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Posted by ブクログ
この本が書かれた当時、まだ「格差社会」という言葉はなかった。にもかかわらずヴォネガットは、資本主義によってごく少数の人々にグロテスクなまでに富が集中し、一割の人間が、残りの九割が一生かかっても手することのできないお金と特権と享楽を手にするという未来を、正しく予見していた。
そのようなマンモニズムの世の中で、億万長者の一人が無上の隣人愛に目覚めたら? それがこの小説の主人公エリオット・ローズウォーターである。のらくら者やごろつきどもに愛とお金を惜しまないエリオットは、本書では気違いとして描かれる。しかし、読者はやがて気づくことになる。彼を気違いのように見せているものは、この社会の仕組み──つまり富の独占を善とする経済のあり方ではないのか。人間を勝者と敗者に分け、敗者を「努力せざる者」として切り捨てる社会。その歪みこそが、エリオットを「気違い」として浮かび上がらせているのではないか。
同時に、この物語は科学が発達した文明社会における人間存在の意味をも問うている。AIが次々と人間に置き換わろうとしている世の中では、ヴォネガットの作品ではお馴染みのキルゴア・トラウトが語っている通り、人間が人間であるというだけで愛せる理由と方法を見つけられなければ、文字通り人間は抹殺されるだろう。
なお、日本語では訳されていないが、本書には「豚に真珠」という副題がある。これははたして社会の役立たずに金を分け与えるエリオットを指しているのか、それとも肥え太る拝金主義者を揶揄しているのか。ヴォネガット一流のユーモアである。
Posted by ブクログ
平安時代の美人は今ならちっとも美人じゃないだろう。
人間は実は努力なんかじゃどうにもならないくらい、ちょっとした現実のランダム関数で恵まれて生まれたり、恵まれなかったりする。
これは金持ちに生まれてしまったばかりに世の不条理に気づいてしまい思い悩む男の物語。
誰かを愛することは同時にその人以外を視界から外すことでもある。
自分たちだけ幸せになるのはおかしいと主人公は考える。
万人の幸せを望む。
じゃあ、万人を愛すればいいのか。
そうかもしれない、でもそれは彼を幸せに導いてくれたのだろうか。
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大富豪でありながら慈善事業に大金を注ぎ込み財産をすり減らす男の物語。ヴォガネットらしい愛と皮肉とユーモアに満ちた独特の語り口が、読後に小さな引っ掛かりを残す
これなんか、すごいいろいろ考えさせられた気がするんだけど…
詳細に思い出せない(‐‐;
もう一度読みたいと思います!
Posted by ブクログ
たとえヴォネガットの作品が砂糖の錠剤ににがいコーティングを施しているだけのようなものだとしても、私は彼の作品が大好きだ。読み始めると
どんなに抑えても感傷的なきもちになってしまう。ギャグっぽくコミカルに書かれているところもあるが私は全然笑えなくてむしろ悲しい気持ちになってしまう。SFを数行でまとめるというアイディアも素晴らしいし、聖書に対する解釈や現代社会の問題点にヴォネガット独自の視点があるし、なにより登場人物達のドストエフスキー的な胸中の吐露が胸に迫る。泣いた。
Posted by ブクログ
読んでいて、どうすればいいのかわからなくなって、馬鹿みたいにぼろぼろぼろぼろ泣いてしまった。
ヴォネガットの作品はこれが初読だが、読む前からからそうなる予感はしていた。きっと泣いてしまうし、きっと辛いだろうと。その通りだった。
「カート・ヴォネガット・ジュニアの『ローズウォーターさん~』は、この作家が世界に宛てた、一番新しい、一冊の怒りのラブ・レターである」(ジュディス・メディル)
怒りのラブ・レター。まさしく。
これは愛についての物語である。そして金についての物語である。
一人の男が限りない愛と、限りなく限りないくらいの金を、その身に背負って、生きる話である。
誰を救えばいいのか、という話ではない。
何を変えればいいのか、という話でもない。
世界はあるがままに。そして人間もありのままに。
みじめな人生に電話での話し相手と、わずかなお金を。
何も変わらない世界に小さなユーモアを。
そして、新しい命へ「ようこそ」と。
そうそう、あとはこれ。
「なんてったって、親切でなきゃいけないよ」。
Posted by ブクログ
*えり*
富と愛をひとびとに分け与えようとする、とある大富豪と、
彼を取り巻く人々の物語。
ローズウォーターさんに助けを求める人々は、
多くが金銭を求める人々ですが、
中にはほんのささやかな愛情だけを求めている人もいます。
ローズウォーターさんはその全てに応えようとします。
彼に何が起こってそのような行動をとるに至ったのか?
また、彼の行動によって、周囲に何が起こったのか?
「無償の愛」は、限りない困難に満ちています。
果たしてそれは実現可能なのか?実現するには、一体何が必要なのか?
「人間を人間だから大切にする」ということは、シンプルですが気付きにくい事です。
笑いと悲しみと真実が散りばめられたお話でした。
読んでいて色々な所で悲しくて泣きました。
また読み返したい本です。
Posted by ブクログ
僕の書評を読む人は、僕のことを心配せずにはいられないでしょうねローズウォーターさん。「こんなに五つ星を連発する人間はきっと酒に溺れている人間だ」そんな風に考えるんでしょうよ!‥なんて、思わずローズウォーターさんに電話したくなりました。自分のように感化され易い人間にとって、アメリカ人的でタフな会話や皮肉はすごく危険ですが、大好物でもありますw。
Posted by ブクログ
『
「俺は神様に一度きいてみたいと思ってるんだ。この下界じゃとうとうわからずじまいだったことを」
「というと、どんなこと?」
そうたずねながら、ホステスは彼の体をベルトで固定する。
「いったいぜんたい、人間はなんのためにいるんだろう?」
』
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『
「() ちょっと耳の痛いことを言わせてもらいましょう。お気に入ろうが入るまいが、ずばりこうです―あなたの財産は、あなたの目から見たご自分と、他人の目から見たあなたに関する、最も重要でかつ唯一の決定的要素である、ということ。金を持っているから、あなたは特別な人間なんです。金がなければ、一例をあげると、あなたはいまマッカリスター・ロブジェント・リード・アンド・マッギー法律事務所の古参経営者の貴重な時間を、こうしてとりあげることもできないのですぞ。
もし、あなたがお金を投げだせば、あなたはまるっきりただの人に成りさがってしまうのです。」
』
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『
「()-いかにして役立たずの人間を愛するか?
いずれそのうちに、ほとんどどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失うときがやってくる。だから―もしわれわれが、人間を人間だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです」
』
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まるでニコ動のアホでカオスな動画を見ているような爆笑を誘う作品。訳わかんないんだけどなぜか笑えて、なぜか心に刺さり、なぜか現代の何かを痛烈に批判しているようなショックを与えてくれる。
相続した財産によって金持ちだから働かないアル中のローズウォーターは自衛消防団の運営と巷の落伍者からの電話相談及び小切手による無償援助を営んでいる。親戚や一般人からはその“無駄な”行いがやはり理解できず、彼を精神異常者としてみなそうとして、てんやわんやする。
大雑把に括って利益を行動の指針とする人には、彼の“無駄な”行為が理解できない。だが、現代の、実利主義というか、金本位制というか、“それをやるといくらになるの?OR何がどう変わるの?”という錬金術的な価値観を取り払って彼を見れば結構まともなのかもしれない。例えばマザーテレサのような生き様はまさにローズウォーターの実在人物版(資本を金から自分の体におきかえただけ)だけど、結局のところはどうだろうか。
お金というカミさま。まさにカネさま。カネさまの前では万人が平等。この宗教は至ってシンプルだ。何の解釈も定義も必要としない。カネを多く持てばそれだけ富み、カネがかかればそれだけ価値があると誰もが認める。あれば便利。ないと不便。カネさまを篤く崇拝すれば、その恩寵(衣食住から社会的認知からアイデンティティの確立まで)を受けることが出来る。しかしカネさま法治下の人間はその恩寵と同じくらいの束縛に悩まされる。カネさまの御心を失うかもしれないという恐怖にも苛まれる。カネさまを信じない人・持たない人は衣食住含め社会から徹底的に排除される。カネさまは信者を使って彼らを非人間にする。信者としても、カネさまの力に影響されず幸せに生きる人間は、カネさまに東奔西走する自分の存在をちっぽけなものにする脅威にもなりうるから必死だ。
しかしお金の時代はそろそろ終わるんじゃないんだろうかと個人的に思う。んな馬鹿なと思うが、歴史を見れば今まで何度も“有り得ない、不可能だ”と思われてきたことが実現してきたわけで有り得なくも無い。過去は病に翻弄され、王さまに翻弄され、神さまに翻弄され、戦争に翻弄され、そして経済に翻弄され、、、。未解決の部分もあるが幾度も人間は乗り越えてきたんだし。(作品内での小説では人間は自殺する以外死ぬ方法がなくなったので自殺を奨励している。)
“地球が丸い?あんた馬鹿?”とその時代の100人中100人(つまり100%)が信じて疑わなかったことが今の世では“平面な地球世界を亀が支えて、その下を象が支えて、、ってあんた馬鹿?”になっているわけだ。特に閉塞感、が時代の言葉になっているような今は、案外世界を変えていけることが出来ると思う。ミクシィやスカイプなど金にならない行動が増えてきているのもカネさまの持つ求心力が分散しつつある傾向なんでは??
そんなこんな色々刺激を与えてくれるとんでもない作品です。
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昨年4月に逝去したカート・ヴォネガット(本書はカート・ヴォネガット・ジュニア名義)の初期作品。純粋で優しく、暖かい人間を描く事で、その慈愛によってもなお救われない貧民の傲慢と成金の臆病を描き出す。ヴォネガット氏の御冥福を祈りつつ、謹んで星五つ。面白かった・・・・
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エリオットの生き方は愚かだったかもしれないけれど、他の登場人物もみな愚かで救いようがないんだけど、バカバカしいと笑うよりも泣けてくる。しみじみと。好きな本。
でもタイトルの日本語訳、クリスチャンは普通、お恵みじゃなくて「み恵み」って言うのでは。
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他の多くのヴォネガット作品と共通して、エリオット・ローズウォーターの行動原理は第二次大戦でのトラウマに端を発している。軽く可笑しく展開している物語のなかで、戦争中に誤って少年を刺し殺してしまう述懐だけが異様に生々しく、温度が違っているように感じた。終盤でエリオットが大勢の子どもを持つ、という第三の選択は、唐突なアイデアのようでいて、実は最初から追い求めていた救済のかたちだったんじゃないだろうか。
最後の最後で病んだ資本主義社会が転覆する爽快感を味わった後で、ここのところディストピアな妄想ばかりたくましくして、魅力的なユートピアなんて全く思い描けていなかったことに気づき、なんとなく淋しい気持ちにもなってしまった。なんてったって、親切でなきゃいけないよな。。
Posted by ブクログ
貧しき人々に惜しみなく財を与える億万長者・ローズウォーター氏」を狂気の塊として扱うこの作品。他のヴォネガット作品よりはあっさりしているなあと読み進めていたけど、以下のフレーズは、「生産性」という言葉に揺れる今の日本にとって暗示的な内容だった。
「規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の無気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよ──いかにして役立たずの人間を愛するか? いずれそのうちに、ほとんどすべての男女が、品物や食糧やサービスやもっと多くの機械の生産者としても、また、経済学や工学や医学の分野の実用的なアイデア源としても、価値を失うときがやってくる。だから──もしわれわれが、人間を 人間 だから大切にするという理由と方法を見つけられなければ、そこで、これまでにもたびたび提案されてきたように、彼らを抹殺したほうがいい、ということになるんです」
Posted by ブクログ
序盤、エリオット・ローズウォーターがなぜこのような慈善の人になったのか、また彼を取り巻く貧しく不運な多くの人々の描写などが、まるで演劇の舞台を基礎から創っていくかのように細かく丁寧に描写される。この状況説明を読みこむのに時間がかかり、「この作品はタイタンの妖女みたいに自分には向いていないのか?」と思いきや、中盤から愛すべきエリオットという人が掴めるようになる(それまでの丁寧な描写がここで効いてくる!)と、どんどん面白くなっていき、最後高みに飛び立って、ストンと終わる。
でも。
私にはエリオットのような人間愛はきっと寂しく思えてしまうだろう。彼の妻が、彼を愛していても寂しかったように。彼の父が、常に息子に裏切られ憎まれていると思ってしまうように。彼に助けられたはずの人々が、彼にいつか捨てられると思い込んでいるように。
最後エリオットは晴れ晴れとしたはずだ。エリオットが幸せなら、ハッピーエンドじゃないか。なのにもやもやとしたある種の寂しさを感じてしまうのは、私が俗物だからなのかもしれない。
Posted by ブクログ
もしも完全に利他的な人間が、働かなくてもお金の手にはいるような大金持ちだったら?
これはヴォネガットのいつものユーモアと皮肉と笑いをまじえて大金持ち、エリオット・ローズウォーターの生き方を描いた小説。
エリオットの周囲にいる人間たちを同じ人間とも思わないような俗物らしいエリオットの父親は、誰をもを愛していると言っているエリオットに対し、特定の人間を特定の理由で愛する自分たちのような人間は、新しい言葉を見つけなければいけないと嘆く。
エリオットが「役立たずの人間」に奉仕するときの「愛」とはどんなものなのか?
住民たちのもとを離れ、もう戻りたくないと思いながらも、まだ見もしらぬ子どもたちのためにお金を与えるのはどうしてか?
助けてきた住民の名前も忘れてしまうエリオット。彼が愛するというとき、それは目の前の個人ではなく、人間という存在そのもの。特別な存在として自分を見てくれないエリオットを、他の人間は愛せないように思う。愛するにしてもそれは神への愛みたいなものか。
二つの愛という概念は、宗教をもっている人間ならわかるのかな?
Posted by ブクログ
現代版の異邦人。
新自由主義社会において、人類愛を語ることは異端なのか。
カートボネガットのシニカルな問いかけがそこにはある。
異常という日常。
ボネガットの皮肉に満ちた文章の中で、
彼の純粋で無垢な人間愛が浮かび上がってくる作品。
「あんたがローズウォーター群でやったことは、断じて狂気ではない。あれはおそらく現代の最も重要な社会的実験であったかも知れんのです。なぜかというと、規模は小さいものだけれども、それが扱った問題の不気味な恐怖というものは、いまに機械の進歩によって全世界に広がってゆくだろうからです。その問題とは、つまりこういうことですよーいかにして役立たずの人間を愛するか?」
Posted by ブクログ
お金持ちは富を分配しろ!って庶民は思うけど、
本当に人のために尽くしたらどんなことになっちゃうのか・・・
中流階級以上にはキチガイと思われ、
貧しい人々には神と崇められ、
それでも本人は首尾一貫しているのが滑稽であり、切なくもある。
しかし最後の妻に会いに行くところからの超展開はすごかった。
え、火事?え、テレポート?記憶喪失?え、ケンカ?いつの間に???
ぜんぜんついていけなかった(笑)
主人公もなかなかついて行けてませんでしたが。
・・・ということは、狙い通りの効果だったのかもしれません。
彼のやったことは最後に他者の言葉によって説明され、そうしてようやく周りが理解できる意味を持つ。
だけどそれって本当の意味なんだろうか。
結局、芯の部分は誰にも理解されないまま、主人公は自分を貫き通したのだと思う。
他人なんて気にせずに自分の道を歩めという意味ではなくて、
他人を気にせず自分の道を歩めばどう見られるのか、どう見えるのか、
という皮肉なのかなあ。
全体的にシニカルな印象でしたー。
いちおSFになるのかな?
文章はフィリップ・K・ディックより素朴で読みやすいようだけど、
実は結構深くてイジワルでした。
いやーSFって本当にいいものですね!
Posted by ブクログ
ものすごく皮肉な物語で、くすくす笑ってしまう。最後は傑作。読み終わってすぐの感情はどこか「アルジャーノンに花束を」と似ている。歪んだ社会と、一人の男の「愛」の形とが似るのかな?よく分からない。これ、日本よりももっと雇用や保険などがシビアなアメリカではもっと辛らつに、その分面白く受け止められるのではないか。
Posted by ブクログ
ヴォネガット後期で繰り出される「乾いた笑い」と、
前期で用いられる、ラストにオチを持ってきて問題の昇華を図る手法が交差した秀作だと思った。
ヴォネガットは「スローターハウス5」と「チャンピオンたちの朝食」で
転換期を迎えたんだなぁと改めて思う。
エリオットの狂気はなかなかすごいものがある。
こんな夫に振り回されたら、そりゃ嫁はうつ病が発症するわ、と思った。
が、やはり特筆すべきは、父親との対決シーンだろう。
このくだりは、ものすごい迫力がある。オチについては、ニヤリと笑う感じ。
ヴォネガットらしいといえばらしいけど、らしくないといえばらしくないかな。
思想としてはヴォネガットらしいのだけど、手法がらしくない、という感じ。
キレイすぎるかな。ヴォネガットの短編っぽいオチ。
クレイジーなヴォネガットに慣れるにはもってこいの入門書だとおもった。
Posted by ブクログ
『惜しみない愛を与える』
とっても素敵な言葉です。
でも、人間が他者全員にそれをしようと思うとどうなるのか??
ローズウォーター氏はすっごいお金持ち。
仕事をしなくても財団から、毎月たくさんのお金が入ってくる。
彼はそのお金を自分自身を、貧しい人たちのため、惜しみなく差し出していく。
『貧しくても心優しい人たち』であれば、いい話。
でも人間いい人ばかりじゃない。
『貧しい上にどうしようもない人たち』だってたくさん居る。
生きている限り誰にだって価値はある。
それは正しい。綺麗ごとでもありますが、正論です。
だから、困っているなら助けてあげたい。
助けてあげることだって悪いことじゃない。寧ろ立派なこと。
でも、誰だって欲を持っている。
ひとつもらえば、また次が欲しくなる。
優しさに依存したり、利用しようって人だって出てくる。
そういう人たちにローズウォーター氏はどういう風に接していくのか?
ラスト、すごく好きです。
Posted by ブクログ
最後の1ページに驚いた。
本書では、エリオットがウ゛ォネガットの化身となっているだろう。
キルゴア・トラウトもまたそうなのだが。
1982年に日本語訳が出版されたみたいだから、もう20年以上も経っているのに、色あせていない。人間の不変の本質=愛をいささかのユニークさを含めた小説といえよう。
去年亡くなられたことが、本当に悲しい。
カート・ウ゛ォネガットさん、あなたに神のお恵みを
Posted by ブクログ
ジャンル不明。
お金と愛と狂気の物語。
SF要素としては、架空のSF小説のエピソードが紹介されたりはする。
基本的に、ストーリーやエピソードは意味不明だが、読後感は非常に良い。
おそらく、社会風刺になっているのだろう。
ヴォネガットは考えさせられる作品が多い。
Posted by ブクログ
大金持ちもまともな精神状態ではやっていけないっていう話。
超富裕層の26人が世界人口の半分の総資産と同額の資産を保有していたり、上位1%が富の82%を独占しているというのを聞くと、このシステムもおかしいし、それを享受している超富裕層も狂っているんだろうな、と。
そしてそういう事に違和感を感じなくなってきている我々も気が違ってきているじゃないか、と思う。
日本語訳は1982年発行なので仕方ない部分もあるけど、「エンガチョ」や、その類いの言葉で冷めてしまう。
Posted by ブクログ
この作家は、中学か高校ぐらいに「チャンピオンの朝食」を読んで以来だ。1965年に書かれた小説。進歩主義が本当に進歩的と思われていた時代の古臭さもあるが、最後のキルゴア・トラウトの述懐「人間を人間だから大切にする」には、現代にこそ通ずるものがある。
Posted by ブクログ
周りからキ○ガイ扱いされている,富豪のエリオット・ローズウォーターさんがとある街で貧民相手にお金を上げたり相談に乗ったりするお話。
とにかくエリオットさんの人情熱い描写がお見事。海外文学で人情ものってあまり翻訳されてない気がしますね。
周囲からの評判を絶大なものとしていくエリオットさんを見ることは自己啓発本さながらな感じがします。
なかなかの長編ですが,ラストは小気味よく終わります。ライトな作品ではないですが,途中で積むのはもったいない。