感情タグBEST3
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これは大人が読む本だと今さら気づいた。子供の頃読んだ気がするがたぶん子供向け版だったと思う。赤裸々な自伝である。子供時代の思い出は無邪気なだけではないはずである。両親のいやな面を見たり、残酷なことを楽しんだり(動物だけでなく人に対しても)、異性に性的な感情を抱いたり。みんなが平気で忘れて向き合わない恥ずかしい子供時代。これこそがこの作品の素晴らしさだ。読んだきっかけは大竹しのぶのミュージカル「にんじん」を見たからだが、原作には悪役の母親も正義の味方の女中も純粋な主人公も出てこない。とても人間らしく、時に懐かしく時に失望させられるそんな家族、仲間、知り合いたち、にんじん本人だ。
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これで一冊書けてしまうルナールがすごい。ただ滑稽に見せたいのでも悲劇的に訴えたいのとも違う。嘘でも本当でもない見せ方で経験と和解することができるのが彼だったのだとしたら、なんて偉大な書き手だったのだろう。個人的に背表紙の作品紹介は、?と思う。
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ジュール・ルナールの代表作「にんじん」。10年ぶりに再読。
家族全員から「にんじん」と呼ばれる時点で、すでに悲劇だが、特に母親から愛されないことへの反抗心と極端な自我を発揮する「にんじん」は強く、たくましい。
父親との手紙のやりとりや兄弟との会話、挿絵の雰囲気などは、どこか滑稽で、愛情溢れる家族にも見えてくる。
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いじめられっ子の立場において
家庭内に居場所を見いだしている男の子がいる
彼は本当の名前を剥奪され
「にんじん」というあだ名でしか呼んでもらえない
家庭内にある歪みの中心に「にんじん」は立っていて
そこに決定的な亀裂が入らないよう押さえている
そんな「にんじん」を家族たちはむしろ
愚図で意気地なしのどうしようもない奴だと考えている
…そういう形で家族たちは「にんじん」を愛しており
また「にんじん」も家族を愛してはいるのだが
ときどきいたたまれなくなる彼は
自分より弱い誰かを見つけてきて
自分がされる以上の残酷な目にあわせたりもする
さて、この家族たち…直接「にんじん」をいじめるのは主に母親だが…
彼らの家庭生活における幸せはどこにあるのだろう?
あまり世間体を気にしている風でもないのだけど
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無邪気で強かなにんじんが大好きです。そんな彼なので、ときどき感情を露わにしてるときゅんとします。
おしっこもらしちゃう話と、寮の話が好きです←
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なんともつかみ所のないと言うか、複雑な話だった。荒唐無稽であるようにも思う。
表向きな物語としては、その風貌から母親から疎まれ、イジメのような仕打ちをうけながらも賢明に生きる少年の物語となるのだろうか。
しかし、これはそうそう簡単な物語ではない。
ストーリーから考える少年像としては、素直で純粋だが、心の強い男の子というイメージがわくのではないだろうか。しかし、この物語の主人公、通称にんじんは、けして、誰もが愛する事の出来るような少年ではない。暴力的で、陰湿ですらあり、ハッキリ言って嫌な子供なのである。少年犯を犯す現代っ子の様な心理の持ち主なのだ。母親にしろ、ただ意地悪な母親ならば分かりやすいのだが、一言でそうと言える人物ではない。にんじんに対する言動の中に時に愛情をひしひしと示したりする。
詳しくは知らないが、この物語は作者の自叙伝的な部分があるのではないだろうか。実際の子供、実際の親子関係と言う物は、けして明く、純粋な物だけではない。父や、他の兄弟なども含めて、複雑怪奇であり、こうすればいい、こうすれば上手くいくなどという答えはない。
この物語は一見、荒唐無稽。だからこそリアリティがあるように感じた。
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どんな話かは一言で言い表せない。一話一話が2~3ページで収まる短編集のような構成となっている。一見すると、にんじん一人だけが、他の二人の兄姉に比べて母親に冷遇されてひどいことをされるという悲しい話とも捉えがち。しかしにんじんがそのことに関して特別悲嘆にくれ続けているわけではない。日常のことに関して男子のよくある見栄心とかそういった感情が多く書かれている。それに、ではにんじんが聖人君子のような人間なのかと言われれば、ザリガニ捕りのために猫を殺したり、寧ろその対局にあるような行動が多い。そのため、一重に悲劇とは言い切れない。
この話は恐らくにんじん目線での様々なエピソードを書いているもの。なのでこの話を読んでいくとにんじんの母親に対する心情なんかも段々わかってくる。わかってくるが、物語は特に終始進展も後退もない。一応、最後の話でにんじんは希望を父親に打ち明けるが、これまでどちらかといえば味方だった父親に打ち砕かれて終わる。ここの話で一気に父親に対する読み手の好感度が下がるなぁ。
このにんじんと母親の関係はどうして生まれたのか、作中では語られない。そこもモヤモヤするし、晴れ晴れとした最後でもないし、読みやすい長さと文章にも関わらず意外とすっきりしない話だという印象を受けた。まぁ何に対しても1つのジャンルにして一言で言い表そうとするほうが無理があるのだろう。
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題名が有名ランキングではかなり上位に来るであろう、しかし実際には読まないよなランキングでも上位に来そう、なんだけども、とりあえずにんじんが何を意味しているかは割とすぐに分かった。母親と息子の関係ってのは今も昔も重要なテーマなんだろうけど、こゆのを心理学的に読み解こうとする現代医学というかカウンセリングの類とか、無い時代には、本を読んで何かを知ろうとしたんだろうか。でもってこれが名作と持て囃されるのは、そこに何がしかの共感を得る人が多いという事なのか。
しかしガキンチョの頃から銃をぶっ放すような時代を見るに、銃を規制するのと銃犯罪がなくなるのは全く関係ないっていう話か。動物を簡単にぶっ殺せなくなったのが問題という事で、銃犯罪の増加の原因はきっと動物保護団体にあるに違いない。
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小学生のとき、従姉からお下がり的にもたらされた本の一つで、
ちょっとしたトラウマになったヤツ。
子供だった自分は一読して、この鬼のような母は父の後妻なのか、
それとも「にんじん」が夫妻の実子でないために
不当な扱いを受けているのか?
と、首を傾げたが、読み直してみると、そういう説明はなく、
普通の家族であるはずなのに、
歪な関係・距離感に陥っていることを確認してしまって、
更に落ち込んだ。
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家族だからって、必ず愛情が存在することはない。
なのに、母親の愛だけは信じて、その愛を求め続けるにんじん。
歪んで育った人はそう簡単にはまともになれないんだなー
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奇怪なわが子虐めの物語の体裁をとる『にんじん』。
ここに出てくる母親は、明らかに心を病んでいて、その原因なのか結果なのか、父親との関係が奇妙だ。
にんじんは屈折した思いから残酷なことをしでかしたりもするが、賢い子で、両親の関係がどんなものかを見抜いている。
にんじんと父親とのあいだにはこのような葛藤がなく、この息子と父親とのあいだには、他人同士であるかのような距離感があると思う。にんじんは両親の結婚生活が父親の独りよがりなものであるにすぎず、母親は妻として容れられていないことを洞察しており、母親の女としての悲哀を子供ながらに感じ、心を痛めてきたようだ。
子供の本としても知られる物語だが、子供が読むにはあまりにも大人的なテーマを扱った、希望の見出せない作品だという気がする。
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この話は自伝的な所が多分にあって、主人公のにんじんはルナールの分身のような存在だということだが、読んでいくとしょっぱなから母親のにんじんに対するひどいあつかいにそら寒くなるのだけれど、ルナールの筆致はただ残酷に子供のころの仕打ちを描写したわけではない、ということは分かる。
彼の文章は繊細であり、その一方でにんじんの感情描写はかなり「客観的に」書かれている。それが子供のころの視点と、(作者としての)大人の視点を同時にあらわしすことを可能にしていて、不思議な文学性がある。
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ルピック家の末っ子はお母さんに「にんじん」と呼ばれている。真っ赤な髪の毛に、そばかすだらけの顔だったから。家族の嫌がるつらいことは、全てにんじんの仕事。そんな境遇を素直に受け止めているように思える彼の本心は…。
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データなしにつき転用 家のは岩波文庫版
お父さんとの会話が忘れられません。
ルビック氏:「諦めろ。鎧兜で身を固めろ。それも20になるまでだ。性質や気分は変らんでも、家は変えられる。われわれ親兄弟と縁を切ることもできるんだ。それまでは、上から下を見下ろす気でいろ。神経を殺せ。そして、他の者を観察しろ。お前のいちばん近くにゐる者たちも同様にだ。こいつは面白いぞ。わしは保証しとく、お前の気休めになるような、意外千萬なことが眼につくから。」
にんじん:「それやそうさ。他の者は他の者で苦労はあるだろうさ。でも、僕あ、明日さふいう人間に同情してやるよ。今日は、僕自身のために正義を叫ぶんだ。どんな運命でも、僕のよりやましだよ。僕には、一人の母親がある。この母親が僕を愛してくれないんだ。そして、僕がまたその母親を愛してゐないんぢゃないか。」
「それなら、わしが、そいつを愛していると思ふのか」
我慢ができず、ルビックし派ぶつけるやうに云った。
なんと1894年のAC小説