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放浪記といえば、森光子さんのでんぐり返しが思い出されるが、原作を読むのは初めてだった。 大正11年から5年間、日記をもとに昭和5年に刊行された放浪記「第一部・第二部」と、敗戦後に発表された「第三部」を収めてある。
これはおもしろい。言葉の運びがとても斬新で読みやすい!
第一部(放浪記以前)
「私は宿命的に放浪者である。」で始まり、「今の私の父は養父である。実直過ぎるほどの小心さと、アブノーマルな山ッ気とで、人生の半分は苦労で埋れていた人だ。母の連れ子の私は、この父と木賃宿ばかりの生活だった。」と続く。
見知らぬ土地を転々としながらの行商生活。芙美子が見聞きした事柄が生々しく伝わってくる。
「烈々とした空の下には、掘りかえした土が口を開けて、雷のように遠くではトロッコの流れる音が聞こえている。昼食時になると、蟻の塔のように材木を組みわたした暗い坑道口から、泡のように湧いて出る坑夫達を待って、幼い私はあっちこっち扇子を売りに歩いた。」
第一部・二部
下女、女中、カフェの女給と、次々に仕事を変えて、困窮すれば友人宅に食べに行き、生活に疲れたら借りた金で旅に出る。
「不運な職業にばかりあさりつく私だが、これ以上落ちたくはない。何くそという気持ちで生きている。」
"芙美子は強し" だが身内には甘く、惚れて捨てられた男への未練は断ちがたい。貧困にあえぐ女性の暗い話なのに、人間味があり滑稽にも思えてつい笑ってしまう。意地っ張りな芙美子を応援したくなった。
芙美子の書いた詩が良い。
特に『朱帆は海へ出た』と『黍畑(きびばたけ)』は好みの詩。
〈注解〉を見ると、日本の作家の本に限らず、外国のものも数多く読んでいたことに驚く。読むこと、書くことは彼女の生きる支え。しかし作家となり食べていくには大変な時代であったこともわかった。
第三部は発禁を恐れて発表されなかった部分を後にまとめたものだと〈解説〉で知り、当時の検閲の凄まじさを思った。
吹き荒ぶ嵐の中で生きた芙美子。
彼女に関わった人にもそれぞれの人生があったことを考えると胸にグッときた。
次は尾道にいた少女の頃の暮らしが書かれた『風琴と魚の町』を読んでみたい。
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題名のごとく、ひと所で落ち着いて暮らすこと、働くことがない。
それは放浪癖があるわけではなく、働いても貧しい賃金でそのまま働き続けることへの失望から
よりよい場所を求めてのさすらいであり
沈む気持ちを奮い立たせての場所も気持ちもリセットする意味があったのでは無いかと思われる。
途中で関東大震災が起こったと思われる辺りがあるのだけど
そこに大きく触れずに、ちょっと場面に触れて後はいつものような生活になるところが
どれだけ普段の生活から苦しく貧しいものかを思わせる。
第三部の終わりの方で母親が本音をもらすかのように
娘を「むごい子」と言うのがやるせない。
女郎屋に売らなかっただけマシとでも思っていたのだろうか。
自分の暮らしも余裕がないのに、仕送りをしてきた娘に対して「むごい」のはどちらだろう。
せめてもの救いは、今私たちがこれを読めている事だろう。
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林芙美子の若いころの自伝的小説。
もがいてももがいても脱け出せない極貧生活の中で、
「なにくそ!」と前を向いて生きて行く姿が痛快。
「ぐだぐだ言っている奴の横っ面を引っ叩いてやりたい」
殺伐とした芙美子の言葉を読んでいると、
食うに困らぬ人の「生きる悩み」というのは、
結局は「心配は道楽のうち」なのだと思います。
泣きっ面に蜂、な状態で、やけくそでも口笛を吹きながら、
やりきれない日頃の鬱憤を割り切ることが出来ている。
決して「いい人」ではないし、
男に裏切られたり女に騙されたりしつつも、
人情にもろい芙美子は強烈な存在感を放っています。
くよくよしている時に読むとすっきりします。
無人島生活することになったら、この本はもっていきたい(笑)
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映画は見たことがあり、読む本もなくなったので
読んでみるかと読む。この捨てっぱちな主人公の
文章が映画の中の高峰秀子さんそのままで高峰さんを
想像しながらずんずん読みすすめた。
当時の貧乏がどれほどの貧乏か、食うや食わずの大変さ
などをひしひしと感じながら読む。今の時代は貧困もあるけど
当時と比べればいかに幸せな時代かと思う。
主人公の気取らないその日暮らしの文章が本当に面白かった。
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NHK百分で名著での紹介に触発され、放浪記を読み進めております(名前は良く知っていましたが、読んだことが無く)。炭鉱の多い西日本各地(門司、下関、戸畑、若松、佐世保、直方等)を転々とする小さな林芙美子(1903年生まれ)と松本清張(1909年生まれ)の小倉での苦しい暮らしが重なります。あの、海が見える、という尾道の記述には(芙美子が女学校を卒業した町でもあり)、小津監督の東京物語の冒頭の風景が重なります。大正時代に書かれた日記を基にした小説(1928年の出版)のようですが、今読んでも、新鮮でかつ様々な町の歴史等を立体的に味わえる本ですね。こんないい小説だったのね、と今更気づかされております、★四つです。
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これも、ヤマザキマリさんの本棚にあったので読みました。
明治36年に生まれ昭和26年まで生きた林芙美子の三部からなる日記と詩です。
(P530より)
死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。
何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ?
生きていたい。死にたくはござらぬぞ…。
少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに
食いたいのです。
十二、三歳のころから下女、女中、カフェーの女給として働き女学校には自分の稼ぎで通い、十七、八歳のころから、義父と母に仕送りをしなければならず、毎日の食べる者にも困窮する生活を送りながら詩と日記を書いています。
まだ、二十歳にしてはずいぶんと大人びていると思いました。大人にならざるを得なかったのでしょうね。
いくら貧しくても本は読みたい、詩や小説は書きたいという貪欲な、向上心には撃たれました。
私が同じ立場だったらとっくの昔に野垂れ死んでいると思いました。
林芙美子には強靭な精神力、生きる力があったからこそ、この作品は出版され日の目をみて読み継がれているのだろうなと思いました。
十七歳で独りイタリアに留学されたヤマザキマリさんもその姿をおそらく御自身に重ねて読まれたのだろうと思いました。
(ページ数不明)
私には本当は古里なんて、どこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが古里なんですもの。
だから、この『放浪記』も旅の古里をなつかしがっているところが非常に多い。
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林芙美子の一歳年上で貧困と不幸を絵に描いたような中で生き延び23歳で獄中自殺した金子文子「何が私をこうさせたか」とどうしても比較してしまう。林芙美子の貧乏は確かにそうなのだが、根底が明るい。夢を持てる適度な貧乏なのだろう。大正から昭和の初め、社会に貧富の差意識が生まれた時代。虐待や搾取を受け続けた金子と違い、林芙美子は友達や親切な人たちを引き寄せる星を持っていたということだろう。家を出て女中や女給の仕事をしながら文章を書きそこに熱意を持ち続ける。その健気な頑張りは好感が持てる。そして明るい希望を感じるラストは、現実には連載していた放浪記の好評が上機嫌にさせていたのかも知らないが、この後大成功する放浪記以降の彼女の生活を予感させる。
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前半、貧しい暮らしぶりを読むにつれ、しみったれた話だなやだやだと思っていたが、次第に引き込まれる。
すさまじく金がなく寒いひもじいひもじいたべたい苦しい、という暮らしの中での、彼女の生きる力、伸びたい力の強さ、感性の鋭さとみずみずしさにおどろく。
作家になりたい、書きたくて書きたくてたまらない、という夢を静かに熱く追いつづける。トルストイを読み、心のままにシンプルに書け、という教えを実践して試行錯誤。でも金にならない、私なんて才能がない、だけど書きたい書きたいと渇望。
大正11年1922年(100年前!)から5年間の日記がベースとのこと。20歳前後。身なりは粗末であったかもしれないが、眼光はするどかっただろう。
○裸になると元気になる。
○トルストイが伯爵であったことに驚く。(略)トルストイの芸術は美しく私の胸をかきたてる。あなたは、陰ではひそかに美味いものを食っていたんでしょう?(//ふみこ、そこに嫉妬する?私だったらその知性と才能に嫉妬する。人は満たされてないところに嫉妬するのだなと)
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続けて読んだ林芙美子『放浪記』とリリー・フランキー『東京タワー』
書かれたのは1930年と2005年、時代は半世紀以上はなれているけれどもなんと似ていることだろう!醸すもの雰囲気のことであって個性はちがうのだけども。
作者の生い立ち、経験を文学に昇華している
日記風
尋常な家庭、両親ではない
そんななかで親思いの強さがすごい
芙美子は行商をして育ててくれた養父と実母に
雅也(リリー・フランキーのこと)は母と母と離婚はしていないが別居している父に
貧困なる家庭、しかしどん底ならざる文化がただよう
芙美子は女学校(昔はそんな家庭の子は行けなかったのに)
雅也は武蔵野美術大学(母の献身的な働きのおかげで)
実質ひとりっこ、甘えん坊のどうしょうもないわがまま
いったんは親を棄てたような本人達のハチャメチャな人生
しかし、ことあるごとに篤い熱い母親への思いをあふれさす、行動する
本人の行状を記しているようで、その底には母という1人の女性が浮かび上がる
芙美子の母の奔放的な男遍歴とみえるも正直な情熱
雅也の母の激しくも秘めた女性の生き方
つまり現代の女性にとって好もしく見える姿のよう
両方ともおいしいものがいっぱい、いいものがいっぱいでてくる
引越し、移動がはなはだしい、多い(放浪癖)
地方と東京(芙美子は尾道、雅也は小倉、筑豊)
あげくに東京の魔力にはまっているよう
東京がやたら詳しい、もの(笑)
アンバランスな裏打ちのない文化(今の日本人がそうなのじゃないか)
わたしとしては両方とも好きだなー
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故 森光子さんが2000回以上も公演を行った舞台の原作。たまたま実家の本棚で見つけ、読んでみたいと積読したまま約20年も経ってしまった。
一頁目「放浪記以前」という章。
「私は宿命的に放浪者である。私は古里というものを持たない。・・・故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人である私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。・・・今の私の父は養父である。・・・人生の半分は苦労で埋もれていた人だ。私は母の連れ子となって、この父と一緒になると、ほとんど住家というものを持たないで暮らして来た。どこへ行っても木賃宿ばかりの生活だった。・・・」
この悲しく苦労続きだった人生を、しかし詩情豊かに書いていくこの人の文章を私は「好きだ」と思って読み始めた。
子供のころの思い出「放浪記以前」を経て、東京に来てからの日記が始まる。もともとは愛人を追って上京し、彼の学費を稼いであげたりしたそうなのだが、卒業すると彼は尾道に帰って結婚してしまった。芙美子さんは絶望するが親元は帰る気にもなれず、下女や女中やカフェーの女給などの職を転々としたり出版社に売れない詩や童話を持っていったり、時々上京してくる両親と一緒に行商をしたりして、食べていくだけのお金を稼げたり稼げなかったりの生活を送っていた。
第一部、第二部は貧しい生活を書きながらも情緒豊かな表現が散らばっている。
「私は毎日セルロイドの色塗りに通っている。・・・私が色塗りをした蝶々のおさげ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃は何処へ散乱して行っていることだろう・・・朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々やキューピーでいっぱいだ。」
芙美子さんは意図していなかったかもしれないが、“スヴニール”、“セルロイド”、“おさげ止め”といった具体的な単語一つ一つでさえ、現代の読者がぼんやりとした輪郭しか知らない大正時代に色を付けていく。
(自分を捨てて尾道の因島に帰った愛人を訪ねて島へ行ったとき)「牛二匹。腐れた藁屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも霧のように美しい光芒を散らしていた。」
びっくりするような波乱万丈の人生を送る女性たちが身近に何人も登場する。十二歳の時、満州にさらわれ、その後女芸者屋に売られた初ちゃん。三十歳も年上の亭主の子供を十三歳の時に産み、いつも妾を家に連れてくる亭主と養母のために働き続けている、お君さん。
アパートの隣の部屋の住人“ベニ”は、不良パパと同居する女学生なのだが、ある日突然そのパパが詐欺横領罪で警察に連行されてしまう。似たような境遇の人達が集まってしまうのか、芙美子さんはその女性たちと姉妹のような絆を感じている。救ってあげることは出来ないが、彼女たちのことを書く時、愛情が感じられる。
「・・・時ちゃんが自転車で出前を持っていく。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出るほどおかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているから面白い。・・・」
芙美子さんのような才女なら、もう少し要領良く生きればそんなに苦労しなくてもよかったのではないかと思いながら第一部、第二部を読んだ。情が深くて、少しお金を貯めると両親に仕送りしたり、本を買ったり、仕事を辞めてふらっと旅に出てしまったりして、その結果何日も食べることが出来ずにいる。
しかし、第三部を読むと第一部・第二部は比較的きれいなところばかりの抜粋だったと分かる。なぜなら、第一部と第二部は戦前に出版され、検閲を恐れて発表しなかった部分が多く、第三部は戦後に出版され、第一部・第二部で発表しなかった部分を発表しているからだ。
(第一部・第二部・第三部は時系列ではなく、大正11年から大正15年までの放浪時代の日記を最初に抜粋して「女人芸術」に連載したものが第一部、その後同じ時期の日記から再度抜粋して出版したのが第二部、戦後にもう一度抜粋したのが第三部である。)
第三部ではすさまじく彼女の極貧生活、思いが吐露されている。犬のように汚い生活。(当時の)夫から振るわれた暴力の実態。第一部、第二部ではあれほど「ああ、愛しいお母さん」と書いていた母親のことを「何をしても下手な人だ」「死んでしまえばいいのに」「あんな義父と別れさえしてくれれば、母と私はまともな生活ができるのに」などと書いている。
本当に大変だったのだなあと第三部では思った。“私生児”ということも書かれ、複雑すぎる家庭環境から「古里を持たない」ということの本当の意味も分かった(第二部の最後にも詳しく書かれているが)。
文学に対する彼女の見解も述べられている。「・・・捨身で書くのだ。西洋の詩人きどりではいかものなり。きどりはおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、惚れているときは惚れましたと書く。それでよいではございませんか。」
林芙美子さんは当時の文壇のようなところからは認められなかったようだが、人のまねをせず、“捨身”で自分の生活や思いを吐露した結果、独自のスタイルを築きあげたのだと思う。
戦前は「貧乏を売りにする作家」や「半年間のパリ滞在をネタにする作家」、戦中は「政府お抱え作家(従軍作家)」など、常にボロカスに言われてきた作家らしいが、47歳で亡くなるまで、売れっ子作家として寝る間も惜しんでフル稼働で書き続け、母親や義父や親族一同の面倒を見ていたそうである。夢がかなった後も、“放浪”と“働き続けること”は変わらなかったらしい。
本当は自分の赤裸々な日記など誰も人目に晒したくないと思う。林芙美子さん自身も「自分の死後は『放浪記』も絶版にするように」と言っておられたそうであるが、「読まして下さって有難うございました」という気持ちである。
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大正時代、極貧状態にあった女性の日記。金、飯、男、家族、周囲の人間の話と、詩が主。半ば呪いめいた愚痴と、その日に何かあったかを書き連ねた内容。3つの本をまとめた内容になっているが、そのうち1巻目にあたる部分の内容は中々悲惨である。セルロイド工場で人形に永遠と色付けを行っている辺りは特に印象に残った。あまりに生々しかったためか、戦時中発禁処分になった様子。それも仕方ないように思う。金品の貸し借りや人間関係などは随分現代と違うように感じるので、その辺りは興味深かった。しかし、こんな状態でもどうにか暮らしている作者の方のバイタルは現代人には無いものだと思った。
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林芙美子の若いころの孤軍奮闘ぶりがすごいのだけど、更級日記の作者と正反対に実にさっぱりしていて男性的な文章が気持ちよし。
お金がほしいのだけど、安定している月給取りの仕事はどうもダメみたいですぐに辞めてしまう林さん。
カフェ勤めでもヒマだと店の隅っこで本を読みふける林さん。
とっても母親思いの林さん。
振られた元恋人に未練があって会いに行く林さん。
ずっとずっとがんばる林さんのパワーがすごいけど、そういう自分を持てあましつつも、こうするしか仕方がない自分というものがよくわかっていた人だと思いました。
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およそ、林芙美子の、前半生の自伝のようなものであるということ。
今回読んだものは、みすず書房の大人の本棚シリーズにまとめられたもの。
森まゆみが、解説を書いていて、そちらを読むと、より、理解しやすく感じられました。
少しは、創作部分もあるらしいのですが、およそ、彼女の日記に近いとのこと。
すごい生き方だなと、感心して読みました。
明治生まれの女性の持っている精神力というか、まっすぐな心は、今の私にはできません。
ある意味、無知なればこそということなのでしょうか。
この作品が、昭和の初め、雑誌とはいえ、掲載され、人気があったということは、その当時の日本には、かなり、前衛的で、自由な思想の持ち主がたくさんいたのだろうと思います。
モガ、モボの時代にかさなるのでしょうか。
日本の社会自体はまだまだ、差別的で、階級差もかなりあったということもよくわかります。
にしても、林芙美子の個性には、圧倒されます。
森光子さんの「放浪記」、見ておけばよかったなあ、と今更ですが、思いました。
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林芙美子の極貧時代を綴った日記。
書き出しはあまりにも印象的だが、全編通して力強くしなやかな文章が続く。
間に挟まれる詩もたくましい。
(2013.1)
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「下駄で歩いた巴里」を読んだとき、林芙美子って貧乏の印象しかなかったけど流行作家になって旅行してるじゃん、と思ったんだけど、これを読んだら、ああやっぱりすごく貧乏ですごく苦労したんだね、と申しわけない気分になった。こんなふうにずっと食べるにもことかくほど貧乏で孤独でみじめな気持ちだったのかなと思うと胸が痛むくらい。
何月×日、って日記風になっているけれども、年度はわからないし、とびとびで何年もあいだがあいているようだったりするし、一部~三部とあっても時代順なわけではないし、いったいどういう状況なの?と思うこともあった。作家になったいきさつなどもまったくわからない。
で、巻末の解説を読んだり、ネットで調べたりして状況を推測したりしてるうち、林芙美子、したたかとか意地悪とかやけに評判悪いなと思ったんだけど、放浪記を読んでいるぶんにはそういうイメージはなく、もちろんたくましくはあるけれど、寂しがりやで繊細で優しいという印象をもった。文章やたくさんの詩も抒情的な感じ。どうしても森光子の舞台みたいな、でんぐり返ししているようなイメージはわかないんだけどなあ……。
この時代、やっぱり女が職を得るのは難しかったんだろうか。カフェの女給とか女中とかしかなかったのかな。ときどき事務員とかまともそうな職についていることもあるんだけど、続かなかったらしい。地味で単調な仕事はいやになってしまうんだろうか。もし林芙美子に書く才能がなくて、これほどの気力体力、情熱もなかったら、平凡な仕事についてここまで苦労はしなかったのかもしれないなーとか思った。
なんだかもっと林芙美子を知りたくなった。
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読書会 課題図書
あまりにも著名な「林芙美子」
でも、じっくり読んだのは初めて
イマサラですね
三部の構成 重複するので???
だったけれど、検閲とかいろいろな事情で
後からつけられたとのこと
『私は宿命的に放浪者である』
極貧の中、それでも上を向き貪欲に本を読み、そして書いた彼女
生活主義というか、食欲・性欲にのたうち回りながらの
若い日々
大正11年から15年の日記風の雑記帳からまとめられた自叙伝
「読書会」では全く違う観点を知って興味深い
ずっと改変されてきたが
最初の改造社からのものが一番いいとか
岩波版との比較とか
≪ 放浪の 日々の苦悩を ただ書いて ≫
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大正から昭和初期の生活の様子が垣間見ることができ、興味深い。特に赤裸々に貧困した生活を描いているので、当時の物の価値を知るのも意外と面白かった。
貧しい中でも自分の作品(詩、童話、小説)を世に送り出そうとする意欲に感服する。
単に自分の能力に自信がある、ということだけではないのだろう。世に登場する芸術家、作家に共通するもの、目には見えない道筋、運命のようなものを感じる。
当時は、女性というだけでハンディが大きかったと思うのだが、精神力の強さというよりも、生命力の逞しさ、と表現した方がよいのだろうか。
この作品は、森光子の舞台でも有名だし、戦後、映画化もされてきた。特に戦後の復興に際して、彼女のタフな生き方に多くの人びと、特に女性が勇気をもらったのではないだろうか。
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よ、ようやく読み終わったぜ。
林芙美子の極貧時代。ほんの100年前まで、女には人権も仕事もほぼなかったのだよな。
書きたい執念、愛への妄念。強い。
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少し前の時代を読むと男性作家が男女関係を書いたものが目立つ気がして、女性作家は何を書くのか気になって手に取った。
読んでみると題の通り、小説ではなく日記だった。ひたすらに飢えていた。読むうちに、当初知りたかった男女観よりも制作の実際に興味が湧いた。
「食事のあと、静かに腹這い童話を書く。いくつでも出来そうな気がして仲々書けない」
「詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている」
そして、音楽。
「私は風呂の中であこまでつかって口笛を吹く。知っているうたをみんな吹いてみる。しまいには出たら目な節で吹く。出たら目な節の方がよっぽど感じが出て、しみじみと哀しくなって来る」
「自由に作曲が出来たら、こんな意味をうたいたい」
その作曲を、およそ100年後の見知らぬ人間がしました。だいぶ遅くなってしまったけど、もしこの譜面がそこから見えるなら筆者にうたってほしい。
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第一部〜第三部が縦割りなため時系列がわからず、一つのストーリーとしては読みづらい。話自体とびとびなので、なりゆきがつながらず、ストーリーというよりは筆者の一つひとつの心情を読んでいく感じ。
故郷を持たず、旅を故郷とする筆者の放浪の記録。本当に職も所も転々としている。極貧の中自分で働いて尾道高女を出たと言う筆者の文学への造詣の深さがよく分かる。
力強くたくましく、というが、しょっちゅう死にたいと言ったり、でも母がいるから、ご飯が美味しかったから、etc.やっぱり生きたい、と言ったり、その揺れ動く感じや憂鬱な心情がリアルだと思った。生きるためには食べねばならず、食べるためになんとか働く、ギリギリの極貧生活も、DV男を哀れに思ってつい貢いでしまう男の見る目のなさも、女同士の意地悪さや原始的な匂いのする社会の良くも悪くも生々しい人間くさい感じも、自分とは遠いものだけれど、どことなく共感してしまうところもある筆者のリアルな心情。
Posted by ブクログ
自身の日記を元にした私小説。放浪の中に生きる女性の姿。それも、かなり生身。逞しさの中で儚く、あざとさの中で純粋で、逃げたいと思いながらも立ち向かう。人間の様々な面を、洗いざらい目の前にさらしてくれる。こんな本は、ちょっとない。
森光子の舞台で有名な本書。女性の立志伝という読前の印象は、いい意味で裏切られた。
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現代とは違いすぎる、当時の日本がひしひしと伝わる。
土地を転々とし、様々な職に就き、多くの人々と出会う。
個人的に好きな場面は、第三部のちもとという店で働いている時の、芙美子と料理番であるヨシツネとのやりとり。
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最近はあまり小説は読まないが、女優「森光子」の逝去の知らせとともに「放浪記」が取り上げられる中で本書を一度は読んでみないといけないと思い手にとってみた。
しかしこれは「小説」なのだろうか「日記」なのだろうか?
「林芙美子」の原作は昭和3年(1928年)発表だが、その元となった著者の日記は大正11年(1922年)から大正15年(1926年)だという。
「関東大震災」や「虎ノ門事件(昭和天皇狙撃事件)」が大正12年(1923年)だから不安な時代だったのだろう。
世界恐慌の影響を受けた昭和恐慌は昭和5年(1930年)から昭和6年(1931年)にかけてだから、本書が発表されてベストセラーになった時代は、まさに多くの庶民が呻吟した暗い時代だったと思われる。
本書は当時の庶民の暮らしがよくわかるものであり、その精緻な描写はまさに「リアリズム」といえる。
若い女性が飢えと貧困にあえぐなかで強く生きる姿は凄いとしか言い様がないが、その貧しい女性が同時に志賀直哉やチエホフを語る姿は違和感がある。
しかし、本書の巻末の解説を読むと、著者が行商人の娘として生まれながらも無理をして高等女学校を卒業するという異例の人生を歩んだことがわかる。
おそらく当時の日本において、著者のような貧しい家庭環境から知的向上心を失わない人生を歩んだ女性は数少ないと思われるが、それだからこそ、本書の主人公がより一層輝いて見えたのだろう。
本書がベストセラーになり、その後繰り返し「映画」「テレビドラマ」「芸術座」で取り上げられたのもその貧しさの中でも向上心を失わない力強い生き方が強く人の心に訴えたからだと思う。
ただ、本書は90年も前に書かれたものであるから、やはり読みにくい。
いや90年も前の小説が、現在でも読んで強く訴えるものを感じられることを評価するべきなのかもしれない。
本書の主人公が、絶望的な貧困の中でも強く明るく生きる姿には時代を超えた普遍性があると思った。
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日記というかなり主観が介入した内容かつ林が自分で隠したい部分は省いたので、結構日付が飛んでいる……。一体、省いた部分で何が起きたんだ。いきなり転職してたり引っ越してたり、忙しい人だったんだなぁ。この時代の女性としては珍しいのかな。
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一にも二にも貧乏。
貧乏、貧乏、貧乏です。
極限の貧乏の中で、ぎりぎりに生きる女の放浪記。
部分的に、「馬鹿に」切ない。
虚しく当て所ない怒り。
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大女優が連続出演記録を更新する名作として知られていますがよく知らなかったし、桐野夏生が林芙美子を描いた?「ナニカアル」を出版してるのでその予習としても、ぜひ読んでおかなければ、と。まさにその日暮らし。とにかく貧しい暮らしの連続。それを延々と書いている。貧しさもここまでくると家族まとまって暮らす家などはなく、主な寝床は木賃宿。親は何か安いものを買い付けてきては露天で売るような商売ばかり。行き詰ればまた別の土地へ行って同じ事をする。だめだと子どもにも金の無心をする。子供だった芙美子は重たい荷物を背負って母と行商をする。成長して一人東京に出てからもすこしでもお金ができたら親に送りたい一心で働く。女ひとり働ける仕事はカフェーの女給。ウエイトレスではなく、女給さんはいまでいうホステスさんみたいな仕事。お客に飲ませて自分も飲んで店の売り上げに貢献する仕事。本当は詩を書いて詩集を出したい、いつか書く仕事で生活できるようになりたいのだけどとにかくいつでも空腹。空腹で薄汚れていて、読んでいてしんどい場面もあるが、やはり後年人気作家になったことを知って読んでいるからか、いつかは成功するから、とどこか安心もしていた。でも成功した場面はほとんど出てこないです。貧しくても生き抜く強さや、悪態をつきながらも素晴らしい詩を書くことができたのは、働きながら自力で出た女学校で学んだことや知識欲が力になっているのか。お金がなくても本を買い貪欲に読書しているのがすごい。日記(雑記)なので登場人物の詳しい説明はないし関連性もわかりにくいが、とにかくこうやって生きていたんだなということは伝わってくる本。
Posted by ブクログ
浦野所有。
花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき――
『放浪記』を読んで、この言葉の真意が少しは分かったかな…?
青々とした力強さに満ち、極貧生活のなかでも夢を捨てることのなかった一女性の生きざまが、凄まじい力をもって迫ってきます。
いますぐ地球が爆発しないかと期待したり、裸で町中を歩いたらおもしろいだろうと想像したり、パリまでの徒歩旅行を妄想したり。
文筆業を目指しながら、その日の夕食費さえままならない貧しさ。女給、工女、そして時には会社員と、職を転々としながらも、「働くということを辛いと思ったことは一度もない」。
労働と生活は別物なのでしょうか。芙美子は労働に悲観することはなくても、やたらと生活や人生に悲観しています。
「生きることがこんなにむずかしいものならば、いっそ乞食にでもなって、いろんな土地土地を放浪して歩いたらおもしろいだろうと思う」。
芙美子は貧しさを引きずりながら各地を放浪し、独自の目線で風物を描き出しています。なかでも少女時代をすごした尾道へ戻る一節はあまりにも有名。
「海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい」。
これっぽっちの短いフレーズなのに、これを読んだだけで、尾道へ行きたいと思わずにはいられなくなってししまいます。
「一文にもならない。活字にもならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がその為にはじける。毎日火事をかかえて歩いているようなものだ」。
たとえ回り道をしようが、立ち止まろうが、夢は見つづけなければいけませんね。林芙美子こそ「楽観的マイナス思考」の体現者ではないでしょうか。