【感想・ネタバレ】日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条のレビュー

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今も、戦前と変わらない日本人の思考様式を再発見することができる。

・いきあたりばったりの思考
・量だけ増やして同じ方法をやめれない
・ネガティブな事実をニュートラルな言葉に置き換えて、真実か目をそらす気質
・思想的貴族の、真の貴族の不在。
・押し着せられた、思考や組織を採用して、うまくいかなないときにどうにも動けない日本人
・芸の絶対化。職人礼賛的な思考様式が、結局は、その職人を成立させている前提条件が変わっても、それを認めようとせずに、それを貫きとうし、最後に崩壊するまで続ける
・思想的不徹底さ。。。

書ききれないが、すべてが現代の日本にも通じている。

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2017年07月01日

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名著、著者の体験と軍属の化学者の(きわめて客観的な)記録を下に、日本が第二次世界大戦で敗れた理由について、全11章に渡って述べている。戦争と言う極限状態において起きた悲惨な事実から、日本人の本性とそれ故に抱える問題を指摘する。さらに筆者は「日本は反省力なき」故に戦後30年経ても、それらが改善されていないと続く。戦後70年経った現在はどうであろうか?書の後半で述べられる日本の将来に向けた提言は現代でも一読の価値がある(一読の価値があることが問題であるが、反省力なきゆえ仕方ないのか)

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2016年08月06日

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いちいち、つくづく、七平さんの指摘のとおりだと思いました。
以前に太平洋戦争の本を読んだときには、あの戦争は、現在の自分とは無関係の、過去の、主に男の人たちのやったことと思っておりましたが、これを読んで、今の自分の中にあるものと痛感したことが多かったです。
七平さんはこの日本人の特徴は、明治以来続いている、と書いていましたが、私は薩摩藩が関ヶ原で正面突破したときにすでにあらわれていたように思いました。

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2015年12月19日

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ネタバレ

日本が第二次世界大戦でなぜ負けたのか?
戦前・戦中・戦後を生きた著者山本氏(戦時中軍人→捕虜→帰国)が、戦後からの視点・思い出で語られた分析・批評ではない、一国民・一文官(陸軍付き)として戦争を体験した小松真一氏(戦時中軍属文官→捕虜→帰国)の記した「虜人日記」(山本氏曰く現地性・同時性をもった目撃者の記録)を元に、日本の敗因について記述。

小松氏の挙げた敗因21ヶ条や山本氏の解説分析する出来事(バシー海峡の悲惨であまりに知られていない出来事、員数と実数、ルソンでの日本軍・軍属の出来事、山での出来事、pw・収容所での出来事、現実と虚構等々)は、現在の日本でも当てはまることが多いと痛感。

・・・戦争を経ても真の意味の反省ができておらず、あまり変わっていないかも。。。

あとがきより・・・
 兵士であるのに戦場にも着けず、海の中に消え、餓死し、住民に虐殺され、人肉を喰らうところまで追いつめられ、また食われた人々。
 彼らに「安らかに眠れ」とは言えない。・・略・・
敗戦の、原因と責任者の究明は、いまだ終わっていない。しかしそれをしなければ、また地獄を見る日が来るのではないか。・・・平成16年イラク報道に接しながら・・横山氏

明るい希望もある。「無一物中無尽蔵」

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2014年11月26日

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medtoolz経由、ビジネス書として手に取ったが、戦争の描写がストレートで怖い。
よくある、演出された映画っぽい戦争の怖さではなく、ストレートに現場目線で書くとこうなるのか、という感じ。『虜人日記』も読んでみるかも。
ビジネス書として見た場合、敗因21ケ条は、社内でも政治でも福島でも日常的に見られる光景なので、とくに目新しいことは無い。「歴戦の臆病者」がよいね。
この記事は1975年に書かれているが、日本人はこれを読まず『中国の旅』を読んだということだろうか。

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2014年08月02日

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大東亜戦争の生々しい戦闘ではなく、そこにいた人々の生き様が描写されており、生き方を、人とは何か?をあらためて考えさせられる。

現代の企業戦士も環境や状況かわれど同様と思えるところ多く、自分自身も自己認識をあらたにすべきと感じたし、非日常としりつつ日常を装っている面が少なからずあるように思ったし、そうさせられている面もあるようにもおもった。

本当の意味で事実を認識し、正しい道を選ばねばならない。

かなりハイライトをつけたが、そのひとつが以下。

「前提が違えば、前提を絶対視した発想・計画・訓練はすべて無駄になる」

一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることではあるまい。それは、過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである。

この戦争で両国の最高首脳部が敵国の国力、工業力を計算し合った。米国は日本の力を大ざっぱに大きめに計算し、日本は米国の力を少な目に計算しそれにストライキ、その他天災まで希望的条件を入れて計算した。そしてその答は現実にあらわれてきているが、日本のは計算が細かすぎて大局を逸しているようだ。

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2014年03月15日

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ネタバレ

故小松真一氏の『虜人日記』を現地性と同時性がある目撃者の記録としてとらえて太平洋戦争の敗因21ヶ条について解説している。

太平洋戦争の敗因分析は、野中郁次郎氏らの『失敗の本質』が有名であるが、それとはまた違った生々しい記録に基づいているのが本書の特徴である。

冒頭の「バシー海峡」の例からガツンと頭を叩かれた感じがする。
米軍はあの手がだめならこれ、この手がだめならあれと、常に方法を変えて来た。
一方日本軍は、50万を送ってだめなら100万を送り、100万を送ってだめなら200万を送る。そして極限まで来て自滅する。「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言う。

何が恐ろしいかと言うと、日本軍の話ではなく現代社会の会社においても同じ事が行われていると感じるときがあることだ。

この本の帯には、『奥田碩前会長が「せひ読むように」とトヨタ幹部に薦めた本!』と書いてある。まさにこれは、マネジメントの本である。『失敗の本質』同様太平洋戦争の敗戦という多大な犠牲から何も学ばないでは、太平洋戦争の英霊に申し訳が無い。

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2013年10月07日

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例外状態によって照らし出された日本人の(自らを危機におとしめる)性質を丁寧に書き出している。原発事故に対する政府の対応を見ると、本質は何も変わっていないのではないかと薄ら寒くなる。自分もそんな日本人の一人として自己認識をし、悪しき習慣・思想から脱却したい。

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2012年05月14日

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ネタバレ

1.精兵主義の軍隊に精兵がいなかったこと、2.物量・物資・資源、3.日本の不合理性・米国の合理性、4.将兵の素質低下、5.精神的に弱かった、6.日本の学問は実用化せず、7.基礎科学の研究をしなかった、8.電波兵器の劣等、9.克己心の欠如、10.反省力なきこと、11.個人としての修養をしていない、12.陸海軍の不協力、13.一人よがりで同情心がない、14.兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた、15.バアーシー海峡の損害と、戦意喪失、16.思想的に徹底したものがなかった、17.厭戦気分、18.日本文化の確立なきこと、19.日本は人命を粗末にしたこと、20.日本文化に普遍性なきこと、21.指導者に生物学的常識がなかったこと
以上が敗因21箇条であり、一見すると戦争の敗因を示しているようであるが、現代にも共通する貴重な教訓を含んでいる。とりわけ反省力がないこと、文化の確立がない、不合理性、思想的に徹底したものがない、といった点は現在の政治の混迷を見ていて納得できる。日本人としてどこへ向かい、何をすべきなのか、考えさせられる一冊です。

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2012年05月07日

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太平洋戦争時にアルコール醸造技術者としてフィリピンに赴いた小松真一氏が収容所で記した「虜人日記」の敗因二十一ケ条を元に、太平洋戦争の当時の日本軍の実態、日本人の精神構造から敗因を分析。 著作は1975年なのに古さを感じさせなず、日本の現状にもそのまま当てはまる普遍性が怖い。

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2011年10月13日

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現代の日本の組織にもあてはまる反省事項が満載。こうやって書き留められていても忘却されてしまう。

再読。小松真一氏の指摘は、どれも現代日本の組織の問題としてもあてはまる。敗因二十一カ条はどれも暗唱できるほどに頭に入れるべき。『精兵主義に精兵がいなかった事』など、笑えないほど現実そのままである。

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2011年11月05日

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日本研究者であり、陸軍少尉として南方戦線に立っていた著者が戦争の敗因について考察し、その考察からは日本人と言うものが見えてくる。

日本の敗因は、アメリカが圧倒的な物量を持っており、日本が少なかったからではない。

敗因は日本人のなかにこそある。そして、敗因を反省しないので、この日本人としての特性は戦後も全く変わっていないということも指摘している。


例えばその一つ。戦中日本を取り巻いていた「或る力」に拘束され、明言しないことが当然しされてきた。みな、心にもない虚構しか口にしない。これは戦前戦後を通している原則である。

このことは、昨今の自粛という言葉が日本を覆っていることに共通性を見出してしまうのだ。

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2011年04月18日

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当事者ではないからこそ、「あれは昔のこと」精神で済ますのではなく、何故愚かな戦争への突入を止められなかったのか、考え続けないといけない。

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2023年11月28日

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大蔵省出身で、陸軍専任嘱託となってフィリピンにわたり、そこで敗戦を迎えた、小松真一が残した「虜人日記」をテキストに日本軍の敗因21ヶ条を1つ1つ検証する労作。その内容は衝撃そのものでありました。
「虜人日記」とは、戦後の民主主義の洗礼をうけておらず、戦後の現実に中立の立場で書かれたものであるとしている。
大東亜戦争の日本軍と、西南戦争の敗軍とは驚くほど類似している。そして、西南戦争の教訓を、活かしきれないかったとありました。

衝撃を少し紹介すると、以下のような内容です。

■暴力と秩序
・組織の確立している間はまだしも、一度組織が崩れたら収拾がつかなくなるのは当然だ。兵隊たちは寄るとさわると将校の悪口をいう。ただし人格の優れた将校に対しては決して悪口をいわない。世の中は公平だ。

■自己の絶対化と反日感情
・日本人は一切の対日協力者を、その生命をも保証せず放り出し、あげくの果ては本多氏のように、その人たちに罵詈雑言を加えている。

■性悪説
・日本は余り人命を粗末にするので、終いには上の命令を聞いたら命はないと兵隊が気づいてしまった。
・人の口に食物をとどけることが、社会機構の基本であって、それが逆転して機構のため食物が途絶すれば、その機構は一瞬で崩壊する
・戦友も殺しその肉まで食べるという様なところまで見せつけられた
・負け戦となり困難な生活が続けばどうしても人間本来の性格をだすようになるものか。

目次

第1章 目撃者の記録
第2章 バシー海峡
第3章 実数と員数
第4章 暴力と秩序
第5章 自己の絶対化と反日感情
第6章 厭戦と対立
第7章 「芸」の絶対化と量
第8章 反省
第9章 生物としての人間
第10章 思想的不徹底
第11章 不合理性と合理性
第12章 自由とは何かを意味するのか
あとがきにかえて

ISBN:9784047041578
出版社:KADOKAWA
判型:新書
ページ数:320ページ
定価:781円(本体)
発行年月日:2004年03月
発売日:2004年03月10日

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2023年02月09日

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本書は「虜人日記」(フィリピンでアルコールの製造に携わって、敗戦を迎えた小松真一氏の記録)と著者自身の体験をもとに、なぜ日本は太平洋戦争に負けたのか、そして、戦後日本にも受け継がれている日本の弱点は何かを論じている。

「虜人日記」に挙げられている敗因は21か条あり、本書は12章構成となっているが、まとめとして挙げられているのは「日本には自由がない」ということである。つまり、「建前」が「現実」を支配しており、皆がおかしいと思っていてもそれを口に出せないことが、戦前戦後の日本を貫く欠点だと述べられている。

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2021年07月18日

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この本もう何度読み直しただろうか。10年以上も本棚に置いてあり折に触れ読み返している。小松真一著「虜人日記」を紹介しつつ、山本七平氏が解説を加えていく体で構成されているこの本を読めば、日本人というものがどんなものなのか、よくわかる。太平洋戦争末期の状況下における日本人たちの振る舞い。
時折「日本の軍備は実はどこそこの国よりも凄いから、日本人が戦争をしたとして弱くはないのだ」というような物言いを見かけるが、ハード重視ソフト軽視な日本人らしい見方だと思う。この本に示されている「出鱈目な人たち」は、まんま、昨今会社で見るあの人や電車で見掛けるあの人らと、何ら変わらない。今日本が戦争に参戦したとして、どんなことになるのかは、この本を読めば火を見るより明らかだ。
そして戦争に限らず、外交や諸々の政策において、日本のダメさというのは、小松真一氏が敗因二十一ヵ条としてまとめたうちのひとつ「日本文化に普遍性なき為」これが非常に大きいのだと、思わざるを得ない。

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2018年03月31日

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太平洋戦争での日本敗戦の教訓について考える人におすすめ。

【概要】
●陸軍専任嘱託として徴用され、ブタノールを製造する技術者としてフィリピンに派遣された小松真一氏が書いた『虜人日記』の敗因21カ条の分析

【感想】
●『虜人日記』には、太平洋戦争のときフィリピンに派遣されていた際のことが書かれている。何の力も顧慮せずに書かれたものであることから、ありのままの内容であるため、読めば有用な教訓が得られるであろう。
●著者が書いた、小松氏の敗因21カ条の分析を読むと、今日の日本社会に通ずる内容が多々あり、なるほど改善されていないと思われる点が多々ある。反省すべきではないだろうか。

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2022年02月25日

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日本という国の戦時中から現在に至るまでの体制について冷酷且つ客観的に書かれていると思う。
そして読破後、この国特に政権の進歩の無さを改めて認識することになった。

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2020年12月23日

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小松真一著「虜人日記」を目にした著者が感銘を受け、自らの体験及び持論に絡めて解説した著作。
南方にて大戦を経験した両氏は、同じことを感じ、同じことを考えているのだが、その考えが戦後日本に活かされていないことを憂えている。一次資料としての「虜人日記」の高い評価と著者の力強い論理的な意見は、説得力があり、まさに正論といえよう。
内容が発散せずに、一人の戦争体験に一点集中的に焦点を当てて詳細に分析・論述しているところがすばらしい。

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2018年12月08日

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戦時中に書かれたある兵士の手記を著者の体験を織り混ぜながら解説している。
これまで一般的に普及しているステレオタイプの戦争体験や戦争観を払拭するものである。内から感じとったものと外から見聞したものとは一線を画するが、内から感じ取ったものを丁寧に説明しているところが感銘を受けた。日本人としてぜひとも多くの人に読んで欲しいと感じた。

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2021年08月08日

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高校生のころから読もうと思っていたのに毎回難しすぎて挫折していた本でしたが、やっとのことで読み終えました。山本氏の著書は全て現在の日本の社会状況にも敷衍して考察ができるものばかりなので好んで読んでいますが、昭和の歴史観・時代観への知識が深まることでさらに読みやすくなった気がします。
第7章の「芸」の絶対化と量については現代の企業社会にも多くあてはまるところで、「マクドナルド型」の経営を再度勉強してみたいと思う部分でもありました。また、11章の『不合理性と合理性』についても首肯する部分が多かったです。
西郷隆盛の例を出したあたりはあまりの十年一日振りに苦笑するばかりでした。良くも悪くも日本の歴史と文化と精神性というのはそうそう途切れていないんでしょうね。

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2013年10月06日

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山本七平による大東亜戦争(あえてそう呼ぶ)の敗因の分析を描いた一冊。

多少重複してる部分はあるものの、実際に従軍した兵隊の日記に沿って書いてあるところは、単なる抽象論としての戦争ではなく、日本軍の実態が浮き彫りになっており、非常に興味深かった。

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2012年10月21日

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先の大戦の考察を通して、日本人の物事の考え方の「癖」を指摘した本。

原発のことがあって思い出した。

多分日本人は昔からあまり変わっていない。

そう思うからもう一度読み直してみようかなぁとおもっている

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2012年05月27日

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ネタバレ

トヨタ自動車元会長が「ぜひ読むように」とトヨタ幹部に薦めた本。マネー、外交、政治・・・このままでは日本は再び敗れる。キャッチコピーに惹きつけられて。
2004年初版、ちょっと古い気もしたがキャッチコピー補足をみて共感をもった。
~山本七平氏は戦時中フィリピンで生死を彷徨い捕虜となった。戦後三十年、かつての敗因と同じ行動パターンが社会の隅々まで覆っていることを危惧した山本七平が、戦争体験を踏まえ冷徹な眼差しで書き綴った日本人への処方箋が本書である。現在、長期の不況に喘ぐ中、イラクへの自衛隊を派遣し、国際的緊張の中に放り込まれた日本は生き残れるのだろうか・・・?執筆三十年にして初めて書籍化される、日本人論の決定版。~
本書は最初に敗因を簡潔に述べている。なぜ負けたか。「それははじめから無理な戦いをしたから」とそれにつきるとしている。そして、日本人には大東亜を治める力も文化もなかった。敗因21か条をもとに日本人の本質を分析している。
なにも変わらない日本人の思考的本質。今も昔も変わりない。
失われた30年からさらに20年も前の出版物である。
日本人の生まれながらの“気質”は変わらない。あとがきの短い文に再思三考する。歴史を通して現在位置を知り、この先の羅針盤となるヒント、アイディアがちりばめられている。

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2022年07月14日

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太平洋戦争時にフィリピンに赴いた小松氏が記した敗因二十一ケ条を元に、日本軍の限界、日本人が元々もっている精神構造の問題点から、太平洋戦争の敗戦の原因を分析した本。

さすが山本七平だなあと思わせる分析力で、唸ることが多かった。元は1975年から76年の野性時代に載せたものだが、まだまだ古さを感じさせなかった。

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2012年05月14日

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小松氏にはゲリラとも話し合いができた。そして結局、ゲリラとの話し合いのできる人間だけが、対日協力者とも話し合いができ、相互に納得できる了解に達しうることができたわけである。147
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だれ一人として、「彼らには彼らの生き方・考え方がある。そしてそれは、この国の風土と歴史に根ざした、それなりの合理性があるのだから、まずそれを知って、われわれの生き方との共通項を探ってみようではないか」とは言わなかった。従って、一切の対話はなく、いわば「文化的無条件降伏」を強いたわけである。148
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もし許されないことがあるなら、自己も信じない虚構を口にして、虚構の世界をつくりあげ、人びとにそれを強制することであると思う。簡単にいえば、日本の滅亡より自分の私物が心配なら軍人になるのをやめ、日本の運命より家作が心配なら、はっきりとそう言ってその言明にふさわしい行動をとればそれで十分だということである。307
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2012年03月21日

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ほかの新書とちがって、「速読」が難しい本。
筆者の危機感が、「今に通じる」点が多く、読みながら考え込んでしまって、なかなか前に進めなかった。

涙や感情に訴えるのではなく、論理的にドライに、「戦争というのが割に合わないこと」と納得できたし、戦争=戦闘ではなく、ロジスティクスやマネジメントも全部ひっくるめての戦いなのだということもよくわかった。

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2011年11月03日

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戦争の敗因を分析しながら、日本人はどんな思考の癖があるのかを痛いほど教えてくれる。過去を振り返ると、思い当たる節がある。こういう思考の癖を知っておくのは大事だと思う。
 ・精兵でないとできない仕事ばかり要求
 ・不合理
 ・精神論でごまかす
 ・思想的に徹底したものがない
 ・戦略は気合を示すためのもの
 等

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2011年10月11日

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本書は、野生時代1975年4月号~1976年4月号に連載されたものを纏めたものである。全12章(12回掲載分か?)からなり、どれも賛否両論様々な意見を持ちそうな内容に満ちているのであるが、含蓄の多い洞察がなされた内容である。ただ、本書ではあちこちに小松真一著の「虜人日記」を引用抜粋して山本氏の見解を述べたり氏の従軍体験等の見聞に照らし合わせて様々な意見を開陳されているので、「虜人日記」を読む機会があれば、そちらを読んでから本書を読んだほうが、著者と一緒に考えられる部分が拡がると思います。本書の批評は言わば、二重批評(「虜人日記」の批評文を批評しているようなもの)である。

 以下全12章の概略を若干記述するが、詳細は本書に譲る。

 第一章  目撃者の記録
  本章タイトル「目撃者」は小松真一氏、「記録」は虜人日記を意識したタイトルである(本書を読めば自明)。山本氏は、これを足がかりに「記録」に関する見解を開陳する。

 第二章  バシー海峡
  本書タイトルにもある「敗因21か条」、実はこの21か条は著者の山本氏が提示したものではなく、「虜人日記」でその著者の小松氏が提示した21か条なのである。その15条目に「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」という項目がある。他の20か条は大なり小なり、なぜそれを敗因として指摘しているのか理由の想像がさほど難しく無いのに対し、この15条は読むだけでは敗因として列挙される意味が不明?の方も少なからずいると山本氏が推察されて、その意味するところを考察し、山本氏が小松氏の指摘する15条は当然の指摘であると結ぶ。

 第三章  実数と員数
  本章タイトル、実数とはまさに事実に基づいた数。員数とは、あるはずの(事実に基づかない、机上の空論。願望的内容)数である。著者は戦中の軍事物資や兵員数、戦果等等あらゆるところで、事実に基づかない数字が一人歩きし、破綻に進んだ重大要因の一つに挙げる。戦後もこの「事実に基づかない数字」が日本を蝕み続けており、この問題点を克服しない限り、また同じ種の破綻を迎える事を憂える。本章では春闘の動員数(発表20万。実際は3万)を例に挙げて戦後における虚報癖(軍事に取って代わってサヨク、マスコミがその問題を引き継いでいる)を指摘する。また虜人日記の敗因21か条の第一条の精兵主義に関連させて、この題材を取上げている。尚、本書の著者の視点はすべて昭和50年頃のものであるが、サヨク・マスコミの虚報癖は、近年においても実例を挙げると枚挙に暇が無い。
  
 第四章  暴力と秩序
  敗因21か条のうちの 第十六条「思想的に徹底したものがなかった事」、第十八条「日本文化の確立なき為」この2点を中心テーマとしている。”暴力と秩序”とは、端的に言うと、思想や文化なき人間は暴力が唯一秩序確立の手段となる事を「慮人日記」に置ける小松氏の捕虜体験における事実認識を元に指摘し、その事について山本氏の体験も交えて考察している。

 第五章  自己の絶対化と反日感情
  ここで取上げる問題点は、在フィリピン日本軍がフィリピン人ゲリラ(特にモロ族)に散々苦しめられた事実、このフィリピン人ゲリラがアメリカに加担した事実。フィリピン人は日本と同じアジア人でありながら、なぜアメリカ側に加勢したのか?せめて中立の立場におけなかったのか?これらの疑問を日本民族のあるメンタリティに帰着させて分析している。この分析のきっかけになるのは、「虜人日記」における敗因21か条のうちの第十三条「一人よがりで同情心が無いこと」、第二十条「日本文化に普遍性なき事」によっている。
  さて、どのようなメンタリティを問題にしたかというと、本文から引用すると「自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定して拝跪を要求し、それに従わない者を鬼畜と規定し、ただただ討伐の対象としても、話し合うべき相手とは規定しえない。」(p149)としている。具体例を言えば、戦前ならば、「大東亜解放戦争を戦う日本人、東亜新秩序を建設するアジア人等々と”同定”し、「鬼畜英米」を討伐する」。戦後ならば「民主主義をもたらした解放軍アメリカ様と”同定”し、「鬼畜日本軍」を糾弾する」という規定である。尚、山本氏は、この戦前パターンに嵌っていた人々の一部は戦後のパターンにそのまま反省心なく移行した事実があることも指摘している。このメンタリティを現代的俗言でいえば、「上から目線」のような立ち居地に常に自分を置いておくことで、対等な対話や相互理解の障害としてしまったと言った所になるであろうか。本章ではここに、在フィリピン日本軍に対するフィリピン人ゲリラの態度が決定的に影響したと、著者は分析する。尚、本章最後では、個人レベルではこのようなメンタリティを克服している人材が日本軍内部にも一部いた事実を上げ、なぜ全体としてはこのような指導原理(問題のメンタリティを克服し指導すること。いわゆる日本文化の普遍性と関連するだろうか。また「鬼畜」と規定し糾弾するメンタリティを指して、13条の同情心が無い事と関連させている。)が成せないのだろうかと、疑問を呈して結びとしている。

 第六章  厭戦と対立
  本章での題材は敗因の第十七条「国民が戦いに厭きてきた」(厭戦)、第十二条「陸海軍の不協力」(対立)である。

 第七章  「芸」の絶対化と量
  本書で指摘されてはいないが、本章は敗因第二条「物量、物資、資源、総て米国に比べ問題にならなかった」に関連する話題であると思われる。ここで一点だけ指摘するとすれば、本章では「物量さえあれば・・・勝てた」という話ではない。そう考える事自体が敗因であることを分析している。

 第八章  反省
  本章では敗因十条「反省力なきこと」を題材として論じている。山本氏は、本章最後で「反省」とは、「過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである(p217)」と主張する。  

 第九章  生物としての人間
  敗因二十一条「指導者に生物学的常識がなかった事」、敗因十九条「日本は人命を粗末にし、米国は大切にした」。さて、この二点の指摘自体は前述の通り「虜人日記」著者の小松氏の指摘だが、本書著者の山本氏は小松氏の主張に多分に同意共感しつつ、独自の体験を交えてこの件を分析し、帰結で「社会機構といい、体制といい、鉄の軍紀といい、それらはすべて基本的には、「生物としての人間」が生きるための機構であり、それはそれを無視したその瞬間に、消え去ってしまうものなのである(p246)」と主張する。

 第十章  思想的不徹底
  敗因十六条「思想的に徹底したものがなかった事」
  敗因五条「精神的に弱かった(一枚看板の大和魂も戦い不利となるとさっぱり威力なし)
  敗因七条「基礎科学の研究をしなかった事」
  敗因六条「日本の学問は実用化せず、米国の学問は実用化する」
  これら4項目を一まとめにし、山本氏は以下のように分析している(多少長くなるが、本書から以下引用)
  「以上の四項目は、相互に関連がある。徹底的に考え抜くことをしない思想的不徹底さは精神的な弱さとなり、同時に、思考の基礎を検討せずにあいまいにしておくことになり、その結果、基礎なき妄想があらゆる面で「思想」の如くに振舞う結果にもなった。それは、さまざまな面で基礎なき空中楼閣を作り出し、その空中楼閣を事実と信ずることは、基礎科学への無関心を招来するという悪循環になった。そのためその学問は、日本という現実にそくして実用化することができず、一見実用化されているように見えるものも、基礎から体系的に積み上げた成果でないため、ちょっとした障害でスクラップと化した。」(P247 ~248)

 第十一章 不合理性と合理性
  敗因三条「日本の不合理性、米国の合理性」
  敗因十一条「個人としての修養をしていない事」
  本章冒頭でこの二項目を列挙しているが、十一条の方に関しては、最後のほうで知識と教養の差として日本人と米国人を対比してその違いを暗示するに留めている。いわば今後の教育改革の課題として結んでいる(30年以上前の文章であるにもかかわらず、現代時点として考えてもそのまま通用しそうである)。さて、合理と不合理の件であるが一点だけ指摘すれば日本の軍隊の合理性と米英の軍隊の不合理性を説明(え?合理と不合理の立場が逆では??)し、実は現実世界は不合理ゆえに、超合理的な存在は不合理となり、不合理な存在は合理的であるという主張に転化していく(具体例を引用した説明等は本書に譲ることとする)。さて、この合理性と不合理性の原因はどこに起因すると考えているか?著者は輸入物か創作物であるかに原因を求めている。輸入物だとそれが「権威」となり、変化が許されざるために超合理的(堅物)な存在となってしまうのに対し、創作物だと必要に応じて作り直す(変化)が容易であるため、不合理(柔軟、矛盾)であるとする。いわば、この章の問題は大きくは文化・伝統・思想の問題に帰着することを暗喩している。著者はしばしば戦前と戦後は形を変えて同種の過失を犯していることを再三再四述べられているが、本章でも超合理的で不合理なものは戦後も存在しているとし、その対象を政治家に見出している。


 第十二章 自由とは何を意味するのか
  本章だけは、敗因二十一か条と直接関連させてはいない。ここでは「自由」に関して著者の思索を存分に披露しているが、まだ未完成のような感が否めない。ただ、一つ面白い事例が紹介されている。言論の自由に関してである。
  オフレコを破る記者(日本人記者)に会見を求められた時、会見拒否をする(アメリカ人)のは言論の自由に反するだろうか?否。これは寧ろオフレコを破る記者のほうが言論の自由を理解していないと言えることを説明している。端的にいうと、人間の思考は基本的にフリーで現実に実行しない様々な不道徳や犯罪行為の想像は誰しも考える事があるだろう。これをもう少し場を拡大して考えてみよう。気心を許して自由に語る場(仕事や政治等々で必要に応じて)を設けたとしよう。ここでも、不道徳な発言や公にすると問題になる内容を含むことがあるであろう。これを一部スッパ抜いて衆目に晒すことがあったら、もはや自由な意見交換は成り立たなくなり、ひいては公共に資する可能性のある思考や言論をも抑制・制限することになりはしないだろうか?このようなマイナス影響を及ぼすオフレコ破りこそは言論の自由を侵しかねないのである。


 山本氏の著作でも特に「空気の研究」「常識の研究」等は、氏の洞察力、観察力、分析力を十二分に展開した著作だと思うが、本書は小松氏の遺した「虜人日記」という書を読んだ山本氏がその持ち前の洞察力で存分に分析し意見開陳した書である。ただ、山本氏の引用抜粋を元に読み進める為、『山本氏の引用抜粋部分と山本氏の主張によると』という前提付きで読むことにはなります。敗因21か条に関して、どのように思うか、どのように分析されているか等等興味のある方は、一度読んでみてはいかがでしょうか?

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2011年06月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

山本七平氏は『空気の研究』『日本人とユダヤ人』などで独
自の日本人論を展開し、多方面に多大な影響を与えてきた偉大な評
論家。副題に「敗因21カ条」とある通り、本書は、第二次世界大戦
で何故日本が敗れたのかを21の視点から語り下ろしたものです。

もっとも「敗因21カ条」は山本氏のオリジナルでなく、小松真一と
いう方のものです。小松氏は発酵の技術者で、戦時中はブタノール
(燃料)の生産・技術指導でフィリピン等の外地に赴任されていま
す。その当時の体験を振り返った『虜人日記』(死後に出版。ちく
ま学芸文庫で入手可能)で提唱されたのが「敗因21カ条」でした。

技術者ならではの科学的・実践的知見に満ちた、的確で痛烈な21の
分析は山本氏を魅了します。そこで『虜人日記』を底本にしながら、
山本氏自身の戦争体験や日本人観も踏まえて改めて日本の敗因につ
いた語ろうというのが本書です。

本書を読んだきっかけは、今回の原発事故を巡る一連の電力会社や
政府の対応とそれに対する一般の反応に、戦時中に起きていたこと
と同じ匂いを感じたからです。実際、読んでみたら、あまりにも旧
日本軍の言動と電力会社や政府のそれとが似ていることに慄然とし
ました。実は読んだのは震災後すぐだったのですが、それからの二
ヶ月間に起きたことは、本書で指摘されたことの真実性と普遍性を
次々に明らかにしているようで本当に恐くなります。

なぜこうやって色々なところで分析・批判されながらも、日本人は
同じ過ちを繰り返してしまうのでしょうか。「わかっててもやめら
れない」のが人間のサガかもしれませんが、それにしてもやるせな
い気分になります。結局、本書が指摘する日本人の精神や行動の癖
を一人一人がきちんと認識することから始めるほかないのでしょう。
軍や政府や電力会社等、一部の「悪者」のせいにするのではなく、
まさに自分の中に潜むものの問題として受け止める。そういう態度
からしか何も生まれないのは当時も今も一緒だと思うからです。

印象的だったのは、日本人は長期間の戦闘には慣れておらず、大多
数の国民は太平洋戦争の頃には既に戦争に飽き、疲れていたという
指摘でした。確かに日清・日露も満州事変も皆、短期決戦でした。
日本人は短期的には頑張れるけれど、だらだら続くものには耐えき
れずに「底無しの退廃」を生む。そう本書は指摘しています。

これから長期間続くであろう原発問題を考えると本当に恐ろしい予
言ですね。電力会社は来年の三月までに収束などと言っていますが、
そんなことはないでしょう。恐らくこれから何年も続くと思います。
その長期間の責め苦に日本人は耐えられるのか。厭戦気分を抱えな
がらも、「今更ひけない」という空気に支配され、玉砕、原爆、そ
して敗戦へと泥縄式に悪夢に引きずり込まれていった70年前の愚を
繰り返してはならないのは明らかです。

震災から2ヶ月以上が経過し、腰を据えてこれからのことを考え、
対処していかなければならない今だからこそ、読んでおきたい一冊
です。是非、読んでみてください。

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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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断末魔の大本営が、無我夢中で投げつけているものは、ものでなく
人間であった。そしてそれが現出したものは、結局、アウシュヴィ
ッツのガス室よりはるかに高能率の、溺殺型大量殺人機構の創出で
あった。このことはだれも語らない。

軍人たちは、威張ることと居眠りすることと精神訓話で聴者のねむ
気を誘発し、それらの結果、実務を妨害する以外に能がない存在で
あった。だがそれだけではない。その軍人たるや、自らの専門であ
る軍事知識さえまことにあやしげで、アメリカ軍の装備や編成につ
いてすら、何も知らなかったのが実情であった。そしてこの奇妙な
現象は、常に日本に発生するのである。

日華事変の当初から、明確な意図などは、どこにも存在していなか
った。ただ常に、相手に触発されてヒステリカルに反応するという
「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がない
から、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずはな
い。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そして、ある現象が
現れれば、常にそれに触発され、あわてて対処するだけである。

ある一つの主義に基づき、ある対象が在ることにする。奇妙なこと
に、これが、歴史的にも同時代的にも、そして昔も今も日本で行わ
れてきたことであった。精兵主義は確かにあった。しかしその主義
があったということは、精兵がいたことではない。全日本をおおう
強烈な軍国主義があった。だがその主義があったということは、強
大な軍事力があったということではない。

問題は常に、個人としてはそれができるという伝統がなぜ、全体の
指導原理とはなりえないのかという問題であろう。

戦争という概念が「月で計算するもの」であって「年で計算するも
の」でなかったことは、明らかである。(…)
せいぜい二年ぐらいしか、戦争という緊張には耐えられない国民性
をもっており、それは、当時の新聞や株式市場の記録を見れば明ら
かである。
それが、そういった「国民の決心・決意」を求めることもなく、
「三ヶ月ぐらいで片付づく」「警察力では鎮定し得ぬ程度の擾乱」
でほ対処であったはずのものが、ずるずると、わけのわからぬ一大
戦争に発展していっては、何ともいえぬやり切れない気持ちになり、
同時に、先行きに強い不安をもつのが当然である。そして、それを
自らの手でどうもできないこと、さらに、否応なく自分がそれに巻
き込まれていくことが、底無しの退廃を生む。

人という「生物」がいる。それは絶対に強い生物ではない。あらゆ
る生物が、環境の激変で死滅するように、人間という生物も、ちょ
っとした変化であるいは死に、あるいは狂い出し、飢えれば「とも
ぐい」をはじめる。そして、「人間この弱き者」を常に自覚し、自
らをその環境におとさないため不断の努力をしつづける者だけが、
人間として存在しうるのである。

徹底的に考え抜くことをしない思想的不徹底さは精神的な弱さとな
り、同時に、思考の基礎を検討せずにあいまいにしておくことにな
り、その結果、基礎なき妄想があらゆる面で「思想」の如くに振舞
う結果にもなった。それは、さまざまな面で基礎なき空中楼閣を作
り出し、その空中楼閣を事実と信ずることは、基礎科学への無関心
を招来するという悪循環になった。そのため学問は、日本という現
実にそくして実用化することができず、一見実用化されているよう
に見えるものも、基礎体系的に積み上げた成果でないため、ちょっ
とした障害でスクラップと化した。

敗戦が、戦争という異常性に基づく崩壊でなく、明治以来の日本の
通常性が生み出した一つの結末にすぎないことの暗示にもなるであ
ろう。崩壊は一つの通常性として進行していた。(…)「日本の敗
因、それは初めから無理な戦いをしたからだといえばそれにつきる」
のであって、結局、問題の根本は、「なぜ、はじめから無理な戦い
をする」結果になったか、という問題にもどって来る。

いわば自分のもつ本当の基準は口にしてはならず、みな、心にもな
い虚構しか口にしない。これは実に、戦前・戦後を通じている原則
である。

一言でいえば、「日本にはまだ自由はない」ということであり、日
本軍を貫いていたあの力が、未だにわれわれを拘束しているという
ことである。

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●[2]編集後記

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ここ二週間ほど、妊娠中の妻が体調を崩していて色々と大変です。
先週は義母に来てもらって家事を手伝って頂きましたが、夫婦だけ
の子育てというのは、有事の時に色々と難儀するなあと改めて思い
ます。お一人で育てていらっしゃる方のご苦労の比ではないですが。

娘も妻のことを気遣って、健気に頑張ってくれていますが、それで
もやっぱりストレスは溜まっている様子。この週末は、普段は泣か
ないようなことで大声をあげて泣いていました。泣くのが子どもの
一番のストレス発散のようで、腹の底から声をあげて泣ける娘を見
ていると、たまに羨ましくなります。もう何十年もそんな泣き方を
していないけれど、泣けないことで貯め込んでいるものって、やっ
ぱり相当にあるんでしょうね。

自宅と職場が近いこと、自分の裁量で働く時間を調整できること、
近所にいざと言う時に頼める気のおけない友人・親族がいること。
これらが子育てをしていくためには必要不可欠なことだと改めて思
います。そして、それは子育てだけでなく、地震などの災害から家
族を守る上でも重要なことなのでしょう。何かことが起きても柔軟
に受け流せるような暮し方・働き方・付き合い方ををしておくこと
が何よりも大事ですね。どれも今の東京では簡単に手に入らないも
のばかりですが…。

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2011年05月23日

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