラフカディオ・ハーン、日本名小泉八雲が書いた「日本の面影」。西洋人が小さな美しい国、日本を初めて訪れた時の感動がスピード感溢れる文調で描かれている。色鮮やかさが目に浮かぶようで面白い。

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2012年03月27日

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何度でも何度でも読み返したくなる。
特に夏「盆踊り」のあたりをまたもや...
ここまで素直に日本を感じられるなんて圧倒される。
池田先生には大学で短い間だけどお世話になった。
情景が浮かぶ訳に、詳しい注。
先生のお人柄を思い出す。
見たこともない遥か遠きこの国の過去に思いをはせる。
なぜだろうか、郷愁を覚える。

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2011年09月01日

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日本に初めてやってきた喜びと驚きが、率直に書かれていて、読んでるこっちが誇らしい気持ちになります。また、日本人にとって当たり前のことが改めて日本的なのだ、と気づいたりもします。でも、やっぱり、今の日本には見られなくなってしまった、人びとの生活の形や、素朴な信仰には目を見開かれます。

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2009年10月04日

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1890年にアメリカから来日したラフカディオ・ハーン(後に帰化して小泉八雲)が日本各地(主に山陰)を遊行した記録をまとめた本。

ハーンは本書の中で日本、日本人について絶賛している。日本の美しい風景、ありのままの情景、日本人の伝統的徳目、慎ましい態度、愛嬌、信仰、迷信にいたるまであらゆるものを褒め尽くす。
それらの動機にはハーンの西洋的価値観、特に一神教への反発やハーン自身の個人的原体験があると言われており、あまり冷静かつ客観的なものだとは言えない。ただそれでも、明治中期のありのままの日本を描いた資料として有用である。

そうした文化資料的側面は一度置いても、単純に旅行記として面白い。ハーンの独特な感性に基づく仔細な光景描写や、ハーン自身が教師として接した日本人の言動は文作品として高いレベルにあると思う。
ハーンが嘆いた「西洋にかぶれた」今の日本が持っていない美しさが切り取られてそこにあると感じた。

とは言え、現在の限りなく西洋化した日本をこの時代の姿に戻すことなどできはしない。それに日本人が置き去りにした伝統や原体験的姿勢は、間違いなく今の日本人にも受け継がれている。
良くも悪くもそれらは現代の日本という国に影響を与えている。それらは間違いなく、強みにも弱みにもなっている。

重要なことは、この源泉を知ることだ。何が今の没落してしまった日本の原因なのか、反対に何が復活への鍵を握っているのか。それを知り、理解した上で何かを残し、何を捨てるのかを戦略的に策定しなければならない。
なんとなくの流れで生き残れるほどこの世界はぬるくなくなっている。日本人ひとりひとり、老若男女問わずに危機感を持ち、それを考えるべきだ。個人的にはそう考える。そして本書のような本がそのヒントになり得るだろう。

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2023年07月14日

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ネタバレ

目次
・はじめに
・東洋の第一日目
・盆踊り
・神々の国の首都
・杵築――日本最古の神社
・子供たちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけと)
・日本海に沿って
・日本の庭にて
・英語教師の日記から
・日本人の微笑
・さようなら

まずラフカディオ・ハーン(小泉八雲)に「ありがとう」と感謝を述べたい。
当時、極東の未開国扱いだった日本の良いところをこんなに見つけてくれて、世界に発信してくれて。

今、誰かが「神の国・ニッポン」などと言おうものなら炎上間違いないけれど、彼が日本にいた明治の後期、日本はまだ神と共に在る国だったんだなあ。
それは、神である天皇のために死ぬなんてことでは全然なくて、神の前に恥ずかしくない存在であるために、自身に誇りをもった生き方であったように思える。
今の殺伐とした日本の姿を見たらハーンはなんと思うだろう。

生活の隅々に神仏の存在を感じながらも、ハーン自身は仏教より神道を上と見ている。
”仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のように広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、他の東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。”
確かに浸透には抽象理論がないと思います。
だって、「やまとことば」には、抽象的概念を表現する言葉がありませんから。
ということは、古代の日本人は、抽象的な理論を考える手段がなかったということです。
だからこそ中国の文化に触れて、目からうろこの大興奮だったのではないでしょうか。

「日本の文化に比べれば、西洋の文化のなんて野蛮なこと!」と、ハーンはかなり力を込めて主張する。
例えば花を活けるということについても、以下のとおり。
”(日本の生け花は)ただ花瓶に枝を投げ入れているだけではないのだ。枝を剪定し、形を決め、美しく生けるまで、もしかしたらまるまる一時間はかかっているのかもしれないのである。だから今となっては、西洋人が「ブーケ」と呼んでいる花束などは、花を生殺しにする卑劣な行為であり、色彩感覚に対する冒瀆であり、野蛮で忌々しい蛮行に他ならないと思うようになった。”
いやいや、さすがにそれでは敵を増やすだけじゃろう。

”都会の人ならホトトギスの声を耳にすることもなく、一生を終えることになるかもしれない。鳥籠で飼おうとしても、ホトトギスは鳴かないまま死んでしまうからだ。”
なるほど。
そのうえでの、三武将のホトトギス句なわけね。
勉強になりました。

教師としてのハーンの言から2つ。
”教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から

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2021年06月10日

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小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが来日当時の日本の文化・生活をつづった随想録。文体は生真面目だけど日常的な言葉遣いで読みやすいです。
西洋化しきっていないかつての日本を事細かに描写していて、実際に見たわけではない風景ながら郷愁を感じられます。
……はいいのですが、随所に挟み込まれる西洋出身の筆者による舌鋒鋭い西洋disで目を白黒させられてしまった。
キリスト教文化に馴染めなかったという小泉八雲がこんなにも日本を愛しているのを見ると、生まれたまま漫然と日本人でいることが申し訳ないというか、自己の郷土愛というものを顧みなければならないような気分になりました…。

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2020年06月02日

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トリップ小説である。冷静でありながら情熱的に昔の日本の景色、風習、人柄を書き尽くしている。読むだけでその当時、おそらく明治時代、まだ江戸の匂いが色濃く残る時代へ連れていかれる。小泉八雲はもともと新聞記者だっただけあり、事実を正確に伝えようとする描写力とそこから導き出される日本という国への分析力、そして詩的な表現力が圧倒的に優れている。これを翻訳した人もいい。今を生きる日本人として、根底に根差しているものがなにか、優しくしかし鮮烈に教えてくれる素晴らしい本である。

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2016年03月12日

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ラフカディオハーンが書いた、日本の風景。
19世紀後半に日本にやってきた彼は、山陰をまわり出雲国へ向かう。

その中で当時の日本人の良さ、日本の良さをとても美しい言葉で著している。
彼が村人などから聞いた人柱伝説や逸話などもたくさん紹介されており、いかに当時の日本がいわゆる"古き良き日本"であるかを感じる。

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2016年02月09日

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小泉八雲が帰化前に書いた日本滞在記。別の本で引用されていたので買ってみた。日本人、日本の文化、自然、庭、樹木、花など日本の全てを美しい表現で褒めちぎっていて気持ちいい。桜の叙情的な表現は繰り返し読みました。訳者の力量も良いのだと思う。特に「日本人の微笑」と題した考察がとても奥深く的を得ている。著者が西洋にはない当たり前の出来事として書かれていることが、今の日本では当たり前ではなくなってしまっている。そこに寂しさを感じます。

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2013年05月26日

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当時の日本に迷いこんだ異国人、よりも日本人の気持ちで読めた。盆踊りの感覚は旅に出た時に遭遇したお祭りの感覚そのもの。のすたるじぃ、だがやはり近代が忘れた思い出。

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2013年04月07日

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目次:
はじめに
東洋の第一日目
盆踊り
神々の国の首都
杵築(きづき)――日本最古の神社
子どもたちの死霊の岩屋で――加賀(かか)の潜戸(くけど)
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
 ラフカディオ・ハーン略年譜
 訳者あとがき

※ 本書は、「訳者あとがき」にあるように、「『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan,1894)の翻訳アンソロジー」、つまり抄訳である。「序文」を含め凡そ27篇の原書のうち、本書が訳出するのは11篇に過ぎず、それゆえの「新編」であることを注意されたい。訳者が27篇からこの11編を選んだ見識を、私は信頼し、また評価したい。
原書の邦訳としては、同じ角川の『日本の面影』をはじめ、『日本瞥見記』『神々の国の首都』『明治日本の面影』(順不同)など、さまざまなエディションがあるらしいので、目的にあった1冊を手にとられるとよいだろう。
それぞれに一長一短はあろうけれども、現代の読者への普及という点では、この『新編』はその役割を十分に果たしている。個人的な感想になるが、翻訳に特有のぎこちなさに由来するストレスがなく、それでいて、原書の英文かくありなんと想像力をかき立てる佳作である(偉そうにすみません)。

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2012年11月16日

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明治時代の松江の人々の暮らしぶり、息遣いがいきいきと伝わってくる。宍道湖の色彩の移り変わり、松江の音を記した部分は、特に秀逸。

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2012年01月09日

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『知られぬ日本の面影』から選ばれたアンソロジー。
内容を簡潔に言うなら、外国の方から肯定的に見た明治の日本とハーンの考察。
日本文化に詳しくない人にも分かりやすく、説明的。
エッセイやコラムと言うよりも、一つの文学作品だと思うような文体で書かれています。

美しい文章で、少し美化されすぎているような気にもなりますが、ハーンの日本や日本文化に対する理解には、いっそ感動を覚えます。

昔ながらの日本文化に対して郷愁をおぼえる方には、お薦めの一冊です。

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2010年03月01日

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ラフカディオ ハーンが見た日本を素直に書いているように思います。ジャーナリストの視点は、読んでいて納得します。

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2009年12月15日

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ラフカディオ・ハーンの日本到着直後の感想から
日本の研究の記録、エッセイ、日記。

描写が美しい。
時代もあるのだろうけれど、
この本を読むと
日本とはなんと素晴らしい純粋な国なんだろう、
と思う。
心が洗われます。
日本に魅せられるのも道理。
日本も今とは違うですね。
多分それは惚れすぎた故の過大評価もあるのだと思うけれど。
最後の「日本人の微笑」での日本人への理解なんて
素晴らしすぎる。
西洋人に読んで欲しいな。

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2009年10月07日

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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、当時の日本という国を書いた本。いくつかの章を組み合わせた本なので、時系列で並んでいるわけではありませんが、彼が彼という人間そのままの『眼』と『心』で感じた日本が書かれています。

読んでいるこちらが萎縮するくらい、彼は日本を賛美しています。
初めは、ヨーロッパに生まれ、アメリカから来日してきた人の、単なる無いもの強請りのように感じましたが、彼の日本に対する感受性は、それだけには留まりません。
単純に東京や横浜などの都市部を回るだけでなく、山間部など、本当に日本の『日常』が息づくところを回っているのです。
もし都市部だけであれば、きっと彼の感想は「日本は西洋の文化を取り入れつつある、近代化が進んでいる国である」とだけに留まっていたでしょう。
けれど、彼の探究心はそこではなく、『本来の日本の姿』にある。だから、見た目の景色や文化に留まらず、自然環境や日本人の礼儀作法、更には今も息づく伝説に至るまで、事細かに観察しては記しています。

もし彼が、『今の』日本に来たならば、どんな感想を持ったでしょうか?


この本を、日本人に強く勧めるならば、かつて日本に栄華した文化や環境以上に、日本人の『心』に注目すべきではないかと考えます。
単に環境や文化を、過去の通りに見繕っても、決してそれは『日本らしい』とは言えないでしょう。ただの模倣に過ぎません。
『日本人』が『日本人』であるが故の『心』、もう一度、見つめなおしてみませんか?

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2009年10月04日

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・濃密でゆっくりと流れる日本の風景。令和のショートムービーや倍速再生の世界とは真逆の世界。でも、我々の深いところには今も息づいていると思っている。
・丁寧で簡潔な文章。久しぶりに相対することができて豊かな気分になった。
・「花と同じ名前の娘たち」いまも、そういう名前の子供もいるけど地面とのつながりが違うように感じる。草履越しか、スニーカー越しか。
・「イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、どれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか」
・「日本人の微笑」は、今では逆転しているように感じられた。気質や国が置かれている状況も逆転しているのだろうか。

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2022年12月27日

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ラフカディオ・ハーンが著した『知られぬ日本の面影』から、訳者が11遍のエッセイを選び再編集したもの。
日本に降り立ったその日の感動を、時に幻想的な表現を用いて綴った作品から始まり、日本人が普段気にとめない様な風景を慈しむ作品が収録されている。
松江から新天地の熊本へ出立する朝までの数日間を描いた『さようなら』と言うエッセイを読むと、いかにハーンが松江の人々と交流を深めていたのかが分かり優しい気持ちになれる。
キリスト教を嫌悪していたためか、西洋人に対する評価が辛口過ぎる気もするが、ハーンが愛した日本が本著の中には生き生きと存在している。

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2022年05月08日

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ナショナリズムとは異なる別視点の日本を知ることができました。さすが NHKの100分で名著で紹介される本はハズレがありません

普段 怪談本は読まないので 小泉八雲の事は知りませんでしたが、生い立ちや日本への思い入れを知ることで 作家への興味が 作品への興味に変わり 怪談を読んでみようと思いました

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2015年08月22日

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日本人には、もう見えない日本が、ここにありました。

ハーンは本当に日本が好きだったんだな、と思う。こんなに日本をベタボメしてくれるなんて。盆踊りや神社にワクワクしているハーンの、しかし冷静な観察眼を持っている彼の姿が目に浮かぶ。ここに描かれた日本が、もう絶滅寸前なことを寂しく思う。

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2014年09月07日

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あとがきで訳者が言っている通り、西洋文明を過剰に批判し日本文化を過剰に賛美している感じはあるものの、知らなかった明治時代の日本の風俗が細かく描写されていて、とても興味深かった。今ほど西洋に感化されておらず、独特の文化が色濃く残っていた時代に日本に暮らしたハーンと、現代を生きる日本人である私の目が同化するのが面白い。それほど、この時代の日本と現代の日本とが変わったということなのかもしれない。
古来からの日本文化を改めて美しいと感じられた一冊だった。

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2014年07月25日

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いま、「日本の面影」という本を読んでいる。
さすが角川の本だけあって17版めにしてまだ誤植がありますが、中身はスゴク面白い。

日本についてすぐ、やとった車夫の名は「チャ」。
ホンマに日本人か?!と思いますがとりあえず読み進めていくと。

盆踊りは、昔は静寂の中でしていたそうで。
今は、「東京音頭」とか(東京だけかもしらんが)すごい音量でかけてますが。

音もなく揺れうごき織るように進むあの優美な姿は、今夜白い燈籠をつけて迎えられた冥土の人々ではないのだ。ふいに、小鳥の呼び声のように美しくて朗らかな顫律にみちた一曲の歌が、娘らしい口からさっと流れだしてくる。すると、五十人の優しい声がその歌に和した。

揃うた 揃いました 踊り子が揃うた
揃い着てきた 晴れ浴衣

またもや蟋蟀のすだく声、足のシュウシュウいう音、かるく手をうつ響だけになった。
というような踊りだったのですね。いまでもどこかでこういう踊りをやっているのでしょうか。

そして、出雲にある子供の霊の洞窟の話。
その洞窟には、小さい石塔が一面に積んであって、それは子供の霊が積むんだそうな。
洞窟の奥の砂地のところには、子供のはだしの足跡があって、人々がかわいそうに思って草鞋を供えるんだけど、足跡はいつもはだしなんだそうな。
ひどいあらしの時には、大きな波が荒れ狂う鬼のように洞窟のなかへなだれこんできて、小さな石の塔をみんな押し流して小石にし、地蔵の像も岩にたたきつけてしまう。しかし、いつでも、あらしのあとの最初の静かな夜には、石の塔はもと通りにされるのである。
「仏が心配して、泣き泣き積み直します」
行ってみたい〜!!

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2009年10月04日

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