【感想・ネタバレ】諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃないのレビュー

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人生における選択と集中

この本を通じて伝わってくるのは

自分じゃない誰かにはなれないし実りは少ない
諦める事は選ぶこと、決してマイナスじゃない
望みを多く持ちすぎない生き方もある
努力は勝てるフィールドでする。
むしろ楽しめるくらいのフィールドでやる。

ということ。

他人の意見やランキングに惑わされやすい私にグサグサと突き刺さる本でした。為末さんありがとう。

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2014年09月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・多くの人は手段を諦めることが諦めだと思っている。だが、目的さえ諦めなければ手段は変えてもいいのではないだろうか。

・日本は、人の思いを汲んで自分の道を決めていく社会であるように思う。

・日本では「やめる」「諦める」という行動の背後に、自分の能力が足りなかったという負い目や後ろめたさや敗北感を強く持ちすぎるような気がする。「自分には合わなかった本質的には、ただそれだけのことではないだろうか。

・人生は舞台の上で、僕は幻を見ている。人生は暇つぶしだと思ってから、急に自分が軽くなって、新しいことをどんどん始められるようになった。 たかが人生、踊らにゃそんそん、である。

・自分のなかで「納得感」を持って終わるしかないと思う。

・ここでやめようと思ったときにきっぱりと終わらせることは、人生にとってすごく大事なことだと思っている。つまり、自分で設定したルールを守り、締め切りを守ることが大切なのだ。

・天才をのぞき、普通の人がトップレベルにいくにはトップレベルにたくさん触れることで、そこで常識とされることに自分が染まってしまうのが一番早い。

・アスリートの場合でも、競技場では諦めずに続けることが勝ちだったかもしれないが、一歩競技場を出て人生をトータルで考えたときに、ただ諦めずにがんばることが本当に勝っていることになるのかどうかはわからない。

・多くの日本人は、あまりにも人から選ばれようとしすぎてはいないか。人に受け入れてほしいと思いすぎていないか。

・「あなたが就職した先に描いている大きな目的は何だろう。それはランキング上位の会社に入らないと実現できないことなのか」

・多くの指導者は、スタープレーヤーが取り組む驚異的な練習を見て、教え子たちに「見ろ。あのぐらい練習しているからあそこまでの選手になったんだ」と諭す。しかし、スタープレーヤーは、努力を努力と思わず、努力そのものが楽しいという星の下に生まれてきていることがほとんどだ。

・他人由来の幸福は、つまり移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになる。

・あれも、これも手に入れたいという発想の行き着く先は、つねに「できていない」「足りていない」という不満になってしまう。

・他人由来の幸福は、つまり移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになる。

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2021年04月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

名前を聞いたことがある程度で、陸上のことも全然詳しくないのですが、タイトルにひかれて読んでみました。

限りある人生の中で何かを目指すとき、道のりはいくつかある。今進んでいる道が困難なときは、固執せず、冷静な判断で諦めて、他の自分に合った道を選ぶこともできるということ。(その先にある目的が同じであれば)

「前向きに諦めること」自分の仕事だけでなく、子育てにおいても参考になりました。


以下引用

日本人は、計算高いことをマイナスにとらえる傾向がある。負けが見えていてもがんばることが尊いとされるのだ。「将来のことまでよく考えている」「限りある人生を納得いくように生きている」こうした表現であれば、拒絶反応を見せる人も少なくなるのではないか。時間の限界という概念を持っていると、目先の評価に惑わされることはない。

何でもかんでも手当たりしだいに手に入れることで、幸福が得られるわけではない。むしろ、ある段階がきたら「もうこれはいらない」と手放していくことで、幸福が近づいてくるのではないだろうか。

働く女性は仕事と育児を必死で両立させようとしてきたが、その過程で多くの犠牲を払ってきたのだと思う。仕事も諦めない、子育ても諦めない……そうやっていると、どこかで行き詰まるものだ。どちらかを完全に諦めろと言っているわけではない。ただ「今自分はどちらを優先したいと思っているのか」ということを自覚していないと、自分に対する不満ばかりがたまっていく。

あれも、これも手に入れたいという発想の行き着く先は、つねに「できていない」「足りていない」という不満になってしまう。現代は生き方、働き方にも多様な選択肢がある時代だ。それはとてもいいことだが、すべてを選べるということではない。

何にでもなれるという無限の可能性を前提にすると、その可能性をかたちにするのは本人(もしくは親)の努力次第といった話になってしまう。しかし「おまえはそんなものにはなれない」という前提であれば、たとえ本当に何者にもなれなくても、誰からも責められない。

自分をほかの誰とも比べることなく「オンリーワン」などと言っているのは、単なる自己満足にすぎない。そもそも自分の特徴が何であるのかすら、他人との比較がなければわからない。まずは「自分はこの程度」と見極めることから始め、自分は「何にでもなれる」という考えから卒業することだ。そこから「何かになる」第一歩を踏み出せるのではないだろうか。

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2020年12月25日

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